★ 富士周辺の謎多き峠たち
明神峠古道 / 旧加古坂道 / 海沢峠 / 一間山峠 / 金剛坊峠 / ドウヤ峠 / 出口峠
富士山の周辺に点在する気になる幾つかの峠を巡りました。
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明神峠古道
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小山町教育委員会社会教育課発行の 『史跡いろいろみちしるべ・その5 北郷地区編』という 史跡を紹介しているガイドマップに「明神峠古道」の表記が あるとのご教示を丹沢自然保護協会のOさんから頂戴し、 現地を訪れてみることにしました。 明神峠の旧峠道は、現在の車道である山中湖小山線と |
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中日向集落から明神峠へ向かう車道を少し登り、 左手に分岐する未舗装林道へと入ります。 細い林道ですが車で走れないことはありません。 植林の手入れや送電線巡視路として利用されているようで |
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北山林道方向には「佐久間東幹線6」、 大野林道方向には「佐久間東幹線7、8」の送電線巡視路 指導標が行き先を示しています。 大野林道を選択し、さらに奥へと |
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橋の袂のコーナーミラーの背後から 古道であるらしい山道がのびています。 静岡県森林管理署の林班界標「526/528」も目印になります。 しばし山道を進むと、突然現われる廃屋。 廃屋背後にある熊の潜んでいるような岩穴前を |
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| 町の教育委員会公認の史跡ですから案内看板くらいあるやも知れぬと期待していましたが、 「明神峠古道」を示す親切な設置物などは皆無でした。 ここで沢は二分し、左俣、右俣のどちらが古道なのかは判然としません。 |
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数分ばかりこの尾根を登ってみましたが、 行く手に笹薮が出現して敢え無く撤退です。 今回は登山をする格好ではないので無理はできません。 しかし、古道なるものが今でも存在しているのか 廃屋裏手の岩穴が気になったので、 |
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すると、そこは外見からは想像できない 見事な手掘りの坑道が二方向にのびていました。 信玄の隠し金山か? それとも醍醐様の埋蔵財宝発掘の跡か?と興奮しきりです。 とても独りでは中に立ち入る勇気はありませんでしたが |
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旧加古坂道
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小山町教育委員会社会教育課発行の 『史跡いろいろみちしるべ・その6 須走地区編』という 史跡を紹介しているガイドマップを見ていたら、 「籠坂峠(旧加古坂道)」の表記がありました。 現在の国道が越える籠坂峠とは別に、旧峠があり、 |
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国道138号線脇の藤原光親墓の説明看板から 一気に急斜面を直登しなければなりません。 ムム、これはきついなと壁のような前方を見上げると 大きな鹿が何頭も横切っていくのです。 この容赦のない急登が果して本当に古道なのでしょうか? 中腹の大岩の上に明治20年に須走村有志によって |
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藤原光親は承久の乱の謀議に参与し、 ここで斬首に処せられたとされています。 歴史に疎いのでそれが史実なのかは知りませんが、 藤原光親の墓は大明見にあるとも聞きました。 鞍部に近付くにつれブッシュとススキに覆われますが |
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赤い実をつけた鋭いトゲトゲのブッシュ帯を通過すると、 突然視界が開け旧加古坂道の峠と思しき場所に到着です。 地形図にも表記されている破線道(スコリアの堆積した林道) 遥か前方には杓子山が遠望されます。 |
| 『関址と藩界』(岩田孝三著・校倉書房1962.09出版)には、籠坂峠について次のような記述があります。 「もっと古い頃の籠坂峠(鎌倉街道)は、今の沢道よりももっと西の方で富士の裾野の1240メートルの高みと、 ほぼ『甲斐国誌』に書かれていることと同様ではありますが静岡側から山梨側に向かう場合、 『関址と藩界』では「加古坂上に残る境界の天神祠」とのキャプション付きで写真が添えられているのですが |
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旧加古坂道の鞍部から東側のp1194に登ってみます。 ピークというより小高い丘といった感じでスコリア堆積物の 台地になっています。 須走方面の展望が開け、とても気持ちの良い場所です。 |
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スコリア堆積林道に縦横無尽に付けられたタイヤ痕は オフロード車のものでしょうか? それとも自衛隊の特殊戦闘車両でも走行しているのでしょうか? 「自衛隊演習敷地内につき関係者以外立入り禁止」といった おどろおどろしい警告看板や鉄条網のような物騒な工作物は ありませんでしたからここら辺の立入りはOKなのでしょう。 富士山の方向に目を向けるといくつかの起伏の先に |
| * 『関址と藩界』の中の「ヅナ峠と三国峠との間(1320m)を通って駿河の日向村(中日向)に」という記述は 「明神峠古道」のことなのでしょうか?それとも別に三国山稜越えのルートがあったのでしょうか? * 「カゴサカ」の名前は、『吾妻鏡』承久三年(1221年)に「加古坂」と見られるのがもっとも古いという。 * 「駕籠坂峠を天神峠と言わない以前は雁の腹すり峠と呼んだ」 * 甲駿国境論争に関する文献に、 * カゴ坂、ヅナ坂、ナガ坂を考察した文献に『古東海道足柄路・甲斐路抄調査書』(斉藤泰造編・平成11) * 籠坂峠から南の谷筋を辿って須走へ下降した時のレポートを見る。 |
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海沢峠
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| 『山梨県の地名』(平凡社)という分厚い辞典をパラパラと見ていたら、 忍野村の項に「海沢峠」という名前が出ていました。 「・・・鳥居地峠、平山峠、海沢峠などを越える道が分岐して富士吉田市に通じる。」 富士温泉から鐘山スポーツセンターに越える車道を「海沢線」というらしいのですが、 確かに古い地形図を見てみると、 |
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| 観光名所忍野八海の無料駐車場に車を置いて海沢峠の探索です。 「富士吉田市ガイドマップ」によると、下村バス停前から道がのびているはず。 ウン、ウン、ある、ある、石祠の祀られた赤い鳥居の脇を通り、民家の裏手から山へ道がのびています。 入口こそ草が被り気味ですが、民家の飼犬に吠えられながらも数メートルも進めば、 はっきりとした峠道が続いているのです。 |
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| 二、三の分岐がありますが尾根を目指して、いちばんはっきりとした踏み跡を辿るだけです。 推定される海沢峠は薄暗い小さな鞍部でした。 反対側に下る道は不明瞭、有るような無いようなはっきりしない感じです。 もし有るならば下部で車道の海沢線と接続しているはずです。 残念ながら、いまひとつ雰囲気に欠ける峠でした。 ここまで来たついでに、以前訪れて一目で気に入った平山峠を再訪すべく その「シボクサ峰」を乗り越えると、切り通し状の平山峠です。 |
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| 峠は前回訪れたときと同様の静けさに包まれ、 宝暦の年号の入った「奉納大乗妙典」の碑と数基の馬頭観音が切り通しの壁面に 並んで配置されています。 ここより東に位置している鳥居地峠は旧鎌倉往還として賑わいをみせていたとのことですが、 平山峠もその間道としての役割を持ち、同程度の交通量があったものと推測できます。 駿河湾からの海産物移入の道として、また富士講の信仰の道として多々利用されていたことでしょう。 昔は、街道沿いの村々において荷継ぎ業者間のトラブルが頻繁に起っていたようですし、 「おつそば峠」は鳥居地峠のさらに東に、「鳥打道二階峠」は文化三年大明見村絵図から察するに |
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| 今回訪問した海沢峠は“100%確実にココダ!”というものではないのでご注意を。 案外、現在の車道が越えている部分がそのまま海沢峠であったのかもしれませんから。 (現に、とあるHPではこの車道が越える道を海沢峠としています。) |
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| * 『あしなか第2号』「鹿留山附近の山名に就いて」(加藤秀夫著)の中に、 「…1100メートル辺りの草地がオホソバで、北面を丸山と云い…」という記述があります。 「オホソバ」とは「おつそば峠」のことでしょうか? 地形図p1116付近と思われます。 * 『山梨県歴史の道調査報告書-鎌倉街道-』によると海沢橋から車道海沢線の西側に間道があった |
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| 平山峠は集落裏手にある標高の低い山越えの道です。 忍野八海側から10分もあれば峠の頂きに辿り着くことができます。 “いざ鎌倉”を目指した武士団の足音や富士講の鈴の音が聞こえてくる錯覚がします。 お隣りの鳥居地峠は車の交通もあり、その下部にはトンネルが建設中ですが、 この平山峠は、いたって平静の中にあります。 |
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一間山峠
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| 「一間山峠」、そんな峠は実在しないのかもしれません。 この名は『あしなか第2号』(山村民俗の会編)の「鹿留山附近の山名に就いて」(加藤秀夫著)という 文章の中の一文で見ただけのことです。 「…鳥居地峠から峯山・三番沢を経て高指山1141メートルを越え、末は一間山峠・鐘山口に至り 鐘山橋と忍野橋とを結ぶ東海自然歩道が一間山峠の道かと思い訪ねて見ました。 |
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コンゴーボ?・金剛坊峠?・金剛房峠?
| 地形図を見ると杓子山の西尾根はp1433、p1198を辿り、p1019で緩やかに北西に進路を変え、 次の三角点p814へ向かう途中で小明見側古原へ下る破線道を分けています。 ここがどうやら「コンゴーボ」と呼ばれている場所のようです。 『あしなか第2号』(山村民俗の会編)の「鹿留山附近の山名に就いて」(加藤秀夫著)では、 また、この場所は明見温泉のホームページでは「金剛坊峠」と表示されています。 『甲斐国誌』には次の記述があります。 この尾根越えの道は「二王坂(仁王坂)」とも呼ばれていたのでしょうか? * |
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| 大明見側から接近してみると、新しい林道が峠まで建設されていました。 この道は鳥居地峠の下部に建設中のトンネル道といずれ接続されるものと思われます。 現行地形図には大明見側からの道の記載はありませんが、 現在建設中の林道はこの道をなぞったものと思われます。 |
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| 峠部分は立体交差になっており、頭上を杓子山西尾根が越える形になっています。 小明見側の古原へ向けても林道が新造されており、ほぼ完成の状態であとは舗装を待つばかりです。 立体交差する上の道に上がってみると、 杓子山西尾根の様子を覗いてみると、多少ヤブ気味ですが、凹とした道形や踏み跡が確認され、 |
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| 杓子山西尾根の末端部には大明見と小明見を結ぶ背戸山トンネルが穿たれています。 トンネル脇から尾根に登る道があるので探索してみると尾根の南斜面一帯はお墓ばかりです。 墓、墓、墓ですが陰鬱な感じはなく、均整のとれた富士を眺める好展望地でありました。 この地に埋葬された土地の開拓者達もさぞかし満足なことでしょう。 |
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ドウヤ峠 (芝切峠)
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ドウヤ峠の名前は「鹿留山附近の山名に就いて」(加藤秀夫)の 相定ヶ尾根について説明された記述の中にありました。 (相定ヶ尾根の名は今では堂屋尾根とするものが定着しているようです) 「…次が山ノ神峯・ドウヤ峠又は芝切峠、その先のドウヤ山に 古い地図には鳥居地峠を越え、金剛坊峠を越えてきた道が 富士道は尾根が桂川に落ちる末端部を迂回して通っていたようですが、 小明見の小字に「堂谷山」「堂谷指」というものがあり ドウヤ峠の正確な位置が判らぬまま、 |
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| 向原のバス停付近から堂屋尾根を見上げてみると、それらしき場所がすぐに確認できます。 除伐された空間に東屋を望むことができ、そこを目指して集落内の細い道を勘を頼りに進みます。 山道の入口には「向原さくら育てる会」が設置した「堂尾山公園入口」と書かれた看板があり、 傍らには親切にも登山用の杖が置かれていました。 そのうちの一本(ゴルフクラブのヘッドを取り外した物)を拝借し、植林地の中に進み入ります。 入ってすぐ「めぐみの水」という水場があり、奇麗な水を口に含み登りにかかります。 赤松の落ち葉の敷かれた道はフカフカで歩きやすく、整備の行き届いたジグザグ道を |
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| 果してここがドウヤ峠なのでしょうか?北側の小沼、倉見に下る道は見当たりません。 老朽化した東屋と板碑が三基祀られています。 それぞれの板碑には真新しい注連縄が巻かれ、鏡餅が供えられています。 一基は蚕影様を祀ったもののようですが他のものは磨耗が激しく判読ができません。 |
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| わざわざ尾根を越えなくとも、尾根の末端を回りこめばとも思えますが、 この付近の低地は丸尾(マルビ)と呼ばれる富士山の熔岩流の固まった転石が堆積しており かつては通行するのに困難を極めていたとされています。 御坂峠へ抜ける鎌倉街道や富士道などはそれらマルビを避けるように時代とともに変遷していき 幾筋かのルートが存在していたとされています。 |
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| 「関東の富士見百景・堂尾山富士見台」の標識につられ、堂屋尾根を西へと進みます。 三ッ峠の巨大艦船のような山体を横目に送電鉄塔の脇を通り抜けて 数分で石祠が祀られている富士見台です。 富士見台と名乗るだけあって富士の姿は雄大です。 さらに西へと続く尾根の踏み跡には「←寿駅」の標識が行き先を示しています。 日暮れ間近の尾根から南方を眺めて思うのです。 “すべての道はローマに続く”じゃないけれど、すべての道はどこかに続いているものです。 |
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| * 『山梨県歴史の道調査報告書第18集-鎌倉街道-』(山梨県教育委員会・昭和63年)に 以下の記述がありました。 「…倉見の上唐沢に至る。 「西桂町の境、富士吉田市小明見堂屋山から金剛坊を通り鳥居地峠までに鎌倉道のなごりがある。 「堂屋山の芝切りの峠---現在道はまったくない。 今回訪れた小尾根のたるみが、ほぼドウヤ峠(芝切峠)で間違いないようです。 * 『向原の民俗』(富士吉田市教育委員会・1984)という文献に 「鎌倉街道は数次の変遷を経ており、古くは鹿留から御犬沢峠を越して長寿水を通って 御犬沢峠とはどこなのでしょうか? 向原峠のことか? |
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出口峠
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『山と高原地図 富士・富士五湖』(昭文社)を見ると、 西湖南岸の足和田山の西方に「出口峠」の名があります。 出口峠の名は古いガイドブック等でも見かけることがあります。 しかし、ここだけを目的に訪れる人も無いようで、 峠としてもあまりメジャーな部類とはいえません。 また、その存在すらあやふやになっています。 『河口湖周辺の伝説と民俗』(伊藤堅吉・緑星社)では、 一体、出口峠はどこなのか手掛かりを探しに出掛けました。 |
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| 「天然記念物・鳴沢の熔岩樹型」のすぐ隣り、魔王天神社の駐車場に車をとめて、 鳴沢集落の奥手から集落背後の紅葉台、三湖台、足和田山と繋がる尾根へと登ります。 鳴沢村発行のハイキングマップにも赤線表記された正規のハイキングコースです。 成沢山通玄寺の脇を通り墓地の中を進みます。 ハイキングコースがわからぬまま、闇雲に西側の道無き斜面を這い上がります。 |
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| 「魔王天神社」を指し示す標識はあるものの、肝心のハイキングコースの標識は見当たりません。 既に廃道になったのでしょうか? ハイカーの多くは紅葉台から足和田山への縦走がほとんどですから、 どこかで落ち葉に埋まっているのかもしれません。 鳴沢奥手から主稜線に上がる、この見つけられなかったハイキングコース道は、 『マウンテンガイドブックシリーズ17・富士とその周辺』(伊藤堅吉他・朋文堂・昭和31年)には、 足和田山へ向けてp1237を巻いている林道を進むと、すぐに《推定》出口峠Aのポイントです。 整備され過ぎた感のある東海自然歩道をさらに足和田山に向けて進むと、 『鳴沢村誌』を見ても出口峠の名はありません。 |
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| 平日午後の誰もいない足和田山から河口湖や富士の眺望を楽しんだ後、いま来た道を戻ります。 もちろん道無き斜面の下降はイヤなので、《仮称》魔王天神尾根(p1237南尾根)を辿ります。 うまくすれば置いた車の目の前に降り着くことになります。 分岐に入ってすぐ、「医師道」らしき凹とした道形があるのですが、 《仮称》魔王天神尾根にヤブは無く、薄いながらも踏み跡があり、一気に下降していきます。 |
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「足和田山ハイキングマップ」を見ると、 通玄寺と春日神社の間から主稜線に向けて登山道が表示されています。 地形図にも破線道として表記されているので、たぶん見落したのでしょうね。 まったく気がつきませんでした。 《仮称》魔王天神尾根(p1237南尾根)は ちなみに一部のガイドブックではp1237の三角点を三湖台としています。 【補足】 |