穏やかな新年を迎える。
三箇日は寝正月と決め込んで、ゴロンと箱根駅伝のテレビ中継を見ていたら、
青空に映える霊峰富士、輝く相模灘、空撮の箱根連山をしこたま見せつけられ寝てはいられなくなった。駅伝ランナーが箱根路を快走する姿を見ながら(否、その背後に映し出される景色を見ながら)、
素早く雑煮を胃袋に掻き込み、デジカメと地形図をカバンに放り込んで急ぎ出立。
最寄駅から特別快速湘南新宿ラインに飛び乗ると、
行くぞと思い立った1時間ばかり後には、湯河原駅に降り立っていた。
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千歳橋から登山口へ
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見返り地蔵
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新年最初の山歩きは十国峠。
十国峠は「峠」といっても鞍部の峠ではなく、どうやら山頂を意味する「ドッケ」系の峠のようです。
湯河原駅前の観光案内所で、念のために十国峠のハイキングマップを調達していざ歩行開始です。
そのハイキングマップには「泉・湯河原みち」、「岩戸山・湯河原門川みち」、「熱海(西山)みち」と、
十国峠へ向かう三通りのコースが紹介され、
コース上に配置された数多くの丁目石も詳細にポイントされています。
粋狂な峠マニアが、どのコースを選択するかはすでに決まっていることで、
「七尾峠」、「泉越峠」の二つの峠を通過する「岩戸山・湯河原門川みち」に足が向かいます。これら峠名は一部のハイカーの間だけで呼ばれている名称ではないかとも思っていましたが、
観光案内所で頂戴したハイキングマップには、しっかりと両峠名が明記されていてまずは安心します。
駅前から本日歩く尾根を一瞥し、そのあまりの低い様に「うっ、低い!」と思わず口を出ますが、
年末年始、食っちゃ寝して、だらけきった体には手頃な山に思われるのです。
駅から海方向へと歩き、国道135号線が千歳川を渡る千歳橋の袂から
「岩戸山・湯河原門川みち」が始まります。
潮音寺参道を示す石柱の傍らには表示の剥げ落ちたコース図が転がっていますが、
何が書かれているか判読不能で、もはや役には立ちません。
(本コース前半部に、目立った公的道標の類はありませんが、本道と思しき道を進んで行けば大丈夫)
うるさいほどの鳥声に包まれたミカン畑の中を、やや急なコンクリート舗装された坂道が続きます。
湯河原の町はあっという間に眼下に遠ざかり、広がる海の青さにルンルンとした気分になってきます。
青い空に青い海、ミカンの黄色に常緑樹の緑、冬にしては色彩豊かな山道です。
p119三角点は「岳山」というらしいのですが、ミカン畑の中、私有地のようなので見送ります。
振り返れば、光輝く冬の海原に浮かぶ初島や大島がくっきりと見えています。
そんな景色を見ながら進めば急な坂道も苦になりません。
道端に祀られた「見返り地蔵」ならずとも、来し方を見返りたくもなります。
(「見返り地蔵」は「見返し地蔵」との表記もある)
次なる三角点p295は「猪ノ山」というらしいのですが、これまたハッキリとはしません。
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熱海市水道施設・ウルシガ窪第一配水池
小さな標識に「←ハイクコース 門川へ」とある
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水道施設を過ぎると
相模灘の輝き眩しい幅広道となる
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NTTの電波反射塔を過ぎると、コンクリートで簡易舗装された農道は終了し、土道へと変わります。
ミカン畑の中を行くこれまでの道と比べると勾配は緩むので歩行は大変楽になります。
カバンからミカンを取り出し(自宅から持ってきたもので現地ミカン畑からの無断調達ではありません)、
農道歩きの急登で渇いた喉に湿り気を与えます。植林や常緑樹林の中を進むと金網で囲まれた小規模な熱海市水道施設が現われます。
逆方向から(岩戸山方向から)下ってくる場合は、分岐する道に注意を要する地点です。
千歳橋・湯河原駅へと向かうには「←ハイクコース 門川へ」と書かれた小さな標識に従うことになります。
道はここから幅広となり、「本州製紙大洞社有林」の看板が立つ分岐に興味を覚えながらも進むと、
p418南面を巻き進むほぼ水平な道となり、木々間からはコバルトブルーの相模灘か望まれます。
資料によれば、このp418付近には「猪子ノ丁場」、「岳ノ丁場」の名が付与されています。
「丁場」とは石切場の意味なのでしょうか?
古いガイドブックには「八州展望台」との名も見られますが、観光客が訪問しているような気配は
まったく感じられず、単なる雑木の小丘にしか思えません。
丁度この辺りの地下深くを東海道本線や新幹線の「泉越トンネル」が抜けているようです。
岩戸山から東方へと伸び、千歳橋へと落ち込むこの尾根は、相模国から伊豆へと陸路で入る際には
難儀な障壁だったに違いありません。
千歳橋の袂に「これより静岡県」の看板があったので、尾根上が行政境かと思われがちですが、
神奈川県湯河原町と静岡県熱海市の境界は尾根北方の千歳川に沿って引かれています。
神奈川県民からしてみれば、熱海市の越境侵略に思えてなりません。 【*1】
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七尾峠
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四等三角点p486肩の分岐 泉越 ?
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山道から轍の残る未舗装林道に姿を変えた道は、不法投棄をチラチラ見せ始めると、
お洒落なペンション横から舗装路へと飛び出して終わりを迎えます。伊豆山地区と泉地区とを繋ぐこの県道が越える場所が本年最初に訪れた峠となる「七尾峠」です。
周囲は一流企業の保養所や研修所が建ち並び、峠の情緒というものは全く感じられません。
まったく新年早々ガッカリする峠で、なんでこんな峠を選んでしまったのかと悔やまれます。
現地には峠名をしるした標識の類はありませんが、
「七尾峠」の名は、各種登山ガイドブックに登場しているので、正式なものと考えて間違いないでしょう。
熱海の中心地から岩戸山東方尾根を越えて、同じ行政区域内の泉地区へ向かうためには、
七尾峠の道は重要でしょうし、万一自然災害等で海岸線沿いの国道が寸断された場合には、
この峠越えの道の果たす役割は大きくなることでしょう。
「沖電気健保前」というバス停からダラダラと続く舗装道を登りつめます。
それにしてもやけに立派な舗装道です。
こういった高規格の道を整備しないと、一流どころの企業保養施設は誘致できないのでしょうか?
しばらく進むと、車の侵入を拒む封鎖ゲートがありますが、その先にも立派な舗装道は続きます。
四等三角点p486に立ち寄るために土手に上がると、そこは峠状で北側へ下る道がつけられています。
送電線巡視路を示す「熱海線4号に至る」の黄色い標杭があり、
手製の小さな木製登山標識には「バス停下り ゆずり葉 へ」と書かれています。
古い地形図を見ると、ここがどうやら本来の「泉越(峠)」のようで、
ここを下れば「ゆずり葉団地」へと降りられるようです。
p486はなんてことのないヤブ気味の雑峰です。
昔のガイドブックには「大名ガ岳」の名も見られますが(あるいはそれは付近一帯の地名か?)、
山頂には四等三角点が置かれているだけで、山名標識はありませんでした。
まぁ、大名御殿のような一流企業の保養施設が付近にはたくさんあるので、「大名ガ岳」の名も
あながち的はずれだとは思われません。 【*2】
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送電線のクロスする泉越峠(七尾原)
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岩戸山入山口にはハイキングマップポストがある
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その「ゆずり葉分岐」(たぶん本来の「泉越」)の目と鼻の先で、
ほとんど一体化しているともいえる場所が「泉越峠」のようです。
送電線がクロスするポイントで、付近一帯は「七尾原」とも呼ばれているらしく、
湯河原駅前の観光案内所で戴いたハイキングマップには「七尾原(泉越峠)」と記載されています。
公式マップに、「峠」と表記されているのだから、たぶん「峠」であるのでしょう。 |

湯河原駅前の観光案内所で戴いたハイキングマップ
「七尾峠」というバス停?と「七尾原(泉越峠)」の二つの峠名が見られる
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古いガイドブックには「泉越」のことを「放電峠」としているものがあります。
「放電」とはこの送電鉄塔からのイメージでしょうが、峠名としてはいささか情緒に欠ける名前です。
頭の上を何万ボルトもの電気が流れていようと、これでは峠の姿にシビレルことはありません・・・ガイドブックによっては、ここを「七尾峠」としているものもあります。
そうすると、「泉越=七尾峠=放電峠」ということにもなります。
先のペンション前で尾根を越える県道の峠は、自動車を通れるようにした新しい道ですから、
昔からある峠の名前が移植されただけのことなのかもしれません。 【*3】
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『アルパインガイド7 富士・箱根・伊豆』
(昭和39年・山と渓谷社)
「放電峠」の名前が見られる。
「放電峠」の名は、当時一般化していたようで、
各社のガイドブックにその名前が見られる。
「泉越」は「峠」を付けずに表記するケースが多いようですが、
『箱根と伊豆』(昭和25年・中野敬次郎著・山と渓谷社)には
「泉越峠」と文中に記されている。
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『ニューマウンテンガイドブックシリーズ7 伊豆・箱根』
(昭和39年・中村謙著・山と渓谷社)
「大名ガ丘?」「猪ノ山」の名前が見られる。
(別資料には△486を大名ガ岳としているものもある)
「大黒峠」という峠名も海岸線沿いの国道に見られる。
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泉越峠には南麓の伊豆山神社から登ってくる道があるようですが、
「立派過ぎる舗装路」が地形図上よりも延伸されているので峠道が分断されてしまっています。
かつては伊豆山神社と湯河原温泉郷とを結ぶ峠越えの道として往来があったのでしょう。
空を突く送電線鉄塔と立派な舗装路に、いささか興醒めですが、
相模灘の見晴らしがそんな不快な気持ちを相殺してくれます。「岩戸山ハイキングコース入口」と書かれた大きな看板があり、周辺地図も備えられています。
配布用のハイキングマップが収められているはずのポストは空っぽで、
マップの入手はできませんでしたが、この先も迷うような所はありません。
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踏み締められた山道が続く
トレイルランやMTBコースとしても最適
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沼津アルプスと同種の素敵な手製標識がある
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立派過ぎる舗装路から再び素朴な山道に入ります。
これより暫くは送電線と並走しますが、だんだんと山道らしくなってくるので堪えましょう。
踏み固められ道はファミリー向けハイキングコースや遠足コースといった面持ちで、
アップダウンのほとんど無いコース状況は足腰の衰えた年配者にも、正月太りのメタボ諸氏にも
楽しい山歩きを約束してくれることでしょう。地形図にも記載のある山頂手前の分岐から、
岩戸山南面へと向かう巻き道はなぜか通行止めになっていて笹に埋没しています。
地形図の分岐からちょっと上に行くと、地形図には記載の無い岩戸観音へ向かう道の分岐があり、
そこには沼津アルプスでお目にかかったものと同種の愛らしい手製登山標識が設置されています。
標識には「七尾峠」の名前がしっかり書かれていて、峠マニアとしては嬉しくもなりますが、
「泉越(峠)」の名は見られませんでした。
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岩戸山の登りから振り返る湯河原・真鶴岬
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送電鉄塔台地で再び合流する岩戸観音からの道
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岩戸観音へと向かう道も気になりますが、山頂へと直上する道を進みます。
今日一番の山登りらしいやや急な道になりますが、それも長くは続きません。
振り返る木々間からは、これまで辿ってきた尾根が緩やかな緑のスロープのように望まれ、
その末端が海に没する先には、真鶴岬の濃い緑をくっきりと認めることができます。真夏は背を炙られ、とても歩けた道では無いでしょうが、冬場に歩く道としては合格点以上の道です。
空気の澄み切った冬の視界は海上遥か遠くまで見渡すことができます。
自分のこれからの人生の展望が霞んでいるだけに、その対比に恥かしさも感じます。
ひと登りで箱根方面の視界も広がる送電鉄塔台地に飛び出し、岩戸観音からの道が合流します。
最前の分岐から岩戸観音を経由していれば、どうやらここで接続するようです。
岩戸観音への道を覗いてみると、トラロープが張られたかなりの急傾斜な道です。
確かな御利益が保証されない限り、観音様への挨拶は控えた方がいいのかもしれません(?)。
しかし、北条政子が参拝していたというので、それなりの御利益や御加護はあるのでしょう。
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テーブルひとつの岩戸山三等三角点山頂
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青い海に浮かぶ初島・大島を望む
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鉄塔台地からアセビの明るい尾根道をわずかばかり進めば、
一台のテーブルベンチセットが置かれた岩戸山のささやかな山頂となります。
予約はしていませんでしたがテーブルベンチセットは貸し切りです。腰を降ろしてカバンから塩センベイを取り出しバリバリと頬張り、しばらく休憩です。
とても気持ちの良い山頂で、天城へと続く伊豆の山並みや十国峠から箱根を結ぶ稜線を見渡せます。
相模灘の青い海をボンヤリと眺めていると、ただでさえ正月ボケでシャッキリしない頭が、
さらに恍惚としてきて、思考は深い停止状態に陥ります。
海を眺める山登りはどうもボケーッとし過ぎていけません。
岩戸山から先は箱根周辺特有の背丈を越すハコネダケに目隠しされた道となり視界が閉ざされます。
それでも並走する送電線の鉄塔台地に立てばいつでも眺望を取り戻すことはできます。
ほとんど平坦な道は霜柱のスリップに注意さえすれば快調に足を進めることができます。
老アベックハイカーと笑顔で擦れ違い、前方が明るくなると、「石仏の道(西山道)」との合流点を迎えます。
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35丁目石の置かれた石仏の道(西山みち)と合流する
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湯河原温泉・熱海伊豆山 39丁仏分岐
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熱海西山町から土沢地区を経て登ってくる「西山みち(熱海みち)」との合流点には、
35丁目の丁仏が置かれ、日金山東光寺への道を案内してくれています。
西山みち沿いには一丁目毎に石仏が置かれ、古くからの信仰の道であったことが窺がえます。
熱海近郊の人々は春と秋の彼岸の時には、新仏の供養に東光寺に参詣する慣習があるといいます。
伊豆地方の死者の霊魂は日金山に集まり、日金山に登ると、擦れ違う通行人の中に、今は亡き人の
顔を見ることができると言い伝えられています。熱海の海へと一気に落ち込むかのような明るくのびやかな道を、天を駈けるかのように
歩いてみたいとも思いますが、ここは我慢して霊地東光寺へと向かいます。
未代上人の宝篋印塔を過ぎ、ハコネダケのトンネル状の道をさらに進み続けると、
39丁目の丁仏が待つ「泉・湯河原みち」との合流点を迎え、東光寺は目前となります。
鐘の音が耳に届き、参拝者の姿がちらほら現われ、こぢんまりとした境内にしぜんと吸い込まれます。
「ご自由にお持ちください」と書かれたミカン駕籠から一番大きなのを一つ頂戴してご本尊とご対面。
閻魔大王や生死阿婆の怖い形相に多少ビビリますが、線香の煙が包む霊域の核心部は厳かで、
不浄な穢れや強欲にまみれた我が身は、仏のやさしい眼差しに涙し、ひれ伏したのです。(ウソ)
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源実朝の歌碑の置かれた芝生広場
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天城へと続く伊豆東山の連なり
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薄っぺらな信心しか持ち合わせていない愚者はそそくさと寺を去り、十国峠を目指します。
東光寺の境内を離れ、たくさんの野仏が並ぶ車道を歩いて、峠広場の駐車場へと出ます。
ここから目的地の十国峠は指呼の間で、もはやここは霊域ではなく観光地の領域といった感じで、
家族連れやカップルや団体さんで正月早々、大いなる賑わいを見せています。地形図には「十国峠(日金山)」とありますが、
江戸時代には「丸山」(『増訂豆州志稿』)とも呼ばれていたようです。
また、「火ガ峰」や「光の峰」、「国見山」、「くじら山(久志良山)」との呼び名もあるようです。
「くじら山」の「くじら」とは、人や物を通過させるという意味の「くし」という古い言葉に由来しているとか。
人や物を通過させるという点では峠の持つ本来の機能と同じだと言えます。
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十国峠 (日金山)
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笹の緑が美しい箱根への尾根道
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「近隣の峯に秀でたる高嶺なれば四方に眺望あり、
五の島、十の国を一目に見ゆるゆゑに十国嶺といふ」(『熱海温泉図彙』)なるほど・・・眺望絶佳、360度ぐるりの展望を欲しいままにできます。
富士の頭を隠す雲が邪魔といえば邪魔ですが、自己主張の強い富士は隠れていて丁度良いのです。
その富士と愛鷹山の間に雪を被った南アルプスが見えているけれど山座同定はままならず。
それよりなにより箱根の鞍掛山へと続く笹原の緑の尾根(背通路)が気になります。
果たして箱根まで稜線上を北上することができるものだろうか?
遠くから眺めている分には、気持ち良さそうな尾根だけれど、実はハコネダケの蜜ヤブかもしれない。
送電線が並走しているから巡視路があるかもしれないし、源実朝は二所詣でのために鎌倉から
箱根権現の参詣を済ませ、鞍掛山を経て伊豆山に下るこの背通路と呼ばれる尾根を通ったというから
歩けないこともないだろう・・・・などと、目を凝らして尾根の様子を窺がっていると、
「すみませ〜ん、写真撮ってくれませんかぁ♪」とアベックに写真撮影を頼まれる。
「ハイ、いいですよ〜♪」と、ニコニコと親切そうな笑みを浮かべてはいたものの、
内心は新年早々、他人の幸せを見せつけられ、フレームから外してやろうかとも思いましたが、
その場で写り具合を確認できるデジカメの登場はそんないたずら心を許す隙を与えはしません。
「ありがとうございました♪」と宣うその彼女の笑顔は実にカワイカッタ。
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熱海峠
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熱海峠バス停
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ケーブルカーで団体さんが大挙して登って来たので、
これ以上写真撮影を頼まれるのは御免と、十国峠を後にします。
峠広場まで戻り、結構急な車道を下って熱海峠に出ますが、これまた情緒に欠ける峠なのです。
熱海峠は正月三箇日とは思えぬほどの交通量で、
自動車やツーリングバイクがひっきりなしに往来しています。
かつて熱海峠は「ボーラッショイ」で賑わった峠であったといいますが、そんな古き面影はなく、
今では自動車や観光バスが高速で流れていくばかりの峠です。「ボーラッショイ」とは、ボーラ(ボウラ)を背負って峠を越えた女衆のことです。
函南町の田代、軽井沢、桑原などの熱海峠の西側の人達は、男は馬で、女はボーラという竹製の
背負籠を背負い、熱海峠を越えて野菜や炭や米を売りに、東浦方面(東海岸部)に出ていました。
彼女らは、三島方面よりも、熱海とのつながりが深く、「熱海歩き」とも呼ばれていたようです。
峠を越えて一大消費地であった熱海へと生産物を売りに出ていたボーラッショイも、
昭和9年の丹那トンネル開通後は、汽車で行商に出る者が増え、
歩いて峠を越える姿は見られなくなりました。 (『静岡県史23・民俗1』より)
熱海峠から次なる目的地の軽井沢峠を目指します。
伊豆スカイラインが大きくヘアピンカーブする南方で稜線を越える破線道が地形図には見られます。
それが軽井沢峠の峠道で、熱海市相ノ原、つつじヶ丘と函南町軽井沢とを結んでいます。
しかしながら、伊豆スカイラインは歩行者通行禁止で、料金所ゲートを突破できそうもありません。
これは困った・・・・、軽井沢峠にアクセスすることが出来ません。
地形図の「熱海峠」という文字のある切り通し部分も高い擁壁で取り付くことが出来ません。
残念!軽井沢峠は麓のつつじヶ丘から辿るしかないかと諦めて、次回に見送ります。
とぼとぼと「熱海梅ライン」を熱海市街地へ向けて下ることにします。
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熱海梅ラインのヘアピンカーブからのびる古道
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草の刈払い斜面で道が尽きるが電柱は続く
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「熱海梅ライン」を下りますが、ゴミ焼却施設手前のヘアピンカーブで山側にのびる薄い踏み跡を発見。
これを辿れば軽井沢峠に出られるかもしれないと足を踏み入れてみます。見た目は草に埋まりかけた頼りない道でしたが、実際、踏み込んでみると安定した確かな道筋で、
道に沿っては電柱も設置されています。
これは難なく軽井沢峠に辿り着くことができるかもしれないと期待を持ち始めた矢先、
数百メートルばかり進んだ所で、刈り払われた草の堆積する斜面にぶつかり道も消滅してしまいます。
電柱はさらに上方へと続いているのにおかしいなぁと思いつつも、
新年早々不確かな道の探索は慎むことにして、「熱海梅ライン」へと素直に引き返すことにします。
「姫の沢公園」前で二分する道をどちらに進んだ方が駅により近いかと地図と睨めっこです。
結局は、姫の沢公園入口前から少年自然の家を通り過ぎ、MOA美術館方向へとテクテクと歩き
熱海駅を目指すことにします。
土沢地区では「石仏の道」である「西山みち(熱海みち)」と合流しますが、来宮駅方向には下らずに
熱海駅背後の桃山地区より市街地へと降り立ちます。
熱海は、坂の町であり、猫の町であるようです。
そして、さすが湯の街、道路脇の排水溝からも湯気が昇っています。
温泉旅情を、も少し味わってみたいとも思いましたが東京行きの電車がホームに滑り込み、
こちらもこれを逃すものかと改札に滑り込み、正月の熱海ぶらり散歩は終わりとなるのです。
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明治18年測図 「熱海」 陸地測量部
ヘアピンカーブから軽井沢峠へのびる破線道が見られる
軽井沢峠の本道は実線で表記されている
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『熱海』(昭和28年・熱海市役所編) より
軽井沢峠の名が記されヘアピンカーブから峠へのびる
破線道が描かれている
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帰宅後に、古い地形図を見てみると、
「熱海梅ライン」のヘアピンカーブから軽井沢峠に向けて破線道が記されていました。
やはりあの道は峠道より派生した道であったのかと、途中で引き返してしまったことを後悔します。
また、昭和28年発行の『熱海』という本の地図にも、ヘアピンカーブから軽井沢峠へ向けて
同様の道が描かれていました。是非、未だ見ぬ軽井沢峠にリベンジをしなければなりません。
そして今回、不用意に通り過ぎてしまった「姫の沢公園」内にも幾つかの峠があったのです。
峠マニアは近いうちに再び熱海の峠を訪れることでしょう。
熱海にやって来て、温泉にも入らず、秘宝館にも行かず、
峠ばかりに熱くなり、山の手を彷徨っているとは少々異常なのかもしれません。
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◇
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【*1】 熱海市泉地区は、古くは相模国足柄下郡宮上村字泉だった。それが、明治22年熱海村に合併された。
その後、湯河原の発展につれ、川一つ挟み、泉区も温泉場として発展した。 しかし、公共施設がなく、
湯河原との合併運動をしばしば起こし、その都度、熱海側に説得された。(『続熱海風土記』山田兼次著・伊豆新聞社)
地勢上の境界を無視した線引きにより、泉地区は岩戸山東方尾根によって、熱海中心部より隔絶されている。
『泉区問題の真相』(神奈川公論社・昭和30年)に、その経緯が詳しく記されている。【*2】 「大名ヶ丘」というバス停が海岸線国道の「大黒崎」バス停の隣に位置している。
「大名ヶ岳」と「大名ヶ丘」は同義なのだろうか?
【*3】 『地球の風・登山ハイク伊豆・天城山』(ゼンリン・1999年版)では、送電線がクロスするポイントを「七尾峠」としている。
「放電峠と言われた時もあったが、いまでは七尾峠の方が通りがよい」とも記されている。
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● 「熱海さんぽの峠A」(桜峠・あせび峠・かえで峠・馬の背峠・リンボウ峠・軽井沢峠・池ノ山峠)のレポートを見る
● 「熱海さんぽの峠B」(丹那峠・タケの道の峠・ミズアラシの峠・りんどう峠・佐治山峠?・七曲峠?)のレポートを見る |
(峠行:2009.0103)
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