熱海さんぽの峠 B
丹那峠・タケの道の峠・ミズアラシの峠・りんどう峠・佐治山峠?・七曲峠?
* 牛乳の越えた峠 *
|
|
| 函南町と熱海市をつなぐ山越えの交通について、 『庶民列伝』(野本寛一著・白水社・2000年)という書物に「牛飼いと峠」と題されたルポがあり、 そこに幾つかの峠名が登場します。 「県道の峠」、「峠山の峠」、「タケの道の峠」、「ミズアラシの峠」、これらはみな正式な呼び名では |
|
*
| さて、「峠山の峠」とは、どこなのか?同書のアバウトな挿入図では判然としません。 これも以前訪れたことのある「軽井沢峠」のことではないかと一瞬思いましたが、 JR丹那トンネルの真上である「丹那峠」のことではないかと考えてみました。 トンネル貫通後の現行版地形図にも破線道がしるされていて、どうやら道はありそうです。 「峠山」とは、たしか熱海側の字名であったと思いますが、正確な位置がどこなのか把握していません。 「ミズアラシの峠」とは、どこなのか? 問題は、「タケの道の峠」です。一体どこなのでしょうか? いろいろと疑問はありますが、現地を訪れてみます。 |
|
|
|
| 熱海市街から坂路を登り鷹ノ巣山トンネルを潜り抜け熱函道路のパーキングエリアに車を停めます。 「熱函道路」の「熱函」は「ねっかん」と読むようで、 赤提灯で一杯やりたいと思っても「あつかん」と読んだら間違いのようです。 パーキングエリアには酪農の町函南を象徴する牛のモニュメント(モウ♪ニュメント)が置かれています。 本日の計画は、丹那峠へと登り、伊豆スカイラインに沿って南下し玄岳を踏み、 |
|
|
|
| 棚之沢橋、第一丹那橋、第二丹那橋を渡り、鷹ノ山トンネル方面へと戻り、峠道の入口を探します。 それらしきものはすぐに見つかるのですが、標識や石造物など古道を偲ぶものはなく、 コンクリ舗装された味気ない道で植林斜面を登り始めます。 最初の分岐で舗装されていない道を進んでみましたが、 それでも慌てず、林道終点の手前、数十メートル地点に斜上する道跡を認めていたので |
|
|
|
| 本来の峠道(地形図破線道)とは若干ズレているような気もしますがこの道を辿るしか手がありません。 違っているとしても、いずれ上部で合流するだろうと根拠のない楽観的な期待を胸に進みます。 凹とした道には、笹ヤブや潅木が蔓延り歩き難いところもありますが、 ダニなどの不快生物がいるわけでもなく、突進を決め込みます。 しばらくすると、道がクロスするポイントを迎え、一瞬戸惑いますが、 |
|
|
|
| 山抜けを高巻き気味にクリアした後は、涸れ沢状の凹路を進みますが、 果たしてこれが道であるのか、単なる小さな涸れ沢であるのか判然としません。 踏み跡やゴミがないので多分道ではないのでしょう。 それに道だとしたら、ここのブッシュはひど過ぎます。 トゲトゲ植物の猛烈な歓待を受け、悲鳴を上げるばかりなのです。 ジーパンや上着のフリースからは、穴が開くのではと心配させられる引っ掻き音が耳に届きます。 このままでは着衣のみならず、気持ちもボロボロになってしまうと凹路からの退避を図ります。 |
|
|
|
| 顔を鞭打つ潅木の枝で目を覚まし、こんなスカイライン脇のヤブ中で死体が発見されては格好悪いと、 潅木ブッシュとの闘いを再開し、掻き分けして前進を続けると、道跡らしき薄い凹状形を見出します。 道跡といっても依然としてブッシュの猛威は衰えていないのですが、 足もとには錆びた空缶、耳を澄ませばスカイラインを走る車の音が聞こえてくるのです。 「歩くから道になる 歩かなければ草が生える」、相田みつをさんの言葉です。 飛び出した伊豆スカイラインはあまりに明るく開放的で、青い空が眩しく感じられました。 |
|
|
|
| 地形図の破線道が越える場所にドンピシャで飛び出たものの、 そこには峠の名をしるした標識もなければ、ヤブとの死闘を労ってくれる石仏の姿もありません。 おおよそ峠の情緒というものは感じられないのです。 すぐ北方の電波塔のある峰を滝地山というらしく展望台への道がスカイラインより分岐しています。 ただし、滝地山については、地形図の鷹ノ巣山をその位置としている文献もあり混乱が見られます。 (「滝地山」は「滝知山」とも表記するようです) |
|
|
|
| 『熱海』(熱海市役所編・昭和28年)では「瀧地山」について、次のような説明があります。 「日金連峯にあり、鷹ノ巣山の東南に連なり、海抜672mで此の山の地下二千六十呎の地下を 丹那トンネルが通っている。」 ちなみに「鷹ノ巣山」は次のように説明されています。 「日金連峯の一つで海抜677m。眺望極めてよく初川の源である。」 また、『丹那地域風土記』(丹那地域風土記編集員会・昭和45年)では、 |
|
|
|
| 熱海側に下る道は、函南側と比べるとあきれるほど(?)明瞭です。 「奥の沢国有林」の朽ちた看板が転がっていますが、人工林はほどよく手入れされているようです。 少し熱海側の道を歩いてみますが、ブッシュが顔を叩くことも、トゲが体を痛めつけることもありません。 滝地山展望台からのびる東南尾根に乗ると、送電鉄塔「初川線18」を示す巡視路の標杭があり、 丹那峠から稜線上の南下を開始します。 |
|
|
|
| 先ほどまでの青空が一変し、いきなり小雪が舞い始め、寒風が肌を刺します。 伊豆というと温暖な地であるとばかり思われがちですが、富士颪や駿河湾を渡るこの季節の風は 冷たく温泉の温もりが一入恋しく感じられます。 伊豆スカイラインは平日のせいか交通量が少なく、 立派な二車線道路が有効活用されているのか疑わしく思えてきます。 稜線を破壊してまで拵えたせっかくの道路ですから、どうせなら破壊ついでに(?)並行する歩道を 整備してもらいたいものです。 スカイラインの建設時、一部の地盤の弱い箇所には、丹那トンネルのズリが大型ダンプで 運搬されて埋め土に使用されたといいます。 巨大モグラの生態は知りませんが、トンネルの土はこんな所にも運ばれていたのです。 通信アンテナや電波塔の立ち並ぶ峰(弦巻山p693)とp681(谷ノ峰、池ノ山)との鞍部が 「・・・野菜や米を背負って峠を越えた。村の女たちは、一週間に一度くらいの割で、 この鞍部が果たして「タケの道の峠」なのでしょうか?はっきりしません。 「弦巻山を越えた道は最も古いが、畑から玄岳の中腹を通って和田に抜け熱海へ出る道がある。 上記の「玄岳の中腹を通って和田に抜け熱海へ出る道」とは「ミズアラシの峠」のことで、 『熱海』(熱海市役所編・昭和28年)には「弦巻山」について次のような説明がなされています。 「海抜693mの峠で、田方郡函南村軽井沢と熱海市の境にある。 弦巻山が嶽山であるとの記述はありませんが、 |
|
|
|
| 「タケの道の峠」がココであるとの確信を得られぬままさらに先へと進むと、 前方には笹の緑に覆われどっしりとした玄岳の山容が姿を現わします。 初めてやって来た場所なのに、なぜか以前に見たことのある風景に思えてなりません。 見覚えのある場所・・・ 山歩き、峠歩きをしていると、時としてそんな強烈な感覚に襲われることがあります。 前世に訪れていたのでしょうか、それとも単なる気のせいか・・・。 閉鎖された玄岳ドライブインを過ぎ、玄岳I.Cや料金所が近付くと、 「寅平さんは、丹那尋常小学校の高等科一年の年(今の中学一年生)から父親と一緒に 厳しい峠越えを強いられた牛飼いの生活振りがうかがえる一文です。 『庶民列伝』の著者は昭和52年に消えゆく峠道を訪れ、次のように記しています。 「昭和39年、まず、この盆地の東側の山並みの尾根を伊豆スカイラインが通った。 ミズアラシの峠道は廃道と化し、消えてしまったのでしょうか? |
|
|
|
| 玄岳I.Cを過ぎると、玄岳に向けた一般登山道があるので、そこを歩くことにします。 笹を開いた登り道から見下ろす氷ヶ池の水面は小さく、そして穏やかです。 昔は、この池に張った氷を切り出して、熱海まで運んだといいます。 冬、池に厚い氷が張るとミズアラシの峠では法螺貝が吹かれ、麓の集落に結氷を知らせたといいます。 法螺貝が鳴った朝は、盆地の畑集落の衆は興奮し、大人も子どもも池へと駆け出し、 切り出された天然の氷を消費地であった熱海へと小型の荷車で運んだといいます。 (『庶民列伝』(野本寛一著・白水社)「牛飼いと峠」p197〜198 より) ミズアラシの峠は、丹那盆地のおいしい牛乳ばかりではなく、天然氷も越えていたのです。 熱海側の和田山から熱海新道を越えて玄岳の東肩に達する道との合流点には、 「りんどう峠」というと、島倉千代子さんの歌を思い出します。 |
|
|
|
| 明るい笹原に開かれた一条の道を登りつめると、視界360度の山頂へと飛び出します。 箱根、十国峠、岩戸山、伊豆スカイラインとこのところ足を運んだ地が望まれます。 東には相模灘に浮かぶ初島、西には沼津アルプスや内浦、西浦の海岸線もくっきりと遠望できます。 駿河湾や愛鷹、富士の姿も、天城の連なりも見渡すことができます。 実は、山頂から先、「七曲峠」を探すべく韮山峠方向へと南下を続けたかったのですが、 |
|
|
|
| しかたなく、山頂からは氷ヶ池に向かって下る笹開き道を下降します。 天気は晴れたり曇ったりで安定しませんが、風の冷たさだけは変わりません。 時に小雪が舞うほどですから、温暖な温泉地熱海の背後の山といっても、その池に氷が張ることも 不思議ではありません。 伊豆スカイラインを横断し、氷ヶ池に向かって一気に笹開き道を下ります。 |
|
|
|
| 氷ヶ池から熱函道路へと下ります。 牛乳罐を天秤棒で担いで、この道を歩いたのだろうかと感慨深くもなりますが、 次第に道はハコネダケのトンネル状を行く頼りないそして怪しげな状態へと変わっていきます。 ハコネダケのトンネル道に入って最初の分岐で左右どちらを選択するか戸惑いますが、 車を停めたパーキングエリアには右の道が近いだろうと、右のハコネダケのトンネル道を選びます。 肩幅ほどのトンネル道は頗る頼りないのですが、暗いというだけで歩行に支障はありません。 トンネル道を抜けると、植林地内の道となり、最後はコンクリ林道をくねり熱函道路へと飛び出します。 (『新ハイキング568』「玄岳」(小林経雄著)に、氷ヶ池から同じ道を下降している記録がある) |
|
|
|
| 熱函道路には、「玄岳登山道入口」の標識が一応、立っていますが、 その前にある「南箱根ダイヤランド」の大きな看板に隠れているし、同系色なので極めて目立ちません。 そもそも玄岳登山は、熱海側から登るのが交通の便からいっても適しているのでしょう。 熱函道路を猛スピードで走行するトラックや乗用車に恐怖を感じながら、 JR東海道線に乗車したとき、丹那トンネルはいつも退屈させられる暗闇でしかなかったけれど、 |
|
*
|
|
| 玄岳山頂から稜線伝いに南下することができなかったので、 車で熱海市側の別荘地「自然郷」へと移動して、「佐治山峠」、「七曲峠」の探索を試みます。 両峠の名前は『熱海』(熱海市役所編)の「熱海全図」の中に見られます。 |
|
|
|
|
|
| 別荘地「自然郷」の山側に一番近いヘアピンカーブから山道を拾うことができます。 目印は青い屋根のY邸です。(この御宅は山から下るときにも目印となります) ヘアピンカーブの空地には、韓国初の女性飛行士である朴敬元女史の飛行機事故をしるした 案内板が設置され、山道はその墜落現場へと導く慰霊の道となっています。 思いの外、歩きやすい道が整備されていることに驚き、早速山中へと踏み込みます。 |
|
|
|
| この慰霊碑へと導く道は、「奥山ハイキングコース」という散策路にもなっているようで、 随所に標識が設置されています。 しかし、この「奥山」がどこのことなのか、このハイキングコースを辿ればどこに出るのか、 この地域の地理に不案内な者にとっては見当がつきません。 さて、問題の「佐治山峠」ですが、どこなのかよくわかりません。 |
|
|
|
| 「七曲峠」は、さてどうしたものか? 整備された道には戻らず、松の生えた小鞍部から尾根筋を拾って進んでみます。 ケモノ道が錯綜する潅木ブッシュの茂る尾根筋斜面を直登します。 所々、人工的な道の痕跡も認められますが、安定せず極めて不明瞭です。 近年人の歩いた形跡はなく、ゴミなども落ちていません。あるのはケモノの足跡とネグラばかり。 登るにつれ、稜線は近付いてきますが、次第に密なる笹ヤブが進路を塞ぎ、登行は窮まります。 結局、「佐治山峠」、「七曲峠」の正体を掴めずままに立ち去ったのでした。 |
|
| ● 「熱海さんぽの峠@」(七尾峠・泉越峠・十国峠・熱海峠)のレポートを見る ● 「熱海さんぽの峠A」(桜峠・あせび峠・かえで峠・馬の背峠・リンボウ峠・軽井沢峠・池ノ山峠)のレポートを見る |
|
(峠行2009.02.02) |
|