鮎差峠
井上靖の歴史紀行文集T(岩波書店)を見ていたら「夜叉神峠」と題するエッセイがありました。
「夜叉神峠」 <前略> 私たちは磧に腰を降ろして、内山さんに夜叉神峠の名の由来を聞いた。 内山さんは言った。 <後略> |
鮎差という名前の由来がよく判りませんが、夜叉神峠にはそんな別名もあるのでしょうか。
初耳でありました。
字面と音で選択する所は、さすが大文学者だと思います。
夜叉神峠は南アルプスの玄関口で、南の高谷山と北の大崩頭山との鞍部にある峠です。
夜叉神トンネルの方は何度も通過したことがありますが、峠に立ったことは鳳凰三山を縦走した時の
一度きりです。 白峰三山の眺望が素晴らしかったことを覚えています。
かつて麓の芦安村の人々は、夜叉神峠を越えて野呂川流域に入り、
コメツガやシラベの原生林の伐採や炭焼きに通っていたといいます。
峠には巨大な夜叉が住み、大雨を降らせては御勅使川に大量の土砂を流し込んだり、
時には旱魃を引き起こすなどして、山麓の村人達に大きな被害をもたらしていました。
平安時代の初め、天長2(825)年の洪水は甲府盆地に甚大な被害を与えました。
見かねた甲斐の国造・文屋の秋津は、惨状を朝廷に奏上。
淳和天皇は心を痛め勅使を送り、水難防止除けを祈ったといいます。
これとは別に困り果てた村人達は渓谷を一望できるこの峠に石祠を建て念入りに祀りました。
それ以来夜叉神の祟りはやみ、今は豊作の神、縁結びの神として、夜叉神峠小屋の北側に
祀られているそうです。
御勅使(みだい)川の語源が暴れ川を意味する水出川からきているといいますから、
天皇の勅使云々の話は眉唾物なのかもしれません?
別の言い伝えでは、峠に一つ目の妖怪が住んでいたとも言われています。
鮎差峠。
名前の響きは良いのですが、野呂川の上流部にまで鮎は溯上していたのでしょうか?
夜叉とは仏法に帰依して守護神となりましたが、もとは人を食う猛悪な鬼神であったといいます。
串刺しの鮎の燻製でも峠の地に差し、手向けることで夜叉の怒りを鎮めたのでしょうか。
<後記>
古い山の本を見ていたら夜叉神峠から旧峠道を野呂川沿いに下った地点が「鮎差」という
地名であることがわかりました。小屋もあったようです。