万歳峠

峠は人との出会いが生まれる場所。
また、峠は人との別れの舞台にもなる場所。

育ててくれた親から離れ、愛する人と別れ、生まれ育った郷土を振り返る場所でもある。

希望に満ちて峠に立つ人もいれば、逃げるようにして郷里を去る人もいたことだろう。
いずれにしても峠を越えたその人の人生が大きく変る転機となった場所でもある。

時代の流れに抗えず峠を越えた人もいた。
止むに止まれず峠を越えた人もいた。
戦時中、各地の峠は出征兵士を見送る場所となった。

民俗学者・宮本常一の名著『忘れられた日本人』の中に出征兵士を送り出す峠についての記述がある。

<略>

万歳峠・・・
村から山を越えて田口の方へ出ていく峠のことである。
日清戦争の時まではその峠の頂上まで出征兵を見送って万歳をとなえて別れて来たのであるが、
峠の上で手をふって別れると、送られる方はすぐ谷のしげみの中に姿がかくれてしまう。
そこで別れ場所を峠の頂上より五丁あまり手前の所にした。
そこで、別れの挨拶をして万歳をとなえ、送られる方はそれから振りかえりながら、
五丁あまりを歩いて峠の向うへ下っていくのである。
こうして万歳峠が、峠の頂上から五丁手前に来たのは日露戦争の時からであったという。
まことにこまやかな演出ぶりである。

                                              -「村の寄りあい」- より

<略>

「万歳峠というのはな、村の者が兵隊を見送っていくのに、峠の上までいって万歳をとなえたのでは
まことに愛想が無い。皆さん行って来ますいうて、峠を下りたのではすぐ姿が見えなくなる。
そこで峠の上から六、七丁もこちらへ下った市場口の北のはずれで見送ることにした。
そこで万歳をとなえる。
行くものはそれから歩きながら手をふる。
こちらも立って手をふる。
道が曲って姿が見えんようになるまで、しばらくは時間もかかる。
まァ、名残をおしむというようなわけで。
日露戦争のときも、日独戦争のときも、今度の戦争のときも、入営兵士のあるときは、
みんなそこで送ったもんです。
村を出ていくのにもおもむきのあったもんです。」

「そうでしたのう。他所へいって、万歳峠のところまで戻って来て、わが村の見えて来るのは
ええもんじゃった。」

                                                -「名倉談義」- より

愛知県にあるこの峠は村人からは万歳峠と呼ばれていた。
出征兵士を見送り、戦勝と無事を祈り万歳を唱え送り出した。

すぐにその後ろ姿が見えなくなってしまうのは名残惜しいと、
峠の頂上ではなく、その数丁手前で見送りをするうちに、峠も手前に移動した。

送り出す親兄弟、恋人に手を振って応えながら
振り返るその胸中はいかなるものであっただろうか。

再び峠を越えて故郷に帰る日を夢見て峠の向うへ下って行ったことだろう。
しかし、何人かは二度とこの峠の上に立つことはできなかった。
戦地で倒れ変わり果てた姿で越えることはあっても。

峠越えは人の一生を大きく左右する。
自分の意志で越える人も、越えることを余儀なくされた人も。