「忘れられた路」という名の峠
忘路峠(犬峠)・城ヶ尾峠(サガセ峠)・ブナ沢乗越(盗材コシッパ)・水の木のタル・富士見峠
| 「忘路峠」という名前に惹かれて甲相国境尾根に点在する峠道を歩くことにした。 「ボウジ」と読むのか、「わすれじ」と読むのかは定かではないが、とりあえず字面に惹かれてしまった。 下山後の一風呂を楽しみに道志村の村営「道志の湯」に車を停めて、 「的様」は室久保川の沢床に黒点を中心にした同心円状に、 |
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「盗伐禁止」の看板を横目に黙々と歩くと横浜市の野外センターに到着。 ゲートに「モロクボ沢ノ頭・バン木ノ頭」を指し示す矢印があるので、 遠慮なくキャンプ場に侵入させて頂く。 季節外れの静まり返ったキャンプ場を抜け、 沢を詰めて峠に至るのかと思いきや、 |
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ニセ乗越を越えてモミとアセビの尾根に出て、 沢筋を変える辺りはちょっと複雑な地形だが、 ビニールヒモの目印を頼りに進めば問題無い。 ケモノ道も多く交差して、シカの足跡が目立つ辺りは トチやカエデの森で、紅葉時期はさぞ見事であろう。 峠入口から人の気配はまったく無いので、 忘路峠は「峠」というより「乗越」といった感じだ。 「忘路」を「ボウジ」とすれば、「棒示」「傍(榜)示」のことで、 あるいは単に「恋」と「忘」の誤記とも考えられる。 |
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峠からひと登りで大界木山に至る。 愛川町のスーパー「アルプス」で買ったオニギリを 「タンザワ」山中で頬張る。 山中湖方面より暗雲が忍び寄ってくるし、ガスも濃くなってきた。 |
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笛を吹き吹きして城ヶ尾峠に到着する。 丹沢の峠といえばヤビツ峠、犬越路峠、城ヶ尾峠というぐらい 有名な峠であるが、思いのほか控え目な峠で 想像していたものとは違っていた。 城ヶ尾峠は中川と道志を結ぶ昔からの交易路で花嫁も越えたという。 |
| 歴史を紐解けば、南北朝期には足利勢に追討された新田義貞の第二子新田義興が敗走した峠でもある。 正平7〜8年(1352〜1353)足利尊氏に追われた新田義興は山北町にあった同じ南朝方の河村城に 逃げ込むも、大軍の攻勢に耐えられず箒沢から登って城ヶ尾峠付近に城を築きなおも応戦した。 しかし、散々に敗れ、義興は峠を越えて甲斐から越後へと落ちていったという。 この時に城を築いたことで城ヶ尾峠の名が残っているともいわれている。 また、戦国期には武田信玄も小田原の北条攻めに際してこの峠を越えたという。 華やかな歴史に彩られた峠だけに、大仰な姿を予想していたが、峠はひっそりと静まりかえっていた。 |
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中ノ丸を過ぎてガスが一層濃くなってくる。 眺望は無いが漂うガスとブナの林は良い雰囲気を醸し出してくれる。 鳥が盛んに囀るが何を語っているのかわからない。 時々、道志道を走る車の音が聞こえてくるが、 それでもいたって静かな尾根道だ。 熊除けの笛の音が空しく響くだけで誰に会うことも無い。 |
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この先、菰釣山方面にわずか行った地点に避難小屋があるので、 避難小屋泊りの峠行も楽しめそうだ。 菰釣山はガスに覆われ展望はなかった。 |
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「菰釣」の名の由来は、甲相国境争いの際に甲州平野村の名主が 菰を吊るして立てこもったという説や、 信玄が北条攻めの際に、山頂に菰を吊るし進軍の合図にした という説もあり定かではない。 また、山頂部をよく雲や霧が覆うため「雲吊るし山」からの 転化という説もある。 菰釣山を下ったところが「水ノ木のタル」であろうか、 |
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ブナノ丸から北に向かい国境尾根と分かれ富士見峠を目指す。 ブナノ丸の分岐には麓のキャンプ場が設置したらしい標識があり、 見落すことは無い。 昔の『山と高原地図・丹沢』には前ノ岳から白井平に下る道も 笹の多い道ではあるが、快適過ぎる下り勾配なので 前ノ岳上部付近はカラマツ林が美しく、 |
| 道志道に出てバスの時刻表を確認するが、予期していた通りバスの運転は終了していた。 これから先、道志温泉までの道程を考えると気が重いが歩くしかない。 善の木集落まで歩いて、バスの時刻表に再び目をやると、 道志小学校行きのバスが一便残っていることに気が付いた。 しかし、待っても待ってもバスは来ず。 さらに道志の道の駅まで歩みを進める。 走って追い付き、事なきを得たが40分遅れはひどすぎる。 ちなみに、バス会社に「忘れられた路線」、顧みられない路線となって運行廃止になっても困るので、 訪問者が少ないから峠道が荒廃するのか、道が廃れたから訪問者が減ったのか、 |
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| 【参考文献】 『かながわの峠』 植木知司 かもめ文庫 【*1】 「とうげ名考」永谷誠宏 より ● 忘路峠再訪のレポを見る |
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