千葉県の机上峠考

 冬から春先にかけて、寒くて外出するのが億劫になる季節は、温暖な房総半島に訪れようと
毎年のように考えます。
しかし、毎年行きそびれて千葉県の峠は、ほぼ手付かずの状況が続いています。
水仙や菜の花が咲く頃に是非訪れたいのですが・・・机の上で計画を練るだけに終わってしまいます。

そんなわけで、いつ訪れる機会があっても慌てぬように千葉県の峠を調査してみることにしました。
千葉県なら、長野県や秩父などに比べて標高の高い山はないし、峠の数も多くはないと思われ、
一県の峠を完全制覇するにはもってこいかもしれませんね。

峠・ビョウ (ビョウはビョウでも峠病ではありません)

 先日、我孫子近くをバスで移動中に「中峠」というバス停を通過しました。
こんな街中にも「トウゲ」があるのかと、車窓から周囲を窺いましたがトウゲのような地形ではありません。
帰宅後調べてみると、「中峠」は「ナカトウゲ」ではなくて「ナカビョウ」と読むことを知りました。
千葉県の峠を調べる上で、「ビョウ」の存在は極めて重要です。

国土地理院の地名検索システムで、地形図に記載されている千葉県の「峠」を検索してみると、
以下の検索結果が得られました。

  検索結果 1/25000地形図名
中峠(ナカビョウ) 取手
中峠下 取手
中峠台 取手
金束
白石峠 金束
木之根峠 金束
横根峠 金束
大峠 八街
大峠 東金
中峠 八街
中峠 松戸
木ノ根峠 那古

上記表中、一番上の中峠だけ読み方が「ナカビョウ」になっていましたが、それ以外の中峠や大峠も
「ビョウ」系の峠だと思われます。

 下総千葉郡蘇我町大字小花輪字中峠 (ナカビョウ)
 上総山武郡日向村大字木原字中峠 (ナカビョ)
 上総山武郡公平村大字松之郷字中峠 (ナカビョウ)

では、なぜ峠を「ビョウ」と読むのでしょうか?また、「ビョウ」にはどんな意味があるのでしょうか?

<中峠・・・古くは柴原、芝原という。手賀沼の北に位置し、天文10年河村出羽守の領有となり中峠郷と改称。
      文禄元年徳川氏の領となって村名を中峠村と公称し、芝原は通称となる。>

柳田國男『地名の研究』より

 柳田國男の『地名の研究』の中に、「峠をヒョウということ」という論考があります。
これを読めば「ビョウ」の謎は解き明かされます。

ヒョウ・ビョウは瓢・俵・慓(ホントは山偏)・鋲・兵など様々な字で書き表されていますが、

 上総山武郡瑞穂村大字萱野字中瓢
 上総君津郡富岡村大字上宮田字境俵
 上総君津郡富岡村大字下宮田字境鋲
 上総君津郡平岡村大字永吉字中慓 (ホントは山偏)
 上総市原郡海上村大字引田字中慓 (ホントは山偏)
 
上総市原郡市東村大字金剛地字毛無鋲

ヒョウの元の字は「標」で、「澪標(みおつくし)」の「つくし」すなわち「榜示」の意味であると指摘しています。
「つくし」はもと「標木」の義であったものが、転じて広く「境」の意味を表すものになったとしています。

木を立てて境を表する習慣は、古くからわが国において見られるもので、山の口などに木を立てて
神と人との地を分けることは一般的に行われてきました。
後世にも峠を境木峠と呼ぶものも多く、その木は主として榎であったゆえに、榎峠が各地に多い
ことも指摘しています。
<*榜示といえば、各地にボウジ峠はあります。北条峠、忘路峠、傍示ヶ峠、防路峠、坊地峠、傍示乢、法師峠・・・。
                                                 つくしんぼの土筆とも関連ありそうだ!
>

 下総印旛郡永治村大字浦幡新田字榎峠 (エノキビョウ)

また、千葉県の特色として、この地方には狐神信仰の痕跡が多いことを指摘して、

 上総市原郡姉ヶ崎町大字深城字狐慓 (ホントは山偏)
 
下総東葛飾郡手賀村大字金山字狐峠
 
下総東葛飾郡早風村大字塚崎字稲荷峠 (トウカンビョウ)
 
下総千葉郡更科村大字大井戸字堂間表 (トウカンヒョウ)
 
下総千葉郡都村大字辺田字東関尾余 (トウカンビヨ)
 
上総山武郡二川村大字殿辺田字稲荷塚 (トウカンビョウ)

などの地名を挙げて、稲荷が村境の鎮守と成すに適したのであろうと推測しています。
あるいは、丘越えの路の頂上に狐神を祭っていたのだろうとしています。
<*稲荷と書いてトウカンと読むとは難しい・・・。>

柳田氏によれば、峠をヒョウということは関東にかぎられ、ことに上総・下総に多く、上総は全体に地名に
特色があり、下総はこれに接した部分だけにその感化が及んでいるとしています。
<*源義経で有名な、ひよどり越の、‘ひよ’も‘ヒョウ’からきているとの説があり、関東に限ったことではないのかも・・・。>
<*秋葉街道のヒョー越も、一説には‘ヒョウ’からきているとか。他にも兵越、兵戸峠、平標山などが浮かぶ>

中峠をナカビョウと呼ぶことは、その土地限りの特別な事情によるものではなく、印旛以南の丘陵地帯に
いくらでも同じ地名があり、〇〇ビョウといった場所は必ず丘を越えていく路の中程にあるらしく、

 上総山武郡源村大字滝沢字峠道 (ヒョウミチ)
 
上総山武郡源村大字酒蔵字峠ノ崎 (ヒョウノサキ)
 
上総山武郡源村大字極楽寺字峠ノ腰 (ヒョウノコシ)

など、他地域の峠に近い地形を意味する言葉としてヒョウが用いられている例も示しています。

 

いろいろと『地名の研究』から引用しましたが、千葉県においては峠をヒョウ・ビョウと読むことがあり、
いわゆる地形的な峠とは別に、境の意味として、峠の文字が利用されてきたことがわかりました。
結果として境が、いわゆる地形の峠と同一の場合もあるので、これまた複雑なのですが、
千葉県の峠を探索する場合は注意が必要です。

トンネル大国

 「ビョウ」系の峠はひとまず無視して、以後は純粋な峠について見てみたいと思います。

千葉県の峠といえば、『日本百名峠』に選定されている有名な横根峠が頭に浮かぶぐらいで、
その他考えても二、三の峠名が思い出されるくらいです。
千葉県て、もしかしたら日本で峠が少ない県の上位にくるかもしれませんね。
<*1位は沖縄県かなぁ??・・・>

なぜに千葉県は峠が少ないのでしょうか? 標高が低いとはいえそれなりに丘陵もあるのに・・・。

実は千葉県は知る人ぞ知るトンネル大国なのです。
平成2年現在、全国にあるトンネルの数6482箇所。
その内、千葉県は426箇所で、大分県の445箇所に次いで、全国2位の栄冠に輝いています。
大多喜地域には32箇所のトンネルがあるそうです。
もしかしたら、このトンネルの多さが、峠数の少なさと関係しているのかもしれません。

戦前は、農閑期にトンネルを掘ることを職業とした人が多かったといいます。
今でいう公共事業でしょうか?
農閑期に、出稼ぎに出ることなく地元のトンネル堀で収入を得ることができれば
土地を離れる必要も無かったわけです。

せっせと掘り抜いた幾多のトンネルが、千葉県から峠を減少せしめた一因だと考えたのですが
果たしてこの推測は正しいのでしょうか?
トンネル数日本一の大分県の峠数を調べたことはありませんが気になるところですね。
トンネル数と峠数の相関関係を調査してみる暇な人はいないものだろうか。

千葉県の峠を探す

 自分なりに数少ない千葉県の峠を拾い集めてみました。
 <*他にもまだあるという情報があればご教示下さい。>

峠名 1/25000地形図名 備考・参考文献など
木ノ根峠 那古 安房郡富浦町と富山町の境界にある標高130mの峠。
富津の多田良海岸に注ぐ岡本川の支流丹生川沿いの道が安房中部丘陵の西部を横断
する所にある峠。 峠を越えて道は岩井海岸平野の高崎に下る。
この峠は富津町の海岸沿いのトンネルの多い房州街道(国道127)が開通する以前、
徳川時代までの主要街道であった。 峠の茶屋跡や馬頭観音が残る。
その後、明治時代に峠の東方に木ノ根トンネルが開通したが、
主要街道は海岸部に移り利用は少ない。(*1)

江戸期の軍記物「房総里見軍記」によれば
十代里見忠義が慶応19(1614)に江戸へ参府する時この道を利用した。
『新ハイキング590号』に紀行あり
『房総山岳志』(内田栄一・崙書房出版)に記載あり

南無谷峠 那古 『房総のやまあるき』(内田栄一著・新ハイキング社)に記載あり
小浦と豊岡を結ぶ。岩富トンネルの上付近に位置する。
保田見峠 金束 旧鎌倉街道の峠道で、市井原と保田見を結んでいます。
安西、神奈など安房の諸将が鎌倉での大番役勤めや、それこそいざ鎌倉の変事の度毎に
一族郎党を引き連れて峠を越えた。  (『新ハイキング519号』より)
『房総山岳志』(内田栄一・崙書房出版)に記載あり
横根峠 金束 鴨川市から西の鋸南町保田に続く長狭街道の鋸南町横根集落と富津市上畑集落との間。
横根集落よりにある峠で、標高150m。
局地的な分水嶺でもあるが、流域は上総湊に注ぐ湊川の上流志駒川の流域に入る。
東京湾斜面と太平洋斜面の分水界は、この峠でなく約750m西寄りにある。(*1)

鋸南、富津との境界の峠で158m。房総分水嶺鞍部の一つ。
内房の保田と外房鴨川を結ぶ長狭街道が通る。
駄馬でしか通行できなかったが明治20年より馬車の通行が可能になる。(*2)

外房の人々は、この峠を越えて海産物や夷隅米を保田に運び、船運で江戸に転送した。(*3)

現在、内房保田から鴨川へ抜ける東西の道が越える峠になっているが、
かつては南北を結ぶ道の峠であった。
北方の富津(古津)から安房国府を経て道は白浜へと通じていた。(*4)

山中峠 金束 横根峠を東へ越えて、御社を過ぎた辺りにあるらしい。詳細不明。
木之根峠 金束 安房では花立峠ということがある。
東西に延びる房総丘陵を横断して、富岡から金束にぬける標高240mの峠。
老木が多く路上にまで樹根がはびこり、これを踏んで山道を越えて行くことから
木之根峠と呼ぶようになった。
明治維新以前は鋸山の麓を通る道が悪路で、主としてこの峠路を利用した。
君津郡と安房郡を結ぶかつての主要な峠。
現在の道は峠から500m東を通っている。(*1)

峠の南に御所覧場という場所があり、昔里見一門衆が峠越えの際の休息場であったという。
しかし、上総側ではハッケ場と呼び、はりつけの場所であったと伝えられている。
峠には六面六地蔵と草露近事霊の碑が立つ。 (『新ハイキング554号』より)
『房総山岳志』(内田栄一・崙書房出版)に記載あり
『房日新聞』に特集記事あり

花立峠
新花立峠
金束 『房総のやまあるき』(内田栄一著・新ハイキング社)より
(集落名か) 金束 白石峠の近くにある。集落名だろうか字名だろうか?もしかしたら「ビョウ」系かもしれません。
周囲には、引越、戸越、打越、道越などの峠を連想させる地名が散在している。
白石峠 金束 嶺岡中央林道がはしりぬける峠。
ふるさと峠 金束 大崩の人々が鴨川へと越えた峠道。名付け親は鴨川市側らしい。
『東京近郊里山めぐり』(新ハイキング社)に名前がありました。
近くに人骨山というおどろおどろしい名の山がある。
見返り峠 保田 鋸南町の観光パンフに名があります。
赤伏から地蔵堂に越す道。
牛柵峠 鹿野山 『富津市史・通史』の「かまくら道の発達」の項に名前がありました。
神妻集落の入口から「かまくら道」は再び山道にかかる。「牛柵峠」を越えると障子谷、相野谷を
経て三舟山の南麓から南中腹斜面につくられた道は上湯江(君津市)の西北部へ出る。
との記述がありました。
鳥居岬 鬼泪山 地形図では峠ではなく岬ですが、古い山岳ガイドブックや一部のロードマップなどには
「鳥居峠」と記されていることがある。単なる誤植でしょうか?
たしかに山上にあって海も遠く、岬というイメージではなく、峠の方がしっくりきそうです。謎だ!
『日本山岳ルーツ大辞典』(岳書房)には、鳥居峠と記載されている。
浦田峠 久留里? アーネスト・サトウの旅行記『明治日本旅行案内』に名前が出てくる峠です。
久留里から蔵玉に至る間にある峠のようですが、一体どこのことでしょう?
君鴨峠 鴨川 国道410号線が通る峠。君鴨トンネルがあります。
小町峰峠 鴨川 江戸時代、久留里地方と安房とを結んだ重要な峠。
峠には小櫃川上流域を領していた川越藩の長野田番所があり人馬の往来を監視していた。
藩では安房にも諸所に約一万石の飛領地を持っており、巡察のため藩主または重役達が
度々この峠を行き来した。上総側ではこの道を御成街道と尊称していた。
峠には嘉永5年旅の安全祈願に造立した山神宮の石碑が立つ。(『新ハイキング578号』より)

『房総山岳志』(内田栄一・崙書房出版)に記載あり
『房日新聞』に特集記事あり

香木原峠 鴨川 この峠は戦国時代、房総の覇者里見氏の本拠であった上総の久留里城と、その誕生の地で
後衛地帯でもあった安房とを結ぶ幹線上の要地で、里見の軍勢もしばしば通過した。
史上有名な市川国府台の合戦のおり、里見配下の正木氏、丸氏など東安房の諸将の軍が
参陣のためにもこの峠を越えていった。
江戸時代には隣りの小町峰峠に番所が置かれたため廃道となったが、
明治以後また復活し、牛車などが通って賑わったという。
しかし、昭和42年鴨川有料道路の開通ですっかりさびれ、
今では人の往来も途絶え、地元の人からも忘れられてしまった。(『新ハイキング484号』より)

『房総山岳志』(内田栄一・崙書房出版)に記載あり
『房日新聞』に特集記事あり

地蔵峠 坂畑 三石自然林の中の峠。三石山と元清澄山を結ぶ途上にある。郷台畑地区への分岐あり。
HP『とよた時・山旅イラスト通信・ひとり画展』によると、群馬県出身の某氏が、ふるさとの
地蔵峠に似ているからとイタズラで書いた名が定着したとか。
四方木峠 安房小湊 清澄養老ラインの峠で、清澄寺の近くです。
賀曽利隆著『峠越え』(光文社文庫)の中では「清澄峠」としています。
市ヶ坂峠 安房小湊 市ヶ坂は昔江戸と外房を結んだ幹道の峠で、日蓮上人ゆかりの「誕生寺詣で」に多くの人が
行き来した峠。 内房の木之根峠に匹敵する房総分水嶺の代表的峠であった。
(『新ハイキング565号』より)
発坂峠   旧街道であり、戦国末期の古戦場。
「房総治乱記」や「関八州古戦録」等の軍記に伝えられる古戦場。
付近に、矢玉、矢中、弓折塚などの地名が残る。
峠の頂きの旗立山に、かつて一株の松があり、
万喜の土岐氏が房州の里見勢を迎え撃つために、ここに陣を敷いたという。
この峠は明治30年頃までの重要な往還であり、
庚申塔、馬頭観音などの石仏や茶屋の跡も残っている。
(HP『大原中央商店街』様より)
花立峠 鴨川 明治時代の輯製1/20万図の嶺岡浅間の近くに名前があり。
木之根峠の別名を花立峠ともいうので、位置の誤植だろうか。
『千葉県の地名』(平凡社)の金束村の項に、境の上を上総では峯上山、
安房では金束峯といい、境の峠を花立峠と呼ぶ とある。
五十蔵の峠   烏場山の北の登山口の峠をこう呼ぶらしい。 山と渓谷社「千葉県の山」に記載あり。
『新ハイキング2005.12』に「高塚山と高鶴山-烏場山」(藤宗正彦著)でも「五十蔵峠」とある。
シジュウカラ峠 館山 館山野鳥の森内にある峠。 山と渓谷社「千葉県の山」に記載あり。

( 太字は地形図に記載されている峠 / ビョウ系の峠は除外 )

(*1) 『千葉大百科辞典』千葉日報社
(*2) 『角川日本地名大辞典』角川書店
(*3) 『日本百名峠』
(*4) 『鎌倉街道W古道探訪編』蜂矢敬啓・有峰書店新書

* 「保田見峠」についての情報は、NORI様より頂戴いたしました。ありがとうございました。
* 「シジュウカラ峠」についての情報は、MFP様より頂戴いたしました。ありがとうございました。

以上、千葉県の峠とは上記十数ヶ所しかないのだろうか?
地形図を見ていると、ここもそこもと峠に見えてくる箇所があるのですが峠名は記されていません。
さらに市史や町史、古文献等を用いて調査をする必要がありそうです。
<上記以外で千葉県の峠を御存知でしたらご教示下さるようお願い致します。>

トンネルが多いから峠が少ないのではと思いましたが、地図を見ているとゴルフ場の多さに呆れてしまいます。
もしかしたら、多くの峠がゴルフ場の犠牲になって姿を消したのかもしれませんね。

地図の上で、机の上で峠行ならぬ峠考ばかりしていないで、
早く実地に赴き古老から地図に無い峠の話など伺ってみたいものです。

◆ 2009年4月に『房総・山と峠の物語』(内田栄一著・崙書房出版)が出版されました。
  千葉県の峠について記された貴重な一冊です。
  千葉の峠について詳細な解説と、「ヒョウ」地名の考察がなされています。