不本意な峠行

    【一日目】 丸川峠・丹波山大菩薩峠(旧峠・上峠)・大菩薩峠・石丸峠(小菅大菩薩峠・下峠)

    【二日目】 湯ノ沢峠・米背負峠(米ッ背負ノタル)

酷暑のアテネオリンピックでアスリートたちが頑張っているのを見て、
暑さに負けて峠行を怠けていてはいけないと奮起し、念願の大菩薩峠を訪れてみました。

中里介山の名作『大菩薩峠』を読まずして訪れることは不本意ではありますが、
どうも膨大な文庫本を読む気にはなれません。それも未完であるというからなおさらです。
先日NHKで放送した映画版を見たということで、この問題は「よし」としましょう。
中里介山の呪縛から解き放たれて、いざ禁断の大菩薩峠へ。

◆ 一日目 丸川峠から湯ノ沢峠避難小屋へ ◆


塩山〜大菩薩峠登山口まで格安の100円バス

 カーラジオで日本対アメリカの女子サッカー放送を聞きながら、
深夜の甲州街道をひた走り、笹子トンネルを抜けて
道の駅甲斐大和に着いたのが午前3時半。
6時まで仮眠し、車を道の駅に放置してJR甲斐大和駅へ。

JR塩山駅まで乗車して、そこから大菩薩峠登山口まで
超格安・良心的運賃の「100円バス」に揺られる。
このご時世に乗車料金100円はありがたい。
100円ショップも驚きのプライスである。
(山梨貸切自動車はエライ!)

バスの発車を待つ間、バス停前の不動産屋の広告を見てみると、
CATV配線済み・駐車場料金込みで5万円前後の賃貸物件が
いくつか目にとまった。
山に囲まれた地で、煩わしい人間関係を避けて、
隠遁生活を送るのも悪くはないと思ったりもしてみた。


丸川峠への道(下部コンクリ道)

バスは登山者や釣り人を乗せ、トランスミッションから悲鳴にも
似た異音を発して、ひたすら登り勾配の道を進む。
かなりくたびれ気味のバスではあるが100円だからしょうがないか。

途中の停留所で乗る人も、降りる人もなく、まるで直行便のようで、
地元の人からは相手にされていない路線のようだ。

バスを降車する時、思わず「100円でいいのですか?」と
運転手さんに聞いてしまった。

爪先上がりの道をテクテクと歩き雲峰寺の前を過ぎる。
お寺に寄って行こうかとも思ったが、
三門に続く長い階段の迫力に負けてしまった。


草原の中、丸川荘が建つ丸川峠

アスファルトの道を歩くのは辛い。
先を考え、ゆっくりペースで歩くその傍らを、
登山者を乗せたタクシーが何台も走り抜けていく。
塩山からの乗車だとすると5000円ぐらいのはずだ。
100円バスの50倍の出費である。なんてバブリーな人達なんだろう。

他の登山者はみんな上日川峠を目指しているようで、
丸川峠の分岐に入る人は誰もいない。
分岐に入ってしばらくは平坦なコンクリ道が続く、誰もいない。
熊が怖いので、時折、笛を吹き手を叩いて進んでみた。

「丸川峠を経て大菩薩嶺へ」という標識が現われると、
尾根の取り付きを目指して急登が始まり本格的な山道となる。


峠には小屋の主人が彫った仏像が待つ

道ははっきりしており、ブナやナラの林が上部まで続く。
スズタケの繁茂がやかましいが、気になるほどでもない。
展望はまるでないが鹿の姿を見たり、ドングリを拾ったり、
ブナの大木に寄りかかってみたりして静かな山道を堪能する。

露岩がちらほら現われると峠は近い。
突然の明るい草原と、青い屋根の山小屋が迎えてくれる。
峠には小屋の主人が彫った仏像が微笑んでいる。

これから向かう俗にまみれた大菩薩峠の姿に比べると、
丸川峠はなんとも素朴で、さわやかな峠である。


眺望ゼロの大菩薩嶺(日本百名山)

丸川峠から大菩薩嶺への道は、
百名山近くの山道とは思えない静けさであった。
コメツガ・トウヒなどに囲まれたしっとりした道が続く。

大菩薩嶺山頂は眺望ゼロで、
これほどまでに登山者の期待を裏切る百名山の山頂も珍しい。
腰を下ろす登山者も無く、標柱の前で記念写真を撮って
みんなタッチアンドゴーで引き返す。


ちょっと目障りな上日川ダム

雷岩まで来ると、山頂の眺望ゼロを挽回するかのごとく
大展望が広がる。それとともに先程までの静寂が嘘であった
かのように登山者の群れが出現する。
そこらじゅうに腰を下ろし、お弁当を広げている。
ウーンやっぱり恐るべし百名山パワーだ。

富士はもちろん、甲斐駒から聖岳の南アの屏風、
八ケ岳や金峰山など、一級の展望パノラマが素晴らしい。
足下のお花畑には色とりどりの草花が咲き乱れている。
しかし、ダムと送電線がちょっと目障りでもある。

眼下の上日川ダムは、稜線を挟んで反対側にある葛野川ダムと
二つでワンセットで、世界最大級を誇る有効落差714mを利用した
揚水式発電所だという。 世界最大級など誇らないで、
ささやかな自然を大切にする気持を誇りにしてもらいたいものだ。


妙見ノ頭への心地好い稜線

「雷岩」から大菩薩峠までは快適な稜線散歩が楽しめる。
花の知識は無いが、マツムシソウぐらいはわかる。
そこらで寝転んでみたくなる心地好い気分にさせてくれる。

妙見ノ頭を下ると、「賽ノ河原」とも「親不知」とも呼ばれる
避難小屋のあるガラ場に到着する。
ここが本来の大菩薩峠で、「丹波山大菩薩峠」または「上峠」と
呼ばれていた所だ。


避難小屋の前に「旧峠」の標識が転がる

避難小屋の入口の前に「旧峠」の標識が転がっている。

この避難小屋は、しっかりした造りだが扉がありません。
宿泊することは、まかりならんということなのでしょうか?
泊まるなら金を払って、山小屋に泊まりなさいという
無言のプレッシャーを感じます。
なんとも不条理であります。

不条理といえば、この旧峠の地で『大菩薩峠』の主人公である
机竜之助は罪無き老巡礼者に白刃を振り下ろしたのでしょうか。


丹波山大菩薩峠(上峠・旧峠)

旧峠には、ガスが流れていました。
冬期は寒風が吹き荒れることでしょう。

本当に遭難したら、扉の無い避難小屋で大丈夫だろうか?

ある冬の日、親子連れの旅人が吹雪に襲われ、
自分だけでも助かろうと、力尽きた親を残して
峠を越えたといいます。
そこからこの地は「親不知」とも呼ばれているそうです。


登山客で賑わう介山荘

旧峠から起伏を一つ越えると、介山荘が建つ現峠です。

中里介山の記念碑もあり、
お土産や缶ジュースが飛ぶように売れています。 
中里介山さまさまといった感じでしょうか。
相当儲かっていそうです。
こういう所って税務調査は入らないのかしらん。

普段、お土産物なんかに見向きもしないが、
視線を釘付けにした一品がありました。
それは中里介山の峠の名文をしるした「湯呑み」であります。
買おうか買うまいか逡巡しましたが、
荷物が増えるのを嫌ってヤメにしました。
 (実は850円という値段に躊躇したとも…)


大菩薩峠(現峠)

現峠には有名な「首無し地蔵」様が居りました。
昭和のはじめ頃までは首があったといいますが、
さてどこにいってしまったのでしょうか?
今、首から上があったら峠の賑わいにビックリ顔をされることでしょう。

峠から東の方を眺めると、小菅の村が小さく望めます。
いつの日か小菅大菩薩道や丹波大菩薩道を歩いてみたいものです。

落ち葉を踏みしめて、初冬の峠路を歩いてみたいものです。
無人交易の荷渡し場の跡なども是非訪れてみたいと思っています。


熊沢山より石丸峠全景

現峠から熊沢山に入ると、また静かな山道が戻ってきます。
あれほど賑わっていた山道から人々は姿を消します。
実に勿体無い!
熊沢山の先に、見事な草原が展開しているのに・・・

石丸峠は明るい草原の中の分岐路でした。
とても気持ちの良い、空の広がりと草原の波。
流れる風と雲・・・
なんて素敵な峠なのでしょうか。


小菅大菩薩峠(下峠・石丸峠・石マラ峠)

「石丸峠」という峠名は地元には無かったといいます。
昔は石造りの金精様(石マラ)があったそうですが、
測量部が美化して石マラを石丸としたとのことです。

以前は子授けの神として信仰をあつめていたそうですが、
明治の中頃、悪戯者があってこの男根石を根元から
折ってしまったそうです。その後、その悪戯をした男は性病を
患って一夜にして亡くなったといいます。 <*1>
クワバラ クワバラ・・・・


牛ノ寝通り分岐

石丸峠を少し過ぎた所に、牛ノ寝通りの分岐があります。
ここから小菅へ、あるいは松姫峠へと縦走するのも面白そうです。

でも、今回は小金沢連嶺を目指します。
石丸峠から湯ノ沢峠の間を「小金沢連嶺」と定義するそうで、
湯ノ沢峠から南を「南大菩薩」と一般には呼ぶようです。


天狗棚山から小金沢山を望む

天狗棚山辺りから草原の草丈も深くなってきます。
また、スズタケが道を覆うところも現われます。

しばらくは半袖・半ズボンで頑張っていましたが、
ダニが怖いのでカッパを着込んでの行進に変えました。

草原状の道は、遠くから眺めている分には美しいのですが、
中を歩くとアブ・ブヨもいるし、ダニも気になり厄介です。


素敵な場所 狼平

小金沢山(雨沢ノ頭)手前の「狼平」という場所は美しい所でした。
しかし、その後の小金沢山への取り付きがいただけなかったのです。
首まで埋まってしまうスズタケのヤブ漕ぎが待っていたのです。

『山と高原地図』をよく見ると、「ササヤブ注意」「踏跡注意」などの
注意事項も書いてあったのですね、見落していました。
どうやらこのコースは冬向きのコースであるようです。

スズタケの繁茂に行く手を塞がれ、踏跡も見失いそうです。
カッパを着ていることの蒸し暑さも手伝って、もう辟易としてしまい
仕方なく石丸峠まで撤退をしてしまいました。

日本一長い(?)山名の「牛奥ノ雁ヶ腹摺山」に行けないのは
残念ですが、小金沢連嶺はまたの日の課題として
残しておくことにします。


地獄の林道歩きが始まる 日川林道起点

しかし、湯ノ沢峠の避難小屋までなんとかして辿り着かないと、
今晩寝る場所がありません。

尾根縦走を諦めて今後の方策を検討すべく地図をながめると、
尾根と並行して走る日川林道なる林道の存在を発見。
この林道が湯ノ沢峠避難小屋まで繋がっているようなので、
一端、石丸峠を下り、林道を歩いて避難小屋を目指すことにしました。
(1/25000地形図では未完成ですが、山と高原地図には載っている林道です)

しかし、この延々と続く林道歩きが、また辛いものでした。
日川林道が6.4km、焼山沢真木林道に合流してからさらに2qあまり。


一夜の宿 湯ノ沢峠避難小屋

這う這うの体で辿り着いた避難小屋は、
想像していた状態よりオンボロで、
奥多摩あたりのきれいな避難小屋に慣れた目には
いささかみすぼらしいのです。

しかし、なんとこの避難小屋には蛍光灯という
文化的な照明設備が完備されているのです!(驚き!)。
蛍光灯完備の避難小屋などこれまで見たこともありませんが、
到着の遅れた身には実にありがたく、
明るい灯の下で夕食をとることができました。

ただ、小屋の扉の立て付けが悪く、
10cmばかりの隙間を残して完全には扉が閉まりません。
その隙間から山の暗闇の中では眩し過ぎるほどの明りに誘われて
大小さまざまな蛾が闖入してきます。
小屋全体が誘蛾灯のようになっている状態なのが
この小屋の難点です。

小屋の先客は二人、池袋と八王子からの二人組み様です。
その池袋さんからワインとウイスキーをご馳走になり酩酊状態に、
林道歩きの疲れも手伝って爆睡の一夜を過ごしました。

◆ 二日目 湯ノ沢峠から米背負峠へ ◆


早朝の湯ノ沢峠

 湯ノ沢峠まで大和村から林道がのびています。
この林道が出来たせいでお花畑の盗掘がひどくなり
アツモリソウは絶滅したといいます。
「高嶺の花」は「高値の花」ということでしょうか?

この高山植物盗掘促進林道は、真木側からも伸ばされています。
あと300mほどで湯ノ沢峠で接続されそうですが、
白谷ヶ丸のガレ場がなんとか阻止しているようです。

この辺の行政に携わっている人は、
なんとかして尾根を越える道を通したいようです。
執念すら感じます。
上日川峠と大峠を結ぶ林道も造られているようで、
小金沢山の山腹にトンネルを穿つ計画のようです。
また、天目山温泉から大谷ヶ丸を越えて大鹿に抜ける林道も
目下建設中のようです。


湯ノ沢峠(大ダルミ・焼山ノタル)

湯ノ沢峠から牛奥ノ雁ヶ腹摺山へのピストンも考えましたが
余力が無いので今回は、やはり諦めました。

小屋近くの往復3分の水場から
冷たい水をペットボトルに補給して、いざ南大菩薩縦走へ。
(注:水場までの足場が悪いのでご注意を!水量豊富、極めて美味なり!)


湯ノ沢峠のお花畑から大蔵高丸

湯ノ沢峠のお花畑は、まさに心躍る別天地で、
いろんな草花が過ぎ去る夏を惜しんで咲き競っています。

進行方向の草原の上に丸い頭を出しているのが大蔵高丸。
気持ち良いトレールが高丸へと導いてくれます。

早朝にもかかわらず、富士演習場の砲爆音(?)が
ここまで届くのにはちょっと驚きました。


振り返って白谷ヶ丸・黒岳

山の上の秋の訪れは早いようで、
振り返ると朝日を浴びて銀色に輝くススキの波。

その向こうには白谷ヶ丸と黒岳。
東方に目をやると大峠と雁ヶ腹摺山が望めます。

しかし、朝の草原歩きは思っていたほどに
ロマンチックではありません。
朝露に濡れた草花が、ズボンにまとわりつき
下半身はびしょ濡れです。

遠くから眺める草原は美しいのですが、
いざ中を進むとひどい目に遭うものです。
昨日の狼平から先のカヤトの原も遠目には美しいのですが、
実際はスズタケのヤブ漕ぎでした。


大蔵高丸から均整のとれた富士の秀景

遠くから眺めて綺麗でも、
実際近づくと酷いものであるということは、
日常生活でもよくあることですね。

大蔵高丸のスズタケの中の登りを蒸れに我慢して、
山頂に出る頃には、もうすっかりと靴の中まで濡れていました。
カッパを着ればいいものを、僅かの手間を惜しんだのが失敗です。

ズボンと靴下が濡れてしまい不快指数は高いのですが、
大蔵高丸からの眺望に救われました。
均整のとれた富士の姿は見事でした。
大蔵高丸そのものも、草原に石を配して、なかなかの演出です。


草に埋もれるハマイバへの道

大蔵高丸からハマイバへの道も草原とスズタケの繰り返しです。
「草原」というと聞こえはいいですが、
見飽きてくると単なる「草叢」といった感じでしょうか。

踏跡も隠されている部分が多くなります。
この山域は、公共交通機関によるアクセスが難しいせいか
訪れる人も少ない感じです。

どちらにせよ秋から冬向きのコースのようで、
植物が元気な時季に訪れたのは間違いのようでした。


ハマイバ(破魔射場丸)

ハマイバとは奇妙な名前です。
「破魔射場」と書き、厄除けや悪魔払いの弓矢を射る場所で
あったといわれているそうです。
実際こんな山の上の不便な所で、そんな行事が行われて
いたのでしょうか?

ハマイバ丸の南にある浜立山の「浜」もハマ(弓の的)、
つまり、「破魔」であるといいます。
その隣りの滝子山には昔から正月十七日に里人が登り、
「お天道様の誕生日」と称して太陽を拝む習慣があったといいます。

そもそも破魔射場の行事は、衰えた冬至の太陽を弓で射落として
新しい太陽を迎えるという古代祭祀の名残だということです。 <*2>


天下石

ハマイバの頂きは展望がありませんが、
少し下った砂礫地からは富士が望め休憩地に向いています。

この場所から地図には載っていませんが、
桑西に下る道があるようで、手製の標識が取り付けてありました。

またも現われるササヤブを抜けると「天下石」が現われます。
なぜこんな所に、こんな石がと不思議です。
またその名前も意味ありげです。
もしかしたら、この石の下に武田勝頼の埋蔵金があったりして。


米背負峠 全景

天下石から、ひとコブ越して下りついた鞍部が米背負峠です。
人間の生活の臭いが感じられる「米背負」という名前がたまりません。

かつて国中から真木の谷へ米を運んだ道といわれています。
米背負沢からオオゴ沢へ乗っ越す道があったようですが、
オオゴ沢側の道は消滅しているようです。 <*3>

米で思い出しましたが、山梨県富沢町だったか南部町だったかに
「ハンマイバ」という地名があったと思います。
これまた「破魔射場」と書くこともあるようですが、
「飯米場」のことだといいます。
米背負峠の近くにある破魔射場丸は、
もしかしたら「飯米場丸」であるということはないでしょうかね?


米背負峠

『山の絵本』(尾崎喜八著・岩波文庫)に納められた紀行文に、
「大蔵高丸・大谷ガ丸」という文章があり、その中で米背負峠の
次のような描写があります。

 「大木に囲まれた米背負の鞍部は、左右に沢の源頭をなして、
 冷えびえとした寂莫の境地であった、右へ降れば大蔵沢へ、
 左へおりれば真木沢へ。
 それは分かっているがこの寂しさ身にしむ源頭の何れをも、
 一人で辿るのは心細かろうと思った。」 

確かに寂莫の地ではありましたが、一歩、大蔵沢側(米背負沢)に
下り始めると、ブナ・カエデ・ナラの明るい林が続いていました。
きっと紅葉の頃は見事なことでしょう。

道も思いのほか良く、心細さは感じられません。
歩き易く上手い具合に道がつけられています。
やはり、古くから人の足で踏み固められてきた峠道のためでしょうか。


ブナに囲まれた米背負沢へ下る道

下部の沢沿いは、ちょっと荒れ気味ですが、
目印のテープも付いていますし、迷うこともありません。
何度か簡単な徒渉を繰り返して、木組みの橋を渡ると、
ヒノキの幼木林で、そこを抜けると大蔵沢大鹿林道です。
短いダート区間を過ぎると、天目山温泉までうねうね延々と、
アスファルト林道が続きます。

この林道は、さらに上部で延長工事が進められ大谷ヶ丸を越えて、
曲り沢峠・大鹿峠をかすめて、道証地蔵の道と接続されるようです。
無理な工事が祟ってか、所々山肌が崩れて痛ましい状態です。

延々と続く林道歩きには辟易としてしまいます。
途中、登山客を乗せたタクシーが一台登って来ましたが、
しばらくして、客を降ろしてきたそのタクシーは無情にも傍らを
通り過ぎていきました。どうせ戻るなら、カラ(空車)で戻るより
低料金でも客を乗せたほうがマシだと思うのですが、
そんな気持は、さらさら無いようです。

やっと辿り着いた天目山温泉のバス停で、次のバスを確認すると、
20分前にバスは行ったばかりで、次のバスまで2時間半待ち。
このバスは村営のバスで、甲斐大和の駅まで100円で運んでくれる
ありがたいバスなのに乗車できなくて残念です。

仕方なく、トボトボと車を停めた道の駅までひたすら
歩き続ける破目になってしまいました。
田野温泉付近で右足のマメがプチッと潰れて、景徳院の前辺りで
左足のマメがこれまたブチュと潰れてしまいました。
もう両足はボロボロで、上手く歩くことができません。
長い時間、舗装林道を歩いたのが祟りました。

酒屋の自販機でビールを買って、酔った勢いでなんとか車に
辿り着くことが出来ましたが、これから運転することを忘れていました。

今回の山旅・峠行は百名山あり、百名峠あり、展望、樹林、草原、
渓谷、お花畑、人ごみ、静寂、避難小屋、ヤブ漕ぎ ありと
バラエティーに富んでいました。

ただ、峠歩きより長い林道歩きの方が強く印象に残ってしまう
ちょっぴり不本意な峠行でありましたが。

<*1>  『岳人217号』大菩薩峠・その歴史と民俗/岩科小一郎 ( ほぼ同文が、同著『山村滞在』にあり )

<*2>  『岳人524号』「山の雑学ノート・ハマイバ丸の秘密」谷有二著 より
     『日本山岳伝承の謎』未來社・谷有二著
     そういえば名栗村にも浜居場という地名があったなぁ〜。吾野町にも浜井場という地名があるな〜。
     これらは名栗川や高麗川に木材を筏にして流した場所の浜降り場や浜市場といった意味だろうか?

<*3>  『新ハイキング493号』1996.11「米ッ背負ノタル」杉崎満寿雄著に、大ゴ沢から米背負沢に越えた貴重な記録あり。 

     『甲斐国誌』には米背負峠について以下の記述がある。
     「この峠は往古より、国中(クニナカ)と郡内の交易の場にて郡内の織り出す絹布と、国中の米穀を嶺上に置き
     相替えて帰途に着く。 其の間、数日を経ると雖も窃盗の患いなかりしと云う」

<参考になる文献>

『峠を歩く』大菩薩峠/井出孫六
『文学』第38-1、1970年1月号 「峠の意識-大菩薩峠の世界-」尾崎秀樹
『峠-文学と伝説の旅-』野本寛一
『峠』中里介山
『大菩薩連嶺』岩科小一郎

『日本百名峠』・『山梨の峠』・『甲斐の山山』 などなど