吊尾根、峰見通りの峠

和田峠(案下峠)・篠窪峠(醍醐峠・白沢峠)・醍醐峠・旧入山峠(北沢峠)・入山峠・森久保峠(鳥切場)

 

「戸倉三山」の市道山・刈寄山・臼杵山の内、市道山と刈寄山の頂を踏んで、
幾つかの峠を訪ねる山歩きに出掛けました。

あくまで峠歩きが主たる目的なので、今回欠けてしまった臼杵山については、
後日、荷田子峠と併せて訪れることにします。



和田峠 (案下峠)

和田峠の駐車場に車を停めて、いざ出発。
平日ということで、峠の茶屋もシャッターを固く閉ざし、
車もニ、三台の寂しさ。
平日なので有料駐車場もタダで使用できそうだ。

和田峠は東京と神奈川の都県境の峠で、
甲州街道の裏街道として開発されました。
和田の集落と案下の集落を結ぶので案下峠ともいいます。

二つの集落は昔より交流があり、
祭礼や宴会には互いに招待し合い、
娘達が酌に頼まれると峠を越えて出掛けて行ったそうです。

その時は、送迎は勿論のこと、村のおもだった家に泊まらせ、
問題が生じるようなことは無かったといいます。
そんな両集落の交流から縁談話も多く生まれ、
花嫁も峠を越えたといいます。


峠近くの山の神

また、瞽女の一行が訪れた翌日には、
村の若い衆が峠向うにまで送り届け安全を図ることをしたそうです。

そんな古くから両集落の交流を見守ってきた峠も、
今では休日に陣馬山の登山客を迎える観光の峠の役を
果たしているに過ぎないようです。

醍醐林道に入り、よく手入れされた杉の美林の斜面を登りつめると、
山の神の石祠が迎えてくれます。
昨夜降った雨が、新緑の芽や足元の笹を濡らしていますが、
それが緑の濃さを増し、日が差し込むにつれ輝きが目に眩しい。


篠窪峠 (醍醐峠・白沢峠)

高岩山と醍醐丸の中間鞍部が篠窪峠。
最近の登山地図やガイドブックなどでは醍醐峠と記述するものが多い。
峠の道標も醍醐峠であったが、周辺の古い朽ちかけた道標を見ると、
篠窪峠の名を拾うことが出来る。
和田集落と醍醐集落を結ぶので醍醐峠でも間違いではない。

ここでは、さらに吊尾根を北に行った地点にある市道山直下の、
醍醐峠と区別するため篠窪峠の名を採用する。  (【余談】参照)


吊尾根

吊尾根は雑木の新緑が美しい。
瑞々しい大気に包まれて、森林浴効果がありそうだ。

途中、数箇所醍醐側から上ってくる道を合わせて、市道山へ向かう。
この付近は歩く人も少ないようで静寂と軽度のヤブに包まれている。

戦前までは檜原村から八王子方面に、
養蚕・機織の仕事を求めて出稼ぎの通行が頻繁にあったというが、
今やその面影は無い。
たまに訪れるハイカーが蜘蛛の巣にひっかかる程度の通行だ。


醍醐峠

南秋川の笹平と醍醐を結ぶ峠が醍醐峠。
この分岐からニタコロバシ沢沿いの道を下れば醍醐集落に出る。

市道山は「市に通う道」から由来する名前だという。
この周辺の尾根道は村と村、村と町を結ぶ重要な交易路であった。

八王子周辺の養蚕・絹織物が全盛の時代、機屋に働きに出る
村の娘達が風呂敷包みを背負い峠道を踏んだ。
時には親に連れられて機屋奉公に出る小さな子供の姿も、
峠道にはあったという。


市道山 山頂

市道山の山頂はカワイイ小突起で、狭くて、展望も無い。
登山者がそこらで用を足すためか、蝿が多いのが気になる。

山頂からわずかに北に行った地点に、ヨメトリ坂の分岐がある。
養蚕が忙しくなる春になると、
八王子方面から「五月雇人」「お蚕雇い」と呼ばれる
数ヶ月の臨時募集が檜原村にあった。
山稼ぎの倍ぐらいの稼ぎになるので、
若者達は誘い合って働きに出たという。

収入も良かったが、若い男女が親や近所の目から離れて
自由に交際できることがもうひとつの魅力となって、
毎年大勢の若い男女が新緑の坂道を登った。


ヨメトリ坂への道

若い娘が着物の裾を端折って、
赤い腰巻で前屈みになって急坂を登って行くのを、
若い男衆は下から覗いて胸をときめかせたという。
どこか、ほほえましい光景でもある。

そんなことをきっかけにして、男女が結ばれ実際に嫁になった
ケースもあり、「ヨメトリ坂」と呼ばれるようになった。


旧入山峠 (北沢峠)

市道山から「峰見通り」と呼ばれる尾根を歩いて刈寄山を目指す。
植林帯の小さなアップダウンを繰り返す疲れる道である。

「ウ〜ウ〜」とサイレンが鳴ったので、おやつの時間かと思ったら、
「ドカン!」と一発、発破の音らしい。
地図を見ると、刈寄山近くに砕石場があるのでそこからの爆音らしい。

今度は「ビリビリ」と不気味に唸っている送電線に並行して進むと、
植林地の中の旧入山峠(北沢峠)に辿り着いた。
峠のすぐ下には盆堀林道が走っている。


入山峠

そのすぐ北が入山峠で盆堀林道の舗装された車道が抜けている。
車で簡単に来ることができるとはつゆ知らず、ちょっと後悔。

側壁やガードレールにスプレー落書きが多いので、
夜間は治安が悪いのかもしれない。

車が数台停まっていたが、登山者の姿も、
山仕事をしている人の姿も見当たらなかった。


今熊山への分岐

刈寄山に向けて山道に入ると、今熊山への分岐がある。
車道の入山峠は雰囲気が悪いので、
ここの土道の分岐を入山峠と思うことにした。

ひと登りで刈寄山に辿り着くも、展望は良くない。
「鈴木宗男参上」などの落書きに満ちた休憩舎で食糧補給の小休止。
ここからは今歩いてきた峰見通りが一望でき満足満足。


森久保峠 (鳥切場)

刈寄山から今来たビリビリ道を戻り、森久保峠へ。
森久保峠は別名「鳥切場」、「鳥屋切場」、「トッキリ場」と呼ばれる所だ。

「トッキリ場」とは「トリキリ場(獲りきり場)」で
熊や猪を追いつめて、最後に撃ち取る場所だという。

また「トッキリ」とは「ツッキリ(突っ切る)場」のことで、
障壁である尾根を突っ切る所のことだとも云われている。
今は、その土手っ腹にトンネルが穿たれており突っ切る苦労は無い。


鳥切場下の入山トンネル

長い林道を歩いて、森久保の集落に辿り着いたが、
舗装した道を長い時間歩くと足が痛くなるものだ。
要倉山を経て尾根伝いに車を停めた和田峠に戻ろうと考えていたが、
一旦、人里に降りてしまい戦意は喪失した。

足も痛いし、日も傾き始めたので醍醐林道を歩いて戻ることにする。
しかし、この林道がまた長くて長くて、足が痛くて痛くて辟易した。

林道入口の「ニニク沢」と呼ばれる小沢の合流点には、
「右 臼木山 ひのはら 左 さの川」と刻まれた
天保10年の道しるべがある。
前述した養蚕・機織の労働力が通った道である。

車に戻ると、ワイパーに「駐車料金600円払って下さい」との
メモ書きが挟まれていた。
平日で峠の茶屋が閉まっていたので、
タダで停められると思っていたのが甘かった。

商魂のたくましさに感じ入って600円をメモ書きにくるんで、
茶屋の固く閉まったシャッターに捩じ込んで峠を後にした。

【参考文献】

『案下路をあるく』(案下路をあるく会)
『峠と路』(馬場喜信・かたくら書店)
『あしなか202号・陣場山付近の山越え道』(杉崎満寿雄)
『奥多摩』(宮内敏雄・白水社)
『神奈川の峠』(植木知司・かもめ文庫) など

『歴史の道調査報告書第6集・佐野川往還』(東京都教育委員会・2000年)は、和田峠(案下峠)についてそのルートが詳細に
調べ上げられていて参考になる。 また、周辺の小津街道、醍醐路に関する記述もある。

【余談】

『山のこぼれ話』(関本快哉・大日本絵画)によると、
「市道山」には、「千ヶ澤峯」、「イッポチ山」、「市歩地山」、「醍醐峠」、「醍醐嶺」の呼称があるといいます。
そして、以下の文章が続きます。

「現在の地図に見る醍醐峠の名は、市道山の南に位置する醍醐丸(篠窪の峰)の南東直下に篠窪峠の名とともに記載されています。
でも古い地図では、市道山から南にのびる吊尾根上の、山頂に程近い鞍部が醍醐峠となっていました。
ここには、醍醐川の支沢沿いの山道が登りつく所ですが、峠の概念に反して、ここからは下りになりません。
市道山に登って始めて下りとなるので、市道山を醍醐峠と呼んだものと思われます。
また市道山が峠道の最高峰なのですから、醍醐嶺の名前も当然かと思います。」

これを読むと二つの醍醐峠による混乱も解決することでしょう。 

●醍醐峠を再訪した時のレポを見る
●篠窪峠を
再訪した時のレポを見る。