新ハイキング的な峠行

一古沢峠(コマクロ峠)・桜井峠・金山峠  【おまけ/金波美峠・田野入峠(天神峠)】

 最近、歳のせいか、かつて見向きもしなかった雑誌『新ハイキング』を見る機会が増えた。
アンチメジャーコースやヤブ山、静かな峠道などを紹介することが多く、なかなか渋い雑誌である。
今回はメジャーな山岳雑誌やガイドブックでは紹介されることがなく訪れる人も少ない
新ハイキング的な山を歩き、そこに点在する幾つかの峠を訪れてみた。

 
一古沢峠(コマクロ峠)

地形図の境目の山というものは見落されがちで、
「不遇の山」の称号を冠される場合が多いが、
デン笠(616m峰)もその一つだろうか。
地図にその名は無いし、金山峠からデン笠、桜井峠を経て
一古沢峠に至る尾根道も地図には記載されていない。

先ずは尾根上に出るため一古沢峠を登ることにしたが、
一古沢の集落から登るケースはありがちなので、
反対側の落合集落側から登ってみることにした。
道路工事中の、固められた擁壁の脇から急斜面を這い上がり、
なんとか道らしきものを拾いヤブを掻き分けして峠道に至る。

峠は植林帯の中で、少々ヤブっぽい。 
峠名の標識も無く、展望も無く、山仕事に使われる程度の道のようだ。
そもそも足下に立派なトンネルが貫通しているのだから、
わざわざ好き好んで峠道を行く人などいないのだろう。


金ピラ山の鋭鋒

一古沢側に下って舗装路を少し行くが、
尾根の取り付きがよく判らない。
まぁ低山だからと、適当に畑の中の道を進み、
送電線目指してヤブを掻き分けると、
明瞭な尾根道(送電線巡視路)に出た。

快適な道で里山の心地好い雰囲気を味わいながら西に向けて進む。
送電鉄塔の脇をすり抜けると、前方進行方向が開け
金ピラ山の三角形が登高意欲をそそる。
低山の割には格好良い姿の山だ。


桜井峠の石祠

降り立った鞍部が桜井峠。
切通し状で林道が寸断している。
南側の桜井集落からの道は舗装されている。

峠の南面は眺望も良く、
阿夫利山に連なる尾根が飛び込んでくるものの、
北側は植林地で暗く、道も怪しい。

峠の上に石祠や石像が祀られており「山王大権現」と刻まれている。
『丹沢・桂秋山域の山の神々』によると養蚕の神様(コカゲサン)が
お祀りされているという。


桜井峠

桜井峠から先は送電線と離れてしまうためか
道が極端に頼りなくなる。

いきなりのヤブで始まったので、
ここは南面の畑から巻いてみることにする。
桜井の明るい集落が望めて気持ち良いのも束の間、道が消滅。
やむなく植林の傾斜地を這い上がり尾根道に合流する。
集落の犬が盛んに吠えている。なんて敏感な奴等なのだろうか。

巡視路ではなくなった尾根道は細く、ヤブっぽいが、踏み跡は明瞭。
469m峰を下った鞍部で左手(南)より道が合流。

さらに少し行くと登りの手前に右手(北)側に巻き道らしき明瞭な道。
ちょっと誘い込まれたが、これはミスコースなので
尾根筋に戻り、忠実に尾根を辿る。
少しの登りを嫌って巻き道の誘惑に負けてはならない。


金毘羅山の崩れた祠

大岩のあるピーク(ハルナサンと呼ぶらしい)を過ぎて、
再び登り返すと金ピラ山に到着。

ここまでは尾根を忠実に辿って行けば迷うこともない。
所々に目印の赤テープはあるものの、
判りにくい所には無いのが不思議というか不親切。
(これを、ヤブ山テープの法則という)
誰が見ても判る所にある赤テープって必要なの?

山頂には見るも無残な姿で、潰れてしまった祠がある。
神様は無事なのだろうか。


デン笠山頂

さらにチクチク・トゲトゲ植物が繁茂するヤブを掻き分け西に進む。
途中、ヤブに苦しめられた先人の落とし物であると思しき、
シルバコンパスを拾う。これはなかなかの収獲であった。

興味引く名前のデン笠山頂は、
幹に巻かれた黄色テープが無ければ、
気付かずに通り過ぎてしまいそうな
東西にのっぺり広い、しまりの無い頂だ。
木々に隠され展望も無い。

この山域は木々の葉が落ち、
ヤブの勢いが鎮まった冬枯れの時期に訪れるのが正解らしい。


金山峠

デン笠から緩やかな道をわずかに行くと金山峠に至る。
南の古福志集落と北の金山集落を結ぶ静かな峠。
峠には大地峠・高柄山を指し示す標識もあり、
高柄山への登路となっている。

南へ下る道は明瞭で広葉樹の中の明るい道で気持ちよさそうだが、
ここは金山という名の集落名につられて、
北側の頗る頼りない植林帯の仕事道を下ることにする。

金山は信玄や家康の時代に金鉱開発がなされた土地だという。
何か金目の物でも落ちてはいないだろうか。


金山大社

植林帯の中のジグザグで何の面白味もない道を下ると金山集落。
途中、対面の高柄山の山腹辺りに林道開発が見られたのが心配だ。

峠道の出口には、木の匂いが香る新しく普請された金山大社が建つ。
何が祀られているのか中を覗こうとしたが、
「防犯カメラが作動します」と書かれた重々しい警備体制。
何か秘密が隠されているのだろうか?
傍らを流れる金山川の川床に金のカケラでも
落ちていないかと窺ったがキラリと光る物は無かった。

気のせいかもしれないが、何となくここの集落の雰囲気は違うような・・・
誰かに見張られている視線を感じる。
金鉱脈や埋蔵金にまつわる秘密が隠されているのではなかろうか。
欲の皮が突っ張った顔付きで集落を後にした。

【参考になる本】

『中央線の山を歩く』(藤井寿夫・新ハイキング社)
『新ハイキング』536号・557号
『丹沢・桂秋山域の山の神々』(佐藤芝明・丸ノ内出版)
金山集落の金鉱については『秋山村史』に詳しい。



金波美トンネル

やっぱり「金」が付く名前の峠で、
前から気になっていた金波美峠を訪れた。
「カナハミ」という名前の響きも良いが、
「金の美しき波」という字面も欲深い者を惹き付ける魅力がある。

「カナハミ」は「かなはさみ(金鋏)」の意味で、
付近で鉱石採集が行われていたことに由来するとも考えられている。

この峠は東方の阿夫利山と合わせて歩かれることが多いが、
阿夫利山も実に新ハイキング的な山であるといえる。
楽して車で行ける所まで行こうとしたら、
峠の下を新しいトンネルが貫通していて呆気にとられてしまい
登高意欲を完全に無くしてしまった。


金波美峠

安寺沢側は完全舗装、北の神野側は一部分ダートが残る。

北側のトンネル入口部分の脇に峠へ続く山道が残っている。
植林のジグザグを5分で金波美峠に辿り着く。
安寺沢側の道も残っているが、
果たして旧道の登り口はあっただろうか?


安寺沢集落の郷倉

安寺沢の集落には、江戸時代に天災の備蓄や年貢米の貯蔵に
使われた「郷倉」がほぼ完全な形で残っている。
山梨県内に三つ現存する中で、最も原型をとどめているという。
かつての山峡集落の苦労が偲ばれる。
丁度、郷倉の前から綱子峠(天神峠・作道峠)への道ものびている。

「アテラサワ」という地名は「阿寺沢、安寺沢」などと記し各地にある。
同じ郡内の上野原町西原にも阿寺沢という地名があり、
同じような山峡の集落である。
アイヌのアテルイと関係があるのかと思ったが、そうではなく、
「日陰の地、辺境の地」という意味らしい。

山の北、または西側の陽に乏しい所、
山の中腹、川上の地、上方の地、という意味を持ち、
本来「アテ(彼方)」から変じたものとされる。
秋山村の安寺沢、西原村の阿寺沢以外にも
茅ヶ岳山麓の安寺や奥多摩の氷川にも安寺沢という地名があるが
いずれも山峡集落である。

【参考文献】

『地名の研究』柳田國男・角川文庫
『地名用語語源辞典』東京堂出版
『日本地名辞典』新人物往来社

●後日、金波美峠を訪れた時のレポートを見る



天神隧道

秋山村の玄関口である田野入峠(天神峠)。
または馬の鞍のように高く険しいことから駒鞍峠ともいう。
上野原と秋山村を結ぶ重要な道である。
トンネルの入口横に隧道開鑿に尽力された方の顕彰碑が建つ。

今でこそ立派なトンネルが通って便利ではあるが、
かつては魔の天神峠と呼ばれ、人馬の事故が絶えることがない
危険な峠越えの道であった。
特に冬場は北側が凍り付き人も馬も容易には通行することの
できない難所であったそうだ。

しかし、この峠道は炭や板材、絹織物などを上野原、鶴島に運び入れて、
現金収入や米、金物などの生活必需品、日用雑貨を得るためには
越えねばならない峠であった。
峠はまさに村の生命線であった。


金剛山の石祠

峠への登り口がわからなかったので、
東方491m峰の金剛山を経て尾根伝いに訪ねてみた。

金剛山の北側登山口より鶴島古峯神社の鳥居をくぐり山頂へ。
山頂直下は虎ロープが張られ、ひとふんばりが必要。
山頂には巨石と石の祠、
木々が邪魔をしなければ360度の展望が得られるが
隙間から眺めるだけでも満足。
上野原の街や桂川の流れ、秋山ぐるりの山々を眺めることができる。
ゴルフ場の瑕が口惜しいが・・・

峠へのびる西尾根はいささか頼りない踏み跡程度。
いたる所、蜘蛛の巣で気を使う。同行者がいる場合は先を譲ろう。
黄色テープに記された秋葉山を過ぎれば急な下降。 
それでも尾根を忠実に拾っている。

調子に乗って行き過ぎると、
トンネル出口の北側に出る尾根に引き込まれる。
三井金属の標杭が現れたらハズレで、ちょっと戻って、地図を読み、
西に進路を修正してヤブ道を経て峠に至る。 


田野入峠の馬頭観音

峠は岩を砕いた切通し状で、
高い所に天明三年の馬頭観音が祀られている。
往時、難儀したであろう峠越えが偲ばれる。

さらにその一段上には、新しい昭和60年建立の天神社の石祠があり、
中に菅原道真らしき像が祀られている。

傍らに絵馬が一枚奉納されており、
「県立都留高校に合格しますように」と記されてあった。
天神様は現代でも頼りにされているようである。


田野入峠の天神社

峠の北側は少々荒れ気味のようで、暗い杉林の道が続く。
ここは南側の明るい広葉樹の幅広の道を下る。
するとすぐに「万延元年神ノ虫大権現」と刻まれた碑がある。
オカイコ様の信仰であろう。

ここにも馬頭観音があり安永年間の銘がある。
軽いジグザグを下れば、民家の脇に出て犬に吠えられ
バス停「坂下」の前に出る。

峠道入口の「路供養」と刻まれた小さな石柱を見落さなければ、
ここから峠を往復するのが良いだろう。
しかし、民家の庭先風の道なので少々入りづらいかも。


切通し状の田野入峠(南側)


田野入峠(北側)

以前、この天神隧道開鑿に尽力されたH氏の御子孫の方から
メールを頂き、天神峠に関する資料も紹介して頂きました。
そこにはトンネル開鑿に至る苦難の歴史が記されていました。

是非一度、旧峠を訪れてみたく思って、
今回、足を運んでみたわけです。

普段、峠歩きをしていると、トンネルの存在などを
毛嫌いする向きがありますが、
それは、たまにその地を訪れる旅人の
勝手な感慨にほかならないことでしょう。

生き抜くために、生活をしていくために必要であった
トンネル開鑿があるのです。
峠の情緒・峠のロマンにばかり目が奪われがちでありますが、
峠と闘った人、峠と闘った時代があったことを
忘れてはならないと思いました。

● つげ義春の『新版・貧困旅行記』に「秋山村逃亡行」という興味ある作品があります。
  田野入や桜井隧道周辺の様子も描かれています、関心ある方は一読を。

● 地方雑誌『ランデブー』(2003.2.Vol.15)に「天神隧道の開削に生涯を捧げた人・原田善左衛門」の記事があります。
  上野原の図書館で見ることができます。