★ 疑義ある峠

稲詰峠・<推定>茗荷峠・松ノ木峠・(元祖)伏木峠・(ニセ)伏木峠


青梅市教育委員会発行の地図 『青梅を歩く』 より

久し振りに大都会東京の外れ青梅市の峠を訪れました。
稲詰峠、茗荷峠、松ノ木峠、伏木峠の四つの小さな峠を巡るささやかなる丘陵散歩です。

稲詰峠は以前に設置した手製標識の交換、茗荷峠はその位置の再検討、
松ノ木峠は石仏四人衆との再会という目的があります。
そして伏木峠へは峠位置の真偽の再確認という目的をもって訪れました。

伏木峠には「元祖・伏木峠」とマジックで書かれたテープがあるよと、
Sさんから情報を得ていましたが、
その「元祖・伏木峠」についての記述が最近の『新ハイキング615号』の紀行文にも
掲載されるに至ったので訪れてみることにしました。

● 1回目の稲詰峠の訪問レポ
● 2回目の稲詰峠の
訪問レポ
● ニセ伏木峠に騙された時の
訪問レポ


滝成からノボリオイゾネを目指す


峠道に覆い被さる倒木に注意


手製のカマボコ板標識を取り付ける

 こう何度も成木地区周辺の峠を訪れることになるとは思ってもいませんでしたが、
稲詰峠はもう三度目の訪問になります。
峠マニアが三回も訪れるならよっぽど素敵な峠だろうと思われるかも知れませんが、
決してそんなことはありません。
植林地の中の薄暗く、パッとしない峠で、石仏や祠や興味深い言い伝えもありゃしないのですから。
造形美にも欠け、尾根を越えるか細い仕事道が横断しているに過ぎない峠です。
だから決してここだけを目的に訪れて見ようなどと思わないで下さい。

お隣りの尾根である東京埼玉の都県境尾根には“因縁の正木峠”の探索という課題も残っているので、
この付近にはあと何度か足を運ばなければなりませんが、そんな用事でもなければ、
とても登山対象のエリアに成り得る地域とはいえません。
ここらの山中で出会うハイカーは「峠拾いたい病患者」や「マイナー尾根マニア」に違いありません。
といっても山中で人に出会うことは稀ですが。
まぁ、冬場の体力維持やRF(読図)の訓練には適している場ではないでしょうか。

 滝成から勝手知ったる里道を「ノボリオイゾネ」と呼ばれる尾根を目指して進みます。
この妙な名前の尾根に、今回訪問する四つの峠が眠っているのです。
稲詰峠道への取り付き点は茶畑、果樹園を通り過ぎ、笹の被った斜面に隠されています。
初訪問では判りづらいですが3回目ともなると自分の庭を歩くかのようです。
自分の庭といっても、どう見ても取り付き点までは他所様の所有地のようなのでマナーはお守り下さい。

尾根の見た目は低く、見た目だけではなく取り付けば実際にも低いのです。
ひと汗かけば植林地内の峠に立つことができます。
峠道の途中には中途半端に倒れかかった大木があるので要注意です。
日頃の行いが悪いと、倒れてきて下敷きになること間違いなし。
峠には以前取り付けた手製の標識が残されていました。
早速回収して、新しく拵えてきた標識と交換します。
果してどれだけの人がこの陳腐な標識を目にしたのでしょうか?
多少なりとも稲詰峠の知名度アップに貢献したものか?


稲詰峠

稲詰峠はどこにでもある植林地の尾根を乗っ越す峠道です。
昔は子供達の通学路であったといいますが、今は単なる山仕事道。
南に下る道は放置された倒木が谷筋を埋め、やや荒れ気味。
石灰採石場に囲まれたこの山域、不気味な削岩機の音がこだましています。

ちなみに、「稲詰」は「イナズメ」と読むようで、
『青梅市史』の付図にある「詰峠」の表記は誤記なので注意されたし。
また『奥多摩』(宮内敏雄著)には「イナヅマ峠」ともある。


△411m 夕倉山 


《推定》 茗荷峠
地図の場所とは違うが手製標識を取り付けた

稲詰峠から尾根を西に辿ります。
以前訪れたときよりも踏み跡は明瞭になっているような気がします。
尾根上の木の幹にはビニールヒモがやたらと巻かれていて、
アルペンスキーの大回転の関門を通過するかの如き有様です。
RF(ルートファインディング)を楽しむ人には目障りかもしれませんが心配はいりません。
なぜなら、目印はそこら中にあって、どこが正規のルートか混乱するからです。

稲詰峠から起伏を一つ二つ越えると、三等三角点の411.3m峰に到着します。
ここは夕倉山の名が定着していますが、
『奥武蔵229号』によると、「三等三角点峰そのものの山名は地元でも不詳」とのことです。

さらに西ヘ進んで緩やかな起伏を一つ越えた所に、
尾根を横断する小さな凹形の仕事道を確認することができます。
以前、茗荷峠と推定した場所です。
『青梅を歩く』(青梅教育委員会発行の地図)では、
この先を下った最低鞍部に茗荷峠の名前が記されていますが、
その場所には尾根を越える道を確認することはできませんでした。

峠というからには越える道があるものだろうと、やはり今回も此処を茗荷峠と推定し、
手製の標識を取り付けることにしました。 【*1】


《推定》茗荷峠
尾根を横切る凹とした道型が確認できる

《推定》茗荷峠には、細々ながらも尾根を横断する仕事道が確認できます。
南側は植林地内に、北側は植林地と自然林との間にそれらしき道が認められる。
此処が茗荷峠であるとの絶対の確信は持てないが・・・・
とりあえず目立たぬ場所にカマボコ板標識を取り付けた。 
しかし、それはやはり間違いだったかも?自ら疑義を招いてどうする・・・


木材搬出に利用された索道機械の残骸


地図に指示された茗荷峠
ここが最低鞍部だが越える道は確認できない

《推定》茗荷峠からちょっと尾根を先へ進んでp381との最低鞍部へ向けて下る途中に
木材搬出に使用されていたと思しき錆び付いた滑車の残骸が放置されています。
そして下りきった鞍部が『青梅を歩く』や『青梅市史・付図』に記載されている茗荷峠の位置であり、
ひときわ大きなモミの木(ツガ?)と桜の木が聳えています。
南側は植林地なので踏み跡程度の仕事道はありそうですが、
北側は自然林で峠道らしき痕跡は見当たりません。
果して此処が茗荷峠なのでしょうか?

『奥武蔵229号』では茗荷峠についての言及はなく、挿入図に「モミの境界木」と記されているだけです。
峠名の記載がある『青梅市史』、『青梅を歩く』でも位置がポイントされているだけで、
どんな峠であったのかという説明は一切なされていません。


潰れた祠


手製のカマボコ板標識を取り付ける

p381を乗り越えて、次なる急登の小ピークに潰れた祠を見る。
この辺は立ち枯れた大木が目立ちます。
倒木に潰された祠は悲しい有様、石灰採掘に現(うつつ)を抜かす間に信仰は消えてしまったのでしょうか?
そういえば以前はいたる所で獣臭がしていたが、今回はそんな臭いも漂っていません。
山が荒れてきたのか?削岩機の圧迫に耐えかねて獣たちは奥山に逃げ去ったのか?
ノボリオイゾネで聞こえる音は採石場からの削岩機の音、敏感な里の犬の吠え声、チェーンソーの響き。
これらの音が一瞬でも消えると静寂に包まれる。

不思議な名前の「ノボリオイゾネ」ってどういう意味でしょうか?
『奥武蔵229号』には、
「今は誰に尋ねても聞き出すことができなかった。
登り尾い曽根、登りのある檜の生えている尾根(ヒゾネ)の意か」と推察されています。

「ノボリ」は「登り」で、「オヒ(オイ)」は「追い」や「老い、笈」でしょうか?「ゾネ」は「尾根」っぽい。
「登り追い」だとすると、狩猟の際に獣を下から追い上げるという意味でしょうか?
「登り老い」だとすると、瘠せた尾根道という意味かもしれません。
高水三山の常福院や青渭神社の参路として、尾根道が利用されたとも考えられるから
そのへんに由来する名称なのかもしれません。 【*2】


四体の石仏が出迎えてくれる


凹とした峠の造形

やはり三度目の訪問となる松ノ木峠、この峠は良い峠だ。
居並ぶ四体の石仏と凹とした小さな切り通し状の造形美に峠マニアはシビレルのです。
南に下る道も、北に下る道も生きている。 北に下る途中にはもう一体の馬頭観音も祀られています。
稲詰峠や茗荷峠はともかくも、この峠を訪れる価値はあります。
「松木峠」とするものもありますが、「松ノ木峠」が公称だという。読みは「マツノキ峠」となる。
秩父鎌倉道の峠の一つで「榎峠-松ノ木峠-小沢峠-名栗-山伏峠or妻坂峠-秩父」と続く途上に位置します。

残念なのは、時折、峠下のトンネルを通過する車やバイクの走音(騒音)が聞こえることです。
削岩機の音、犬の遠吠え、チェーンソーに走行音が加わることになります。
峠からさらに西へ、送電鉄塔の脇をすり抜けて進みます。
次なる尾根上の小突起は「大サス山」というらしい。
この辺りから北側の集落より青梅市長選挙に関するけたたましい演説がスピーカーを通して
尾根上まで登ってきてウンザリさせられます。
青梅市の過剰な借金体質を糾弾しているようで、
「このままでは第二の夕張市になってしまう」との演説が平和に見える山村に響き渡っていました。
削岩機、遠吠え、チェーンソー、走行音に加えて政治演説という騒音が渦巻くのでありました。

p455から急下降すると伏木峠に到着です。


 《真正》 伏木峠

伏木峠には、巷で噂(?)の「元祖・伏木峠」と書かれたテープが巻かれていました。【*3】
この意見に賛同し、石祠のある《真正》伏木峠に手製のカマボコ板標識を取り付けました。
ここが果して正真正銘の伏木峠なのか確信は持てませんが、
各種文献を見る限りではこちらが優勢のようであります。

峠マニアにとってはここが《真正》なのかあるいは《ニセ》なのかは重大な関心事であり、
松坂大輔がレッドソックスに入団するのかヤンキースに入団するのか、
岐阜一区の支部長が佐藤ゆかりなのか野田聖子なのか、などという世間の衆目を
集める関心事とは比べものにならぬほど重要なのであります。


《真正》伏木峠から見上げる《ニセ》伏木峠


《ニセ》伏木峠

《真正》伏木峠から見上げる《ニセ》の伏木峠は高い場所に位置しています。
普通一般の峠の常識からすると、尾根を越える最高地点が峠であるのだから、
ここが《真正》だと言い張るにはちょっと弱気になったりもします。

《ニセ》伏木峠に、「元祖・伏木峠」に対抗して「本家・伏木峠」という表示が
ありはしないかと心配になったので、《ニセ》伏木峠まで足を運んでみることにします。

《真正》からちょっと歩きにくい崩れかけた山腹道を進み、
沢の源頭部の腐りかけた丸太橋を渡ると、
道の状態は突然良くなり、ヒノキの植林を抜けると《ニセ》に辿り着きます。
幸いにして「本家」の表示はありませんでした。
「元祖」や「本家」じゃ、ラーメン屋の暖簾分けに伴うゴタゴタトラブルのようなことに
なりかねないからひとまず安心しました。


《ニセ》伏木峠にある
「伏木峠」と書かれた立派な標柱

その代わり、《ニセ》には「伏木峠」と明示された
立派な登山標識があるのです。

ウ〜ン、ちょっと心配。
権威に弱いから、この様な歴とした標識を見ると、
「ごめんなさい、こちらが本物です」と、
弱音を吐きそうだ。

論争を回避する為に、
伏木峠とは一つのポイントを指すのではなく、
ゾーンとしての呼称ではないか、
という妥協案も考えてはみるのですが、
果してどんなものでしょうか?

それとも、「第一伏木峠」、「第二伏木峠」と、
もともと二箇所あるという新説を唱えるか?

山梨県天子山塊の地蔵峠のように
「第一」、「第二」という冠を付与して
誤魔化すこともある意味妙案か?


 『山と高原地図・奥多摩』 昭文社 1995年版

『山と高原地図』(1995年版・昭文社)では、
《ニセ》の位置に峠名が記載されています。

この地図は多くのハイカーが愛用しているので
影響力は大きいと思う。

ちなみに最新版(2006年版)では
伏木峠の名前は地図上から消えている。
(これって、抹殺?)


『新・多摩の低山』 守屋龍男著 けやき出版 1999年版

『新・多摩の低山』(守屋龍男著・けやき出版)では
《真正》の位置を峠としています。

文中でも《真正》の位置を、
ここが伏木峠だ。
小さな石の祠が草に埋もれるように建っている。」
とあり、断定しているのが頼もしい。

《ニセ》の位置については、
「ここを伏木峠としている市販の地図や文献もあるが間違いだ。
と言い切っており、気持良い。 


『奥武蔵229号』 奥武蔵研究会
「ノボリオイゾネ・松ノ木峠・久方峰+オキジョウゴ」
藤本一美氏作成挿入図 より

『奥武蔵229号』(奥武蔵研究会)の藤本一美氏作成の
概念図でも《真正》の位置を峠としている。

氏は地誌に詳しく、地元の方からの地名採集も頻繁に
行っているので精度の高い情報だと思われます。

この辺を紹介した過去の『新ハイキング』の記事を見ても、
《真正》の位置を峠としている。

ちなみに『ゼンリンの住宅地図 2001年版青梅市』では
見事に《真正》の位置を峠としている。 
ゼンリンの情報収集能力は素晴らしいということか?


昭和七年発行 大日本帝国陸地測量部
「五日市」 1/50000地形図

古い地形図には不思議なことに
鎌倉街道の本道であったとされる松ノ木峠道は記載されずに、
傍道ともいえる伏木峠道のみが記載されている。

なぜなの?
主要な山越えの道は軍事的な機密事項だったのか?


『奥多摩』 宮内敏雄著 百水社

『奥多摩』(宮内敏雄著・百水社)では、
《真正》の位置を峠としているようだ。

◆『青梅市史』には「松ノ木峠490m」「伏木峠510m」との記載がある。
◆『青梅を歩く』には「松ノ木峠-標高390m」「伏木峠-標高406m。松ノ木峠に比べていくぶん険しい」とある。
◆『青梅市広報第483号・市内の峠@松ノ木峠』には「標高402m」とある。
◆『武蔵野歴史散歩U』(蜂矢敬啓著・有峰書店新社)には、
 「標高は伏木峠450余mに対して松ノ木峠は4,50m低いから、少し東へ遠回りしているように
 地図の上では見えても、こちらのほうが本道になったのであろうか。」との記述がある。

◆『奥多摩アルパインガイド』(山と渓谷社・昭和16年)には
 「成木川を渡る、今まで沢沿いについていた道が杉の植林の中を登るようになるが、
 これを登りきって道が山腹を巻くようになリ、右手より高水山からの道を合わせたところが伏木峠である。」
 との記述があるので、ニセ伏木峠地点を峠としているようです。
 『奥多磨の山と谷』(山と渓谷社・昭和35年)などにも同様な記述があり、ニセ伏木峠を峠として支持している文献も多々あります。


峠を下り成木七丁目へ


峠の入口に祀られている地蔵尊

《ニセ》から再び《真正》の峠へ戻り、成木七丁目に向けて峠道を下ります。
小さなジグザグを二、三すると、あとは沢に沿った真っ直ぐな植林地内の道を駆け下るだけです。

「伏木(ふしき)林道」の看板を見、「伏木(ふしき)橋」を渡りバス道に出ます。
「伏木」という字には「ふしき」とルビが振ってありました。
どうやら「伏木」は「ふしき」と読むらしい、
「ふしき」というより、《ニセ》と《真正》の峠が存在するという特殊な峠ですから、
「ふしぎ(不思議)」とも読みたくなります。

誰か伏木峠の真偽に関するモヤモヤとした疑念を払拭してくださる方はいないでしょうか?
ついでに茗荷峠の正確な位置とその歴史的役割、名の由来、
さらに、古い地形図に伏木峠のみが記載され、松ノ木峠の記載がない理由を
スッキリと解説してくれる青梅地域の丘陵マニアの方はいないでしょうか?

現地を訪れても疑義は解消されないのであった。

【*1】 標識は取り付けたが、やはりp381手前の最低鞍部が茗荷峠なのだろう。 (無責任で、ゴメンナサイ)
     どうも『青梅市史』や『青梅を歩く』に懐疑的になってしまうのです。

     『多摩100山』には、「(夕倉山から)何回かのアップダウンを繰り返し、放置されて錆びた木材運搬用の機材のそばを通り、
     大きく下り茗荷峠に着く。その先を登り返し標高点381m地点で右へ直角に曲がり、一ピークを越すと松ノ木峠である。」
     との記述がある。 やはり、最低鞍部が峠か・・・、いまさら付け替えに行くのも億劫だなぁ〜

【*2】 「ノボリオイ(ヒ)ゾネ」は、「ノボリ−オイ−ゾネ」か「ノボリオ−イゾネ」か、それともそれ以外か?

     『地名語源辞典』(校倉書房)から「ソネ」について調べてみると、
     「ソネ」とは「石の多いヤセ地」とのこと、また、地方によっては「山の峰」を意味するとのこと。
     『地名用語語源辞典』(東京堂出版)には東京都八王子の方言として、「山頂」を意味するとある。
     ちなみに、佐渡では「ソネ」を「トネ」と訛って山の峰、を意味するとのこと。
     「ソネ」の語源は「石根」と言われ、「イシネ⇒イソネ⇒ソネ」。
     岩石地帯・石地のことで、転じて砂地、ヤセ地の地名に使われるとのこと。

     「オ」は「尾」=峰、丘のことで、山の高い所、峰、分水嶺、稜線を意味するとのこと。
     ということは、「ノボリオイゾネ」とは「登りに使う石の多いヤセ尾根」という意味か?
     確かにそこら中に採石場があるのだから石はゴロゴロしているのだろうと思う。

【*3】 2007.01.615号の『新ハイキング』、「要倉山と夕倉山」(倉持裕至氏)の紀行文で「元祖・伏木峠」のテープが登場している。

*伏木峠の疑義については、
 NORIさんのHP『散歩路・峠路』の中のレポート
「稲詰峠から茗荷峠、松ノ木峠、伏木峠へ」でも触れています。

【松ノ木峠やノボリオイゾネについて参考となる文献】

『新ハイキング』(新ハイキング社) 1993.05.451号 「伏木峠から稲詰峠」(大久保恵著)
『新ハイキング』(新ハイキング社) 1987.03.377号 「オキジョウゴ・ノボリオイゾネ」(藤本一美著)
『奥武蔵』(奥武蔵研究会)  229号 「ノボリオイゾネ・松ノ木峠・久方峰+オキジョウゴ」(藤本一美著)
『復刻版・奥多摩』(百水社・宮内敏郎著)
『多摩の低山』(けやき出版) 「松ノ木峠」(守屋龍男著)
『新・多摩の低山』(けやき出版) 「松ノ木峠から伏木峠へ」(守屋龍男著)
『多摩100山』(新ハイキング社・守屋龍男著)
青梅文化財地図・『青梅を歩く』(青梅市文化財保護指導会編・青梅市教育委員会発行)
『青梅を歩く本』(青梅市教育委員会)
『武蔵野歴史散歩U関東山ノ辺の道』(有峰書店新社・蜂矢敬啓著)
『青梅市広報第483号』「松の木峠」(昭和57年8月2日)
『青梅市史』(注・『市史』の付図に記された「橋詰峠」は「稲詰峠」の誤記)

(峠行:2006.12.16)