★ 二子山上級者コースを行く

股峠・魚尾道峠


股 峠

岩好きの友人に山に誘われたが、こちらは根っからの峠好き。
アクティブな挑戦的登攀よりも、静観主義的徘徊にどっぷりと浸りたい。
かといってそれでは山行が成立しないので、
峠があり、ささやかながら岩登りの要素もあるということで、
秩父二子山に行くことにした。


北側登山口


新緑のトンネル5分で股峠へ

CAMPのメットを被り未明のまだ暗い道を友人宅へ原チャリを走らせる。
SGマークのないクライミング用メットは道交法違反かとも思われるが、
二度もすれ違ったパトカーに呼び止められることはなかったので、きっとOKなのだろう。
友人宅で車に乗り換えて、秩父くんだりまでの運転を命ぜられる。
貧乏過ぎてガソリン代を分担できないのだから、運転という労働で支払うしかない。

朝飯だ、買い出しだ、小便休憩だと、なんだかんだと登山口まで5時間もかかってしまったが、
それでも普段の山登りよりかは早い時刻からの歩きはじめだ。
前回歩いた時と同様に、股峠への登りは北側の登山口から開始する。
だって登山口からわずか5分で峠なんだもん。
林道開発によって峠道は一部破壊されたが、峠を訪問することは至極容易になった。


東岳と西岳の鞍部である股峠


坂本と長沢をつなぐ道が越える

この5分でも、ヘビースモーカーの友人は息が切れて悶えていたし、病的な咳を繰り返していた。
だからタバコなんて吸わなきゃいいのにと思うのだが、結構こういう不摂生な人間が
地球最期の日まで図太く生き残り、汚れた空気に耐性を持たない人間が
あっけなくコロリと先に逝ってしまうなんてことは往々にしてあるものだ。
工場排煙を撒き散らして儲けている企業と公害に苦しむ住民のように、
なぜか世の中は理不尽なことや不正義や矛盾や欺瞞に満ちている。
だから真面目に生きることに、ときどき懐疑的になったりするのだ。

股峠は新緑に輝いていて、その林床にはニリンソウが群落を成して咲いている。
小鹿野町がニリンソウの群生地として観光パンフで宣伝するだけあって実に奇麗だ。
「ほら、ニリンソウがこんなに咲いているよ」と言っても、彼は「フン」と言うだけで、
ポケットからタバコを取り出して、さっそく一服し始めるのだから懲りない人だ。
そうそうもともと彼には、花を愛でる趣味もなければ、
可愛らしい股峠の造形美に心を動かされることもないのだ。
どんな岩遊びができるのか、ただその一点にだけ興味があるようだ。


東岳登攀途中に西岳を望む


友人W氏が岩を攀じる

それではと、まず手始めに東岳に取り付いてみる。
過去三回、二子山西岳には登っているが、東岳は初めてである。
ガイド本に紹介されるような一般コースではないし、事前情報によると危険な場所もあるという。
どんなものかと期待半分、不安半分で取り付くが、さして難しいことはない。
確かに一箇所、微妙な鎖場があり、戦慄のトラバースを強いられるが、
足を載せる金属製ステップが岩壁に打ち込まれているので通過は容易だ。

しかし容易だといっても、落ちればタダでは済まないし、高所恐怖症の人はビビルかもしれない。
高所恐怖症の人がそもそもこのような岩山にやって来ることもないだろうから要らぬ心配であろう。
むしろ人間不信症の人の方が心配で、設置された鎖や金属製ステップの安全性を疑い、
一歩踏み出すのに躊躇するかもしれない。

岩好きの友人は元気を取り戻したが、なんだか物足りない面持ちだ。
「まぁ、西岳上級コースのウォーミングアップにはいいんじゃないの」と、
愚痴を吐かれる前に先手を打ってなだめておきます。
その西岳上級コースはどんなもんかと振り返ると、そそり立つ西岳の峨峨たる威峰に、
「ゲッ、あの垂壁を攀じるのかい」と、アクティブな挑戦的登攀を趣向としない
静観主義的峠徘徊マニアはたじろぎを隠せません。


東岳山頂標識


最東端の岩場に立つと気持いい♪

難無く辿り着いた東岳山頂の眺望は頗る良好で、
南面には日本百名山の両神山が自然の屏風のように巍巍として聳えています。
山名標識のあるピークより先、ちっちゃなギャップを乗り越えた東端がさらにオススメで、
茅ノ坂峠の落ち込みを挟んで白石山へとのびる恐竜の背骨のような尾根が望めます。
北方には、以前訪れた矢久峠、坂丸峠、土坂峠が望め、
さらにその背後には赤久縄山、オドケ山、御荷鉾山が遠望できます。
もちろんそれ以外にも西上州の重畳たる山並みを望めるが山座同定はかなり怪しくなってくる。


両神山を望む

山頂にまで志賀坂峠を越えるツーリングバイクのブンブンという音が登ってきてやかましいが、
他人の趣味を批判するほど、こちらの趣味も高尚ではあるまい。
バイク野郎め、ガソリンを無駄に消費し、排煙と騒音を撒き散らしていると批難したところで、
こちらだって5時間も車を走らせて来たのだからCO2をしこたま排出したに違いない。
その上、危険を冒し、無駄に体力を消費し、非生産的な上下運動をしているのだから心苦しい。
自然と融和し、心が癒されるんだと思っていても、自然の方では迷惑千万かもしれない。
岩肌に取り付いた人間をむず痒く感じ、払い落としたいと思っているのかもしれないのだ。
頭を撫でられている犬が嬉しいと思っているのは人間だけということもありうるのだから。

股峠に戻ると、西岳登頂を終え、ぐるっとその基部を回って来たという女性単独ハイカーが休んでいた。
上級コースか、一般コースか、どちらを登ったかと訊ねると、一般コースを選択したと言う。
単独行だから賢明な選択なのかもしれないが、履き慣れた皮の登山靴や
使い込まれたザックなどを見ると、立派な上級者に見える。
こちらのナップザックとスニーカーという格好はどう見ても素人装備にしか見えなく心許ない。


上級コース警告看板


いきなり垂壁に取り付いてスタート

もっと女性単独ハイカーとおしゃべりを楽しみたいが、となりでヘビースモーカー氏がゲボゲボと
怪しい咳をしながら一服燻らしているからムードも出ないのであきらめる。

いざ、上級コースの取り付き点へと向かうと、
そこには「上級コース 転落事故多発 危険を感じたら 引き返す勇気を」という
おどろおどろしい警告看板が立っている。
これまで西岳には三回登っているが、いずれもが一般コースからの登頂で、
上級コースは今回がお初なのだ。

さらに、軟弱者をビビらすには十分な、
「鎖が多すぎる、鎖は必要ない、鎖が取れたら責任をとってくれるのかと、鎖設置不評につき、
平成19年5月に鎖を完全撤去しました」という旨の看板まで設置されている。
鎖の撤去により、どの程度難易度が上昇しているのか不安だが、
岩好きの友人は興奮しているので、いまさら「一般コースにしようか」などと、
弱音を吐くわけにもいかない。

何をもって「上級者」というのか?経験なのか、技術なのか、揺るぎない自信なのか、
それら全てが欠けているくせに、上級者コースへと取り付きます。


西岳登攀中に東岳を振り返る


西岳山頂は切り立っているので要注意

上級者コースは、いきなり垂壁で始まるが、手掛かり、足掛かりが豊富なので技術的には容易だ。
丹沢辺りの沢で高巻きした経験があれば、恐怖感も、技術レベルも同程度と思っていい。
三点支持を知っていて、自殺願望が無ければ、どんどんと攀じ登ることができる。
なるほど、これなら却って鎖は邪魔かもしれないし、事故の引き金にもなりかねない。
進むべきルートは鎖を留めていたボルトが残されているのでそれを拾えばいいので問題ない。
たしかに高度感はあるにはあるが、新緑が岩肌を隠していてそれを抑えている。

二人以上の場合は先行するのが得策だろう。
落石を喰らいたくないし、まして落人に巻き込まれるのは御免被りたいから。
無論こちらが落ちても、落としてもいけないのだが、そこはエゴイズムとの葛藤になる。

緊張するムーブを終えるごとに小さなテラスなんぞがあり、景色を楽しむには丁度良いし、
同行者の登攀中の写真を収めることもできる。
なんとなく本チャンの岩登りを楽しんでいる気分で、本当の上級者になった気になる。
警告看板には、「危険を感じたら 引き返す勇気を」とあったが、
クライムダウンの方がよっぽど難しいと思う。
危険を感じようと、恐怖に足が竦もうと、一度取り付いたら最期、
そのまま登り切ってしまうしか脱出法は無いように思える。


「上級者」の響きがいいじゃないか


魚尾道峠付近の斜面は裸にされている

登攀時間は長くはないが、そこそこ岩登りの雰囲気をザイルなしで楽しむことができる。
岩好きの友人も満足げで、登り終えるとさっそく一服し、山頂の清浄な空気を汚し始めた。

公的な登山標識にも「上級者コース」の文字が見られるが、
そこを登ってきた我々は「上級者」として公認されたことになるのだろうか。
「上級者」とは良い響きじゃないか。
「趣味は何ですか?」と聞かれたら、
これからは、「登山です。エ〜、それも上級者なんです。」と真面目に答えてみようか。
でも、「なんですか上級者って?」と聞き返されたら、どうしようかとも思う。

西岳山頂はぐるり見事な眺望で、文句なしだが、異常な暑さで干からびそうだ。
通販で購入するカニの身のように、中身はスカスカだが、カニ味噌よりはたぶん多い
脳味噌の入った頭を護るためにヘルメットを被っているからさらに蒸れて暑い。
頭がポワッーとして、フラフラすると、切り立った南壁から墜落しそうになるので、
アンパンをつまんで早々に山頂から離脱する。
といってもしばらくは直射日光を遮るものはない稜線上を進むことになる。


どこまで低くなるんだ叶山


魚尾道峠?

稜線上から魚尾道峠付近を見下ろすと、斜面は丸裸にされていて痛々しい。
その反対側の斜面には、以前訪れた時には見られなかった林道が開削されていておぞましい。
魚尾道峠、叶後峠、丸岩峠は息の根を完全にとめられてしまったのだろうか。

石灰を採掘している叶山はますます低くなったようだ。
二子山の背が伸びたとは思えないから、叶山は着実に削り取られているのだろう。
山の定義は知らないが、どこまで低くなっても叶山は「山」なのだろうか?
山中地溝帯を行く颯爽たる航空母艦のようにも見えるが、
いずれ小舟となり人の記憶の底へと沈むだろう。


『西上州の山』(野口冬人著・朋文堂) 挿入図より

  「昔、願いごとのある人は叶山に登り、山頂にある石灰岩に指を二本のせ、
  三度願いごとを唱えてそれが叶うよう、一所懸命努力したのだという」
                            (『山村と峠道』 飯野頼治著 エンタプライズ刊)

もう山を削らないで欲しいという願いは叶わないのだろうか、
「叶う」という字は「口」に「十」と書くのだから、最低でも十回は「もう削るな!」と
叫ばなければならないだろう。
削岩機の音に掻き消されることなく、悲鳴にも似た声は果たして届くだろうか?


魚尾道峠付近から西岳ウォールを眺める


東岳基部ゲレンデ 「弓状エリア」

岩稜から離れ、登山標識の建つ分岐(ここが魚尾道峠?)で見上げる岩壁はまさに壁。
友人は「オッ、オー」と感動したらしく声を漏らすが、同時に口から煙を吐いた。
岩好きの友人も今回の山行には満足してくれたらしい。

後学のために、フリークライミングのゲレンデとして有名な
西岳基部の「祠エリア」と東岳基部の「弓状エリア」を訪れる。
首が痛くなるほどのオーバーハングと押し潰されそうな岩の重圧を感じる。
三ッ峠や幕岩で岩遊びに興じたことはあるが、ここは別世界だ。
5.12,5.13といったハイグレードな壁をヒョイヒョイ登っている人種が居るのだから驚きだ。

ためしにオーバーハングの壁に触ってみたが、取り付くことさえできない。
「あー、俺らはやっぱり上級者ではなかったのだ」と、束の間の栄冠の酔いも覚め、
「上級者」の名を返上して帰路に着くのでした。

(峠行2009.05.09)