ガンドウ峠 / 巖道峠

 

民俗学者柳田國男の「峠越えのない旅行は、まさに餡のない饅頭である」という言葉は有名です。
今回は中途半端な時間に家を出てしまったので、その餡だけを頂こうと、前から気になっていた
巌道峠を訪れました。


車道が越す巖道峠
傍らには林道開鑿に貢献した人の顕彰碑がある

巖道峠は道志村久保と秋山村安寺沢とを繋ぐ道志山塊を越える峠です。
車道が越えてはいるものの訪れる人も少なく静かな峠です。

道志村の村人にとっては、遠く桂川沿岸からの文化・物資の流入口として利用された重要な峠でした。
また絹織物や繭・生糸の集積地であった上野原に通じるためには、欠くことのできぬ峠でした。
村で生産された炭や林産物を上野原に搬出するためには越えねばならない峠であり、
村の経済を支える生命線の役割を果たしていたといえます。

この道峠の表記がいろいろで、
道志村の観光ガイドや1/50000地形図では「厳道峠」、『甲斐国志』では「強盗峠」、
『一日二日山の旅』(河田)では「雁道峠」、また「ー道峠」という表記もあるようです。

岩科小一郎著の『山村滞在』によると、
「峠に強盗が出て云々の地名伝説があって、登山者はゴウトウ峠などといいかねないが、
実は《ガンド》で、《ガン》のあるところ、すなわち岩のある峠」だとの説明をしています。
道志川左岸の久保集落途中にはゴロゴロした岩があり、こういう地形を地元では
「ガンドウバ(岩道場)」というらしく、道志村の古図には「岩堂場峠」なる表記もあるとのことです。


巖道峠から延びる縦走路

久保の商人が村で生産された炭や生糸を上野原まで運ぶには大変な苦労が伴いました。
朝まだ暗いうちに家を出て、巖道峠を越え山の反対側秋山村に出て、一古沢、田ノ入を通り
鶴島へ出て、渡し舟で桂川を渡り、新田から上野原に向かったといいます。
上野原の山田屋炭店で木炭を卸し、次に市場で生糸や繭、野菜を売って現金収入を得たあと、
きた道を戻り帰路に着いたとのことです。

再び峠にさしかかる頃には、日も暮れ始め、狼の恐怖に震えたといいます。
町での商いを済ませ現金を得た商人たちにとっては、狼よりも怖いのが追剥、山賊だったそうで、
言い伝えによると、通りかかった商人から金品を奪うだけではなく、
身ぐるみ剥いだ後、木の枝に吊るし、自殺を装った強盗殺害事件を行った輩もいたそうで、
そこから「強盗峠」などとも呼ばれるようになったらしいとのこと。

実際に明治28、29年頃、川畑原の市蔵という甲斐絹の行商人が上野原へ絹糸を売りに行く途路、
二曲り直下で自殺を装って殺される事件が記録として残っているそうです。

大正7年頃、久保学校の小沢伝吉という先生が、
「強盗峠という名を後世にまで残しておくのは土地の不名誉である」と
「巖道峠」の呼び名を提唱し、その後この名称が定着したとされています。

巖道峠の下には「ソラッ峠」という場所があります。
峠とみまごう所で「そら(空)峠」、つまり実際には峠ではない場所の意味です。
昔、乞食が餓死したのを葬った場所で、ここで餓鬼に取り憑かれると動けなくなるといいます。

久保の商人は上野原に行った帰りには、必ず饅頭を買い、峠を越える時に、
その饅頭を籔の中に投げ込みながら、祟りの無いように祈ったといいます。
また、安寺沢の石宮さまに油揚げを供えてから峠道を登れば災厄を免れるとの言い伝えもありました。

そんな難儀を伴う峠越えでの安全を願うためか、あるいは邪神や災厄、疫病などが
村に侵入するのを塞ぐためになのか、峠には天神が祀られ、地元では単に天神峠(久保天神峠)と
呼ばれるのが一般的であったようです。

久保に車を停めて、単調な林道歩きを経て峠に至りましたが、
峠の直前で新たに造られた舗装林道が合流し、山肌を削り東方へと延ばされていました。
道志側はまだ完全舗装を免れているものの、イメージしていた峠道とは異なっていたために、
ちょっとがっかりしてしまいました。

村人や駄馬に踏み固められた細々とした一条の古道、
そこに積もった落ち葉を踏みしめる晩秋の峠行を勝手に想像していたのですが、
この峠路も残念なことに開発の波には抗えなかったようです。

餡だけツマミ食いしようとした今回の峠旅は餡の滋味をろくに味わせてくれなかったようです。
かつて、久保の商人が餓鬼を恐れ、饅頭をヤブの中に放り込んだことを思い出しながら、
昔も今も、この峠を歩く人は饅頭も餡も味わえない、ある意味難儀な峠に変わりないことに気が付きました。

【参考文献】

『あしなか』6号 「巖道峠」 坂本光雄
『本のある山旅』 大森久雄 山と渓谷社
『道志村民俗調査報告』 山梨県道志村

●『富士を眺める山歩き』(山村正光著・毎日新聞社)によると、「ガンドウ」は「龕燈提灯(がんどうちょうちん)」のことであるという。

 「そもそも強盗(がんどう)とは龕燈提灯(がんどうちょうちん)の略で、芝居の忠臣蔵の吉良邸討ち入りの場などで目に触れる。
 中のろうそく立てが自由に回転して前方を照らす釣り鐘形の金属板をまるめた提灯である。・・・・
 決して強盗が出没したり、岩を切り開いた岩道でもない。また雁道=鳥の通い道でもない。
 峠の切り通しが、強盗(がんどう)に似ていた故に命名された。・・・」

●参考ホームページ

 HP『(有)押田産業』 「巌道峠と久保商人の話」 (http://www.oshida-sangyou.co.jp/tradition3.htm)

●巌道峠再訪、安寺沢側の旧道を辿った記録を見る