ひっそりと生き延びている峠

浅間峠・御飯峠・佛峠

道の駅しもべ−長塩−浅間峠−和名場−△930栃代山−p1117−p1234−御飯峠−p1333−佛峠−釜額−道の駅しもべ


なんとも素敵な佛峠

以前に御飯峠、佛峠を訪れた時から4年が経過しました。
その時から気になっていた栃代側と釜額側の峠道を歩いてみることにしました。

最新の『山と高原地図』(昭文社・2009年版)を本屋さんで立ち読みしてみると、
御飯峠、佛峠の西側の峠道が破線ながらも赤色で記載されるようになり、
これまでなかった「御飯峠」の表記も加えられていました。
かつて、東の中道往還と西の駿州往還及び富士川水運とを結んでいた
これら連絡路の峠が、再び脚光を浴びようとしているのでしょうか?

 「仏峠、このやさしい名前の峠は、古関村の方へ越しているが、
 乗物の発達した今日では、滅び行く峠の一つに違いない。」 【*1】

深田久弥氏は、このように佛峠の印象を「滅び行く峠」としています。
中央線、身延線の開通、国道300号線(本栖みち)の開通以後、
峠の通行が絶えてしまったのは確かなことでしょう。
峠と峠道の現状を知るべく「道の駅しもべ」を起点に周回してみました。


長塩集落の石祠 竹の輪がかかっている


よく踏まれている峠道

この日ばかりは早起きをして、朝の7時過ぎに「道の駅しもべ」に到着です。
24時間開放している第2駐車場に車を置いて、地形図「精進」図幅のほぼ中央を占拠する
常葉川と栃代川に挟まれた長い尾根道を辿って、本栖湖西岸尾根上の御飯峠、佛峠を目指します。

国道300号線の木喰トンネルをくぐりぬけて、大曾里のバス停から長塩集落へと入ります。
常葉川の流れは美しく、川面を隠すように藤の花が垂れ、芳しい香りを散らしています。
獅子舞が有名だという長塩の集落内には道祖神や石祠が目立ちます。
竹を輪にした注連縄のようなものは、他所の地域では見かけない独特の習俗かと思います。
昭和橋の先、爪先上がりの集落内を抜け、畑とお墓の斜面を詰めれば、
栃代川流域の岩欠集落へと越える浅間峠の入口となります。


注連縄の張られた浅間峠(長塩坂)


峠から甲斐常葉と醍醐山を望む

峠道の歩き始めは、薄暗い植林地内の道ですが、ジグザグで高度を上げるに連れ、
上部は明るい自然林の中の道となります。
道幅はけして広くないながらも、よく踏まれているので不安は感じません。

麓からは朝8時を知らせる合図なのでしょうか、
ベートーヴェンの交響曲第9番が村内放送で流され、周囲の山々にこだましています。
こちらも曲に応えて口笛を吹きつつ、すがすがしい朝の峠歩きを愉しみます。

辿り着いた峠は、小さな鞍部で、岩欠へと下る細い道がヒノキの幼木林の中へと続いています。
峠からは、甲斐常葉の町や醍醐山、富士川右岸の山並みを望むことができます。


『あしなか第13号』 「天子山塊の旅」宮崎茂夫著・山村民俗の会 挿入図より

この長塩と岩欠とを結ぶ小さな山越えの道は、
『新ハイキング570号』の「天王山から木喰の里へ」(田口隆二著)という紀行文の中では、
「浅間峠」として紹介されています。
地形図に見られる尾根上の神社マークが浅間神社であることから、そう呼ばれているのでしょう。

天子山塊の地誌を紹介している『あしなか第13号』では、「長塩坂」とあります。
当初は、この場所が「杵地蔵峠」ではないかと思っていましたが、
「杵地蔵峠」は大炊平と市之瀬とを結ぶ峠のようで、
旧版地形図を見ると、天王山(△p455)の東方鞍部に山越えの破線道が描かれています。
【*2】


峠の東に祀られた浅間社


「浅間づる」道を行く

浅間峠(長塩坂)の東方には、地形図の神社記号の表記通り、壁板のない社が建っています。
その背後には「浅間神社」と刻まれた石碑が置かれています。
『下部町誌』によると、木花開耶姫命を祀るもので、明治20年に長塩の小林家が扶桑教信仰の
ために石碑を御神体として安置したとのこと。
長塩と岩欠の境界にあるため両集落で祭祀を行っているといいます。

これより常葉川と栃代川に挟まれた尾根を東へ東へと辿り、御飯峠を目指すことになります。
この尾根道は「浅間づる」と呼ばれている古道で、「つる」は地形語の「ツルネ」と同意で、
「尾根」の意味であると思われます。
富士を仰ぐために、この尾根道を辿って本栖湖西岸の尾根に達する浅間(富士)信仰の道として
歩かれていたのかもしれません。

『下部町誌』には、「浅間づる」について、
「栃代和名場から尾根伝いに浅間神社、杵地蔵を経て、市之瀬へ、あるいは天王山を経て
常葉へと通ずる古道である。」と解説されています。


p574山頂の大岩の下に祀られた石仏


p574から南に対峙するp1469笹森岳(桑木山)を望む

「浅間づる」には凹状の道形が残り、落ち葉が積もってはいますが、よく踏まれています。
しかし、人の歩いている痕跡よりも、イノシシの掘り返しが目立つ道です。
「日本軽金属14」の小さな送電鉄塔をくぐり抜け、ひと登りすると、p574の小ピークを迎えます。
この小ピークには、大岩があり、その下には磨耗した石仏が安置されています。
「浅間づる」の往来が、かつて頻繁にあったことを物語る証人といえるでしょう。

大岩からの展望は頗る良好で、南側は足の竦む栃代川へ落ち込む絶壁の向こうに
三角点p1469の巨体が威圧的な姿でその存在を誇示しています。
このp1469は『下部町誌』では「桑木山」とあり、『あしなか第13号』では「笹森岳」とあります。
とにかくドデカイカタマリで遠近感が混乱するほどの巨漢です。
北側に目を転じると、近くは丸畑の山上集落、そして遠くには天狗岩、蛾ヶ岳を望むことができます。


和名場集落背後の竹林道を進む


和名場の石造物

p574から岩峰に上手い具合に付けられた新緑に包まれる明るい道を下り、
生活ゴミが異常に散乱しているヒノキの植林地を抜ければ、和名場の山上集落となります。
それにしてもこれらのゴミは和名場で暮らす人が投棄しているのでしょうか?
ありとあらゆる生活雑貨が植林地の中に投棄されています。

「和名場」は「和奈場」、「和那場」とも書かれますが、「罠場」が地名の起こりだとされています。
昔は、雨乞い渕とも言われた小池があり、ここに水鳥や獣が多く集まってくるので、
罠を仕掛けて、それらを捕獲していたといいます。

東へと進む尾根道は民家背後の竹林の中に続いています。
道しるべを兼ねていたと思われる古い石造物や、古い時代の墓石がヒノキ植林内に見られます。
南面にはp1469桑木山(笹森岳)の巨漢が、この小さな集落を睥睨しています。
地形図には和名場から北方、常葉川側へ下る破線道が描かれていますが、
それらしき道は見当たりませんでした。

ツガ、マツの混じるヒノキ林を抜けると、地形図情報通り、次のピークは右手から巻きにかかります。
自然林の中、緩やかな登り勾配の道は、カエルの鳴く沢筋に近付くと心細くなりますが、
沢筋横断部に炭焼き釜の古い石積み跡を見て、植林地内の斜上する道になると再び安定します。
植林地内には公社分収育林地の看板があり、「杉山字和奈場807番」と現在地表記があります。
p671支尾根からの踏み跡を無視して、完全に次ピークを巻き込みます。
ピーク直登を阻むヤブを避け、青いビニールヒモの巻き付けられた植林に沿った道を進みます。

植林地内の小さな沢筋を二本横断した所で、道は曖昧になってしまいます。
(一本目の沢筋を渡った後で、植林斜面を斜上する踏み跡を拾うべきだったか?)
これはイカンと、尾根筋に復帰するために、左手自然林の斜面に取り付き、
強引に急傾斜を攀じ登り、鹿道の助けもあって尾根上の破線道へと復帰します。

地形図では尾根道にクロスして、北側の古関、釜額へと破線道がのびていますが、
これらの道はあるのかないのか、はっきりしない感じです。


p930の三等三角点と恩賜林標


名前が正しいか不安だが標識を取り付ける

尾根筋は明るい自然林に囲まれ、不安はありません。
マーキングの類は、これまで一切ありませんが、地図をよく読めば恐れることはありません。

ピークを回避しようとする怪しい巻き道は無視して、次峰、三角点p930へ向けて、
左手ヒノキ植林、右手自然林の一本調子の斜面を登ります。
久し振りに履いた登山靴は、ひどく重く感じられ、踵も擦れて痛みを覚えます。
いまどき靴下の二枚重ね履きなど流行らぬことをしているので靴中が蒸れて不快でもあります。
やはり1000m前後の低山には、スニカーや地下足袋が適しているのかもしれません。


『下部町誌』 挿入図 より

p930の山頂には、三等三角点と恩賜林標が置かれています。
北面の眺望が得られますが、ヒノキの幼林が成長すれば、それも閉ざされてしまうことでしょう。
『下部町誌』では、このp930を「栃代山」としているので、手製標識を取り付けてみましたが、
いささか山名確定に自信が持てません。

なぜなら、栃代集落南面の山(p1469桑木山の東南部)を「城山」と呼ぶようで、
これが「栃代山」のことではないかとの説もあるようですから。
また、栃代集落南面の山一帯を総称して「栃代山」と表現することもあるようです。
しかし、ここは『下部町誌』を信じて、p930を「栃代山」としておきます。

ちなみに集落名の「栃代」は、栃の木が多くあったことに因む地名であるという説と、
周囲が連山に守られ、あたかも城壁の様相を呈し、かつ小規模ながら産金産銅の鉱山が
あったことから「戸城」であったとする説があります。(『下部町誌』)


栃代山の東肩に位置する釜額分岐


栃代山の二つ先のピークから望む栃代川源流のV字谷

p930栃代山から東南へ進む尾根道は明るく、途中、釜額からの薄い踏み跡を合わせます。
次に迎える緩やかな小ピークでは、右手(南)方向へ流されがちになりますが、
ここは忠実に尾根を拾うことが肝要です。

次第に、尾根道の歩行を灌木が阻害し始めますが、それを最近、刈り払ったらしい鉈目が見られ、
そんな遠くない過去に、人が歩いたことを知り、なんとなく安心感を覚えたりもします。

p930から二つ目のピークは、釜額への破線道が分岐するジャンクションになっています。
このピークに至る直前は、左手自然林、右手ヒノキ植林地の中間を辿るのですが、
ちょっとした脆い露岩部を攀じ登ったりする箇所もあります。
それを登りきると、休憩に適した小広い場所があり、そこの立ち木には、
本日初めてスズランテープが巻かれているのを目にするのです。

小ピークから南方を望むと、毛無山へと突き上げる栃代川源流部のV字谷が圧巻を呈していて、
大袈裟ですが日高山脈の谷に迷い込んだ錯覚を起したりするのです。
地形図を見ると、栃代集落の奥、山神社を経て、V字谷を溯上するように毛無山へ登り詰める
破線道が描かれていますが、果たしてこの道は現在でも通行できるのでしょうか?
谷両岸の等高線の詰まり具合といい、夥しい崖記号といい、登山者を寄せつけない
恐ろしさを感じますが、道があるならば歩いてみたいものです。


p1117付近の伐採地


本栖湖西岸尾根はまだ遠い

p1117付近は本コース上の白眉でしょう。
北東斜面が広範囲に伐採され、眺望を欲しいままにすることができます。
釜額川流域の馬蹄形の尾根の連なり(佛峠から釜額へ続く尾根破線道コースを含む)や、
これからぐるっと回り込んで佛峠へと向かう尾根の様子などをつぶさに観察することができます。

切り株に腰掛けて休んだり、切り株から芽吹くひこばえに逞しさを感じたりしながら、
だらだらとした伐採斜面を、一歩一歩ゆっくり登って行きます。
振り返ると、雪をつけた南アルプスを望むことができますが、その高さにあらためて驚かされます。


p1117伐採地からの好展望

北面の展望は雄大で、釈迦ヶ岳から蛾ヶ岳を結ぶ芦川南稜尾根や
国道300号線を抱く中之倉背後の反木川左岸尾根を望むことができます。

国道300号線を自動車で走るたび、いつも歩きたいと眺めていた尾根から、
逆に、国道300号線を眺めている格好になります。
名の知らぬ峰々や、歩いたことのない尾根がいかに多いことか、
訪ねたことのない集落や、辿ったことのない峠道がいかに多いことか、
眼前に広がる風景を見ていると、自分の知っている世界と知らない世界の差に愕然とします。


伐採地から望む南アルプスの高い壁


p1234南側の巻き道も滑り落ちで消えてしまう

伐採地を登り詰め勾配が緩むと、左手が植林、右手がカラマツ林となります。
その中間のややヤブ気味の踏み跡を拾いますが、林業公社の赤い頭の杭が目印になります。
p1234という並びの良い標高数字の台地に向けて登りに取り掛かる直前、
右手から歩きやすそうな道がカラマツ林の中を巻きにかかります。
直上する道が、ややヤブかかっているので、ここは明るい雰囲気もある巻き道を選択します。

立ち木には、これまでなかったテープの目印が随所に見られるようになります。
植林地の中、栃代集落へと下る分岐点にも目印が付けられています。
栃代の集落へと下る道も当然気にはなりますが、ここは一路東へ、御飯峠を目指します。
ところが、p1234南面で道は滑り落ちていて、一抹の不安がよぎります。
分断された距離は短いので、崩壊斜面を慎重にトラバースしてやり過ごしますが、
その先道はやや下り勾配となり、これでいいのだろうかと不安を覚えます。
こういうときは尾根筋に戻るのが鉄則かと、ここでも強引に左手の自然林の斜面を攀じ登り、
鹿道の助けを得て、尾根道へと復帰します。


栃代からの破線道が合流する辺り
この先は迷い易い


峠へ導く謎の標識

p1234は、並び数字であるというだけに期待していましたが、
なんてことはない平凡な植林尾根で、リズミカルな数字の代わりに植林が並んでいるだけです。
視界も無く、薄暗く、パッとしません。

p1234の東方、栃代からの破線道が合流するはずの平坦地では、
それらしき明瞭な栃代からの道は確認できませんが、きっと窪地状の地形の中にあるのでしょう。
こちらは忠実に尾根筋を行くのですが、境界見出標57から先はちょっと迷い易い地形です。
疎らながら鹿に食害された笹ヤブなどを掻き分けて、薄い踏み跡を拾います。
境界見出標59、山梨県県有林林班界標151を経て、のっぺりした地形を進みます。

ちょっと進路に戸惑いますが、以前御飯峠を訪れた時に、栃代側の峠道は植林地内に
あったことを思い出して、それらしき植林斜面に近付いていくと、テープのマーキングと
はっきりした道形が見出されホッと一安心します。
立ち木には「鶴と月と富士山」の絵柄の謎の標識も見られます。
この標識も以前、佛峠、御飯峠の本栖湖側の道を歩いた時に見ているので、
峠道を外していないことをあらためて確認できて安堵します。

2009年版『山と高原地図』では御飯峠の栃代側の道について、
「経験者向き、リボン、テープを見逃さないように」と注意書きが付されています。
公共交通の便を考えると、まだ一般には歩かれているコースではないのかもしれません。


木の間越しに富士を望む御飯峠


御飯峠の標識を取り付けた

植林地内を斜上する明瞭な峠道を拾うと、しばらくで明るい雑木の尾根が近付き、
飛び出した所が御飯峠となります。
前回訪れた時は、深い霧に覆われていましたが、今回は明るい陽光が降り注いでいます。
まだ芽吹き始めたばかりの雑木林の向こうには、雪を纏った富士の姿が望まれ、
その姿は椀に盛られた御飯のようでもあります。

峠には、テレビ電波アンテナが建ち、山梨県県有林「6-150」の標識と、
「←雨ヶ岳 仏峠30分→」、「←本栖30分 栃代→」と書かれた標識が転がっています。
峠名を記した標識は無いので、手製標識を立ち木に括りつけます。
『山と高原地図』、『甲斐の山山』、『山梨の峠』でも、この場所を「御飯峠」としているので
間違いはないと思うのですが、行政サイドの刊行物等では、「御飯峠」の位置は
若干異なっているように見受けられます。


『身延町観光ガイドマップ』より


御飯峠の標識

身延町が発行している『身延町観光ガイドマップ』では、ここから佛峠へ向かった場所で、
p1225の北側で本栖湖側からの破線道が合流している場所を「御飯峠」としています。

また、山梨県が整備している「本栖の森」でも、同位置を「御飯峠」としていて、
登山者の言う「御飯峠」と、行政サイドで「御飯峠」とする場所では違いが見られます。
(http://www.pref.yamanashi.jp/kenyurin/70_026.html)

位置の疑念もさることながら、そもそも、この珍妙な峠名の由来は何なのでしょうか?
この峠で、お昼御飯を食べなくてはならない強迫観念に駆られます。
昔は、この峠を越えて山間の集落へ米が運ばれたりしていたのでしょうか?
本栖湖畔にあるからって、「湖畔峠」が「御飯峠」に転化したなんてことはないと思いますが・・・・


本栖湖西岸尾根はブナ、アセビの道


味のある佛峠の標識

p1333を越えると佛峠まであとは惰性に任せて本栖湖西岸尾根を下るだけです。
尾根上はブナやナラなど広葉樹に囲まれています。
この付近はまだ気温が低いのか、芽吹きを迎えていませんが、そのおかげで裸木越しに
本栖湖の深い色をした「本栖ブール」をチラチラと望むことができます。
竜ヶ岳の山容と、そこから雨ヶ岳に向けてのばされている尾根の落ち込みである端足峠の存在も
木の間越しにはっきりと認めることができます。

地形図p1225の北側で、本栖湖側から合流する踏み跡とマーキングもありますが、
それらは無視して、腐りかけた木製階段を下れば佛峠の小さな鞍部となります。 


本栖ブルーが望まれる


可愛い鞍部の峠です

前回訪れた時は、白いガスに包まれていた佛峠ですが、
本栖湖側は「本栖ブール」の湖面が、釜額側は新緑が黄金のように輝いています。

ちょうど峠に到着すると同時に、釜額側の峠道をチロンチロンと優しい鈴の音を響かせながら
登ってくるハイカーの姿がありました。
ペコリと頭を下げて、無言の挨拶を交わし、
ハイカー氏は、これから下る本栖湖側に目を向けて腰をおろしました。
こちらもこれから下る釜額側の眩しい新緑の谷間に目を向け腰をおろしました。
釜額側の道の様子を訊ねてみようとも思いましたが、ハイカー氏が登って来たということで、
歩行可能であることはわかることだし、素敵な峠の雰囲気を味わっている人の気分を害しては
ならないと終始無言の時が流れます。


釜額側は新緑が眩しい


本栖側は芽吹き前

佛峠に石仏の姿はありませんが、何もなくても峠の情趣は満ち溢れています。
小さな尾根のヘコミの造形美、両側とも自然林に覆われた好感の持てる樹相、
峠の名前をしるした味のある一本の標柱、大袈裟な舞台装置は何もありませんが、
峠を愛する人をきっと満足させることでしょう。

山梨県は「本栖湖の悠久の自然と峠道文化をたどる森づくり」をテーマに掲げ、
周辺一帯を「本栖の森」として整備しているようです。
(http://www.pref.yamanashi.jp/kenyurin/70_026.html)

「本栖の森」のパンフレットにはエリア内の峠について次のように書かれています。

  「県境の割石峠へ越える端足峠、古関への佛峠、栃代からの御飯峠の三つがあり、
  かつて静岡県から生鮮魚介類・塩を持ち込み、山梨県からは炭や生糸などの産物を
  送り出す経路でした。」

県では端足峠、佛峠、御飯峠を自然公園内に取り込んで整備を図っているようですが、
過剰に手を加えることだけは避けて欲しいものです。
佛峠にベンチや大仰な案内看板は不要だし、ゴミの落とされた姿も見たくありません。
ただ、味のある現在の標柱は残して頂きたいものです。


明治21年測量同24年製版 2万分の1地形図 「龍嶽」 大日本帝國陸地測量部

佛峠から釜額側へと下る道ですが、谷筋経路と尾根筋経路の二経路があるようです。
現行版の地形図に谷筋経路の峠道は描かれていませんが、
旧版の地形図には尾根筋の道よりも幅広の道で表記されているのを確認できます。

2009年版『山と高原地図』では、尾根筋経路を辿る道を峠道として破線で表記しているらしく、
「2,3箇所で崩落斜面」との注意書きが添えられています。【*3】
尾根筋を辿る道も興味を覚えますが、今回は峠に置かれた「釜額ニ至ル」の標柱の指示に従い、
谷筋の峠道を歩いてみます。

尾根筋を辿る道が本道なのか、それとも谷筋に下降する道が本道なのか、
あるいは両方の道とも頻繁に使われていたのか定かではありません。
現行版地形図の「佛峠」の位置が不適切であることが、混乱を招いている要因かもしれません。
『一日の山・中央線私の山旅』(横山厚夫著・実業之日本社)でも、
地形図の峠位置表記の間違いを指摘しています。
同本に登場する地元の老人の話によれば、谷筋経路が「信玄公以来の古い道」となるようです。

佛峠は東の中道往還と西の駿州往還(河内路)、富士川水運とを結びつける役割があり、
根原−端足峠−仏峠−古関−照坂峠−芝草−車田−三沢−鴨狩というコースの途上に
位置していた峠でもあります。

駿河国根原から端足峠、佛峠を越え、釜額を経て関所の置かれた古関へと伝う尾根道は、
「長坂往還(長坂峠)」とも呼ばれていたようで、
「中央線の開通する以前の明治34、35年頃は、長坂往還は明るい松明をともしながら、
夜を徹して人馬の往来で賑わったものだ」という釜額の古老の話が
『下部町誌』には記されています。

次に佛峠を訪れる機会があれば、尾根道を辿って、釜額集落へと向かってみたいものです。


広葉樹林のジグザグ道で高度を下げる


最初のジグザグ道降下地点の大木と標識

黙して語らず汗をひくのを待っていたハイカー氏は、
再びチロンチロンと流麗な鈴の音を響かせ本栖側へと降りて行きます。
こちらもザックの中をゴソゴソとあさって取り出したイチゴジャムパンを急いで腹に収めると、
カランカランという品のないカウベルの音を撒き散らして、新緑眩しい釜額への道を下り始めます。

新緑眩しい道は、ジグザグを幾度か繰り返し、谷の底へと降りて行きます。
馬でも歩ける道幅と勾配の道は、当然人の足にも優しく、快適に歩行することができます。
道に降り積もった落ち葉と芽吹いたばかりの輝かしい若葉が対照的で、
人生の明暗を見ているかのようです。

ひとしきりのジグザグを終えると、目立つ大きなツガ(?)の木があり、その根元には、
「左 本栖湖方面 右 釜額民宿村」と剥げかけた文字の看板が置かれているのを見ます。
これで峠道は終わりなのかと早とちりしてはいけません。
沢の源流域に降り立っただけのことで、まだまだ峠道は続きます。
この山域は奥深さを持っているのです。


最初の渡渉地点


明るい沢沿いの峠道

小さな沢の流れに沿い、落ち葉を蹴散らして進むと最初の渡渉地点を迎えます。
沢の流れはやさしく、飛び石で左岸へ渡りニリンソウの花咲く涼しげな道へと変わります。
足元は落ち葉の堆積から、名も知らぬ春の花々の咲く道となるので、
踏みつけないようにして足を運ばなければなりません。

再び右岸へと渡り、小さな滝を見ながら進むと、
山菜を探しているらしい籠を背負った二人連れの地元の方とすれ違います。
釜額の民宿の関係者の方でしょうか?
今晩のおかずに山菜の天ぷらを提供しようと探しに来ているのかもしれません。
山菜の天ぷらを勝手に妄想し、溢れ出すヨダレを飲み込みます。

「大字釜額字草多」と現地名の書かれた県有林造林地の看板を過ぎると、
峠道唯一の難場である崩壊箇所を迎えます。
斜面が崩れ落ち、数メートルの間、道が消失していますが、2本のトラロープが渡され、
それに頼ってトラバースすることになります。
谷側は深く切れ落ち、滑落すれば無事では済まないことでしょう。
転落は人生だけで充分なので慎重に渡りますが、滑落以外に落石にも注意しなければなりません。

この崩壊箇所が無ければ、誰でも安心して歩ける峠道であることを思うと残念ですが、
もはや崩壊箇所の修復は困難であるかに思われます。
距離は短いので、雨後や積雪時でなければ通過は容易ですが、
ロープの補強をお願いしたいところです。


仏峠の峠道から林道へ出る


凶暴な熊がいるらしい!

難場をクリアすると、再びジグザグで山腹を下るようになり、水量の増した沢沿いに降り立ちます。
岩を落ちる流れは、二、三段の大きな滝をつくり、マイナスイオンを周囲に振り撒いています。
植林地に沿う道となり、木々間からはいくつもの滝と淵が見られるようになると、
峠道の終わりは近く、突如、林道へと飛び出して終焉となります。

衣服に付いたダニを払い落とし、ペットボトルをごくりと飲み干し、峠歩きは終了です。
あとは単調な林道歩きで、釜額の集落へと向かいます。
途中、地図に無い林道の延長を見ますが、これはもしかすると、集落北面背後の尾根道へと
続いている林道なのかもしれません。


釜額集落内の道祖神


古関口留番所跡

釜額の集落は観光客で賑わっているふうもなく、
昔からの生活を今に続けている山峡の静かな山村にしか見えません。
ハイカーのための登山口を示す道標は一切なく、
「危険多し、入山注意、熊に用心」の看板を見るにつけ、どちらかといえば入山者の訪問を
拒んでいるかのようにさえ見えます。
地元にしてみれば、山を荒らされたり、遭難や山火事を出されたら厄介に違いなく、
部外者の進入を快く思っていないのかもしれません。

集落内の道々には、道祖神や庚申塔などが多く見られ、
長塩の集落でも見られた竹を輪にして御幣を挟んだ注連縄のようなもので飾られています。
縄ではなく竹で拵えている点に、何か深い意味があるように思われます。

釜額川沿いの低地に開かれた水田の代掻き作業を見ながら、集落を抜けると、
国道300号線合流手前に、関所跡の石碑を見ます。
釜額の集落では、幕府の長坂御林の保護、管理に勤めるとともに、
古関、中之倉の両村とともに口留番所の関守に従事していました。
関所が置かれるほど、かつては長坂往還の往来は頻繁にあったということでしょう。

富士宮市根原から竜ヶ岳と雨ヶ岳の鞍部である端足峠を越え、
引き続いて本栖湖西岸から佛峠を越えて釜額へと下る。
そこから河内路へ、あるいは富士川水運へと人の流れがあった。
また、佛峠から分岐し御飯峠を経て栃代へと下り、杉山へ出る「お上人道」と呼ばれる道もあった。
現在では思いもつかない経路が、山中には合理的に張りめぐらされていたのです。

公共交通機関の便が悪く、佛峠、御飯峠を訪れるハイカーは多くありませんが、
いまでも二つの峠はひっそりと生き延びています。
往還を行く塩や魚を背負った人の足音はありませんが、
ザックを背負った静かな峠道を愛する人のカサコソという落ち葉を踏む音が聞こえます。


国道300号線から歩いた尾根を遠望する

国道300号線を走行する度に、天子山塊の重畳たる山並みが気に掛かります。
人工物が目に入らない深い山々の連なりは山を愛する人を惹きつけて止みません。
富士川左岸の天子山塊は、市販の登山地図や登山ガイド本の空白地帯でもあります。
今後、山行対象地として開拓していく余地が充分にあるエリアです。

(峠行:2009.04.29)

【*1】 『山頂の憩い』 「年末年始の山」 深田久弥著 朝日文庫

【*2】 『下部町誌』の第2章では長塩から上岩欠にでる往還が「地蔵峠(杵地蔵峠)」であるとしていますが、
     第6章では市之瀬から岩欠へ越える峠を「地蔵峠」と呼ぶとあり、頂上に杵地蔵が祀られているとしています。

【*3】 2009年版『山と高原地図』(昭文社)では、佛峠の北に位置しているp1247三角点峰を「中ノ倉山」としているが
     この山名は本当だろうか?『下部町誌』にこの山の名前について記述は見られないし、
     『一日の山・中央線私の山旅』では、疑問符付ではあるが「牛首山?」としている。
     また、『山と高原地図』では、尾根道分岐を、「(仏峠)」としており、峠が二箇所あることになっている。

【注意】 浅間づるから御飯峠の尾根伝い歩きでは、多くはありませんが、ダニが取り付きます。
     時折、立ち止まって指先で弾き飛ばしましょう。
     また、登山者向けのマーキングは無きに等しいので、地形図と読図力は必携となります。
     迷いやすい所は、p1234東方の、のっぺりした地形くらいです。
     全般的に、怪しい巻き道より、うすい尾根道の方が信頼できそうです。
     佛峠から釜額へ下る谷筋の道は、現行版地形図に記載されていませんが、なぜこの道を載せないのか、
     疑問と不満が湧くほど、確かな道が残っています。
     この山域の熊は強暴だと聞き及んでいますので、鳴り物を持参するか、
     さもなくば歌を歌い続けて歩かれることをおすすめいたします。

【参考文献】

『下部町誌』(身延町のホームページから全文閲覧可能
『あしなか第13号』 「天子山塊の旅」 宮崎茂夫著 山村民俗の会 昭和24年
『一日の山・中央線私の山旅』 「牛首山?」(p192〜) 横山厚夫著 実業之日本社 1986年
『新ハイキング570号』2003年4月号 「天王山から木喰の里へ」 田口隆二著 新ハイキング社
『甲斐の山山』 小林経雄著 新ハイキング社 平成4年
『山梨の峠』 小林栄二著 自費出版 平成10年

佛峠は本当に素敵な峠、可愛い峠です。騙されたと思って是非訪れて御覧なさい。
でも峠には何もありませんよ。何もないけど、風も、光も、木々もあります。
ちっちゃなへこみを刻んだ足跡があります。