幻の峠とノボリオイゾネの峠
権次入峠・常盤峠?・小沢峠・伏木峠・松ノ木峠・茗荷峠・稲詰峠・吹上峠・正木沢峠・中山峠
| 地誌『武蔵国風土記稿』の上成木村の項に、 「常盤峠、秩父郡名栗村の堺なり、村の西の限りなり」とある。 「常盤峠」とは一体どこに位置するのだろうかと前々から気になっていた。 あわせて、以前、「ニセモノ」に騙されてしまった伏木峠の「本物」の地を訪れ、 |
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| ◆常盤峠についてはリンクさせて頂いている『岨道・峠道』様から情報提供をいただきました。 また、稲詰峠については事前に『サイクリストNORIさんの小さな旅』(現・散歩路・峠路〜小さな旅を自転車で〜)様から 現況を伺うことで安心して峠行を楽しむことができました。 ここに御礼申し上げます。 |
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吸い込む空気の冷たさが胸に凍みる川井駅のホームに 降り立った登山者はわずか数人。 みんな棒ノ折山を目指すらしい。 名坂峠への入口がある八桑のバス停まで歩いて80円の節約となった! |
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バスの終点、清東橋から大丹波川を渡り山道へ入る。 小沢沿いにワサビ田を見ながら山ノ神(?)の祠の前を通過して、 植林帯の中の面白味の無いウンザリする階段道で グイグイと高度を稼ぐと川苔山も顔を出す。 一旦、平坦な尾根に出て寒風の洗礼を受ける。 山頂は空が広い。 これから向かう「ノボリオイゾネ」方面に目を転じると、 |
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棒ノ折山の名の由来は畠山重忠が杖についていた 石の棒が折れたことによるらしい。 一説には重忠自身の一物(大事な部分)が 折れてしまったという話もある。 しかし、「棒」は「坊」の意味で「坊主」のことであり、 「ハゲ山」の意と取るのが素直な解釈か? 風を遮るものが無く、マフラーを顔に縦に巻いたまま、 棒ノ折山から東へ凍りついた木製の階段を下れば権次入峠。 |
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名栗側から登山道を登り岩茸石に合流するあたりを、 とあるガイドブックで「トウギリ峠」としていた。 「トウギリ」とは「湯基入」沢のことだと思うが、 一般的な呼び名である峠名かは不明だ。 黒山から、そのトウギリ峠方面を眺めると、 |
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黒山は別名を「常盤山」と呼ぶ。 大丹波側では「コカハヅル山」とも呼ぶらしい。 高水三山への分岐点であり、 南下すれば名坂峠を経て岩茸石山への縦走路となる。 ここは小沢峠方向(東)へ尾根を辿る。 ちょっとした岩場を下れば、 |
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尾根上の割には小広い平坦な場所もある。 植林されてはいるが「馬乗馬場」と呼ばれている所だろうか? 畠山重忠が馬術の稽古をしたという伝説もある。 この辺りにはサンカ伝説や常盤御前(源義朝の妾)伝説もあるらしい。 ザクザクと霜柱を踏みしめて尾根を進むと、 |
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小沢峠に向けての心地好い下り勾配の道が続く。 途中の689m峰には「長久保山」のプレートが取り付けられていた。 名栗側では「大クラ尾根ノ頭」と呼ぶらしい。 植林の切れ間から名栗川沿いの家並みが望める。 小沢峠手前に山之神らしき石祠と |
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再訪になる小沢峠から上成木へ下り、 以前、高水三山へ行った時に騙されたニセ伏木峠ではなく、 今回は本物の伏木峠を目指すことにする。 伏木橋を渡り、お地蔵様に安全を祈念してから伏木林道を進む。 |
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峠には石の祠が一基あり、 注連縄が張られ米俵が供えられていた。 米俵からは、お米が数粒こぼれ出ていたが、 鳥や鼠の手によって片付けられることだろう。 祠があるので、こちらが本当の伏木峠であるに違いない。 白岩集落から登りつめた雰囲気は |
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祠前の斜面に取り付き、 植林帯の尾根を辿り大指と二俣尾を結ぶ松ノ木峠へ。 松ノ木峠は今回訪れた峠の中では一番峠らしい峠である。 峠を越える道を歩いたわけではなく、 ◆後日、再訪問して松ノ木峠をちゃんと越えましたが非常に素晴らしい峠道です! |
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なんといっても行儀よく並んで、 旅人を出迎えてくれる四体の石仏が実に良い。 左から猿田彦、馬頭観音、千手観音、馬頭観音と思われる。 松ノ木峠は中世の鎌倉古道山ノ根の峠路で、 そんな峠の歴史や峠の果たしてきた役割など、 |
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松ノ木峠から「ノボリオイゾネ」と称する尾根を辿り、 次に茗荷峠、稲詰峠を目指します。 両峠の名前と存在を知ったのは、 訪れればわかりますが、 特別に展望が優れるわけでもなく、 茗荷峠は本の中で紹介されていた鞍部には |
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411m峰の夕倉山の三角点に腰掛けて、 最後の食料であるジャムパンをパクつき小休止。 尾根道沿いの杉の幹には、青、白、黄、赤など 稲詰峠は『青梅市史』の付図には、橋詰峠との記載があります。 |
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峠の様子を事前にNORIさんに伺ったところ、 峠には標識も何も無いということだったので、 手製のプレートを作り、勝手に取り付けてきました。(左写真) 場所が違っていたり、あるいは目障りだと思う方は 『青梅市史』に橋詰峠とあるので「稲詰峠(橋詰峠)」としておきました。 |
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稲詰峠からバス道に降りたのが午後三時。 まだ明るかったのでもう少し峠を欲張ろうと吹上峠、正木沢峠へ。 (本音はバス代を浮かして東青梅駅まで歩くのが目的だったりして・・・) 吹上トンネル入口にある四体の石仏の彫りは見事で あまり石仏のことばかり書くと、 |
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吹上トンネルは、平成のトンネルの上に、昭和のトンネルがあり、 さらにその上に明治のトンネルがあるという三層式トンネル構造です。 昭和のトンネルは通行止なのに電気が灯っていたのは なぜでしょうか?(電気代が勿体無い) ヘッドランプを取り出して、明治のトンネルに侵入しようとしましたが、 この明治のトンネルは青梅市内の道路トンネルとしては |
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明治のトンネル入口左手の斜面を強引に這い上がり、 山道上の吹上峠を探します。 川口浩探検隊が行くようなジャングルのような沢筋から尾根に出ると、 踏み跡があり、それを辿ると切り通し状の吹上峠に導かれました。 峠には何も無く、「鳥獣保護区」の赤い看板があるだけです。 吹上坂とも呼ばれ文政11年に成木の名主野崎家が 吹上峠は成木や北小曽木から産出される石灰の搬出路でした。 |
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さらに東に尾根を伝い、 『青梅市史』に名前のある正木沢峠に向かいます。 正木沢峠周辺は杉の植林帯で、 地形図を見ると北側の谷筋の道は暗く、深そうです。 |
| ここまで歩いてきたのだから、いまさらバスに乗るのも惜しいことです。 そこで、『青梅市史』に名前のある中山峠を見て東青梅駅まで歩くことにしました。 しかし、その中山峠ですが、とっくの昔に「多摩団地住宅」に飲み込まれていて、 今では「中山通り」という名前が残るのみでありました。 夕陽が沈む中、東青梅駅に向けてトボトボ歩いていると、 ただでさえ、この周辺は採石場とゴルフ場でズタズタになっているのに・・・ 体も心も冷えきったので、立川駅で朝食に食べそびれた温かいコロッケそばを食べて帰路に着きました。 |
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| 【*1】 最近この場所に「元祖・伏木峠」と書かれたテープが付けられたらしい。 ニセの方はどうなっているのだろうか?「本家・伏木峠」とあったらどうしよう。 以前、歩いた●ニセ伏木峠のレポを見る 【*2】 後日メールにて『青梅市史・付図』にある「橋詰峠」は「稲詰峠」の誤りであると御連絡を頂きました。 荒れてはいましたが峠道は生き残っていました。 ●その時のレポを見る。 ● 3度目の稲詰峠訪問レポを見る ● 2度目の吹上峠・正木沢峠訪問レポを見る。 【参考文献】 『青梅市史』・『新編武蔵国風土記稿』・『多摩百山』(守屋龍男)・『奥多摩』(宮内敏雄) * 文中の「トウギリ峠」は、『新ハイキング371号』では「白岩峠」となっていました。 |
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