幻の峠とノボリオイゾネの峠

権次入峠・常盤峠?・小沢峠・伏木峠・松ノ木峠・茗荷峠・稲詰峠・吹上峠・正木沢峠・中山峠

地誌『武蔵国風土記稿』の上成木村の項に、
「常盤峠、秩父郡名栗村の堺なり、村の西の限りなり」とある。

「常盤峠」とは一体どこに位置するのだろうかと前々から気になっていた。
いろいろ情報を収集することで当たりがついたので幻の峠を探し求めに現地を訪れることにした。

あわせて、以前、「ニセモノ」に騙されてしまった伏木峠の「本物」の地を訪れ、
そこから東にのびる「ノボリオイゾネ」と呼ばれている尾根に点在する峠を拾って歩くことにした。

  ◆常盤峠についてはリンクさせて頂いている『岨道・峠道』様から情報提供をいただきました。
   また、稲詰峠については事前に『サイクリストNORIさんの小さな旅』(現・散歩路・峠路〜小さな旅を自転車で〜)様から
   現況を伺うことで安心して峠行を楽しむことができました。 ここに御礼申し上げます。


道すがらの名坂峠入口

吸い込む空気の冷たさが胸に凍みる川井駅のホームに
降り立った登山者はわずか数人。

みんな棒ノ折山を目指すらしい。
バスの時間には間があるので先のバス停まで歩いて行くことにする。
体を寒さに慣らす暖機運転のためといいたいが、
実はバスの運賃を節約するためだ。

名坂峠への入口がある八桑のバス停まで歩いて80円の節約となった!
立川駅で立ち喰い蕎麦を食べそびれた為、朝食は抜きの状態。
空腹感に負けて、昼食用のスナック菓子の小袋を
バスが来るまでに食べてしまった。
しかし、いつもはクリームパン1個の食料に加え、
今日はジャムパンがあるので安心なのだ。
80円の節約はジャムパンの経費回収の為でもあった。
貧乏峠行のツライところだ。


棒ノ折山

バスの終点、清東橋から大丹波川を渡り山道へ入る。
小沢沿いにワサビ田を見ながら山ノ神(?)の祠の前を通過して、
植林帯の中の面白味の無いウンザリする階段道で
グイグイと高度を稼ぐと川苔山も顔を出す。

一旦、平坦な尾根に出て寒風の洗礼を受ける。
顔が霜焼けになりそうなのでマフラーで顔をグルグル巻きにして、
岩の混じる斜面をひと登りすると山頂に飛び出した。

山頂は空が広い。
今までの展望の乏しい植林帯の山道は、
山頂の空の広さを実感させる為の演出だったのか。
眺望は良好で、眼下に天目指峠や仁田山峠、豆口峠などの
奥武蔵の可愛い峠が眠る尾根筋がよく見える。
子の権現もその姿を認めることができる。
それらのむこうには関八州見晴台や顔振峠、ユカデも同定できる。
遥か彼方には日光男体山や女峰山まで遠望できる。

これから向かう「ノボリオイゾネ」方面に目を転じると、
標高は下がるいっぽうで、さらにその奥の丘陵地帯は
あんなに低かったのかと思うほどの貧弱さだ。


権次入峠

棒ノ折山の名の由来は畠山重忠が杖についていた
石の棒が折れたことによるらしい。
一説には重忠自身の一物(大事な部分)が
折れてしまったという話もある。
しかし、「棒」は「坊」の意味で「坊主」のことであり、
「ハゲ山」の意と取るのが素直な解釈か?

風を遮るものが無く、マフラーを顔に縦に巻いたまま、
クリームパンをパクつきエネルギーを補給する。
テルモスの紅茶が温かい。

棒ノ折山から東へ凍りついた木製の階段を下れば権次入峠。
昔、権次という人が尻餅をついたとか。
権次入峠は大丹波と名栗を結ぶ峠で、
関東ふれあいの道の案内板やベンチが設置されている。
名栗湖に向けては木製階段がのびている。


黒山(常盤山)

名栗側から登山道を登り岩茸石に合流するあたりを、
とあるガイドブックで「トウギリ峠」としていた。
「トウギリ」とは「湯基入」沢のことだと思うが、
一般的な呼び名である峠名かは不明だ。

黒山から、そのトウギリ峠方面を眺めると、
林道がかなり上部まで延ばされているようであり、
山肌が傷めつけられているのがわかる。


黒山を下った鞍部

黒山は別名を「常盤山」と呼ぶ。
大丹波側では「コカハヅル山」とも呼ぶらしい。
高水三山への分岐点であり、
南下すれば名坂峠を経て岩茸石山への縦走路となる。

ここは小沢峠方向(東)へ尾根を辿る。
しばらくは落葉林の明るい尾根道。
高水三山の向こうに雪をべったりつけた
富士の頭を望むことができる。

ちょっとした岩場を下れば、
かつて峠であったのではと思わせる植林帯の鞍部に辿り着く。
うーん、なんともいえないが峠のニオイがする・・・(左写真)


極指沢沿いの林道終焉地

尾根上の割には小広い平坦な場所もある。
植林されてはいるが「馬乗馬場」と呼ばれている所だろうか?
畠山重忠が馬術の稽古をしたという伝説もある。

この辺りにはサンカ伝説や常盤御前(源義朝の妾)伝説もあるらしい。
なによりも埋蔵金伝説が気にかかる。
埋蔵金の埋められた場所は黄金の地熱で雪が積もらないという。
雪の降った翌日に探索してみたいものだ。

ザクザクと霜柱を踏みしめて尾根を進むと、
極指の集落からのびてくる林道の末端と合流する。
あるいはこの辺が常盤峠なのかもしれない。


小沢峠手前の山神?の祠

小沢峠に向けての心地好い下り勾配の道が続く。
途中の689m峰には「長久保山」のプレートが取り付けられていた。
名栗側では「大クラ尾根ノ頭」と呼ぶらしい。

植林の切れ間から名栗川沿いの家並みが望める。
その背後の楢抜山は、けっこう岩がゴツゴツしているようだ。
まだ行ったことのない仁田山峠、天神峠あたりも今度歩いてみよう。

小沢峠手前に山之神らしき石祠と
寛政時代の「熊野三社大神」と刻まれた石塔があった。
注連縄が張られ手入れも行き届いている。
極指へ下る作業道も植林帯の中にのびている。
極指集落の人たちの守り神なのかもしれない。


伏木峠

再訪になる小沢峠から上成木へ下り、
以前、高水三山へ行った時に騙されたニセ伏木峠ではなく、
今回は本物の伏木峠を目指すことにする。

伏木橋を渡り、お地蔵様に安全を祈念してから伏木林道を進む。
林道はすぐ終了して小沢沿いの山道となる。
旅人には優しくない真直ぐにのびた爪先上がりの道で、
気休めに峠の直前で二、三カーブをして、
逆光の峠に立つことができた。


伏木峠に祀られている山神

峠には石の祠が一基あり、
注連縄が張られ米俵が供えられていた。
米俵からは、お米が数粒こぼれ出ていたが、
鳥や鼠の手によって片付けられることだろう。

祠があるので、こちらが本当の伏木峠であるに違いない。
しかし、ニセ峠のほうには歴とした標識があり、
昭文社『山と高原地図』でも白岩側の場所を伏木峠としている。

白岩集落から登りつめた雰囲気は
たしかに峠を思わせるものがあるので微妙だ。
はたしてどちらが真の伏木峠なのだろうか? 【*1】


松ノ木峠

祠前の斜面に取り付き、
植林帯の尾根を辿り大指と二俣尾を結ぶ松ノ木峠へ。

松ノ木峠は今回訪れた峠の中では一番峠らしい峠である。

峠を越える道を歩いたわけではなく、
峠そのものしか味わっていないので、
松ノ木峠の全体像はわからないけれど、とても趣のある良い峠だ。

◆後日、再訪問して松ノ木峠をちゃんと越えましたが非常に素晴らしい峠道です!


松ノ木峠の馬頭観音

なんといっても行儀よく並んで、
旅人を出迎えてくれる四体の石仏が実に良い。
左から猿田彦、馬頭観音、千手観音、馬頭観音と思われる。

松ノ木峠は中世の鎌倉古道山ノ根の峠路で、
秩父と鎌倉を繋ぐかつての主要交通路であったといいます。

そんな峠の歴史や峠の果たしてきた役割など、
また峠で旅人をひたすら待つ石仏のことなど気にすることもなく、
峠の下に穿たれたトンネルを自動車は走り抜けていきます。


茗荷峠

松ノ木峠から「ノボリオイゾネ」と称する尾根を辿り、
次に茗荷峠、稲詰峠を目指します。

両峠の名前と存在を知ったのは、
守屋龍男氏の著書『多摩の低山』、『多摩百山』によります。

訪れればわかりますが、
こんなコースを市販のガイドブックに載せるとは・・・
と思ってしまうほど非常にマイナーな渋いコースです。

特別に展望が優れるわけでもなく、
どちらかというと植林帯の中で面白味に欠け、
周辺には採石場もあるという敬遠したくなるようなコースです。
しかし、どういうわけか峠があるというだけで
足を踏み入れてしまいました。

茗荷峠は本の中で紹介されていた鞍部には
それらしき形跡が見当たらず、、
林業索道の残骸から少し登った所に、
南北に越える作業道らしき踏み跡があったので、
そこを峠と推定しました。 


稲詰峠

411m峰の夕倉山の三角点に腰掛けて、
最後の食料であるジャムパンをパクつき小休止。

尾根道沿いの杉の幹には、青、白、黄、赤など
様々な色のテープが巻かれています。
こんなコースでも訪れるハイカーは結構いるとみえます。

稲詰峠は『青梅市史』の付図には、詰峠との記載があります。
詰沢を詰めた所に位置するのだから
素直に「稲詰峠」でいいと思うのだが・・・
まさか、誤植ではないだろうな。


設置した峠名プレート

峠の様子を事前にNORIさんに伺ったところ、
峠には標識も何も無いということだったので、
手製のプレートを作り、勝手に取り付けてきました。(左写真)

場所が違っていたり、あるいは目障りだと思う方は
どうか移動、撤去処分をお願いいたします。

『青梅市史』に橋詰峠とあるので「稲詰峠(橋詰峠)」としておきました。
「橋詰峠」なんていう呼び方は本当にあるのでしょうか? 
【*2】


吹上峠入口の見事な石仏群

稲詰峠からバス道に降りたのが午後三時。
まだ明るかったのでもう少し峠を欲張ろうと吹上峠、正木沢峠へ。
(本音はバス代を浮かして東青梅駅まで歩くのが目的だったりして・・・)

吹上トンネル入口にある四体の石仏の彫りは見事で
一見の価値があります。

あまり石仏のことばかり書くと、
石仏マニアと思われていけませんが、
ひとりで峠道を歩いていると、
話しかける相手が石仏しかいないのです・・・。


明治期の吹上トンネル

吹上トンネルは、平成のトンネルの上に、昭和のトンネルがあり、
さらにその上に明治のトンネルがあるという三層式トンネル構造です。
昭和のトンネルは通行止なのに電気が灯っていたのは
なぜでしょうか?(電気代が勿体無い)

ヘッドランプを取り出して、明治のトンネルに侵入しようとしましたが、
天井から水滴がポツンポツンと滴る状態なので止めにしました。
(本当は怖くて足が前に進まなかったという噂も・・・)

この明治のトンネルは青梅市内の道路トンネルとしては
最古のものらしいです。
いろいろネット検索で調べてみると、
このトンネルは「心霊スポット」になっているようです。(怖!)


古・吹上峠

明治のトンネル入口左手の斜面を強引に這い上がり、
山道上の吹上峠を探します。
川口浩探検隊が行くようなジャングルのような沢筋から尾根に出ると、
踏み跡があり、それを辿ると切り通し状の吹上峠に導かれました。
峠には何も無く、「鳥獣保護区」の赤い看板があるだけです。

吹上坂とも呼ばれ文政11年に成木の名主野崎家が
開削したといいますが、それ以前より駄馬が通っていたらしいです。
地誌『武蔵風土記稿』によれば、「蛇石」という岩が峠付近に
あるそうですが一体どれでしょうか?

吹上峠は成木や北小曽木から産出される石灰の搬出路でした。
この小さな峠を多くの駄馬が越えて行ったのでしょう。


正木沢峠

さらに東に尾根を伝い、
『青梅市史』に名前のある正木沢峠に向かいます。

正木沢峠周辺は杉の植林帯で、
どこからかチェーンソーの音が鳴り響きます。
なんの変哲もない裏山の作業道といった感じです。
どんな歴史がある峠道なのか不勉強でわかりませんが、
吹上峠の補完的役割でも担っていたのでしょうか?

地形図を見ると北側の谷筋の道は暗く、深そうです。
素直に南側に下り、植林斜面につけられた踏み跡を辿ると、
吹上トンネルからの車道に合流しました。

ここまで歩いてきたのだから、いまさらバスに乗るのも惜しいことです。
そこで、『青梅市史』に名前のある中山峠を見て東青梅駅まで歩くことにしました。
しかし、その中山峠ですが、とっくの昔に「多摩団地住宅」に飲み込まれていて、
今では「中山通り」という名前が残るのみでありました。

夕陽が沈む中、東青梅駅に向けてトボトボ歩いていると、
「永山北部丘陵開発反対」の幟が寒風にはためいていました。
またひとつ丘陵が崩され、古い道が消えていくのかと思うと冷たい風が一層身に凍みます。

ただでさえ、この周辺は採石場とゴルフ場でズタズタになっているのに・・・
役目を終えた採石場の跡地は、ゴミの処分場になるのだろうか? 宅地になるのだろうか?
数年後、数十年後、青梅市周辺の丘陵の峠はどう変貌しているのでしょうか。
崩されてなくなるくらいなら、ヤブに埋もれて自然に戻るほうがずっといいのですが。

体も心も冷えきったので、立川駅で朝食に食べそびれた温かいコロッケそばを食べて帰路に着きました。

【*1】 最近この場所に「元祖・伏木峠」と書かれたテープが付けられたらしい。
    ニセの方はどうなっているのだろうか?「本家・伏木峠」とあったらどうしよう。

    以前、歩いた●ニセ伏木峠のレポを見る

【*2】 後日メールにて『青梅市史・付図』にある「橋詰峠」は「稲詰峠」の誤りであると御連絡を頂きました。
    取り付けてきた手製プレートには「稲詰峠(橋詰峠)」としてしまったので、すぐに撤収交換をしてきました。
    そのついでに稲詰峠から南側の峠道を下ってみました。

    荒れてはいましたが峠道は生き残っていました。  ●その時のレポを見る

● 3度目の稲詰峠訪問レポを見る

● 2度目の吹上峠・正木沢峠訪問レポを見る。

【参考文献】

『青梅市史』・『新編武蔵国風土記稿』・『多摩百山』(守屋龍男)・『奥多摩』(宮内敏雄)

* 文中の「トウギリ峠」は、『新ハイキング371号』では「白岩峠」となっていました。