旧秦野峠道を探る・3

(八丁側・ヘイソ沢遡行篇)

 旧秦野峠は山北町玄倉と松田町寄を結んでいた峠ですが
皆瀬川流域の八丁や人遠に暮らす人々の利用は無かったのでしょうか?
八丁や人遠から寄や虫沢、田代への連絡路としても秦野峠は利用されていたに違いありません。

山間に暮らす人々は物資の流通や人的交流の為には高く立ちはだかる尾根など
容易に乗り越える力強さと逞しさを持っていました。
外界との接触の渇望に比べれば、沢を詰め、ひとやま越えることなどなんてことはなかったのです。

今回は皆瀬川源流のヘイソ沢(兵僧沢、平僧沢)から秦野峠を目指します。
きっと古道の痕跡が発見されることでしょう。


県企画部発行の観光マップより

とある観光ガイドマップを見ていたら、
秦野峠を三方向から繋ぐ計画予定路線が描かれていました。
行政サイドが発行しているマップだっただけに不気味です。
厚木市の西山破壊のように手遅れになる前に訪れておく必要があります。

またこれとは別に、現在、林道八丁神縄線が延長工事中です。
八丁と大野山を結ぶ林道で、ブッツェ山稜南中腹の破壊が進められています。
この林道工事がどの程度まで進められているかも気になるところです。

【コース】

八丁--ヘイソ沢--新秦野峠--ブッツェ分岐--p866--ブッツェ峠--ブッツェ平(日影山・日影沢山)--<仮称>人遠北尾根--人遠


『丹沢の山と渓』(昭和27年・山と渓谷社)の「皆瀬川」の説明文に以下の記述があります。

「八丁から上流はヘイソ沢と呼ばれ、今まで深く切れ込んでいた谷は河床が上がり、
道は細々したものとなるが明瞭で、八丁を出ると直ぐ右手(左岸)からトンキン沢が高松山西北方から落合い、
続いてクラミ沢を右手から合す。
細い道を沢通し進んで杉ノ沢を左に見、岩石のゴロゴロしたガラン沢出合につく。
右の沢が本流で、間もなく数年前から炭焼小屋の出来たヘイソ平に着く。
この辺りでは水流も細くなり、源流近い感がする。
これから道は踏み跡の様になるが沢筋は少しの悪場もなく、ぐんぐん遡行できる
行手にスズタケとカヤトの尾根が迫ると沢は小さく幾つかに分岐するのを構わず東に向かって山肌を登る。
図上、秦野峠から南微東にのびる尾根を破線路が乗越している鞍部に達するのである。」

関東大震災までは八丁からヘイソ沢を詰め、尾根を乗越して寄村側杉ノ沢に下る道があり、
馬が通った由だが、
現在この鞍部の寄村側は絶壁の様に薙ぎ落ちた崩土地帯で、
見るからに荒々しい地肌は一木一草すら止めていない。」

「尾根筋は割にハッキリと踏まれてあり、之を辿って北微西に登る。
深いスズタケとカヤトを分けて進むと、秦野峠南の小頭で小さなガレ場を横切り、潅木帯を僅か下れば
秦野峠で寄村から玄倉に通じる径路が走っている。」

また、『丹沢山塊』(昭和17年・登山とスキー社ハイキングペンクラブ)の
「平僧澤-秦野峠-神縄」の説明文に以下の記述があります。

「いよいよツメになって来た。前面は一連の壁峡となってをり、それを抱く様にして二股となる。
即ち左が平僧澤(一説には僧兵澤)である。
此処は最も注意を要する所で、現在では地図の点線径はないから、
右股に這入る様な気持で前面の壁の上に出れば、其処は蕗の密生地帯、広やかな平僧平で、
僅かな踏み跡のある稜線を左へ注意して辿る。
この辺の地形は一寸面倒で、杉ノ澤のツメが秦野峠の北の山頂へツメ上り、
田代澤のツメが杉ノ澤へ喰い込んで来ているのである。
峠へ降るには、今居る稜線から右手杉ノ澤のツメの右岸に大木を探す・・・・」

 

両文献を比べると、『丹沢の山と渓』では現在の林道が越える新秦野峠付近に、
『丹沢山塊』では現地形図の「秦野峠」表示の西、p866の「8」付近に遡行終了点を求めたように窺えます。
とにもかくにも古い時代の文献で当てにはなりませんが、ヘイソ沢沿いに道があったことだけは確かなようです。
心強い一文を得て、いざヘイソ沢から秦野峠へ!

 人遠〜八丁〜ヘイソ沢径路入口

 天気予報はこの冬一番の寒さを予告していた。
路面のバリバリ凍結を警戒して、どこにも行く予定はなかったが澄み渡る青空の誘惑に負けてしまった。
出発が遅れた為、人遠集落到着は11時。 人遠橋の先、道幅が広くなる坂道に車を乗り捨てる。

八丁に向けて、しばし爪先上がりの里道を歩く。
八丁橋を渡って左手に山道への階段あり、北ノ沢左岸に山道あり25新秦野線、馬頭観音・道祖神・集会所、
宮沢左岸に山道あり26新秦野線、などなど頭の中に周辺の様子をインプットしながら八丁へ。


山峡集落「八丁」


林道八丁神縄線分岐とゲート

八丁(八町)は、なぜ八丁というか気になっていたが、人遠より八丁の距離にあるから、
あるいは山北地区より一里八丁の距離にあるからそう呼ばれるようになったらしい。
昔、八丁では村に病人が出ると駕籠に乗せて、村の人たちが交替しながら担いで町の医者まで運んだそうだ。
八丁から山北の町まで一時間半ほどかかったという。

山峡の小集落はNHK『小さな旅』の曲が似合いそうな佇まいである。
入り組んだ山襞の奥に隠れるように集落はある。
後醍醐天皇やその后が住んだとか、河村城の落人が住み着いたとか云われている。

八丁の花屋敷という場所には護良親王の后が12人住んでいたとの言い伝えがあり、
そのために八丁には美人が多いそうである。
「八丁美人に 人遠男」という言葉が地元には残っている、しかし、美人はおろか人の姿を見かけない。

これから辿るヘイソ沢上流の「ヘイソダイラ(兵僧平)」には、親王を守っていた僧兵が住み、
人遠の近くの「オウジヤシキ」には皇子が住んでいたとの伝説も残る。
謎めいた歴史と伝説に彩られた山峡集落である。

見るからに平和そうな集落ではあるが、
過去幾度となく水害に見舞われ土地を離れて行った者が少なくない。
皆瀬川の「皆瀬」は「水無し」が語源であるらしいが、とうとうと澄んだ美しい水が流下している。
しかし、自然は時に荒れ狂い、清らかな流れが人家を襲う激しい濁流に豹変することがあるのだ。
自然災害から人間やその財産を守るため、治山・治水工事は欠くことができず、
巨大堰堤の構築や緑のダムである森林を整備をするために必要不可欠な大規模林道を開発することは
当然なのである!と、たまには開発側の理屈で意気込んでみたがダメだ、続かない・・・

林道八丁神縄線ゲートは閉ざされていて一般車の通行は出来ない。
目下、林道延長工事が爆進中であるらしく、工事車両が一台ゲートを開けて通過して行った。
将来的には大野山、イヌクビリ、熊山からの林道と接続するらしい。

なぜか見えにくい所ばかりで丹沢の開発は進む。
気がつくと、いたるところ山腹は林道に蝕まれ、厚木の西山は消えて無くなり、
大山に新設ロープウェイが完成し、第2東名が貫通しているということになりゃしないかと心配する。


可愛いポニー


イノシシの毛皮を干す

林道分岐点には、なぜかポニー牧場があったりする。
ヤギやウコッケイの姿もあり、乗馬料金は300円とある。
こんな山の奥までお客さんがやって来るのだろうか?と、余計な心配もしてしまいます。
林道開通後の観光地化を見込んだ先行投資事業なのかなぁ?

奥にはヤマメの養殖場やロッジ風の建物があります。
私有地内のようですが皆瀬川の流れに沿ってズンズンと進みます。
最奥の養殖小屋で第一村人と遭遇。
「こんにちは」と挨拶して進みますと、イノシシの皮なんぞが干してあり、
都会の物干し風景とは大違いであります。

山道の入口に「入山者 全面通行止め 落石アリ」の看板、無視して進むと堰堤があり、
綺麗な水をヤマメの養魚水槽に導く水路があります。
どうやって堰堤を越えようか思案していると、先の第一村人が背後から現われ、
「水が汚れるからこの先に入らないで欲しい」とのこと。

私有地内らしいので反論もできず、水利権を持たない余所者は忠告に従うのみ。 
すぐ左上の土手に林道が見えるので這い上がり、しばし舗装路を歩かされます。


ワリ沢(割沢、遠近沢)出合


クラミ沢径路入口

そして再び沢に下降して、ワリ沢(割沢、遠近沢)の出合へ。
風に揺れるスズランテープあり。誰か物好きな人がこんな小さな支沢を遡行しているのだろうか。
『山と高原地図』では「ワリ沢」だが、山北町の観光マップでは「遠近沢」となっている。
(「遠近」は「トンキン」と読むらしい)

出合から左手の土手にある階段で林道へ上がる。
「みんなで守ろう緑のたから」の看板とカーブミラーのある地点だ。
正面の山側には木製階段が設置されている。
チョット待てヨ、今見た出合はクラミ沢か?(読図が混乱してきたゾ)


「クラミ沢経由高松山」の手作り標識


ヘイソ沢径路入口

ずっと水際を歩いて、ヘイソ沢径路の入口まで行くつもりだったが、時間ロスだし、
すぐ脇に林道があるので素直に林道を歩くことにした。
林道を進むと右手に川に架る丸太橋があり、渡ってみると「25火の用心 新秦野線27」の標識と
手作りの「クラミ沢経由高松山」の小さな標識があった。
こちらからも高松山への登路があるようだ、いずれ探索してみたいものだ。

八丁、人遠の人々が虫沢や田代と交流があったとしたら、
秦野峠などから行かずにダイレクトに高松山を越えて行った方が近かったに違いない。
以前、ビリ堂の案内板で見た「花女郎路」という嫁取りの道もワリ沢やクラミ沢沿いの尾根が
使われたことだろう。

林道八丁神縄線が大きく向きを変える鋭角コーナーに、ヘイソ沢径路の入口がある。
ここにも「みんなで守ろう緑のたから」の看板があり、巣箱が立木に括り付けられている。
林道から山道に入ってすぐ左手から流入する小沢に、高さ15m程の滝があり、
マイナスイオンが訪問者を迎えてくれる。

林道工事の施行者が設置した狩猟者向けの注意看板がある。
ヘイソ沢径路は猟師に歩かれている道らしい。


しばらく右岸沿いに立派な道あり

しばらくは右岸に平坦な道が続く。
立派過ぎる道であるが、古道の趣を感じ取ることができ、これなら炭俵を背に積んだ馬も歩けただろうと思う。
しかし、快適な道は直ぐに終わりを告げ、怪しげな丸太橋で対岸に渡りヘイソ沢最初の堰堤である
第1堰堤が行く手を阻むのである。

 ヘイソ沢堰堤群遡行〜新秦野峠


第1堰堤上の一ノ沢出合

第1堰堤は右手から。
トラロープが設置された岩混じり尾根の巻き道で通過する。
堰堤を越える高さ以上に尾根は続きトラロープものびているが
堰堤さえ越えられればいいので適当な所で堰堤上に出る。

(しかし、帰宅してからじっくり地図を見ると左岸の高い位置に
古道を示す破線は記されていた。
トラロープを最後まで登って確認すべきであったかもしれない)

第1堰堤の上は広い河原で、左手より一ノ沢が流入する。
本流は右手を行く。


第1堰堤上から続く踏み跡

人の歩いた踏み跡は容易に見つけることはできる。
トラロープといい、猟師によく歩かれている道なのかもしれない。
「測」、「径」などと書かれた黄色のプラ杭も目印となる。

第2堰堤、第3堰堤と続くが、左手から難無く越えることができる。
第4堰堤も左手から通過。
左側のヒノキ林に作業道らしきものや林班案内板が見られる。

踏み跡は次第に怪しくなり、ヤブ気味になってくるが、
流れに沿って進路は明瞭。


第5堰堤二段目は
この倒木を利用して越えるのだが・・・・

二段式の第5堰堤はヘイソ沢堰堤群の中では最難関。
一段目は問題無いが、二段目の通過が難しい。
大きく高巻けば問題無いのかもしれないが、
堰堤基部から左側面を直接乗り越えるのは一苦労だ。
基部左側面に立てかけられた倒木を利用し、
木の根や蔓を握り体を確保し、バランスよく通過しなければならない。

第5堰堤を乗り越えると残置の黄色ナイロンテープが
切れ切れになって散乱していた。
ここを通過する人は皆苦労しているようだ。

難関通過の御褒美なのか
左手には20mぐらいの見事な滝が落ちている。


小滝のある第6堰堤

時折、笹ヤブの通過もあるがダニが取り付くことも無く、
穏やかな流れに沿って溯上は続けられる。

堰堤前に小滝のある第6堰堤は右手のヒノキ林から越える。
炭焼き釜の石積みの跡も残る。
堰堤上の足場が悪いので少し大きめに巻いて通過。
通過中次の第7堰堤が目に入る。

第7堰堤は左手のスギ林側より巻く。
大きめに巻かないと堰堤上部の降り口が崩壊しているので危険である。
堰堤上の河原への着地は木に掴まりながらの垂直下降。
降り立つと箱庭を流れるような綺麗な小川の流れとなる。
休憩するには良いポイント。


穏やかな流れ
空がだんだんと近づいてくる

すぐに現われる第8堰堤は左手から。
青ザレの斜面がいつ崩れてもおかしくないので
やや大きめに巻き越える。

空がだんだんと近付き稜線到達が近いことを感じる。
左上方には林道秦野峠線が見えてきている。
遡行に危険を感じたり、行き詰まってしまった場合は
林道に逃げればよいので精神的には楽である。

あえて意識的に林道側とは逆の右側(左岸)に古道の痕跡を探す。
右手の土手に上がりスギ林の中を行く。
所々に青いビニールヒモが結ばれているが林業用目印のようだ。
土手上はブッシュがひどく夏場は歩けないだろうし、歩きたくもない。


第九堰堤左岸に旧峠道の掘割状の痕跡

杉林の中に石積みや幾つかの炭焼きの釜跡が残る。
この辺がかつて炭焼き小屋があったというヘイソ平だろうか?

わりと新しく大きな第9堰堤は右手から越えるが、
旧峠道らしき掘割状の道が現われる。

昔の峠道は馬も通った道だったというから、
これは旧峠道に違いない。
道幅といい、勾配といい、馬でも歩けそうだ。
この道は第9堰堤を越えて、右からの涸沢堰堤合流部で消えてしまう。


第9堰堤上で休憩
山肌に強引に付けられた林道秦野峠線を見る

第9堰堤を越えた所で食事休憩。
山腹に強引に付けられた林道秦野峠線を眺めながら、
稲荷寿司と塩せんべいで空腹を満たす。

ここから沢筋は4方向に分かれる。
四つの沢筋の内で右から数えて二つ目の沢だけ堰堤が無いので、
この沢筋を進むことにする。

水の流れは無く、涸れた沢でややブッシュ気味。
目印は無いが行き詰まったら第9堰堤上まで戻り、
左手のヘイソ沢本流(?)かもしくは林道に上がればよい。
(林道下部は城壁のようにコンクリで固められているので
簡単に登れないかもしれないが・・・)


丁度、標識の裏に飛び出した

右から二つ目の水涸れの沢を進み、
進行右手の土手に植林地が現われた所で土手に上がってみる。
これは歩きやすいのでしばらく進むと
前方に石積み(鹿柵?)らしきものが見える。
その前を涸れたゴロ沢が横走りするが、
沢上はブッシュで通過できないので植林地内を歩いて高処を目指す。
気持ち的にはダルマ沢ノ頭方向に突き上げている感じである。

途中ブッシュの途切れた涸れゴロ沢を横断し、
最近人の手の入った(枝打ちされた)
ヒノキの幼木の小枝が散乱する斜面方向に軌道を修正する。

幼木林と成長林の林班境に薄い踏み跡があるのでこれを辿る。
林業の手が入っているので、これを登り詰めれば
林道上付近に出るに違いないと確信する。

飛び出した所は新秦野峠からジダンゴ山へ向かうときの
山道の登り口で標識のある地点であった。
ほぼ予想通りで満足満足♪


新秦野峠からヘイソ沢の谷を見下ろす (皆瀬側)


新秦野峠から杉ノ沢の谷を見下ろす (寄側)

新秦野峠から皆瀬側の谷であるヘイソ沢を見下ろし、
そして以前歩いた逆方向の寄側の谷である杉ノ沢を見下ろす。
これでなんとか二つの谷が繋がったことになる。

昔の人が辿った正確な古道の道筋は解明できなかったが満足できる遡行であった。
ヘイソ沢は堰堤がヤカマシイのが難点ではあるが、
厳しい急登も無く、ダニの棲息する密ヤブも無い。
緩やかな傾斜と穏やかな流れ、支流にかかる滝、
そして人に出会うことの無い静かな山歩きと古道へのロマン、
登路としては十分利用価値があるのではないだろうか。

◎下降路としては堰堤通過が危険なので不向きといえる。

 新秦野峠〜p866


ブッツェ分岐の下にある標識
玄倉側の田代沢の詰めに当る

新秦野峠から「檜岳・雨山」の標識に従ってブッツェ分岐に向かう。
登山者に評判の悪い両側を鹿柵に挟まれた細い道を
しばらく進まなければならない。
もし正面からイノシシでも突っ込んできたら
どうやって逃げればよいのだろうか?
両サイドは鹿柵だから後退するしかないぞ。

ブッツェ分岐から旧秦野峠方向に一段下がったところに
「←ジダンゴ山・秦野峠→」の道標がある。
この部分が玄倉側の田代沢の詰めであり、
旧秦野峠よりも地形的には峠らしくもある。


玄倉側に踏み跡が残る
また直上する尾根にも踏み跡あり

ちょうど地形図の「秦野峠」の「秦」の字の左部分である。
田代沢側に玄倉に向けて踏み跡が残る。
また正面の直上する尾根にも踏み跡がある。
直上する尾根道は地形図に載っている破線で、
小豆畑沢と田代沢に挟まれたp1086の西尾根を利用して
塔ノ平に向かうものである。

下部に送電鉄塔があるので
巡視路として生きている道なのかもしれない。
このp1086西尾根の道も旧秦野峠道であるには違いないが、
手持ちの1988年版の『山と高原地図』では田代沢沿いに
塔ノ平に向かう赤破線道が描かれている。

それには赤字の注意コメントが付記されており、
「塔ノ平-秦野峠間の登山道は崩壊箇所が多い。通行注意。また夏期はヤブがひどく迷いやすい」
と書かれている。

田代沢右岸上部は崩壊が激しく沢筋はいたるところでザレている。
ブッツェ分岐からp866へ向かう途中でよく観察したが古道の石積みを遠望することは出来るものの
通行は難しく危険に思える。 また、田代沢下部から塔ノ平は現在の林道とほぼ同一上と思われ
既に道形は消えてしまったと推測される。

次回の「旧秦野峠道を探る・4」では
“玄倉から塔ノ平の小菅沢右岸山腹道”と“塔ノ平からp1086の西尾根”を探索してみようと思う。


気持ち良い場所 p866

ブッツェ分岐からブッツェ平を目指してp866を踏む。
p866は樹林の中の素敵な場所。
今まであった笹ヤブのうっとうしさも無い。
展望に優れ休憩するには良い場所。

お湯でも沸して温かいコーヒーを一杯やりたいところだが、
凍りつきそうなペットボトルのウーロン茶しか
持ち合わせていないのが残念。


p866付近から玄倉集落方向を望む
林道秦野峠線上の斜面に「玄倉-塔の平-旧秦野峠」を結んだ道があるはず

p866からブッツェ峠に向かう途中で展望が開ける。
ミツバ岳に権現山、戸沢ノ頭から大杉山と眺望に優れる。
まだまだ行ったことのない山が無数にある丹沢は一生涯楽しめるエリアである。

● ブッツェ峠〜ブッツェ平〜人遠北尾根


ブッツェ峠

p866から下降してブッツェ峠に降り立つ。
北東からなにやら厚い雲が忍び寄る。
雪雲が接近しているようだ。
「ブッツェ」という響きが「ビュッフェ」に似ていて小腹が空いた。
ここらでアップルパンをムシャムシャとエネルギーを補給。

ブッツェ峠という峠は、林道開通以前からあったものだろうか?
古い文献では目にしたことがない。

林道開通後の1999年版『山と高原地図』に
お目見えしたのが最初だろうか?
峠からブッツェ平(日影山)に向かうと
すぐに左(南)への分岐道がある。
これが旧峠道なのか?

明治期の迅速図を見ると八丁から小菅沢側(玄倉)へ越える
道が確認されるから道自体はあったようだ。
果たしてそれが「ブッツェ峠」という峠名であったかは定かではない。


日影山の標識

日影山への登りは岩混じりの尾根を登る。
吹きつける風が冷たくフードをスッポリ被らなければヤッテられない。
日影山という名前のせいではないだろうが
空がだんだんと暗くなってきたし、寒さが身にしみる。

山頂は山頂らしくなく、平というほど平とも思えない。
でもまぁ、のっぺりとはしている。
北側が植林で南側は潅木林といった感じ。
鹿柵の近くに三角点があり、破損した山名プレートが掛けられていた。

ブッツェ平の「ブッツェ」は「武士」が訛ったものであるという。
もともとは「武士平」で南北朝時代の河村城の合戦の残党が
隠れ住んだとも云われている。
ヘイソ平の「兵僧」といい、ブッツェ平の「武士」といい、
血生臭いネーミングではある。
でも個人的には「ブッツェ」は「ブッシュ」の誤記ではないかと
ひそかに思うのだがどうだろうか?

「日影山」という呼び名は玄倉側の呼称であろうか。
玄倉の南に位置するこの山は太陽の光を遮ったに違いない。


ウッ!Mさんコンニチハ!

ブッツェ平からp772へ向かう尾根はひとけの無い寂しい尾根だが
左右の展望が優れている。
丹沢湖も普段見慣れない角度から眺めると新鮮である。

ひどい笹ヤブの道かと思ったが非常に歩きやすい。
所々、テープのマーキングもある。
途中、ピンクのテープは日影山の南p687へ向かう分岐だろうか?
真っ赤なテープは林業用らしく意味不明である。

日が傾き始めて不安になってきた頃、
黄色テープに「病気コース」の文字を発見。 (笑!)
このサインはMさんだ。
不安になってきた気持も消え去り、精神的にホッとする。


背丈を越す笹ヤブ突入前の分岐
ここを左折して人遠北尾根

「病気コース」のテープから少し進んだところに分岐がある。
正面は背丈を越す笹のトンネルである。
きっとここからが本格的な「病気」なのだろう。

「病気」に感染しては大変なので
p772のチョット手前ではあるが左に分岐する道を選択する。
巻き気味にp772の南尾根(人遠北尾根)に乗る筈である。

上手い具合に植林帯の山腹に沿って作業道が続いている。
あとはp549手前の送電鉄塔を目指せばいいのだ。


林道八丁神縄線はガンガン工事中
ブッツェ平南方のp687を回り込んだ所

途中、植林の隙間から林道八丁神縄線の工事現場が見える。
ブッツェ平南方のp687を回り込んだ辺りで、
ガンガンと山肌を砕いている。

この林道は斜面の斜度がキツイ部分に強引につけている為か
法面(山側の側壁面)の破壊が目立つ。
擁壁が高い分、遠目からでも目障りである。

いずれp772の南尾根(人遠北尾根)を分断して
大野山、イヌクビリ峠、笹峠からのばされている林道と
接続するのであろう。

林業の振興や自然災害の防止に役立てばいいのだが、
代償が大きいような気もする。
皆瀬川の清らかな流れはいつまでも残して欲しいものだ。


p772方向を振り返る
尾根の真上は笹の海で歩行不可能

送電鉄塔24の手前でp772方向を振り返ると、
尾根の真上は笹の海であることがわかる。
東側山腹を巻いて進んで来たことが納得できる。

送電鉄塔からはp549への踏み跡もあるが、
送電線巡視路である西側の巻き道を下り人遠集落を目指す。
赤松混じりの植林帯を抜けて小さな茶畑が現われると
集落の裏山となる。

「人の世から遠い」と書いて「人遠(ひとどお)」。
哀愁を帯びた集落名である。


「人遠」集落に到着

皆瀬川を丸木橋で渡り路上に出ると、
乗り捨てた車の10メートル後方(人遠橋の袂)であった。
これで今回の探索は終了。
人の姿が無い人遠の路上でパンツ一枚になり着替えていると
上空から雪が舞ってきた。

人遠で見る雪は情緒があるなぁ〜などと余裕をかましていたら、
松田町、二宮町を通過する頃には猛吹雪となってしまった。
海岸沿いの国道134号線ではフロントガラスに雪が叩き付く有様。

あと一、二時間雪が降るのが早まっていたら、
山中で凍死していたかもしれない。
本当に人の世から遠い世界に行ってしまうところであった。

【参考文献】

人遠・八町の歴史 → 『山北町史・民俗篇』(山北町)、『西丹沢の民俗』(東京教育大学民俗学研究会)
ブッツェ平の名の由来 → 『かながわ山紀行』(植木知司・かもめ文庫)

【注意】

◇八丁からは林道を歩いてヘイソ沢径路入口まで行った方がよい。
 林道選択ではなく、そのままロッジ、ヤマメ養殖場方向への進入は私有地内となるらしい。犬にも吠えられる。
◆ヘイソ沢は堰堤通過に危険箇所もあり細心の注意が必要です。
 下降路には適さず、登り専用ルートとしての使用がよいでしょう。
◇p772の南尾根(人遠北尾根)は上部は林業作業道、下部は送電線巡視路で明瞭な道が付けられています。
 ただ人遠から登る場合は集落の裏山付近がわかりにくいかもしれません。
 (人遠橋→丸木橋→廃屋→24巡視路の標識→お墓→手入されていない果樹林→小さいジグザグ道→茶畑→植林内の道→鉄塔)
◆日影山はのっぺりしているので方向感覚を失いやすいです。意図不明のマーキング類にだまされないように。
◇p772からp549そして人遠に続く尾根の正式名は不明。とりあえずp772南尾根または人遠北尾根と仮称することにしました。
 p772は「ケボラ頭」(ケボ沢ノ頭?)とする資料もあるが正式名は不明。

【感謝】

皆瀬川流域の山々を歩くに当ってdnさん、s-okさん、より情報を頂きました。 ありがとうございました。