★ 旧秦野峠道を探る・3
(八丁側・ヘイソ沢遡行篇)
| 旧秦野峠は山北町玄倉と松田町寄を結んでいた峠ですが 皆瀬川流域の八丁や人遠に暮らす人々の利用は無かったのでしょうか? 八丁や人遠から寄や虫沢、田代への連絡路としても秦野峠は利用されていたに違いありません。 山間に暮らす人々は物資の流通や人的交流の為には高く立ちはだかる尾根など 今回は皆瀬川源流のヘイソ沢(兵僧沢、平僧沢)から秦野峠を目指します。 |
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とある観光ガイドマップを見ていたら、 秦野峠を三方向から繋ぐ計画予定路線が描かれていました。 行政サイドが発行しているマップだっただけに不気味です。 厚木市の西山破壊のように手遅れになる前に訪れておく必要があります。 またこれとは別に、現在、林道八丁神縄線が延長工事中です。 |
【コース】
八丁--ヘイソ沢--新秦野峠--ブッツェ分岐--p866--ブッツェ峠--ブッツェ平(日影山・日影沢山)--<仮称>人遠北尾根--人遠
『丹沢の山と渓』(昭和27年・山と渓谷社)の「皆瀬川」の説明文に以下の記述があります。
| 「八丁から上流はヘイソ沢と呼ばれ、今まで深く切れ込んでいた谷は河床が上がり、 道は細々したものとなるが明瞭で、八丁を出ると直ぐ右手(左岸)からトンキン沢が高松山西北方から落合い、 続いてクラミ沢を右手から合す。 細い道を沢通し進んで杉ノ沢を左に見、岩石のゴロゴロしたガラン沢出合につく。 右の沢が本流で、間もなく数年前から炭焼小屋の出来たヘイソ平に着く。 この辺りでは水流も細くなり、源流近い感がする。 これから道は踏み跡の様になるが沢筋は少しの悪場もなく、ぐんぐん遡行できる。 行手にスズタケとカヤトの尾根が迫ると沢は小さく幾つかに分岐するのを構わず東に向かって山肌を登る。 図上、秦野峠から南微東にのびる尾根を破線路が乗越している鞍部に達するのである。」 「関東大震災までは八丁からヘイソ沢を詰め、尾根を乗越して寄村側杉ノ沢に下る道があり、 「尾根筋は割にハッキリと踏まれてあり、之を辿って北微西に登る。 |
また、『丹沢山塊』(昭和17年・登山とスキー社ハイキングペンクラブ)の
「平僧澤-秦野峠-神縄」の説明文に以下の記述があります。
| 「いよいよツメになって来た。前面は一連の壁峡となってをり、それを抱く様にして二股となる。 即ち左が平僧澤(一説には僧兵澤)である。 此処は最も注意を要する所で、現在では地図の点線径はないから、 右股に這入る様な気持で前面の壁の上に出れば、其処は蕗の密生地帯、広やかな平僧平で、 僅かな踏み跡のある稜線を左へ注意して辿る。 この辺の地形は一寸面倒で、杉ノ澤のツメが秦野峠の北の山頂へツメ上り、 田代澤のツメが杉ノ澤へ喰い込んで来ているのである。 峠へ降るには、今居る稜線から右手杉ノ澤のツメの右岸に大木を探す・・・・」 |
| 両文献を比べると、『丹沢の山と渓』では現在の林道が越える新秦野峠付近に、 『丹沢山塊』では現地形図の「秦野峠」表示の西、p866の「8」付近に遡行終了点を求めたように窺えます。 とにもかくにも古い時代の文献で当てにはなりませんが、ヘイソ沢沿いに道があったことだけは確かなようです。 心強い一文を得て、いざヘイソ沢から秦野峠へ! |
● 人遠〜八丁〜ヘイソ沢径路入口
| 天気予報はこの冬一番の寒さを予告していた。 路面のバリバリ凍結を警戒して、どこにも行く予定はなかったが澄み渡る青空の誘惑に負けてしまった。 出発が遅れた為、人遠集落到着は11時。 人遠橋の先、道幅が広くなる坂道に車を乗り捨てる。 八丁に向けて、しばし爪先上がりの里道を歩く。 |
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| 八丁(八町)は、なぜ八丁というか気になっていたが、人遠より八丁の距離にあるから、 あるいは山北地区より一里八丁の距離にあるからそう呼ばれるようになったらしい。 昔、八丁では村に病人が出ると駕籠に乗せて、村の人たちが交替しながら担いで町の医者まで運んだそうだ。 八丁から山北の町まで一時間半ほどかかったという。 山峡の小集落はNHK『小さな旅』の曲が似合いそうな佇まいである。 八丁の花屋敷という場所には護良親王の后が12人住んでいたとの言い伝えがあり、 これから辿るヘイソ沢上流の「ヘイソダイラ(兵僧平)」には、親王を守っていた僧兵が住み、 見るからに平和そうな集落ではあるが、 林道八丁神縄線ゲートは閉ざされていて一般車の通行は出来ない。 なぜか見えにくい所ばかりで丹沢の開発は進む。 |
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| 林道分岐点には、なぜかポニー牧場があったりする。 ヤギやウコッケイの姿もあり、乗馬料金は300円とある。 こんな山の奥までお客さんがやって来るのだろうか?と、余計な心配もしてしまいます。 林道開通後の観光地化を見込んだ先行投資事業なのかなぁ? 奥にはヤマメの養殖場やロッジ風の建物があります。 山道の入口に「入山者 全面通行止め 落石アリ」の看板、無視して進むと堰堤があり、 私有地内らしいので反論もできず、水利権を持たない余所者は忠告に従うのみ。 |
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| そして再び沢に下降して、ワリ沢(割沢、遠近沢)の出合へ。 風に揺れるスズランテープあり。誰か物好きな人がこんな小さな支沢を遡行しているのだろうか。 『山と高原地図』では「ワリ沢」だが、山北町の観光マップでは「遠近沢」となっている。 (「遠近」は「トンキン」と読むらしい) 出合から左手の土手にある階段で林道へ上がる。 |
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| ずっと水際を歩いて、ヘイソ沢径路の入口まで行くつもりだったが、時間ロスだし、 すぐ脇に林道があるので素直に林道を歩くことにした。 林道を進むと右手に川に架る丸太橋があり、渡ってみると「25火の用心 新秦野線27」の標識と 手作りの「クラミ沢経由高松山」の小さな標識があった。 こちらからも高松山への登路があるようだ、いずれ探索してみたいものだ。 八丁、人遠の人々が虫沢や田代と交流があったとしたら、 林道八丁神縄線が大きく向きを変える鋭角コーナーに、ヘイソ沢径路の入口がある。 林道工事の施行者が設置した狩猟者向けの注意看板がある。 |
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| しばらくは右岸に平坦な道が続く。 立派過ぎる道であるが、古道の趣を感じ取ることができ、これなら炭俵を背に積んだ馬も歩けただろうと思う。 しかし、快適な道は直ぐに終わりを告げ、怪しげな丸太橋で対岸に渡りヘイソ沢最初の堰堤である 第1堰堤が行く手を阻むのである。 |
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● ヘイソ沢堰堤群遡行〜新秦野峠
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第1堰堤は右手から。 トラロープが設置された岩混じり尾根の巻き道で通過する。 堰堤を越える高さ以上に尾根は続きトラロープものびているが 堰堤さえ越えられればいいので適当な所で堰堤上に出る。 (しかし、帰宅してからじっくり地図を見ると左岸の高い位置に 第1堰堤の上は広い河原で、左手より一ノ沢が流入する。 |
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人の歩いた踏み跡は容易に見つけることはできる。 トラロープといい、猟師によく歩かれている道なのかもしれない。 「測」、「径」などと書かれた黄色のプラ杭も目印となる。 第2堰堤、第3堰堤と続くが、左手から難無く越えることができる。 踏み跡は次第に怪しくなり、ヤブ気味になってくるが、 |
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二段式の第5堰堤はヘイソ沢堰堤群の中では最難関。 一段目は問題無いが、二段目の通過が難しい。 大きく高巻けば問題無いのかもしれないが、 堰堤基部から左側面を直接乗り越えるのは一苦労だ。 基部左側面に立てかけられた倒木を利用し、 木の根や蔓を握り体を確保し、バランスよく通過しなければならない。 第5堰堤を乗り越えると残置の黄色ナイロンテープが 難関通過の御褒美なのか |
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時折、笹ヤブの通過もあるがダニが取り付くことも無く、 穏やかな流れに沿って溯上は続けられる。 堰堤前に小滝のある第6堰堤は右手のヒノキ林から越える。 第7堰堤は左手のスギ林側より巻く。 |
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すぐに現われる第8堰堤は左手から。 青ザレの斜面がいつ崩れてもおかしくないので やや大きめに巻き越える。 空がだんだんと近付き稜線到達が近いことを感じる。 あえて意識的に林道側とは逆の右側(左岸)に古道の痕跡を探す。 |
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杉林の中に石積みや幾つかの炭焼きの釜跡が残る。 この辺がかつて炭焼き小屋があったというヘイソ平だろうか? わりと新しく大きな第9堰堤は右手から越えるが、 昔の峠道は馬も通った道だったというから、 |
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第9堰堤を越えた所で食事休憩。 山腹に強引に付けられた林道秦野峠線を眺めながら、 稲荷寿司と塩せんべいで空腹を満たす。 ここから沢筋は4方向に分かれる。 水の流れは無く、涸れた沢でややブッシュ気味。 |
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右から二つ目の水涸れの沢を進み、 進行右手の土手に植林地が現われた所で土手に上がってみる。 これは歩きやすいのでしばらく進むと 前方に石積み(鹿柵?)らしきものが見える。 その前を涸れたゴロ沢が横走りするが、 沢上はブッシュで通過できないので植林地内を歩いて高処を目指す。 気持ち的にはダルマ沢ノ頭方向に突き上げている感じである。 途中ブッシュの途切れた涸れゴロ沢を横断し、 幼木林と成長林の林班境に薄い踏み跡があるのでこれを辿る。 飛び出した所は新秦野峠からジダンゴ山へ向かうときの |
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| 新秦野峠から皆瀬側の谷であるヘイソ沢を見下ろし、 そして以前歩いた逆方向の寄側の谷である杉ノ沢を見下ろす。 これでなんとか二つの谷が繋がったことになる。 昔の人が辿った正確な古道の道筋は解明できなかったが満足できる遡行であった。 ◎下降路としては堰堤通過が危険なので不向きといえる。 |
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● 新秦野峠〜p866
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新秦野峠から「檜岳・雨山」の標識に従ってブッツェ分岐に向かう。 登山者に評判の悪い両側を鹿柵に挟まれた細い道を しばらく進まなければならない。 もし正面からイノシシでも突っ込んできたら どうやって逃げればよいのだろうか? 両サイドは鹿柵だから後退するしかないぞ。 ブッツェ分岐から旧秦野峠方向に一段下がったところに |
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ちょうど地形図の「秦野峠」の「秦」の字の左部分である。 田代沢側に玄倉に向けて踏み跡が残る。 また正面の直上する尾根にも踏み跡がある。 直上する尾根道は地形図に載っている破線で、 小豆畑沢と田代沢に挟まれたp1086の西尾根を利用して 塔ノ平に向かうものである。 下部に送電鉄塔があるので |
| それには赤字の注意コメントが付記されており、 「塔ノ平-秦野峠間の登山道は崩壊箇所が多い。通行注意。また夏期はヤブがひどく迷いやすい」 と書かれている。 田代沢右岸上部は崩壊が激しく沢筋はいたるところでザレている。 次回の「旧秦野峠道を探る・4」では |
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ブッツェ分岐からブッツェ平を目指してp866を踏む。 p866は樹林の中の素敵な場所。 今まであった笹ヤブのうっとうしさも無い。 展望に優れ休憩するには良い場所。 お湯でも沸して温かいコーヒーを一杯やりたいところだが、 |
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![]() p866付近から玄倉集落方向を望む 林道秦野峠線上の斜面に「玄倉-塔の平-旧秦野峠」を結んだ道があるはず |
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p866からブッツェ峠に向かう途中で展望が開ける。 ミツバ岳に権現山、戸沢ノ頭から大杉山と眺望に優れる。 まだまだ行ったことのない山が無数にある丹沢は一生涯楽しめるエリアである。 |
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● ブッツェ峠〜ブッツェ平〜人遠北尾根
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p866から下降してブッツェ峠に降り立つ。 北東からなにやら厚い雲が忍び寄る。 雪雲が接近しているようだ。 「ブッツェ」という響きが「ビュッフェ」に似ていて小腹が空いた。 ここらでアップルパンをムシャムシャとエネルギーを補給。 ブッツェ峠という峠は、林道開通以前からあったものだろうか? 林道開通後の1999年版『山と高原地図』に 明治期の迅速図を見ると八丁から小菅沢側(玄倉)へ越える |
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日影山への登りは岩混じりの尾根を登る。 吹きつける風が冷たくフードをスッポリ被らなければヤッテられない。 日影山という名前のせいではないだろうが 空がだんだんと暗くなってきたし、寒さが身にしみる。 山頂は山頂らしくなく、平というほど平とも思えない。 ブッツェ平の「ブッツェ」は「武士」が訛ったものであるという。 「日影山」という呼び名は玄倉側の呼称であろうか。 |
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ブッツェ平からp772へ向かう尾根はひとけの無い寂しい尾根だが 左右の展望が優れている。 丹沢湖も普段見慣れない角度から眺めると新鮮である。 ひどい笹ヤブの道かと思ったが非常に歩きやすい。 日が傾き始めて不安になってきた頃、 |
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「病気コース」のテープから少し進んだところに分岐がある。 正面は背丈を越す笹のトンネルである。 きっとここからが本格的な「病気」なのだろう。 「病気」に感染しては大変なので 上手い具合に植林帯の山腹に沿って作業道が続いている。 |
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途中、植林の隙間から林道八丁神縄線の工事現場が見える。 ブッツェ平南方のp687を回り込んだ辺りで、 ガンガンと山肌を砕いている。 この林道は斜面の斜度がキツイ部分に強引につけている為か いずれp772の南尾根(人遠北尾根)を分断して 林業の振興や自然災害の防止に役立てばいいのだが、 |
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送電鉄塔24の手前でp772方向を振り返ると、 尾根の真上は笹の海であることがわかる。 東側山腹を巻いて進んで来たことが納得できる。 送電鉄塔からはp549への踏み跡もあるが、 「人の世から遠い」と書いて「人遠(ひとどお)」。 |
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皆瀬川を丸木橋で渡り路上に出ると、 乗り捨てた車の10メートル後方(人遠橋の袂)であった。 これで今回の探索は終了。 人の姿が無い人遠の路上でパンツ一枚になり着替えていると 上空から雪が舞ってきた。 人遠で見る雪は情緒があるなぁ〜などと余裕をかましていたら、 あと一、二時間雪が降るのが早まっていたら、 |
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| 【参考文献】 人遠・八町の歴史 → 『山北町史・民俗篇』(山北町)、『西丹沢の民俗』(東京教育大学民俗学研究会) 【注意】 ◇八丁からは林道を歩いてヘイソ沢径路入口まで行った方がよい。 【感謝】 皆瀬川流域の山々を歩くに当ってdnさん、s-okさん、より情報を頂きました。 ありがとうございました。 |