旧秦野峠道を探る・4

(玄倉側篇)


明治21年測図昭和4年第3回修正及同20年部分修正測図同27年応急修正
1/50000図「秦野」
田代沢沿いの道と山神峠からの道が確認できる。

今回は旧秦野峠の玄倉側を探索しました。
古い地図を見ると玄倉から塔ノ平までの小菅沢右岸の山腹道と、
塔ノ平から田代沢沿いに旧秦野峠に至る道、山神峠から旧秦野峠に至る道が確認できます。

昭和54年修正測量の「山北」「中川」の25000図をみると、
塔ノ平への道に小菅沢沿いの道が加わり、旧秦野峠へ向かう田代沢沿いの道は消えて
p1086の西尾根を利用し、峠へと繋がる道に修正されています。
また山神峠から旧秦野峠へ向かうp1177(伊勢沢ノ頭)、p1086の西側山腹道は消えて、
それぞれのピークを通過する尾根道へと変更がなされています。
(平成7年修正測量版を見ると、p1086の西尾根を利用し峠へと繋がる道は
残されていますが、玄倉から塔ノ平への小菅沢沿いの道は消えています)

昭和63年版の昭文社「山と高原地図」では、まだ田代沢沿いに旧秦野峠に至る道が
赤の破線で描かれており、当時はまだ歩かれていたことが窺えます。
ただし、危険マークと以下の赤字の注意書きが添えられています。
「登りのとき入口がわかりにくい、小菅沢と伊勢沢の合流点から、伊勢沢を70〜80m登り
左岸の歩道に入る。」
 (注意*伊勢沢は小豆畑沢の誤りか?)
「塔ノ平-秦野峠間の登山道は崩壊箇所が多い。通行注意、また夏期はヤブがひどく
迷いやすい。」

その後の平成5年版「山と高原地図」を見ると林道秦野峠線の工事が進展し、
玄倉側の旧秦野峠道は完全に姿を消してしまいます。

これら時代の変遷とともに経路を変えた道々がどのような状態になっているのか
確認に赴くことにしました。


玄倉集落外れの古道口


朽ちた注意標識が残る


並行する送電線の巡視看板あり

まずは玄倉から塔ノ平までの古道探索です。
林道秦野峠線が完成する以前は奥山に入る幹線道だったはずなので
状態の良い道が残っていると予想できます。

玄倉集落内の本線を登りつめ、最終民家先の茶畑の中の分岐路で登り勾配の左の道を選択します。
集落の給水施設があり、その脇のトタンの扉を通過すると、土道の古道が始まります。

道の状態は予想通りほぼ良好で、ここがかつての登山ルートでもあったことを示す
朽ちかけた登山者向けの注意看板もあります。
かつては玄倉から山神峠を越えて玄倉渓谷の奥地に入るために、また秦野峠を越えて寄集落に出るためにと
多くの登山者や山仕事、交易にでる人々に利用された道と思われます。


滑り落ちてしまった古道


崩壊地を梯子で越える


崩れた沢筋に架かる鉄橋

前半部の二箇所に大きな崩壊が見られます。
最初の崩壊は沢筋の斜面が数メートル滑り落ちていますが設置されているトラロープを頼りに通過できます。
二番目の崩壊は林道建設の影響でしょうか地滑りで道が完全に消えています。
トラロープに沿って巻くように斜面を登り、鉄製の梯子で小尾根を乗り越えて消えた道の先に着地します。
その後も沢筋で小さな崩壊はありますが、鉄製の橋が設置されており通行の支障となることはありません。

進行方向の右手下にはチラチラと林道も見え隠れします。
なにも無理して古道を歩かなくても山仕事にでる人々は今では便利な舗装林道を利用することでしょう。
利用者の減る土道は荒れてゆくのが世の習いです。
崩壊箇所にはそれなりの応急措置が施されていますがそれ以上の手当ては今後望めないようです。


切り通し状のハッキリした箇所もある


満開のミツマタ地帯を行く


所々に朽ちた注意標識が残る

沢を越え、尾根を越え、また沢を越え、尾根を越えと道は続いています。
沢に建設された大きな堰堤を跨ぎ越したり、小尾根を切り通しで抜けたりして先に進みます。
わりと変化に富んだ道で飽きることはありません。

ひらけた場所にミツマタの群落があり満開の黄色の花々が迎えてくれます。
かつては現金収入を得る為の貴重な林産物として植栽されたミツマタですが、
今では登山者に春の本格的な訪れを告げ、その目を楽しませてくれる存在となっています。


古道に残る登山標識


塔ノ平
片隅に石塔(お墓?)が残る
送電鉄塔落合線31号が建つ


塔ノ平の登山標識
玄倉2.4km50分/
山神峠2.1km60分・ユーシン6.5km140分

玄倉〜塔ノ平間の古道に残る登山指導標はイタドリ沢のそれだけです。
「山神峠・ユーシン→」の文字はありますが「秦野峠」を指し示してはいません。

かつての住宅地跡を思わせるひらけた場所が塔ノ平で、落合線31号鉄塔が建ち、すぐ脇を林道が走ります。
土地の片隅には石塔が建っています。 この地に暮らしていた人たちのお墓でしょうか?

文献によると、
「塔ノ平へ幕末の頃、玄倉峠(秦野峠)を越えて、長州の武士が来たりしと云われ又、
玄倉寺があったと伝えられている、現在では古い一つの塔と梅の古木が淋しく立って居る、
伝説によると此の付近に金の鳥居等埋もれているとの事、玄倉の諸星さんの上の家があり、
頼めば泊めてもくれる・・・・」 とあります。 【*1】


小豆畑沢右岸を登り小豆畑橋へ


田代橋 田代沢入口


p1086西尾根に取り付く

塔ノ平から林道をわずかばかり歩き、蕗平橋に向かう林道本線と分かれ、沢に降りる道を選択します。
ここから秦野峠に向かう道筋はどのように付けられていて、どのように辿るのかは不鮮明です。
林道建設や沢に連なる堰堤の築造で、ありし日の面影をとどめてはいません。

塔ノ平から秦野峠間の様子について古い資料を見ると、
「諸星老の家を出て、砂防工事の小屋の端れで道を右下に採って小菅沢の河原に下りる。
沢には水が無い為、今では玄倉から沢通しに立派な道が付いている。
此処は小豆畑ノタルから発する小豆畑沢の合致点で、小菅沢を渡り、
こんもりした杉林の中の爪先登りとなって、カラ沢の小豆畑沢に出、それに沿ってなるい登りとなる。
やがて右へ腹を捲くように進むと今通って来た塔ノ平の諸星家や、人夫小屋が対岸に見られ、
尚寸時で指導標がある。之よりガレに注意して渡るようになる。
二、三のガレ沢を過ぎ、高壓線に沿ってジグザグを繰り返す登りとなる。
この辺りは静寂な境地に浸れる丹沢の優れた峠歩きの一つであることを心から思われる所で、
老鶯が前後で啼き合うのも益々その感を深めるのである。
暫くして箱根の大湧谷を思わせる様なガラ場に出る(五万図、秦野峠の左の岩記号)。
注意して進むとパッと峠に飛び出す。
<火の用心>の杭があるだけで大した眺めは得られない。」 とあります。 【*2】

小豆畑沢の右岸のこんもりとした植林地内の整備されている作業道を登り小豆畑橋の袂に
出ることができましたが、これが古道であったのかは不明です。
あるいは左岸側に隠れた道があったのかもしれません。
再びの林道歩きとなり送電鉄塔への道が確認出来たものの自信が無いので田代橋まで林道を歩きます。

到着した田代沢上部の眺めは崩壊が著しく、進入するには躊躇してしまいます。
一旦、田代沢に張り出した中間尾根に取り付いて登り始めはしたものの踏み跡は薄く、
崩壊が激しいので撤退を余儀なくされました。
先の小豆畑沢もそうでしたが田代沢も堰堤が数多く築造され古道を見出す雰囲気ではありません。


梯子で鹿柵を越えると古道が横切る


古道には三種類の標杭がある


山側は植林帯、谷側は自然林で眺望良好

田代沢沿いの探索は諦めて、手持ちの地形図にみられるp1086西尾根経由の峠道探索に切り替えます。
先程確認できた送電鉄塔への道がその登り口と思われましたが、そこに戻る前に支尾根に取り付きました。
林道の谷側に残土の盛り土があり、山側が植林になっている場所から取り付きを試みます。
植林があれば作業道もあるはずという安易な考えです。

考えは安易でしたが予想通りで、土手の石積を上がると、
植林地の中に状態の良い作業道がのびているのを確認できました。
これを利用して高度を上げることにしましたが植林地はすぐに終わり作業道もすぐに消えてしまいます。
後は鹿の足跡のみが残る道とはいえない自然林の斜面を這い上がります。

勾配が緩むと鹿柵のある小ピークで、カモシカとのご対面もありました。
鹿柵の穴をくぐり反対側の植林地にもぐりこみ、鹿柵に沿った踏み跡を拾います。
ここがp1086の西尾根のようで、下る踏み跡は送電鉄塔に繋がるものかもしれません。

鹿の寝床と化している植林斜面地の踏み跡を進み、再び鹿柵の穴をくぐり抜けたりなどすると、
赤い梯子の設置された鹿柵前に到着します。
梯子で柵の向こう側に降り立つと明瞭な道が横切っており、
その一方は秦野峠方向に続いていることがわかります。

丁度、地形図の「中川」と「山北」の境目付近で読図が厄介なのですが間違いはありません。
峠道の痕跡のようです。 これを辿って秦野峠方向に進みます。


旧秦野峠に繋がる尾根にぶつかる


p1086-p1177の西側山腹仕事道


p1177西尾根にぶつかる

ほぼ水平の道は明瞭で、幾つかの林班杭らしき標杭も埋め込まれています。
山側は植林地で、谷側は自然林となっていて、自然林の木々間から丹沢湖方面を望むことが出来ます。
やがてp1086と地形図「秦野峠」の「秦」の字とを結ぶ小尾根にぶつかります。
この小尾根は松田町と山北町との境界尾根になっています。
(p1086と秦野峠を結ぶいわゆる一般道の尾根道の西隣りの尾根です)
小尾根上にはp1086に向かう踏み跡も、秦野峠へ向かう踏み跡も確認できます。

ここまで来れば峠まではあとわずかですが、今回は時間がありません。
小尾根合流地点に赤いテープを巻き付けて引き返します。
赤い梯子まで戻った時点で登ってきた道をそのまま戻ることも考えましたが、
鹿柵に沿って現行の地形図には載っていない道が北上を続けています。

これは古い地形図に見られる山神峠と秦野峠を結ぶ道に違いありません。
現行地図では両峠を結ぶ道はp1177、p1086のピーク経由で尾根伝いに付けられていますが、
古くはそれらピークの西側の山腹沿いに道が描かれているのです。
この未知の道を進むことにします。


「神奈川水源の森」の標杭が導く


山神峠の凹が見えてくる


送電鉄塔の後方が山神峠の凹

この道はずっと鹿柵に沿って、地形図の等高線の間隔が広い緩斜面をトラバースして行きます。
小豆畑沢の源頭部と思われる植林地内のなだらかな地形を横断してp1177の西尾根を越えます。
p1177の西尾根と交わる地点にはピークからの仕事道がのびていますが「山林管理道で立入禁止」の
看板がぶら下がっていました。 反対側の送電線側に下る道はしばらく進むとヤブに埋まります。

p1177の西尾根を越えて尚も山神峠方向に向かいます。
左側にあった鹿柵がいつの間にか右側に変わると涸れ沢にぶつかり道は不明瞭になります。
鹿柵は向きを東に変え、沢の詰めの方向へとのびています。 
ここは鹿柵に騙されず涸れ沢を横断すると、小尾根を越える明瞭な道を再び発見することが出来ます。

扉の無い鹿柵をくぐり抜けると山神峠の凹はもうすぐ目前に迫ります。
しかしながらタイムオーバーです。
今回は時間制限のある場所に車を停めてしまったので下山を急がなければなりません。
午後1時から歩いての数時間ばかりの峠道探索でしたが未知なる道を発見できた楽しいひと時でした。

下降する仕事道が植林内にあったので下ると、山神峠を越えてくる送電線の鉄塔が建つカヤトに出ました。
後は数度のジグザグを繰り返して沢沿いに降り立ち、堰堤群を適当な所で渡ると
蕗平橋と山神峠を結ぶ一般道に無事出ることが出来ました。

旧秦野峠道の田代沢沿いの道がどうなってしまったのかが心残りですが、【*3】
これでひとまず、「旧秦野峠道を探る」シリーズは終結と致します。

【参考文献】

【*1】 『山と渓谷28号』 山と渓谷社 「丹沢玄倉川と周囲の山々」(坂本光雄著)より
【*2】 『丹沢山塊』 昭和17年 登山とスキー社ハイキングペンクラブ 「秦野峠越え」(多摩雪雄著)より
【*3】 以前に秦野峠〜ブッツェ平を歩いたときに田代沢を眺めて古道の存在(石積み等)を確認している。
     かなり上部に位置していたが、数箇所道が滑り落ちるなどの崩壊が見られた。
     峠を起点に田代沢沿いの旧峠道を下降すれば全容がつかめるかも知れない。