新緑の峠
時坂峠・松生峠・人里峠・藤原峠
| 新緑を求めて檜原村浅間尾根を訪れた。 浅間尾根には旧甲州裏街道と称される古道が走っている。 五日市、檜原村から尾根伝いに、風張峠を越え小河内、小菅へ至り、 旧大菩薩峠を越えて、裂石、塩山に抜ける古道で、 往昔には人馬に背負われた米・塩や薪炭が行き来した物資の移入路であった。 浅間尾根の南に対峙する笹尾根が「越えるための尾根」といわれているのに対して、 |
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| 『新編武蔵国風土記稿』の時坂峠の項には、 「地蔵堂アリ コレ中クク通リ 山ヘ入所也」とあり、「中クク峠 村ノ西ニアリ」ともある。 「中クク峠」とは今でいう浅間嶺をあらわすものであろうか。 浅間道は「中クク通り」、あるいは「中要(なかくぐ)通り」とも呼ばれていたらしい。 元来「クグ」とは古語で「茎」のことをいう。 観光名所の「払沢(ほっさわ)の滝」駐車場に車を置いて歩き始める。 |
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| 山の斜面にへばりついた集落の、か細き道を縫うように歩み、高度を徐々に上げる。 絡むように車道も通っているが、ここは春の花が咲き乱れる庭先のような道を歩くのが心地好い。 暖かい陽気に汗して辿り着いた時坂峠には、やさしい風が吹き抜けていたが、 真新しく舗装された林道も通り抜けていた。 もっと早くに訪ねるべきだったと後悔したが、どうにもならない。 しばらく舗装された林道歩きとなり、展望のよい茶店のある場所からが山道となる。 江戸期には駄馬によって、薪炭等の生産物を運び出し、 また、この道は御林山の巡検の道でもあった。 この辺りから広葉樹の美林が続く新緑の明るい山道となる。 |
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| 浅間嶺へ向かう前に、入沢山を経て松生山を訪ねる。新緑に包まれた明るい尾根道だ。 周辺は南郷地区の入会地らしくそれを示す看板がある。 広葉樹が伸びやかに生い茂る素敵な場所だ。 メインストリートから外れているせいか、松生山付近は笹や潅木で、ちょっとヤブっぽい。 |
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| 再び浅間尾根道に戻り、浅間嶺で休憩をする。 終わりかけの桜がまだ残っていたのは幸いだ。 数組のハイカーが弁当をひろげているが、花見の最盛期には、さぞ賑わうことであろう。 昭和28〜29年の一時期、この付近にスキー場があったという事実はあまり知られていない。 穴の開いた柱が数本立っていて、その穴を覗くと、大岳山、御前山が望まれるという趣向がおもしろい。 |
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| 小浅間山を経由し、植林の中に隠れた山神様の石祠に挨拶して、さらに西に進むと人里峠。 「人里」と書いて「へんぼり」と読む。 その意味などは考えず、美しいことばの響きが好きになる。 その他にも周辺山麓には、事實(ことづら)、笛吹(うずひき)、数馬(かずま)といった、 人里峠に佇む石仏は小さいが、長い年月に渡り、風雪に耐え、旅人を見守ってきた功績は大きい。 |
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| 途中、朽ちた大木の根元に「浅間石宮」の祠がある。 ここでにわかに空が沸き立つ雲に覆われ、雨が降り出した。 雨具を持参していないので、しかたなく春の雨にうたれながら進むが、 植林帯の中なので、さして濡れることも無く、かえって涼を得て心地好い気分であった。 穏和なお顔の一本松の馬頭観音様に手を合わせ、 |
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| 小さな切り通し状部分の藤倉へ分岐する踏み跡を見送り、さらに先へと進みます。 どこまでも続く緩やかな山道は単調でもあるが、 「サル岩」や野仏など所々にアクセントとなるものを配し数馬分岐へと導いてくれる。 数馬分岐にも一体の馬頭観音様がいらっしゃるが、 藤原峠から北面を眺めると、急傾斜地にへばりついている倉掛という集落が望まれる。 藤原峠のすぐ脇には立派に舗装された入間白岩林道が走り抜けていた。 さらにこの先、風張峠(白岩峠)まで歩く元気はないので、 |
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| 【*1】 「瀬戸沢峠」の名は『檜原村史』の中にある。 【後記・気になる話】 南秋川の入口の笹野集落から柏木野集落へ山を越える「連尺タワ道」というものがあるらしい。 【参考文献】 『檜原村史』、『武蔵名勝図会』、『多摩の低山』(守屋龍雄・けやき出版)、『檜原村紀聞』(瓜生卓造・東京選書) ● 後日、時坂峠、松生峠、人里峠を再訪した時のレポートを見る。 |
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