笹尾根越えて、また越えて
〜 日原峠・浅間峠・栗坂峠 〜
| 笹尾根を越える峠道の中で、もっとも歩かれている峠道はどれだろうか? ハイカーの多くが笹尾根縦走の起点・終点として利用する西原峠や浅間峠だろうか? 地形図には破線道がしるされていても、ハイカー御用達の『山と高原地図』(昭文社)では 今回は、日原から日原峠を越えて人里(へんぼり)へ、 年の瀬の半日、こちらからあちらへと峠を越え、そしてまたあちらからこちらへと峠を越えて戻るという |
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| 冷え込み厳しい早朝の路面凍結を極度に警戒し、お昼に長寿の里として有名な棡原に到着です。 土砂崩れの復旧工事で通行規制が続いている県道33号上野原あきる野線から分かれ、 「日原線」の標識に従い日原の集落内に入ります。 南斜面に開かれた明るい集落は、日当り良好のポカポカで早くも汗が噴出します。 まさに「日原」の名に相応しい、日の当たる原に村が築かれています。 南面には聖武連山と能岳の小さいながらも目立つ隆起が、 鶴川の谷を挟んでは二本杉から雨降山のどっしりとした山容が望まれます。 斜面の上り下りは足腰を鍛え、素晴らしい自然環境は美しい心を育むに違いなく、 こんな所で暮らせたら誰しも長寿を全うするのではと思えてきます。 現行版地形図には日原集落から日原峠へ向かう道として、二本の破線道が描かれており、 |
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| 東側ルートの峠口は民宿「長明園」の看板に従えば辿り着きます。 工務店の作業場前を通過し、愛宕神社の背後から土道の峠道が始まります。 峠口には廿三夜塔、蚕神供養塔が祀られているのを見ますが、登山標識は一切見当たりません。 薄暗い植林地の中、沢を回り込んで少し行った所に、やっと「町」時代の登山標識が現われます。 ここまで辿り着くこともできない登山者は山に入るべからずという行政サイドの無言警告の姿勢なのか、 |
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| 『甲斐の山山』(小林経雄著)によると、p710辺りに「愛宕山の古池」という池があるようですが、 残念ながら見落してしまいました。(どこにあったのだろうか?) 日照りになると、雨乞いとして池の中の水を皆で引っ掻き出し、天狗を怒らせ雨を降らせたといいます。 古い版の『山と高原地図』にも「愛宕山の古池」の文字は見られますが新版には表記がありません。 池は干乾びてしまったのでしょうか? 小さな分岐点で突然姿を現わす馬頭観音に頬が緩みます。 |
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| 馬頭尊に刻まれた「左人里」の指示に従い、手入れの施されている植林地内を進めば、 日原からのもう一本の峠道である西側ルートとの合流点を迎えます。 この場所には登山標識は設置されていませんが、西側ルートの道の状態も良さそうです。 小腹が空いたのでカバンから99円のハムカツドッグを取り出してかぶりつきます。 |
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| 再び植林地内に入ると「町」時代の公的登山標識の建てられた小さな分岐を迎えます。 ここには「馬頭観世音」と刻まれた大正三年の石造物があり、 最前の馬頭観音分岐と同様に、「左人里 右山みち」と刻まれ道標を兼ねています。 「右山みち」が気になりますが、傍らに転がっている朽ちた先代の登山標識には「浅間峠⇒」とあり、 ここを右に折れれば、笹尾根に乗り、浅間峠へと向かうことができるようです。 先に示した古い時代の地形図に描かれたp917小ピークの東側で笹尾根に達する道と思われます。 峠はもうすぐそこで、葉を落とした樹林の透き間から土俵岳の丸みをチラチラ望みながら進むと、 |
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| 峠は暖かい日溜りの中にあり、笹尾根の人気者である峠の地蔵様は手を合わせ黙然としています。 ここの地蔵様は相変わらずのお金持ちで浄財が山のように積まれています。 御札が二つ奉納されていますが、一枚は丹沢山中でよく見かける熊野修験者のものです。 きっと笹尾根を駆け抜け、大岳神社、御岳神社と修験修行の山駈けを行ったのでしょう。 最近、トレイルランニングに対して、自然破壊であるとの批判が高まっているようですが、 白装束に草鞋、脚絆姿で、もごもごと呪文を唱えながら走り抜ければ、 批判をかわすことができるかもしれないと馬鹿なことを思ったりもします。 日原峠は、五日市線開通までの「魚の道」であったといいます。 また、『秋川の山々』(東京瓦斯山岳会・木耳社)によると、昔は秋川側に無人小屋があったとあります。 |
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| 峠から南秋川沿いの人里へ向けて峠道を下ることにします。 北側斜面に足を踏み入れると、冬の角度の低い太陽光線は笹尾根自体に遮られて届かず、 さらに樹間の詰まった植林が少ない太陽光をさらに絞り込み薄暗さを倍増させます。 気温が二度か三度ばかり下がったようで、霜柱が随所に見られ、鼻水が流れ出します。 植林がきれいに手入れされているのがせめてもの救いで、もし荒れている植林地だったならば、 気分まで暗くなったに違いありません。 日原側の暖かさに包まれた峠道と異なり、人里側は寒さが身に凍みます。 峠から数分の場所にある水場で軟らかい水を口に含み、しばらく進むと和田分岐を迎えます。 |
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| 登山標識の「←事實・笛吹」に従い、西側ルートを選択して進みます。 選択した道は地形図から読み取れる情報通り、すぐに下降することなく、土俵岳北面をトラバースして なかなか高度を下げようとはしません。 樹相は植林から自然林帯へと変わり、落ち葉が踏み跡を隠す部分もあり 怪しくなる気配を一瞬チラッと見せもしますが、所々にマーキングがあり迷い込むことはありません。 念のためにp870を踏んで山名標識のないことを確認して、再び植林地内につけられた 明瞭なる峠道を進みます。 p870を過ぎ、尾根が細くなり始める地点に倒れた登山標識があり、 |
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| p742を過ぎると次第に下り勾配は強まり、潤滑油を失った機械の悲鳴のように膝が痛みを訴えます。 この後、再び笹尾根を越えて車を停めた甲州側へ戻ることを考えると無理はできません。 勢い良く下り勾配の惰性で転がり降りるのは控え、一歩ずつゆっくりと下降します。 背の高い大きな聖木の根元に祀られた大山祗神を見ると、開けた伐採地へと入ります。 伐採痕はまだ新しく、倒された木も安定していません。 |
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| 地形図に記載のある峠道出口にあるはずの南秋川に架かる橋はなぜか無く、 橋脚だけが残されている状態で少々動揺しましたが、 運良く河川改修工事中で足を濡らすことなく対岸へと渡ることが出来ました。 河川改修工事のついでに新たな橋を架けてくれればと思いますが、 檜原村の財政がそれを許す状況であるかは知り得ません。 橋とは言わず、せめて重機で飛び石を配してくれればそれでいいのでひとつよろしく・・・・ これで日原集落から笹尾根を越えて人里集落までやって来ましたが、 |
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| さて、今越えてきたばかりの笹尾根を登り返して、車を乗り捨てた甲州側へと戻らなければなりません。 今度は和田から登る日原峠の東側ルートを辿ろうかとも当初は思いましたが、 少しでも標高の低い峠の方が、迫る夕暮れのことを考えればよいだろうと浅間峠越えを目指します。 人里集落から浅間峠の登り口である上川乗(苔)まで、バス便はあるものの30分待ちなので、 上川乗からは、上野原あきる野線の路肩の凍結に慎重に足を運びながら浅間峠道に入ります。 |
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| 息の切れるジグザグを終えて、小さな木製の祠の横を通り過ぎると勾配は緩み、 p815西面をトラバースするようになり、一層快調に足は進みます。 カバンからキンキンに冷えたミカンを取り出し、摘み食いしながら急登で渇いた喉を潤します。 峠道の傍らに眠る嘉永年間の馬頭観世音に、コクリと頭を下げ、下草に笹が現われだすと、 笹尾根上の峠である浅間峠へひょいと飛び出します。 寒冷で「陰」なる世界であった檜原村側から、「陽」なる明るく暖かい甲州側に再び戻ってきてホッとします。 年の瀬の夕刻の峠に人影は無く、静まり返っています。 |
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| 峠に聳える二本の大きな古杉の根元には浅間社の祠が鎮座しています。 正月に備えて注連縄が張られ、供え物があるかもしれないと思っていたのですが、 石祠前にはワンカップの空瓶が置かれているだけで新年を迎える準備はまだ整っていないようです。 あとは峠を下るだけの安心感から長居もしたくなりますが、明るい夕陽を受ける尾根上とはいえ、 |
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| 「栗坂峠=浅間峠」ではないかとの説もありますが、 「浅間峠」は浅間社の石祠がある場所で、「栗坂峠」はそこから熊倉山側へ少し進んだ場所の p879の手前であるとの分離説も有力です。 「此処を栗坂峠と一般に謂はわれてゐるが、栗坂とは小伏から登る峠路につけられたものである。 −『山と渓谷89号奥多摩特集』「秋川をめぐる峠」(宮崎封v著)より− 上記文章によると、三二山川沿いに下る峠道が浅間峠道で、 「浅間峠というのは、例によって富士の展望に恵まれてその神社まであるからで、 −『奥多摩』(宮内敏雄著・百水社)より− |
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| 栗坂峠に取り付けられた標識は以前訪れたときより痛みが進んでいますが、まだ判読は可能です。 小伏へと向かう道は小笹に覆われ、歩く人も少ないと見えますが、支尾根に乗るまでの 頼りない序盤トラバースを終えれば安定した良い道となります。 『一日の山・中央線私の山旅』(横山厚夫著・実業之日本社・1986年)には、 |
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| 支尾根(栗坂ノ尾根)につけらた凹状の道を、膝の痛みに堪えて下るとp717の鞍部へと降り立ちます。 以前訪れた時は、このまま直進してp774芦沢山、p710を経由して小伏へと下りましたが、 今回は鞍部で左に折れて芦沢川沿いの道へと下ります。 鞍部には小さな自然石に彫り込まれた天保期の馬頭観音があり、 |
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| 栗坂ノ尾根を離れた道は暗い植林地の中を幾度ものジグザグを切って下降し続けます。 時間が時間なので沢筋に下れば下るほど、周囲は暗さを増していきます。 明るい光線が入る時間ならなんの不安も無いでしょうが、どこからか妖怪でも出てきそうな雰囲気です。 ひとしきりのジグザグを終え、沢底に降り立つと、流れに沿った直線的な道となり、 しばらくの歩行で芦沢川本流沿いの神庭入林道の終点に飛び出します。 林道との接続点には石の道標が置かれていて文字が刻まれていますが、 「神庭」という曰くありげな名を持つ林道を進むと、小伏の民家が姿を現わします。 日原から日原峠を越えて人里へ、上川苔から浅間峠・栗坂峠を越えて小伏へ、 それにしても自動車の走り抜けるアスファルトとコンクリートで固められた堅牢な県道が |
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| ●以前に栗坂峠を訪れた時の関連レポートを見る ●以前に浅間峠を訪れた時の関連レポートを見る |
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日原12:00--日原峠13:05--人里14:10--上川苔14:50--浅間峠15:40--小伏16:30 |
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