気になる姫君たち 

雛鶴姫・松姫・照手姫・白百合姫・折花姫・白縫姫・串川姫・千鳥姫

山梨県郡内地方及び丹沢地域の峠を歩いていて出会ったお姫様の伝説にスポットをあててみました。

ひなつる姫さま


雛鶴神社の雛鶴姫像

建武二年、護良親王は鎌倉の土牢で足利直義に殺害される。
親王の寵姫雛鶴姫は数人の従臣らと、亡き親王の首級を抱き逃れ、
鎌倉裏街道秋山村に及ぶ。
このとき姫は産気づき民家に休養を請うが、後難を恐れて村人は
誰一人として宿を貸す者もなく、以後その集落を無情野と呼び、
のちに現在の無生野になったといいます。
やむなく姫は山中にて王子を産み、その後、息を引きとったとのこと。
雛鶴神社には護良親王の守護神である天神が祀られています。

雛鶴峠が別名、天神峠とも呼ばれる由縁でしょうか。
また、大ダミ峠とも大旅人峠とも呼ばれていたとか。

雛鶴姫は牧馬峠を越えて藤野町に入り、
小舟集落から峰山の肩を越えて秋山村に入ったようです。
<『藤野町史』にいくつか推測される逃避行のコースが記されています>

まつ姫さま


松姫峠

松姫伝説の逃避行路の一つとして推測されているらしい松姫峠。
大月と奥多摩を結ぶ国道139号線が越えています。
峠名の命名者は時の山梨県知事様ですが、
松姫がこの峠を越えたと考えている研究者は少ないようです。

武田信玄の六女(?)松姫は、政略により織田信長の
嫡子・信忠と婚約を結ぶが、天正10年武田家滅亡の折、
塩山の向岳寺を発ち八王子市恩方に逃げ落ちました。
その間の逃避ルートが不明になっていて、この山域を歩く歴史好きの
ハイカーにいろんな想像を抱かせます。
ちなみに甲府には「松姫弁当」が、八王子には「松姫最中」があります。

佐野峠・西原峠・十文字峠・鶴峠や笹尾根の峠・浅間嶺の峠など
逃避行の足取りを探索するのもいいでしょう。
<リンクさせて頂いています『良太郎の自転車で街道をゆく』様に
「松姫伝説の古道」を探索するページがあります。>

てるて姫さま


照手姫の墓

小栗判官満重の物語で有名な照手姫です。
相模湖町美女谷温泉には照手姫にまつわる伝説が残っているようです。
美女川上流の七つ淵と呼ばれる場所に、すり鉢状の窪みがあり、
そこで化粧をして美しくなったとのことです。
陣馬山周辺の峠行の際に立ち寄ってみるのもいいでしょう。

照手姫の像が、橋本駅だか相模原駅だかにあるらしいですが未確認です。
お墓は時宗総本山遊行寺の支院である長生院にあります。

底沢峠・白沢峠・小仏峠の散策の折に
美女川の流れで顔を洗ってみるのもいいでしょう。

しらゆり姫さま


明王峠下の石投げ地蔵

陣馬山近くの明王峠の南に、こんもりとした石の塚があります。
石投げ地蔵と呼ばれるらしいですが、お地蔵さんの姿は見えません。
石に埋められているのでしょうか。
この石塚は佐竹白百合姫を祀るといいます。
近くにある姫谷温泉の‘姫’とは彼女のことなのでしょうか?

甲斐武田の一族の姫が常陸佐竹家に嫁に行ったが、不縁となり、
乳飲み子を残し甲斐に帰された。
その子は後に白百合姫となり、乳母から我が身の生い立ちを聞くと、
実母会いたさに甲斐に向かったが、峠にさしかかった時に、
激しい腹痛に襲われ、一度も見たことがない甲斐の母を思いながら
息を引きとったといいます。

明王峠・奈良子峠などの散策の折に訪ねてみるのもいいでしょう。

おりばな姫さま
  丹沢の最高峰・蛭ヶ岳の北に姫次という場所があります。
神ノ川の折花姫の伝説にまつわる地名です。

天目山の戦いに敗れた武田側の旗本小山田八左衛門の娘・折花姫は
長者の老夫婦とともに丹沢山中神ノ川に隠れ住むものの、
執拗な追っ手に追われ、山中深くへ逃亡。
ついにこれまでと短刀で自分の咽喉を突いて自害したとも、
追っ手に崖下に突き落とされたともいわれている。
その「姫突き」が語源となり「姫次」となったとか。
(ヒメウツギが繁茂していて、これを略してヒメツギとなり、
「姫次」の字を宛たとの説もあります。)

神ノ川林道長者舎の折花橋の近くの折花宮に、
ひっそりと姫が祀られています。
犬越路峠とともに訪れてみるのもいいでしょう。

しらぬい姫さま


伝説が残る鎮西ヶ池の近くの曲り沢峠

滝子山の北にある鎮西ヶ池には白縫姫の伝説が残っています。

鎮西八郎為朝は血気にはやる行いが多く、父為義の怒りに触れ、
肥後の城主平忠国の元に預けられ、忠国の娘白縫姫と結ばれました。
しかし、為朝は保元の乱で父に従い戦うことになり、呼び戻されることに。
為朝の留守中に為若丸という男の子を出産しましたが、
戦いで一族は大敗して、白縫姫と為若丸は諸国を流浪する。
追っ手の目から逃れ、辿り着いたのがこの地だったようです。

大鹿峠、曲り沢峠の散策の折に訪ねてみるのもいいでしょう。

くしかわ姫さま


串川沿いの地震峠

津久井町鳥屋の道場、御屋敷御殿の高貴な姫君が串川姫です。

横笛を吹く若者に恋をしましたが、身分の違いから恋は成就せず、
自由に会うこともままならず、
若者は自分の顔を彫った金の縁取りの櫛を形見に送り、
姫のもとから去っていきました。
川辺に佇み櫛を眺めては若者を思いつつ悲しみに暮れる日々を送る姫。
その姫の手から滑り落ちた櫛が流れて串川になったとか。

鳥屋には地震峠、火海峠などがあります。

ちどり姫さま


天神峠近くの稚児落し

岩殿城の城将・小山田信茂の室、千鳥姫は、
信長の手に属する大軍に城を包囲されるや、
その子、万生丸と信茂のニ男、賢一郎
それに護衛の城士、小幡太郎と共に
岩殿山の西尾根を辿り城外に脱出した。

よばわり谷(声が反響する谷)で、生きて無事に落ちのびられたことを
互いに喜び合った。 しかし、その喜びの声が谷に反響し、
意外な方向から拡大されて戻ってきたものだから、
追っ手が接近したのかと緊張し、慌ててしまった。
千鳥姫の暖かい懐に眠っていた万生丸も目を覚まし、
不意に声高に泣き出してしまった。

小幡太郎はびっくりして姫から赤子を奪うと、情け容赦もなく
断崖に投げ落としてしまった。
今そこは、稚児落しと呼ばれている。

築坂峠・天神峠(トズラ峠)を訪れる際に足を運んでみましょう。
間違っても我が子を落とさぬように。

どうも姫君の伝説は悲しいものばかりでイケません。
でも、悲哀に満ちた伝説じゃないと、現代まで語り継がれないのかもしれませんね。

どこかの峠で美しい姫君とめぐり逢い、そして恋に落ち、
峠の麓の明るい山村で静かに幸せな日々を送るといった夢みたいな話はないものだろうか・・・。

そんなことをオバサングループが去った後の静かになった峠で考えるのでした。