修正版 トヅラ峠の古道を探して
火海峠・トヅラ峠・青野原乗越?・猿越路?
| 鳥屋・・・火海峠・・・金太郎権現(ババ山)・・・三角山(谷戸ノ頭)515m・・・トヅラ峠・・・梶野・・・434m峰・・・茨菰山511m ・・・青野原乗越・・・405m峰・・・596m峰・・・北峰(エンナミノ頭)・・・柏原ノ頭632m・・・御嶽山神・・・平戸 |
| ●後日このレポートは修正(一部削除含む)されました。その経緯については文末をご覧下さい。 |
| トヅラ峠、火海峠は以前に「鳥屋ぐるりの峠」を散策した際に訪れました。 しかし、最近になって『津久井町の古道』(津久井町教育委員会編)という本を見ていたら トヅラ峠に古道が残っているということ、それに加えて、津久井町鳥屋地域振興協議会発行の 『丹沢山麓・獅子舞の里・鳥屋ガイドマップ』の火海峠の位置が以前訪れた場所とは若干異なることに気付き 今回改めて探索してみることにしました。 また、『つくい町の地名』(津久井町教育委員会編)に掲載されている「青野原乗越」、「猿越路」という |
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火海峠の位置は左図『鳥屋ガイドマップ』を見ると 前回推定した場所よりも、一つ東の鞍部であることがわかります。 ゼンリンの住宅地図を見ても峠名こそ記されてはいませんが、 さて真実はいかに? |
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前回訪れた時と同様に中開戸集落から 茶畑の中の農道を通り山道に入ります。 振り返ると鳥屋集落の背後に南山、東山の山容が 鳥屋の集落は日当りも良く、傾斜地を耕し開墾された畑や |
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茶畑の畦道、一本の柿の木がある場所が山道の入口です。 右手奥には炭焼き釜を見ることが出来ます。 植林地に入ると、すぐに鹿柵を通り抜けます。 いかにも峠道といった感じなので、 |
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『津久井町の古道』(津久井町教育委員会編)の 「ひうみ道」から引用させて頂くと、 ひうみ道は、旧青野原村前戸集落と、旧鳥屋村中開戸を結ぶ 明治の末年から大正の初期にかけて、当時青野原には |
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当時のことであるから山道の途中で弁当を食べてしまい、 鳥屋の店屋で饅頭などを買って空腹をしのいだという話もある。 昭和の初め頃には鳥屋に昭和館という劇場ができた。 当時は夜の興業のために提灯の灯かりを頼りに山道を歩き、 現在この道は全然通らず、 と記述されています。(一部改変) |
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前回推定した火海峠に到着して、 北側(前戸側)に道の痕跡はないものかと再度確認しますが、 何も見当たりませんでした。 次に東に尾根を辿り・415m峰を越えます。 ここが『鳥屋ガイドマップ』の火海峠で、 現在この道は全然通らず、 そもそも火海峠とは付近一帯を指す地名なのかもしれません。 |
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再び、前回推定の火海峠に戻り、 今度は西の峰に向かいます。 この峰は「ババ山(468m)」と地元では呼ばれているようで、 鳥居をくぐり、鉄パイプの手すりをたよりに、 その中に金太郎大権現をはじめ、大杉一之太郎大権現、 |
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山頂からの眺めも良く、宮ヶ瀬、鳥屋ぐるりの山並みを 見渡すことが出来ます。 この権現様の社前では、 現在も、毎月25日には鳥屋、中開戸の人達により |
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権現社から尾根を北に辿ると新多摩線42号の送電鉄塔です。 トヅラ峠からの巡視路がありますが、ひとまず見送って、 515m峰の三角山に向かいます。 岩混じりの雑木林の尾根道で、 三角山と書かれた標杭が転がっているだけの |
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三角山とババ山の鞍部である送電鉄塔に戻り、 巡視路をトヅラ峠に向けて下ります。 さすが巡視路! 県道に近い場所に位置する送電線鉄塔に近づくと、 これが『津久井町の古道』にある「葛道」の古道だろうか? |
| 『津久井町の古道』によると、 県道の前身である古道は、青野原側にも、鳥屋側にも二本の古道があった。 との記述があります。(一部略、改変) |
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どうやらこの送電線鉄塔近くの古道は、 『津久井町の古道』でいうところの鳥屋側にあった古道の内の 狭い方の一本ではないだろか? (広い方の一本は現県道と推測) この古道を青野原側に向けて拾ってみる。 |
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仕方なく、一旦県道に出て、 反対側(西側)の山腹に古道はないものかと探索する。 こちらも笹ヤブがひどく、それらしい古道の痕跡は見当たらない。 地形図を見ると青野原側の梶野集落から南に向かって オッ!これはまさしく古道だと思わせる道はすぐに発見できた。 |
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左手、沢を挟んだ県道の向こうには三角山の姿が望める。 三角山は横から見ると、三角というよりも丸みがある山だ。 三角山とは「三角点のある山」という意味なのかもしれない。 【*1】 などと考えながら進むと、 残念なことに数百メートル進んだ所で、 多分、工場の中を通過した先にも 結局、峠にあるという馬頭観世音菩薩像には辿り着けず、 |
| 葛峠(トヅラ峠)の古道は、左右の山の木々が道に覆い被さり、雨の日などには傘も充分にさして 通ることが出来ないところも多かったといいます。 【*2】 当時の人が、徒歩で通るのと、駄馬が小荷駄で通るのと、緊急の場合に医者や急病人を乗せた 駕籠が通るくらいであったといいます。 鳥屋には早くからM医院という名医があり、青野原、青根、牧野方面から「とづら道」を駕籠に乗って 通院する者があったということです。 寂しい山道ですから、追剥に持ち物全部を取られたという話も残っていますが、 |
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トヅラ峠の古道探索が消化不良で終わってしまったので、 気分を変えて茨菰山、柏原ノ頭を歩くことに。 津久井墓苑(妙苑寺)から茨菰山北尾根に出る算段です。 山道に入るとすぐ笹ヤブが道を隠します。 アカマツ混じりのヒノキ林を抜け、雑木の細尾根から |
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しかし、周囲は植林に囲まれ展望は皆無。 これも低山、ヤブ山の定めかと諦めたのも束の間、 尾根を南下して375号鉄塔に出ると、 見事なパノラマが展開していた! 左手には三角山、仙洞寺山、右手にはひときわ大きな焼山 |
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見晴らしの良い尾根を通過すると三叉路となる。 ここは真ん中の道を進んで茨菰山へ。 茨菰山は見事なまでに展望の無い山。 古文書には「方月山」との表記もある。 三角点に腰を降ろして、 |
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茨菰山から西に尾根を辿り、「青野原乗越」と呼ばれる 青野原と平戸を結ぶ鞍部を探索する。 どうやら左写真の切通し状の鞍部が青野原乗越らしい。 古いガイドブックなどでは茨菰山の西鞍部(左写真)を |
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ここから柏原ノ頭北尾根(柏原ノ頭-596峰-413峰と続く尾根)に 出るには読図力が必要だ。 25000図は必携なので安易に踏み込まないほうが良い。 気温も20度を超えるとダニの活動も活発になるようで、 踏み跡そのものはしっかりついているので進路方向さえ |
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柏原ノ頭は本峰632mの北に中峰があり、 さらにその北に北峰がある。 北峰にはコンクリの標杭(「九」と刻印)と、 この北峰に名前はないかと調べてみると、 |
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北峰から尾根伝いに柏原ノ頭に到着。 薄い笹ヤブのある尾根だが、 ここでもダニはしっかりと取り付いていた。 しかし、本日のダニとのお付き合いもここまで。 後は一般道を利用して平戸集落に降りるだけだ。 柏原ノ頭には山名標識は無く、「火事に注意」の看板に |
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さて、どうやって一般道に出るかと踏み跡やマーキングを 探したが見当たらない。 地図を読みつつ、足元の赤い林班標界杭を頼りにして 一般道の登山標識には「柏原ノ頭」とあるが、 |
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あとは国道並みの快適な山道を標識の指し示す 平戸集落に向けて進むだけ。 御嶽山神の祀られている尾根の乗越部分に来た時、 西丹沢の「犬越路」は有名ですが、 |
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この御嶽山神のある尾根の乗越部分が、 あるいはその「猿越路」かもしれません。 (未確認。今後、再調査の予定) 【*4】 馬頭観音が祀られ、古い石造の道しるべもあり、 また、眺望も良好なのです!! |
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御嶽山神から平戸への道は、暗い道でイマイチです。 特に平戸まで0.5kmという辺りから笹ヤブが道を隠します。 陰鬱な道です。 最後に臭い鶏小屋の裏を通って車道に出る点もマイナスかな。 最新版(2005年版)の『山と高原地図』を見ると、 御嶽山神の「御嶽」とは、丹沢山中の特定の山を |
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青野原乗越と猿越路に関しては今後もさらなる調査が必要です。 また、越路トンネルの上に古道が残っているかも気になるところです。 県道藤野伊勢原線上のトヅラ峠には 鎖の首輪をしています。 振り返れば、今日一日ボクもトズラ峠付近を迷子のように |
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| 【*1】 | |
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後日、牧馬峠道から三角山を見ると、 やっぱり正真正銘の「三角形」でした。 |
| 【*2】 | |
| 「トヅラ」とは、藤の一種である「藤葛」のことを指すという。かつて峠道に繁茂していたのかもしれない。 当初は、「九十九折れ」の転化かと思ったが道の様態からしても異なるようだ。 峠を挟んで、青野原側には「戸面」、鳥屋側には「葛」という字(あざ)がある。登津良沢という表記も見られる。 |
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| 【*3】 | |
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古い山のガイドブックでは左図のように 茨菰山の西鞍部を「青野原乗越」としている。 『つくい町の地名』では、風巻ノ頭とエンナミノ頭の間の鞍部を、 文献によって位置が異なり少々混乱・・・ |
| 【*4】 | |
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『つくい町の地名』によると「猿越路」という地名があるらしい。 しかし、詳しい説明が何も無いので、どこのことかさっぱりわからない。 ・596m峰の北にある枯れた赤松ピークから東にのびる尾根上であろうか? 左図は鳥屋造林組合調製によるもの。 |
| 【*5】 | |
| 丹沢の尾根を歩いていた行者のことを「御嶽さん」と呼んでいたともいう。関連はあるかな? 焼山では山火事が多かったというから、やはり「火伏せの神様」だろうか? この峠風の場所は風が異常に強かった。 |
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| ●参考になる文献● 『津久井町の古道』(津久井町教育委員会編)・・・「ひうみ道」「葛道」の記述あり。 【補足資料】 |
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★修正の経緯★ 平成17年10月23日 ------------------------------------------------------------------------------------ 当初、レポートには以下の記述がありました。
また、採集網を手にされた方(上記会話を交わした人とは別人)の後姿の画像を載せ、 さらに続けて、以下のように記述しました。
------------------------------------------------------------------------------------ N様のご指摘により以下のことを初めて知るに至りました。 ◎津久井町はギフチョウの採集規制がないこと。(規制は津久井郡藤野町のみであること) どれもこれも初めて知ることで、自身の不勉強さを痛感しています。 ここに当該文章をレポートから削除するとともにお詫びを申上げたいと思います。 修正前のレポートをupしたのが平成15年の4月上旬頃だったと記憶しています。 ★お詫び★ 自身の無知と偏見に満ちた感情を恥じるとともに、N様をはじめ多くの愛蝶家の方々の心を傷付け 浅薄な知識と勝手な思い込みにより、法的にも何ら問題のないギフチョウ採集者の方々を、 ギフチョウについてネットで検索してみると、(専門性が高く全てを理解、把握するには至っていませんが) この程度の無知にもかかわらず、よくよく調べもせずに軽はずみな記述をしてしまったこと、 また昆虫を採集すること自体を批判するつもりは毛頭ありませんし、 最後に、私の無知と偏見に起因する配慮に欠ける一文で、 N様にはお詫び申上げるとともに、貴重な御指摘を頂きましたこと感謝いたします。 |
(修正/2005.10.25)
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| 自戒の念を込める意もあり、上記<修正の経緯・お詫び>を掲載した状態にしていたところ、 2008年2月8日、藤野町にてギフチョウの保護活動にも携われております三宅様よりメールを頂戴いたしました。 以下に、そのほんの一部ではありますがメール内容をご紹介したいと思います。 尚、上記N様の御指摘を受けての反応ではありすが、N様がどのような保護活動をなさっているか正確には ・・・・『地元の愛好家の方が飼育し、放蝶していること。』 ・・・・ところで、個体群、という言葉があります。 では、鳥屋のギフチョウはいったいどこのギフチョウなのか?残存していた丹沢個体群が増えたのか? ・・・・ギフチョウの生育に関してはもう一つ謎があります。 ・・・・また、地元の愛好家、という言葉に引っかかります。 ・・・・『標本は売り物にもならないし、個体を買う人も皆無であること。』 (以上、三宅様からのメール引用) -------------------------------------------------------------------------------------- 以上、メール文からの飛び飛びの抜粋なので分かり難いかもしれませんが、 「飼育と放蝶」「個体数増加」があたかも善い行いであるとの印象を、 また、「食草カンアオイの保護」についても細心の配慮が必要であり、 篠原地区内においては実際に不法な密採集者が出没すること、 尚、三宅様は数年来、篠原地区にてギフチョウの保護に携わり、 「毎週末のように山を見回ること=監視のたいへんさ、 ギフチョウの生態及び保護の問題については、奥が深く、専門性が高いので、 以前私の書いた<修正の経緯・お詫び>から、 |
(加筆/2008.02.24)