修正版 トヅラ峠の古道を探して

火海峠・トヅラ峠・青野原乗越?・猿越路?

鳥屋・・・火海峠・・・金太郎権現(ババ山)・・・三角山(谷戸ノ頭)515m・・・トヅラ峠・・・梶野・・・434m峰・・・茨菰山511m

・・・青野原乗越・・・405m峰・・・596m峰・・・北峰(エンナミノ頭)・・・柏原ノ頭632m・・・御嶽山神・・・平戸

 

●後日このレポートは修正(一部削除含む)されました。その経緯については文末をご覧下さい。

 

 トヅラ峠、火海峠は以前に「鳥屋ぐるりの峠」を散策した際に訪れました。
しかし、最近になって『津久井町の古道』(津久井町教育委員会編)という本を見ていたら
トヅラ峠に古道が残っているということ、それに加えて、津久井町鳥屋地域振興協議会発行の
『丹沢山麓・獅子舞の里・鳥屋ガイドマップ』の火海峠の位置が以前訪れた場所とは若干異なることに気付き
今回改めて探索してみることにしました。

また、『つくい町の地名』(津久井町教育委員会編)に掲載されている「青野原乗越」、「猿越路」という
峠の仲間と思われる地名も気になり合わせて探索を試みました。



『丹沢山麓・獅子舞の里・鳥屋ガイドマップ』より

火海峠の位置は左図『鳥屋ガイドマップ』を見ると
前回推定した場所よりも、一つ東の鞍部であることがわかります。

ゼンリンの住宅地図を見ても峠名こそ記されてはいませんが、
尾根を越える峠道は、この東隣りの鞍部に記されています。

さて真実はいかに?
ちょっと気になったので再び訪れてみることにしました。


鳥屋集落の背後に南山を望む

前回訪れた時と同様に中開戸集落から
茶畑の中の農道を通り山道に入ります。

振り返ると鳥屋集落の背後に南山、東山の山容が
大きく横たわっています。

鳥屋の集落は日当りも良く、傾斜地を耕し開墾された畑や
茶畑で作業している村人の姿を見ていると、
いかにも平和な気分になります。


金太郎権現参詣路入口

茶畑の畦道、一本の柿の木がある場所が山道の入口です。
右手奥には炭焼き釜を見ることが出来ます。

植林地に入ると、すぐに鹿柵を通り抜けます。
道幅も広く、勾配も緩やかなのでとても歩きやすい道です。

いかにも峠道といった感じなので、
前回は素直に、この道を登りつめた地点を火海峠と考えました。


鹿柵を通過する

『津久井町の古道』(津久井町教育委員会編)の
「ひうみ道」から引用させて頂くと、

ひうみ道は、旧青野原村前戸集落と、旧鳥屋村中開戸を結ぶ
道路で、ほとんどが山道で、全長約2kmくらいである。

明治の末年から大正の初期にかけて、当時青野原には
小学校に高等科が無く、そのために前戸から
ひうみ道を通って、鳥屋の小学校高等科に通ったという。


前回推定した火海峠

当時のことであるから山道の途中で弁当を食べてしまい、
鳥屋の店屋で饅頭などを買って空腹をしのいだという話もある。

昭和の初め頃には鳥屋に昭和館という劇場ができた。
後に鳥屋劇場という名称に変ったが、ここでの芝居や映画を
観劇するために前戸の人々は峠を越えたという。

当時は夜の興業のために提灯の灯かりを頼りに山道を歩き、
鳥屋に出ると出口に近いS氏宅に提灯を預けて、
帰りに又提灯を持ってこの道を帰ったという。

現在この道は全然通らず、
杉の植林になっており道らしい跡もない。

と記述されています。(一部改変)


こちらが本当の(?)火海峠か

前回推定した火海峠に到着して、
北側(前戸側)に道の痕跡はないものかと再度確認しますが、
何も見当たりませんでした。

次に東に尾根を辿り・415m峰を越えます。
尾根筋はモミの大木があり、なかなかの雰囲気です。
北方には石老山が木々間から望めます。
「界179鳥屋村」の標界石を見て鞍部に下ると
「猟銃禁止区域」の赤い看板があります。

ここが『鳥屋ガイドマップ』の火海峠で、
南北に尾根を越える踏み跡が続いていました。
やはり、こちらが本当の火海峠なのでしょうか?
しかし、そうすると『津久井町の古道』にある

現在この道は全然通らず、
杉の植林になっており道らしい跡もない。

という表現とは状況を異にしていることになります。
(謎はさらに深まってしまいました。)

そもそも火海峠とは付近一帯を指す地名なのかもしれません。
烽火(のろし)場があったといいますから鞍部ではなく、
見晴らしの良い山頂部を指した地名なのかもしれません。


金太郎大権現

再び、前回推定の火海峠に戻り、
今度は西の峰に向かいます。

この峰は「ババ山(468m)」と地元では呼ばれているようで、
金太郎権現が祀られています。

鳥居をくぐり、鉄パイプの手すりをたよりに、
急な石段を登りつめると、山中にしては立派な社があります。

その中に金太郎大権現をはじめ、大杉一之太郎大権現、
金毘羅大権現、妙法二神、が恭しく祀られていました。
社の外には、神明大明神、弁財天、山神三神と刻まれた
石碑も並び、神々で賑やかな山頂となっています。


ババ山から見る茨菰山

山頂からの眺めも良く、宮ヶ瀬、鳥屋ぐるりの山並みを
見渡すことが出来ます。

この権現様の社前では、
かつて賭場が開帳されていたといいます。
「ババ山」という名前も、もしかしたら「賭博山」「賭場山」の
転化なのかもしれません。

現在も、毎月25日には鳥屋、中開戸の人達により
権現様への参拝は続けられているといいます。


三角山(谷戸ノ頭)の三角点

権現社から尾根を北に辿ると新多摩線42号の送電鉄塔です。
トヅラ峠からの巡視路がありますが、ひとまず見送って、
515m峰の三角山に向かいます。

岩混じりの雑木林の尾根道で、
仙洞寺山の姿を楽しみながら山頂へ。
しかし、山頂部は植林に隠され東側の展望は無く、
電波通信施設もあり、少々興醒め。

三角山と書かれた標杭が転がっているだけの
味気ない山頂でありました。



東側に残る古道の一部か

三角山とババ山の鞍部である送電鉄塔に戻り、
巡視路をトヅラ峠に向けて下ります。

さすが巡視路!
プラ製の階段も設置され、ジグザグをきって快調に下ります。

県道に近い場所に位置する送電線鉄塔に近づくと、
オッ!古道らしき道と合流です!

これが『津久井町の古道』にある「葛道」の古道だろうか?
県道にほぼ並行して南北にのびているではないか!

『津久井町の古道』によると、

県道の前身である古道は、青野原側にも、鳥屋側にも二本の古道があった。
鳥屋のそれは、比較的広いものと、狭い道があった。
青野原側はどちらも殆ど同じくらいの幅員であったと思われる。
・・・青野原側の古道の内一本はほとんど現在の県道に含まれており、その跡はみられないが、
もう一本の古道は、現在もはっきりと残されている。
葛峠を左に入り山の中腹に古道が残されており、100mくらい行くと、青野原、鳥屋の境あたりに
馬頭観世音菩薩像の石仏が一基ある。
それは、梶野のH氏が建てたものであるが、建立年号は無い。

との記述があります。(一部略、改変)


送電線巡視路から県道へ

どうやらこの送電線鉄塔近くの古道は、
『津久井町の古道』でいうところの鳥屋側にあった古道の内の
狭い方の一本ではないだろか?
(広い方の一本は現県道と推測)

この古道を青野原側に向けて拾ってみる。
しばらくは良い道なのだが、後半は笹ヤブがひどくなり、
丁度、県道の峠の切通しの擁壁を過ぎた所で消滅してしまった。
(青野原側は県道と同一の道筋に含まれてしまったと推測)


西側に残る梶野からの古道の一部
(足元の石は明治期の馬頭観音)

仕方なく、一旦県道に出て、
反対側(西側)の山腹に古道はないものかと探索する。
こちらも笹ヤブがひどく、それらしい古道の痕跡は見当たらない。

地形図を見ると青野原側の梶野集落から南に向かって
破線道が途中までのびている。
これが、『津久井町の古道』でいうところの
もう一本の古道は、現在もはっきりと残されている
という道ではないかと思い、
県道を歩いて北へ下り、梶野集落からの探索を試みる。

オッ!これはまさしく古道だと思わせる道はすぐに発見できた。
道端には明治期の馬頭観音もあり、峠道の雰囲気も漂う。
よし!この道を辿ってみよう。


西側古道から三角山を見上げる

左手、沢を挟んだ県道の向こうには三角山の姿が望める。
三角山は横から見ると、三角というよりも丸みがある山だ。
三角山とは「三角点のある山」という意味なのかもしれない。
【*1】
などと考えながら進むと、

残念なことに数百メートル進んだ所で、
この梶野からの峠道は、
花火工場の中に消えてしまっていた。

多分、工場の中を通過した先にも
まだ古道は残っていると思われますが、
私有地なので立ち入ることは遠慮しました。

結局、峠にあるという馬頭観世音菩薩像には辿り着けず、
古峠の証である仏様にお目に掛ることは出来ませんでした。
(『津久井町の古道』には仏様の写真あり)

葛峠(トヅラ峠)の古道は、左右の山の木々が道に覆い被さり、雨の日などには傘も充分にさして
通ることが出来ないところも多かったといいます。 【*2】
当時の人が、徒歩で通るのと、駄馬が小荷駄で通るのと、緊急の場合に医者や急病人を乗せた
駕籠が通るくらいであったといいます。
鳥屋には早くからM医院という名医があり、青野原、青根、牧野方面から「とづら道」を駕籠に乗って
通院する者があったということです。

寂しい山道ですから、追剥に持ち物全部を取られたという話も残っていますが、
その中には、ババ山で開帳されていた博打で大負けしてしまい借金の形に身ぐるみ剥がされた
ことを追剥のせいにしたり、狐に化かされたと言っていたものもあったようです。



・434m峰は植林とスズタケで展望なし

トヅラ峠の古道探索が消化不良で終わってしまったので、
気分を変えて茨菰山、柏原ノ頭を歩くことに。

津久井墓苑(妙苑寺)から茨菰山北尾根に出る算段です。
「古い卒塔婆はここに置いて下さい」の看板の手前から
右手の土手を伝い植林地内の尾根取り付き点に向かいます。

山道に入るとすぐ笹ヤブが道を隠します。
ここは植林地を直登してやり過ごしましたが、
次に現われた笹ヤブでダニの攻撃を受けてしまいました。

アカマツ混じりのヒノキ林を抜け、雑木の細尾根から
潅木に掴まり北尾根主脈手前の支尾根ピークに這い上がる。
そこからしばらく進むと北尾根主脈にのって・434m峰に到着。


送電鉄塔375号から焼山を望む

しかし、周囲は植林に囲まれ展望は皆無。
これも低山、ヤブ山の定めかと諦めたのも束の間、
尾根を南下して375号鉄塔に出ると、
見事なパノラマが展開していた!

左手には三角山、仙洞寺山、右手にはひときわ大きな焼山
正面には茨菰山、後方は石砂山の展望が開ける。


展望ゼロの茨菰山 511m

見晴らしの良い尾根を通過すると三叉路となる。
ここは真ん中の道を進んで茨菰山へ。

茨菰山は見事なまでに展望の無い山。
この山は下界から眺めて楽しむ山なのかもしれない。

古文書には「方月山」との表記もある。
「朴」と「槻(欅)」が多いことからこの名前が付いたという説も
あるが、今はスギ・ヒノキばかりである。

三角点に腰を降ろして、
99円のコロッケパンとテルモスの紅茶で遅い昼食とする。


ここが青野原乗越か?

茨菰山から西に尾根を辿り、「青野原乗越」と呼ばれる
青野原と平戸を結ぶ鞍部を探索する。

どうやら左写真の切通し状の鞍部が青野原乗越らしい。
南側に作業道はあるが北側の道は消滅している。

古いガイドブックなどでは茨菰山の西鞍部(左写真)を
「青野原乗越」としているが、『つくい町の地名』という本を見ると、
さらに西方の焼山に向かう尾根上の寺入沢を詰めた付近を
青野原乗越としているようだ。
(今後、再調査の予定) 【*3】


・596m峰手前の枯れた赤松ピーク

ここから柏原ノ頭北尾根(柏原ノ頭-596峰-413峰と続く尾根)に
出るには読図力が必要だ。

25000図は必携なので安易に踏み込まないほうが良い。
さらに一般登山道じゃないだけあってダニの取り付きが
凄まじかった・・・ (>_<)

気温も20度を超えるとダニの活動も活発になるようで、
笹ヤブを通過する度にダニを爪で弾き飛ばす作業を
しなければならなかった。

踏み跡そのものはしっかりついているので進路方向さえ
わかれば迷うことはないが、ダニには辟易してしまう。
西丹沢の奥地並みに取り付かれてしまった。


柏原ノ頭の北峰(エンナミノ頭)

柏原ノ頭は本峰632mの北に中峰があり、
さらにその北に北峰がある。

北峰にはコンクリの標杭(「九」と刻印)と、
頭の欠けた赤いプラ杭がある。

この北峰に名前はないかと調べてみると、
どうやら「エンナミノ頭」(630m)という呼称があるようだ。


柏原ノ頭 632m

北峰から尾根伝いに柏原ノ頭に到着。
薄い笹ヤブのある尾根だが、
ここでもダニはしっかりと取り付いていた。
しかし、本日のダニとのお付き合いもここまで。
後は一般道を利用して平戸集落に降りるだけだ。

柏原ノ頭には山名標識は無く、「火事に注意」の看板に
マジックの手書きで柏原ノ頭と書かれているだけであった。
(古い本では「カシベラノ頭」との表記もある)


一般道の柏原ノ頭

さて、どうやって一般道に出るかと踏み跡やマーキングを
探したが見当たらない。

地図を読みつつ、足元の赤い林班標界杭を頼りにして
のっぺりした植林地の中を下降して行ったら、
丁度、左写真の登山標識の真ん前に飛び出した。

一般道の登山標識には「柏原ノ頭」とあるが、
ここは「柏原ノ頭分岐」とするべきではないだろうか?


御嶽山神の峠・ここが猿越路か?

あとは国道並みの快適な山道を標識の指し示す
平戸集落に向けて進むだけ。

御嶽山神の祀られている尾根の乗越部分に来た時、
『つくい町の地名』にあった「猿越路」という地名を思い出しました。
確かこの辺のはずですが、正確な位置は把握していません。

西丹沢の「犬越路」は有名ですが、
鳥屋の奥野地区には「猿越路」という場所があるのです!


馬頭観音、道しるべもあり峠の雰囲気漂う

この御嶽山神のある尾根の乗越部分が、
あるいはその「猿越路」かもしれません。
(未確認。今後、再調査の予定) 【*4】

馬頭観音が祀られ、古い石造の道しるべもあり、
峠の雰囲気は整っています。

また、眺望も良好なのです!!


御嶽山神の祠と石灯篭

御嶽山神から平戸への道は、暗い道でイマイチです。
特に平戸まで0.5kmという辺りから笹ヤブが道を隠します。
陰鬱な道です。
最後に臭い鶏小屋の裏を通って車道に出る点もマイナスかな。

最新版(2005年版)の『山と高原地図』を見ると、
「ヒルに注意」の警告もあるので夏場は敬遠したくなる道かも。

御嶽山神の「御嶽」とは、丹沢山中の特定の山を
指しているのだろうか? 【*5】
それとも三峰の御嶽神社のことだろうか?
そうとすると「火伏せ」の神様だろうか?
かつて鳥屋地区では焼畑が盛んであったというから
「山火事防止」の願いを込め建立されたものかもしれない。



トヅラ峠をウロウロしている迷子(?)の猟犬

青野原乗越と猿越路に関しては今後もさらなる調査が必要です。
また、越路トンネルの上に古道が残っているかも気になるところです。

県道藤野伊勢原線上のトヅラ峠には
迷子の(?)ワンちゃんがウロウロしていました。

鎖の首輪をしています。
猟に来て、ご主人様とはぐれてしまったのでしょうか?

振り返れば、今日一日ボクもトズラ峠付近を迷子のように
ウロウロとさまよっていたに過ぎない・・・

【*1】

後日、牧馬峠道から三角山を見ると、
やっぱり正真正銘の「三角形」でした。
【*2】
「トヅラ」とは、藤の一種である「藤葛」のことを指すという。かつて峠道に繁茂していたのかもしれない。
当初は、「九十九折れ」の転化かと思ったが道の様態からしても異なるようだ。
峠を挟んで、青野原側には「戸面」、鳥屋側には「葛」という字(あざ)がある。登津良沢という表記も見られる。
【*3】

古い山のガイドブックでは左図のように
茨菰山の西鞍部を「青野原乗越」としている。

『つくい町の地名』では、風巻ノ頭とエンナミノ頭の間の鞍部を、
つまり、青野原側の寺入沢、鳥屋側の倉沢(水沢川)を詰めた部分を
「青野原乗越」としている。

文献によって位置が異なり少々混乱・・・

【*4】


『つくい町の地名』より

『つくい町の地名』によると「猿越路」という地名があるらしい。
しかし、詳しい説明が何も無いので、どこのことかさっぱりわからない。

・596m峰の北にある枯れた赤松ピークから東にのびる尾根上であろうか?

左図は鳥屋造林組合調製によるもの。
「猿越路」とは一般的な地名ではなく、
林業関係者の間でのみ呼ばれている通称なのかもしれない。

【*5】
丹沢の尾根を歩いていた行者のことを「御嶽さん」と呼んでいたともいう。関連はあるかな?
焼山では山火事が多かったというから、やはり「火伏せの神様」だろうか?
この峠風の場所は風が異常に強かった。
●参考になる文献●

『津久井町の古道』(津久井町教育委員会編)・・・「ひうみ道」「葛道」の記述あり。
『つくい町の地名』(津久井町教育委員会編)・・・火海峠、トズラ峠、越路峠、青野原乗越、猿越路などの名を見る。
『ふる里鳥屋村四方山話』(鳥屋中学校ふれあい教室編)・・・ババ山の賭博場の話あり。
『中央線の山を歩く』(藤井寿夫著・新ハイキング社)
   ・・・「仙洞寺山・金太郎権現・茨菰山」の紀行あり。ここでは・415峰の西側鞍部を火海峠としている。
『丹沢・桂秋山域の山の神々』(佐藤芝明著・丸ノ内出版)
   ・・・「山神の使い・やまいぬ様」(p50〜52)に日向(ひゅうみ)、前戸(まえど)乗越と山神様に仕える山犬の話あり。
   ・・・「強力の大八さん」(p59〜64)にトヅラ峠と山神様の話あり。
『新ハイキング』・・・99.02.520号「茨菰山」、99.06.524号「風巻ノ頭から柏原ノ頭」、01.12.554号「柏原ノ頭から茨菰山へ」という紀行あり。

【補足資料】
「串川、鳥屋、青野原三ヶ村の境界である仙洞寺山の最高峰(火海峠)もまた烽火台のあった所と思われるが、証拠となる資料が
見当たらない。 ただ、青野原村前戸より鳥屋村に越す所を火海峠と称しているが、戦国時代に時々烽火が上がって
あたかも「火の海」のように見えたのであろうか」 (『津久井郡勢誌』昭和28年)

★修正の経緯★

平成17年10月23日 
N様から「偏見や想像でものを書かないでいただきたい」とのご指摘(お叱り)のメールを頂戴しました。

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当初、レポートには以下の記述がありました。

《こんなヤブ山に、なぜか人の姿が・・・怪しい〜
挙動不審で、どう見ても登山者ではありません。
手には大きな捕虫網を持っています。
ハハ〜ン!こいつはギフチョウの密猟だなとピンときました。

相手に敵視されては山の中のこと、口封じに何をされるのかわからないので、
友好的にやさしい口調で、「ギフチョウですか?」と尋ねたら、
ぬけぬけと悪びれることもなく「そうです」とのたまう有様。

さらに相手の警戒心を解くために、
「まだ早いでしょう。石砂山の方にたくさんいると聞きましたが?」と尋ねると、
「あっちは監視が厳しいから・・・」とのこと。
悪びれもせず、なんて奴だ・・・。》

また、採集網を手にされた方(上記会話を交わした人とは別人)の後姿の画像を載せ、
そのキャプションには
《捕虫網を持った怪しい輩 ギフチョウの密猟だ!》と記述しました。

さらに続けて、以下のように記述しました。

《おやおや、この展望が優れ気持ち良い場所に、またもや捕獲網を持った輩が出現!
結局、茨菰山北尾根には四人の怪しいギフチョウ密採集者がウロついていました。

蝶を捕るというのは、いい金儲けになるのだろうか?
それとも標本にした蝶を夜な夜な見つめて、独り悦に入る単なる蝶マニア達なのだろうか?》

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N様のご指摘により以下のことを初めて知るに至りました。

津久井町はギフチョウの採集規制がないこと。(規制は津久井郡藤野町のみであること)
地元の愛好家の方が飼育し、放蝶していること。
◎人の土地で虫を採ったので犯罪、という法律は存在しないこと。(法的に植物とは異なること)
◎標本は売り物にもならないし、個体を買う人も皆無であること。
 学術的には価値のないものであること。
◎採集目的はメスとオスを捕らえ次の世代を作る為であること。
◎採集する人は個体数増加と食草カンアオイの保護を考えていること。
◎日本にはまだ絶滅したチョウはいないこと。
 チョウはゴキブリと繁殖力がそう変わらないこと。
                                       (◎印はメール本文より抜粋)

どれもこれも初めて知ることで、自身の不勉強さを痛感しています。
ギフチョウが県の指定記念物であるというおぼろげな記憶のみから
「ギフチョウを採ることは犯罪行為である」との勝手な思い込みを抱き、修正前にあったような
意地悪で無神経な記述をしてしまいました。

ここに当該文章をレポートから削除するとともにお詫びを申上げたいと思います。

修正前のレポートをupしたのが平成15年の4月上旬頃だったと記憶しています。
それから今回のご指摘を頂くまでのおよそ6ヵ月間この愚かで汚い文章が公開されていたことになります。
今後6ヵ月間は、<修正の経緯・お詫び>を掲載した状態にし、自身の無知と偏見が招いた結末を反省し
軽はずみな記述が二度と起こらぬよう戒めとしたいと思います。

★お詫び★

自身の無知と偏見に満ちた感情を恥じるとともに、N様をはじめ多くの愛蝶家の方々の心を傷付け
不快な気持にさせてしまったことを心からお詫び申上げます。

浅薄な知識と勝手な思い込みにより、法的にも何ら問題のないギフチョウ採集者の方々を、
あたかも密採集者であるかの如く表現してしまった過ちを深く反省しております。

ギフチョウについてネットで検索してみると、(専門性が高く全てを理解、把握するには至っていませんが)
山形・長野・山梨・静岡・神奈川・岐阜・福井・京都などの一部の府都県あるいは町・村レベルのみで
捕獲の規制があることを知りました。
私はてっきり今すぐにでも絶滅に瀕している希少生物であり、かつ、全国的に捕獲が禁止されている
生物だとばかり思っていましたが実際はそうではありませんでした。
あの国蝶と呼ばれるオオムラサキも一部の地域を除いて捕獲は何ら問題が無いということも
遅ればせながら知り驚いている状態です。
(国蝶というぐらいだから国の特別な保護でも受ける絶滅危惧生物とばかり思っていましたから)

この程度の無知にもかかわらず、よくよく調べもせずに軽はずみな記述をしてしまったこと、
誠に申し訳ありませんでした。 どうかお許しくださいませ。
人様を不快にしたり、意図的に誤った情報を流すことなど本意ではありません。

また昆虫を採集すること自体を批判するつもりは毛頭ありませんし、
他人の趣味について攻撃するつもりなどなかったことも付け加えておきます。

最後に、私の無知と偏見に起因する配慮に欠ける一文で、
N様並びに多くの愛蝶家の皆様を不快な思いにさせたこと、心を傷付けてしまったことを
衷心よりお詫びいたします。

N様にはお詫び申上げるとともに、貴重な御指摘を頂きましたこと感謝いたします。

(修正/2005.10.25)

自戒の念を込める意もあり、上記<修正の経緯・お詫び>を掲載した状態にしていたところ、
2008年2月8日、藤野町にてギフチョウの保護活動にも携われております三宅様よりメールを頂戴いたしました。
以下に、そのほんの一部ではありますがメール内容をご紹介したいと思います。

尚、上記N様の御指摘を受けての反応ではありすが、N様がどのような保護活動をなさっているか正確には
知り得ないこと、また、鳥屋地区と藤野町篠原地区との違いがあることをご承知置きください。
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(以下メールより抜粋引用)

・・・・『地元の愛好家の方が飼育し、放蝶していること。』
ここに大きな問題があります。
飼育と放蝶という行為自体が生態系の攪乱、遺伝子の混雑を呼び込むからなのです。

・・・・ところで、個体群、という言葉があります。
同じ種の中でも、ある特定の地域に生息している群れ、とでも解釈すればいいでしょうか。
例えば「石砂山のギフチョウ」という理解の仕方でよいかと思います。
ギフチョウではこの個体群による変化が著しいのです。
生息地によって、微妙ではありますが、その姿形が違う。
これが、マニアさんにとってはたまらない魅力のようです。
微妙な斑紋の違いで、どこのギフチョウかがわかるのです。
 さて、問題は鳥屋付近のギフチョウです。
石砂山のギフチョウが天然記念物に指定されたのは、
ギフチョウの太平洋岸最東端の生息地、という理由からです。
その時点で、宮ヶ瀬・多摩丘陵・高尾山等のギフチョウ生息地で絶滅してしまったということが、
天然記念物指定の後押しをしていると思うのです。
ここだけのギフチョウ、という点で、希少性は非常に高くなります。

では、鳥屋のギフチョウはいったいどこのギフチョウなのか?残存していた丹沢個体群が増えたのか?
そこで、放蝶という行為の是非が問われます。
もし、他所のギフチョウを育てて放しているのだとしたらどうでしょうか。
鳥屋と石砂山はそれほどの距離があるわけではありません。当然、交雑する危険があります。

・・・・ギフチョウの生育に関してはもう一つ謎があります。
人工的な生育環境にあると、不思議なことにある斑紋が現れるのだそうです。一部の斑紋がO型になる。
もしかすると、厳しい自然環境の中では生き続けられない個体までもが
人工的な環境の中でぬくぬくと命を繋げてしまっているのではないか、
これはまさに僕の想像でしかないのですが、そういった可能性も否定できない。
少なくとも、いったん人工飼育をはじめたらそれを野に放すのは、何かまずいことがありそうな気がします。

・・・・また、地元の愛好家、という言葉に引っかかります。
篠原ギフチョウの会は、会の結束、相互の連絡のしやすさなどから、篠原在住の人間だけが会員になれます。
そういった意味では「地元の」という言葉がふさわしいと思うのです。
それでは、鳥屋のギフチョウはどなたが飼育と放蝶を行っているのか?本当に地元なのでしょうか。
ここにも疑問があります。
愛川町に、その道の方がいらっしゃる、ということは伝え聞いたことがあります。
しかし、愛川ではもう地元とはいえない。
相模原に合併したからといって、相模原駅や相模大野の人が地元だから、などと言っても、
それは信用しがたい。他所の県の人が、神奈川県在住だから地元でしょ、といってもそれも違う。
いったい地元の愛好家とは誰なのか、気になってしまいます。

・・・・『標本は売り物にもならないし、個体を買う人も皆無であること。』
日本昆虫協会、というのはたぶん昆虫採集を積極的に奨めている団体だったと思います。
そこのホームページに、一頭二千円ぐらいという値段が書いてあります。
手間を考えると割の合わない、といったことを書いてありますが、
少なくとも値が付けられ個体を買っている人もいるということがわかります。
かつて、同人誌の広告でもこの辺のギフチョウの標本が売られていることを確認しました。
また、ヤフーオークションでもギフチョウ標本を幾つも売っている例があります。・・・・・・

(以上、三宅様からのメール引用)

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以上、メール文からの飛び飛びの抜粋なので分かり難いかもしれませんが、
三宅様におかれましては、「飼育と放蝶という行為自体が生態系の攪乱、遺伝子の混雑を呼び込む」として
強い危惧を懐かれております。

「飼育と放蝶」「個体数増加」があたかも善い行いであるとの印象を、
上記<修正の経緯・お詫び>だけを見た方々の内に生じさせる危険があるのではとの御指摘だと、
メールから拝察させて頂きました
「飼育と放蝶」「個体数増加」はそのやり方によっては必ずしも保護には当らず、
「人工飼育」という行為そのものにすら強い疑念を持たれていることがわかります。

また、「食草カンアオイの保護」についても細心の配慮が必要であり、
その弊害の一例をお示しいただきました。
(これについてはオフレコでという要望がございましたので引用記載は控えます)

篠原地区内においては実際に不法な密採集者が出没すること、
また、現実にはギフチョウ標本の取引が行われていること(違法性があるかどうかは不明)などを
御教示頂きました。

尚、三宅様は数年来、篠原地区にてギフチョウの保護に携わり、
現在は篠原ギフチョウの会準会員として、ギフチョウパトロールにも従事されております。
以下に、「地元民」としての悲痛な胸のうちを吐露された一文をメールから引用します。

「毎週末のように山を見回ること=監視のたいへんさ、
それも手練手管のマニア相手に説得したりしなければならないという、事情をお考えなのでしょうか?
ギフチョウの会では3月中旬から6月中旬まで、かなりののべ人数が山へ入ります。
といっても、母数の限られた団体なので、なかには毎週末を犠牲にしている人もいるのです。
また、郷土愛に基づく情緒だけで動いている団体でもありません。
昨年の監視終了日にも県立博物館の学芸員さんに短い時間ながら講演をお願いし、
昆虫の生態、ギフチョウの生態のメカニズムを教えてもらっています。
そして、ギフチョウの会のメンバーの多くが、
地元が荒らされることを本当にいやがっているのです。非常に保守的でもあります。
それだからこそ、今までギフチョウが生き続ける地を維持できた、
と、声には出さなくても心の中で思っています。」  (三宅様からのメールより引用)

ギフチョウの生態及び保護の問題については、奥が深く、専門性が高いので、
何が善で何が悪なのか、無知な私には判断しかねるところが多々あります。
また、「保護」という言葉一つとっても、
「正しい保護」、「正しいだろう保護」、「正しいと思ってやっているが結果的には正しくない保護」、
「保護という言葉を弄して悪意ある行為を働く者」、と入り乱れているようです。

以前私の書いた<修正の経緯・お詫び>から、
「飼育と放蝶」の全てが、正しい保護であり、善であるかの如く、誤った印象を
たまたまにもこのページを御覧になった方々に与えてしまってはいけないと思い
今回、三宅様からのメールを本ページに加筆させて頂きました。

(加筆/2008.02.24)