本栖湖西岸の峠

反木峠・中之倉峠・青湖峠?・佛峠・御飯峠  (おまけ)笈ノ峠(狼峠)


佛峠は素敵な峠
霧が流れる幻想的な峠でした
樹相の雰囲気も良く山深さを感じました

 前から気になっていた本栖湖西岸尾根の峠を拾ってきました。
河口湖、西湖の北岸や精進湖の西岸の尾根には明瞭な登山道があり、実際に歩いたこともありますが、
本栖湖西岸尾根は全く未知の領域でした。

25000図に破線道はありますが、登山ガイドブックからは無視されている不遇の尾根道です。
山行記録も少なく、踏み跡でもあれば幸いと思っていましたが、しっかりとした山道がつけられていました。
一部分を歩いただけですが広葉樹に包まれた静寂の山道を堪能することができました。


中之倉トンネル脇のプレハブ小屋


尾根上までは明瞭なジグザグ道

まずは中之倉トンネル東口近くの本栖湖畔に車を置いて、尾根の取り付き点を探します。
『山梨の峠』にあるように、トンネル脇のプレハブ小屋の裏手から
尾根に登る道がつけられていました。
 【*1】

入口には何の標識も無く、道も草に隠され気味ですが、樹林帯に入るとすぐに明瞭な山道となります。
赤や黄色の目印テープも木々に巻き付けてあり、割と歩かれている道のようです。
尾根上までは、新緑のジクザグ道です。
この道が昔の峠道なのでしょうか?

峠道にしてはちょっと道幅が狭いような気もしますが、
足に負担をかけない勾配で、訪問者を尾根上へと導いてくれます。


尾根に出た所には大岩があった


尾根上の鞍部には猟銃の薬莢が散乱

中之倉峠を訪れる前に、その東北に位置する反木峠(p1146の二つ先の鞍部)へ向かうため、
途中から峠道を外れ、右手方向に進路を取ります。
ひょいと尾根に飛び出した所には大岩がありました。ここから反木峠を往復します。

尾根上には明瞭な山道がつけられていました。
ヤブ漕ぎも覚悟していましたが、どうやら要らぬ心配だったようです。
右手には本栖湖の青い湖面がちらちらと眺められ、なかなか心地好い尾根道です。
足元にはキランソウ(別名:ジゴクノカマノフタ)の群落があり、小さな青い花弁が風に揺れています。

尾根上の小さな鞍部という鞍部には猟銃の薬莢が無数に散乱しています。
猟期にはハンターが多く入っているようです。
ハンターの世界では空薬莢を拾って持ち帰るというシキタリは無いのでしょうか。

周囲は広葉樹林帯で、いかにも獣たちが好みそうな場所です。
特に西側山腹は山が深そうで、熊でも出てきそうな雰囲気です。


反木峠手前の山腹道


反木峠

p1146の南側を大きく巻いて小鞍部に出て、
次の峰を北側から巻いた山腹道を進むと反木峠に辿り着きます。
この北側の巻き道は、自然林の中の心地好い道で、
大きなトチやミズナラなどが繁茂する緩斜面につけられています。

反木峠は、ちょっと峠らしからぬ雰囲気ですが、
『山梨の峠』にもあるように、たしかに反木川側に下る道が見受けられます。
本栖湖側に下る道は、有るか無しの感じで、かなり不明瞭です。 【*2】
どんな役割を持った峠だったのでしょうか?
昔は猟師や釣師が通った峠道だったのかもしれません。

峠からさらに尾根をパノラマ台方向へ進んでみましたが、
p1178付近を北側から巻きだした辺りでスズタケが現われたので引き返すことにしました。


中之倉峠手前尾根分岐


分岐の石道標

今来た道を戻り、尾根上に出た所にあった大岩をも過ぎると、石の道標がある三叉路に出ます。
左手より本栖湖から登ってくる最前の峠道が合流しています。

石の道標の南面(つまり本栖湖側から見た場合の面)には、「向ツテ左ハ フルセキミチ」とあり、
下部町の「古関」の地名を表示しています。
道標の西面(つまり中ノ倉から来た場合目にする面)には、
「向ツテ右ハ モトスミチ 向ツテ左ハ シャウジミチ」とあります。
本栖湖西岸の尾根道は、中ノ倉と精進とを結ぶ古道として歩かれていたことを窺わせます。

裏面には「大正」の年号が刻まれています。
現在、中之倉トンネルが穿たれ、車が快走する本栖道(国道300号線)は
いつ頃開鑿されたのか定かではありませんが、国道開設以前は尾根道が人の往来する道として
その役割を担っていたのかもしれません。
(それともこの国道は古くからの峠道沿いに造られたものなのか?)


中之倉峠


中ノ倉への道

中之倉峠は、こじんまりした十字路で、中ノ倉方向に下る道も植林地の中に続いているようです。
『山梨の峠』には、「中ノ倉集落への下り道が見つからない」とあるので、
あるいはこの道は途中で途絶えているのかもしれませんが・・・・

峠付近の尾根から西へ、三角点p1131、同p898を経て古関へ下る尾根道の破線が
25000図には描かれていますが、山行記録は見当たりません。
現状はどうなっているのでしょうか? 【*3】

『甲斐の山山』によると、
「中之倉トンネルの上の露岩のある細尾根は、
本栖湖山荘の主人の話では青湖峠(アオウミトウゲ)といい・・・」とあります。

青湖峠を探して尾根を南下してみます。

【*1】 現在、このプレハブ小屋は無く、立派な公衆トイレと駐車場が整備されている。

【*2】 旧版地形図を見ると、反木川側へ下る道も、本栖湖北岸へ下る道も、幅広な立派な道で描かれています。

【*3】 HP『花のひかり』さんに、この尾根道の登行記録がアップされました。


展望台から本栖湖

中之倉峠からすぐの所に「展望台」の標識がありました。
立ち寄ってみると素晴らしい展望が広がっています。
本来なら富士山が真正面に見えるはずですが、残念ながら厚い雲に覆われています。
湖面は濃い青色をしていて、「青い海」との形容がまさにしっくりきます。
さらに進んだ岩稜帯からも輝く湖面を望むことができます。

旧五千円札の裏面の富士山はこの付近から撮影されたとのこと。 【*1】
「青湖峠」の標識はありませんでしたが、この辺をそう呼ぶのかもしれません。

それにしてもこの付近、「獣のクソ溜めが多いなぁ〜」と思っていたら、
ガサ!ガサ!高速で逃げる物体が・・・・丸々太った狸だ!


中屋敷分岐か?テープあり ここが青湖峠かも?

さらに少し進むとp1125の手前に、地図上の中屋敷に下る破線道があるはずです。
現地では、はっきりしませんが、目印のテープの付けられた分岐がありました。
(あるいは、ここの分岐を青湖峠と呼ぶのかもしれません?)

そもそも「青湖峠」とは出来過ぎた名前です。ロマンチック過ぎます。
古くからの地名ではなく、創られた名前、俗称なのかもしれません。

ちなみに「青湖峠」をネットで検索すると、
『富士四季讃歌』(白旗史郎編・朝日新聞社)という写真集が出てきます。
この写真集の中に峠から撮影した富士の姿があるようです。(未確認)

このまま尾根を辿って三角点p1247(牛首山というらしい【*2】)を経由して、
次なる目的地、佛峠を目指したいところですが天候が急変しそうですし、時間も残り少ないので、
(下山後、長い湖畔の道を歩いて車に戻るのもイヤなので)、一旦車に戻り、佛峠入口まで移動します。

【*1】 これで「三大紙幣富士」を達成しました。
     「五百円札の雁ヶ腹摺山」、「五十銭札の越前岳富士見台」、「五千円札の本栖湖青湖峠」を勝手にそう呼んでいる。

【*2】 『一日の山・中央線私の山旅』の中で疑問符付きで「牛首山」としている。
    最新版の『山と高原地図』には、「中之倉山」の名前が付されている。


佛峠入口


峠道文化の森の看板

先程までの青空も、湿り気味の灰色の雲に覆われ、佛峠の峠道に入る頃には、
辺りは薄暗い雰囲気に包まれます。
なんとなく薄気味悪い峠道、残りの行動可能時間を計算し、明るい時間に戻れることを
確認してから足を踏み入れます。
峠入口には「佛峠ヲ経テ釜額ニ至ル」という標柱が稀に訪れる旅人を待ってポツンと立っています。

山梨県林務部が平成8年に設置した「峠道文化の森」の看板があり、次のように記されていました。

 「峠道文化の森は、往時、人々の暮らしに深く結びつき、
 地域の固有の文化を育んだ里山の峠道とその周辺で大切に守られてきた
 大樹や森に着目し、設定したものであります。
 この森と親しみながら、ゆったりとした時間の流れの中、
 人間と森林とが共に生きることや、山村と山村、また、都市と山村とを結ぶ
 現代的な意味での交通について考える端緒となることを期待しております。」

ウーン、なにやら高尚で、難しいことが書いてあるぞ・・・。

「峠道文化の森」の看板に書かれた地図を見ると、
佛峠と端足峠の両峠を経由する道が、
釜額、中屋敷と朝霧、富士宮を結ぶ道であったことを教えてくれます。


峠道の随所にある謎の標識


勾配緩やかな峠道

峠道の歩き出しはヒノキの幼木林の道。
木々間からは湖岸の白い砂浜を見下ろすことができます。

峠道の随所には、鶴と月(太陽?)と富士山の図柄の標識が取り付けられています。
「750」という数字も書かれています。はて?なんの意味があるのだろうか?
謎の標識である。

峠道の中盤からは新緑の広葉樹の中を、大きくジグザグした道になります。
勾配も緩やかで、道幅も広く、コーナーもきつくありません。
生活物資を積んだ荷車でも通ったのでしょうか?


佛峠の標柱


朽ちた標識が転がっている

『甲斐の山山』には「仏峠」について次のように書かれています。

  「本栖湖の南西端には昔、川尻金山があって川尻千軒と呼ばれた。
  武田氏滅亡後廃坑となり、その時金山の守護仏を運び出し、
  この峠に安置したのが峠の名の起こりという。
  この峠道は産金を運ぶ道であり、また駿河から塩や生魚を運ぶ道として重要だった。」

往時は、想像以上に交通が盛んで、人の往来が絶えなかったのかもしれません。


佛峠
素晴らしい一級の峠です!

いくつかの大きなジグザグを繰り返し、ミズナラやツガ、トチなどの自然林の中を行くと、
朽ちた「パノラマ台へ」の文字が読み取れる標識が落ちている場所を迎えます。

その先の分岐を左へ鋭角に折り返すように登ると佛峠です。
25000図の佛峠の位置は若干ズレていて、精確ではありません。
図上8oほど南に行った場所が実際の峠になります。 【*1】

峠はガスに包まれ幻想的な雰囲気でした。
尾根に刻まれた小さな凹、朽ちかけた標識、釜額側にある大木、これは三つ星の峠です。★★★!
峠の格付けをするなら、まさに一級の素敵な峠です。


釜額への峠道・深い原生林が続く


峠の標柱と雨ヶ岳へ続く尾根道の階段

佛峠の名前の由来となった「金山の守護仏」はないかと探しましたが、
仏様の姿はありませんでした。

峠の標柱には「標高1130m」とあります。
ガスは濃くなる一方で深山の雰囲気が漂います。

釜額への道は、深い深い原生林の中を行くようです。
熊などの大型獣が棲息する気配が感じられます。
山梨県内の熊の被害を調べてみると、
市川大門や下部町周辺の熊は、かなり凶暴な性格の持ち主のようで、
人身被害も数多く報告されています。それなりの準備と心構えが必要となるでしょう。

峠から尾根を南へ向かいp1225、p1333を経て御飯峠を目指します。

道はあるのかと心配しましたが、木製の階段が続いています。
p1225の肩付近にはシイタケ栽培地の名残があります。

ガスはますます濃くなり、いつしか水滴状となって髪を濡らしはじめます。
視界が悪くなり、熊への恐怖感が増してきたのでホイッスルを吹き、
手を叩き、奇声を発しながら進みます。

p1333手前の分岐に注意しつつ、のっぺりした点峰を過ぎると、その名も珍しい御飯峠です。


御飯峠にある指導標


御飯峠の標識

御飯峠も白いベールに包まれ幻想的です。
常日頃、晴れた日ばかりの山行、峠行ばかりしていると、
曇り日の霧の峠は新鮮に感じられるし、神秘的ですらあります。

峠は背の低いクマザサに覆われ、
「←雨ヶ岳、仏峠→」「←本栖湖、栃代→」の朽ちかけた標識が転がっています。

たしかに尾根を越える道があり、十字路を形成しています。
栃代側はヒノキの林でその中に心細い道が続いています。


霧に包まれた御飯峠 (栃代側)


霧に包まれた御飯峠 (本栖湖側)

本栖湖側へ下りる道は明瞭です。
ガスの中に一本、無粋なテレビアンテナが立っています。

御飯峠という名前から察して、昔は米が運ばれた道なのでしょうか?
金山で働く人のために米が峠を越えたのかもしれません。

それとも、ガスがかかっていなければ、椀に盛ったゴハンのような
姿をした富士山を望むことができるのかもしれません。


本栖湖へ下る峠道


無造作に転がっていた標識

本栖湖へ下る峠道はp1333から東へ派生する尾根に一旦乗り、
その後、幾度と続くジグザグでp970付近に下降して行きます。

自然林の中の若葉明るい峠道ですが、小刻みにジグザクを繰り返します。
前方でガラガラと落石の音とケモノの姿。
すわ熊出現かと緊張しましたが、カモシカくんの仕業のようです。

荒れ気味の涸れ沢沿いに下り始めると下界も近いです。
この峠道を登りに使うのは厄介そうです。
佛峠を登り、御飯峠を下るという選択はどうやら正しかったようです。

堰堤が現われると涸れ沢の幅も広がり、複数の支流が入り組んできます。

土手に一本の標柱が転がり、「現在地、下部町釜額金山沢」とあります。
あれ!間違って反対側に下ってしまったのかと一瞬慌てましたが、
尾根を越えた本栖湖側も下部町の領分だったのですね。 【*2】

標柱をひっくり返すと、「峠を経て栃代ヤマメの里常葉に至る」とありました。
地図を見ると、栃代(トジロ)とは随分と山奥の集落です。
世間から隔絶されたかのような山峡集落。
もしかしたら桃源郷のような所かもしれません。機会があれば是非一度訪れてみたいものです。


あっ! 金坑発見!


砂防堰堤が錯綜している

涸れ沢の対岸にポッカリと口を開けたかのような岩穴を発見。
これは金坑跡ではないだろうか?ここらが川尻金山なのかもしれない。
金山沢という名前が付くほどだから、
よくよく探して歩くと、金塊のカケラぐらい落ちているかもしれない。一獲千金も夢ではないのかも。

峠道下部は砂防堰堤が錯綜しているので、
金塊探しにうつつを抜かしていると、道を見失いがちになる。
逆コースで御飯峠へ向かうには、この砂防堰堤帯通過で迷う心配もあり難しいかもしれない。
左岸の林道を歩き、廃業したキャンプ場を通過すれば、車を停めた佛峠入口に戻ることができる。

本栖湖西岸の尾根は予想以上に明瞭な道があり、美しい自然林に包まれていました。
訪れる人も少なく、静かな山旅を味わう向きには最適です。
特に佛峠、御飯峠は素敵な峠で、西側の釜額や栃代に下る山深い道は峠マニアを誘惑します。

当日、富士山は雲の衣を脱ぐことはありませんでしたが、
視界が良ければ、本栖湖の瑠璃色の湖面と富士の雄大な姿を目にする眺望優れた山旅を
味わうことができたでしょう。

帰路、青木ヶ原樹海を通過する頃、濃いガスは水滴となり、車のフロントガラスを叩きはじめました。

【*1】 『一日の山・中央線私の山旅』(横山厚夫著・実業之日本社)の中に仏峠の紀行があり、峠で出会った老人との
    愉快なやりとりが描写されています。 また地形図の仏峠の位置の間違いを指摘しています。

【*2】 市町村合併で、もはや下部町はない。 身延町、中富町、下部町で合併してNew身延町になったらしい。

● 後日、仏峠と御飯峠の釜額・栃代側の峠道を歩いた時のレポートを見る

【おまけ】 笈ノ峠(狼峠)


この辺が笈ノ峠か?


「精進湖笈の峠養魚場」の看板

笈ノ峠は『甲斐国志』の「笈ノ嶺」の項に見られる峠です。

「精進湖ノ南ニ在リテ 本栖ニ界スル小坂ナリ 此辺凡テ富士ノ大麓ニテ豺狼多シ
オヒノハ オホイヌノ約言ニテ 狼嶺ナルベシ」とあります。

つまり、「笈ノ」の「オイノ」は、「オオイヌ」のことで、「狼」の意味であるとしています。

「犬越路峠」の「大犬越路」語源説と同一で、「オイヌ」→「大犬」→「狼」説を思い出す。 【*1】

『山梨の峠』に掲載されている「精進湖笈の峠養魚場」の看板は色褪せてしまっていますが、
唯一、現地に残る峠名に関する痕跡です。

笈ノ峠」の語源には、「大犬」説の他に「西行」説があります。
西行が諸国遍歴の途中、この峠で休憩し、富士山のあまりの美しさに見とれて、
笈を忘れていったというものです。
オイ、オイ、本当かねぇ〜。

【*1】 山岳雑誌『山』第一巻第四号の武田久吉氏の文章に、
     「精進から湖の西岸に沿って本栖に出る途上に、笈ノ峠という坂があって、大犬峠の訛りである」とある。

【参考文献】

『山梨の峠』(小林栄二著・自費出版)
『甲斐の山山』(小林経雄著・新ハイキング社)
『一日の山・中央線私の山旅』(横山厚夫著・実業之日本社)
『新ハイキング506号』1997.12月号 「本栖湖北西岸の山稜」「雨ヶ岳」

【余談】

Wウェストン氏の『日本アルプス再訪』(平凡社・水野勉訳)の中に、他人から聞き及んだ言葉として、
「すべての富士登山路の内で、甲府から中倉峠を越えていく道が、富士へ行く数多くの道の中でも最も魅力的だと述べている。
そして、チロルの風景に日本人の生活と環境を温かく調和させたような風景だとしている。」 という文章があります。

そうすると、Wウェストン自身もその魅力的な中之倉峠を越えて古関から精進湖畔に出たものだとばかり思っていました。
しかし、『甲斐の山旅・甲州百山』(山村正光他著・実業之日本社)の中に、ウェストンの撮影した写真の角度から推測して
ウェストンは中之倉峠や反木峠を越えたのではなく、根子峠を越えたに違いないとの指摘がありました。
(『富士を眺める山歩き』(山村正光著・毎日新聞社)にも同様の記述あり)

さて、Wウェストン氏は古関から精進湖へ向かって山越えをした際に、いったいどの峠を越えたのでしょうか?

「途中、峠の頂上近くで、東の方の空高くそそりたつ富士の、うっとりするほど美しい円錐形の山容と向き合って休息をとった。
また、後ろには、富士に次ぐ高峰である白根山の雪を被った山稜が長く延びていた。」

「やがて、青緑色の水を湛えた二つの湖が見えた。本栖湖と精進湖である。」

という行程途中の風景描写の文章があります。
中之倉峠を越え、本栖湖北岸の尾根を辿り、根子峠から精進へ下ったような気がします。 さて史実はどうなのでしょうか?

(峠行2005.05.14)