甲府東山の峠 / 岩堂峠・鞍掛峠・名無しの峠・茶道峠

 


老ハイカー懐かしのマツダランプホウロウ看板

 その位置、その読み方で、なにかと物議をかもす「岩堂峠」を訪れました。
午前中に甲府北山の峠を巡り、午後は甲府東山の峠を巡るという峠漬けの一日を楽しみました。


国土地理院発行地形図より

地形図の「岩堂峠」の位置が誤記であるということは誰しもが指摘する事実。
真の「岩堂峠」はそこから北東に位置する鞍部であり、地形図に記された「岩堂峠」の場所には、
「鞍掛峠」という歴とした別の名が存在しているのです。
この間違いを一向に修正しようとしない国土地理院の頑ななまでの態度は何ゆえなのでしょうか?
此処が「岩堂峠」であるという何か揺るぎない根拠があるのでしょうか?
(最新版の地形図は未確認ですが、国土地理院の地図検索システム《ウオッちず》を見ると、
岩堂峠は正しい位置に記されています。)


昭和初期の古い地形図

誤記は昔からなのかと言えばそうではなく、古き地形図には正しき位置に「岩堂峠」の名が
明記されているのです。
なんとも不思議なことです、いつから、何をきっかけとして、地形図上での岩堂峠の位置は
変移してしまったのでしょうか?
この付近では峠位置の他に、夕狩沢の位置も地形図と実際とでは異なっているとも聞きます。


峠道入口に祀られる山神様


マツダランプのホウロウ看板が迎える

積翠寺の田舎道の片隅に車を停めて、五月若葉の萌える沢沿いの山道へと進みます。
峠道の入口に祀られた山神社に一礼し、しっとりとした中に微かな緊張感が漂う峠への道
を歩き始めるのです。
この峠道を歩いていると、樹間から誰かに見られているような不思議な感覚を覚えます。
誰もいないのに人の囁きが聞こえたり、脇をすり抜ける人の気配を感じたり・・・
突然デジカメが作動しなくなったりと・・・、得体の知れぬ霊気の包囲を体感するのです。


しっとりした峠道が続く


岩の上に置かれた道標

峠道に入り、間もなくして御馴染みのマツダランプのホウロウ看板を見ます。
昭和28年国鉄と交通公社共催による「みんなで楽しむハイキングコース」募集に際し、
入選したハイキングコースに設置されたマツダランプのスポンサー付きのホウロウ看板、
この看板を見るためだけに、このコースを訪れる人もいるとかいないとか・・・
岩堂峠コースには、まだ三本の看板が残っているといいます。


要害山分岐


野仏

なかなか味わい深い峠道ですが、途中で出くわす延長された林道は余計な代物です。
「山を守り続けよう」という甲府地区森林愛護課の看板が空しく思えます。
要害山への道を分け、山深い道を汗して登ると清水を利用した御手洗があり、
そこから一段上がると静謐の深草観音に到着します。


深閑とした深草観音


岩窟へと続く鉄ハシゴ

亭々たる杉林に囲まれた霊気漂う聖地といった趣。
石灯篭の参道を登ると岩堂へと導く鉄製ハシゴ、かなりの高度感があります。
昭和ヒトケタ製の鉄ハシゴに命を預ける不安は払拭できないなどとなにかと理由を見つけて
ハシゴに足をかけるのを躊躇し、付近をウロウロすると、右手より鎖の設置された巻き道
があるのを発見し一安心。


深草観音に祀られた石像群


深草観音に祀られた石像群

【深草観音】
別名、岩堂観音とも呼ばれています。この地は、要害山の南麓に位置する瑞岩寺の旧地で、
灯篭のある場所が山門跡と伝えられています。以前、観音堂の中に安置されていた本尊は
現在、瑞岩寺に保管されており岩穴の中には身代わりに三体の観音像が祀ってあります。
本尊は高さ一寸八分(5.4p)と小さいものですが33年に一度開帳される秘仏となっています。
                                --甲府市設置の現地案内板-- より


迂回路から岩堂へ


岩堂内部

右手迂回路から岩堂への出入は狭い岩穴を通過します。
胎内くぐりのようで面白いのですが、閉所恐怖症の身にはタマリマセン。
岩堂内部は畳三帖ほどの広さで、線香と蝋燭のニオイが滞留しています。
鉦を鳴らし、なんとなく手を合わせ、記帳を済ませると、こんな所で一日経を上げ暮らすのも
悪くはないと思えてきます。


なぜか生活感が漂う


周囲の岩窟にもなにやら

堂の片隅には煤けた薬缶が置かれ、手拭などが干してあるのを見ると、
定期的に経を上げに来る信心深い里人がいるのかもしれません。
水は清水が湧いているし、登山者から拝観料と供物を巻き上げれば、ここで生活することも
あるいは可能かもしれません。
この岩堂の他にも、周囲の切り立った岩壁には自然のものなのか人工的なものなのか
判然とはしませんが岩穴が見受けられます。
かなり高い位置にあるそれら岩窟には風化した石像物も見られます。
鎌倉の切り通しに多く見られる“やぐら”のようでもあり、死者を葬る場所では
なかったのかとも思えてきます。
南米アンデスかどこかでは風葬の習わしがあるとか、また山中の移動漂泊民であるサンカは
火葬ではなく風葬を習わしとしていたと言いますから、こんな懸崖の岩穴は死者を葬るには
絶好の場所であったかもしれません。


峠まであと少し


突如現われる古い石積み

深草観音を後に、傾斜の増すゴロ石混じりの峠道となります。
突如現われる城壁のような古い石積みはなんの遺構なのでしょうか?
岩堂峠道は軍用の間道としてしばしば用いられたと言いますから、武田本陣の背後を守る
見張り番の詰所でもあったのでしょうか?
とあるHPによると、この地には夏場に涼をもとめて蚕を保管する建物があったともいいます。


岩堂峠

空が近くなると、岩堂峠へはひょっこりと飛び出します。
可愛いクロスポイントで道標とベンチが設置されています。
今登って来た道を「深草観音・要害山・積翠寺」、反対側へ越す道を「兜山・春日居」、
これから向かう西方の尾根道を「大岩園地・鹿穴」と、真新しい標識は指し示しています。


「イワドウトウゲ」に「ガンドウトウゲ」の振り仮名が・・・


二枚目のマツダランプのホウロウ看板

標柱には後付けされたかに思える「岩堂峠」のプレートがあります。
がしかし、これも後書きされたかに思われる「GAN DOU」の振り仮名が・・・・

「岩堂峠」は「イワドウトウゲ」と読み、「ガンドウトウゲ」とは読まないはず・・・・
「岩堂観音」の「岩(イワ)のお堂(ドウ)」から素直に「イワドウ」でいいと思うのですが。
「ガンドウ」などというと、「厳道峠」、「雁道峠」などと後世に変化を与える余地を残す気が
して心配でなりません。


鞍掛峠
ゴミ箱があるだけ


鞍掛峠
うっかりしてると通り過ぎてしまいます

「イワドウトウゲ」から歩きやすい幅広の尾根道を西へと進むと、
国土地理院の言うところの疑義ある「岩堂峠」に到着。
この地は『甲斐の山山』をはじめ、多くの山関係の書物にある様に「鞍掛峠」が正しい呼び名。
残念なことに現地には峠名を示した標識の類はなく、ゴミ箱と土管の灰皿があるだけです。
峠は意識していないと通り過ぎてしまいそうな小さな鞍部。
西側へ下る道はありますが、東側へ下る道は不明瞭です。


鹿穴・大蔵経寺山分岐


三等三角点峰 鹿穴

鞍掛峠から鹿穴峰を東側から巻く道を伝い大蔵経寺山分岐へ、分岐標識の裏手から
ヤブの中の踏み跡を辿れば2分で三等三角点峰の鹿穴です。
展望はなく、角の欠けた三角点がポツンとあるだけですが「鹿穴」という名には惹かれます。
悲しいことに、どなたかが掛けられた「鹿穴」の手製標識が破壊され
「穴」という文字だけ残って風に揺れています。


善光寺町と上積翠寺町とを結ぶ名無しの峠

鹿穴からさらに西へ、善光寺と上積翠寺を結ぶ名無しの峠を目指します。
車を停めた積翠寺へ戻るにはこの名無しの峠を下らねばなりません。
名無しの峠には意外にも登山標識が建ち、峠の情趣をも兼ね備えています。
なぜ峠然としたこの場所に「〇〇峠」という名前が付与されなかったのか疑問です。
あるいは麓の村々では歴とした呼称があるのかもしれませんが。


峠をわずか下った所にある曖昧な標識


峠道というより涸れ沢を下る

名無し峠をわずかに下った所にある指示方向曖昧な標識に惑わされながらも、
白いビニールヒモの正しき進路を示すと思しき目印に全運命を託し、ガンガンと下ります。
しかし、いつしか踏み跡らしかった痕跡も消え、ただの小さな涸れ沢の下りとなり、
一抹の不安がよぎるのです。
あれほどまで信頼をおいたビニールヒモの目印も消えてしまい、窮地に追い込まれるのです。
登り返し尾根に戻る元気はなく、かといって涸れ沢をこのまま下り、滝でもあったら厄介です。
犯人の痕跡を探す警察犬のように真剣な面持ちで周囲を探索すると、なにやら古い石積み群、
昔の住居跡かそれとも炭焼きかワサビ田の跡か、ならば麓へ下る道があろうと、
ヤブを掻き分けると前方に巨大堰堤が現われるのです。


巨大堰堤を通過して終わりを告げる

巨大堰堤あらば、それを造るために重機の通った道があるはず。
堰堤の鉄柱を水線通しにくぐり抜け右岸に上がるとコンクリートの林道が現われます。
林道を慣性に任せて下ると岩堂峠道入口に祀られていた山神社の前にひょっこりと出るのです。
峠道歩きのスタートから山神社の使いに守られ、また最後に山神社に導かれ戻ってくる。
そんな不思議な感じがしたので静かに山神社に手を合わせ甲府東山を後にしました。


茶道峠

【茶道】 

つつじヶ崎館の大手門から岩窪を通り円光院前を過ぎ、夢見山北の鞍部を越える峠道で、
古府中時代の官道であった。茶道の名は、武田信玄が坂道の北に茶室を建て、
往復の途中茶の湯を楽しんだという伝承による。
峠は標高460mで、つつじヶ崎館よりは68m、里垣より130mの比高である。
峠に登る道は赤松と雑木林の中の沢伝いの道で、今は人も通らないが、新茶道を行くと
茶道峠に出て展望がよい。
峠を越えて分岐し、一つは善光寺・酒折方面に向かい、一つはさらに山腹を東に進んで
横根に出て、石和に通じていたといわれる。
現在でも善光寺方面に通ずる道は石畳などが残っていて、青苔がむして往時を
偲ばせるが、分岐して横根に通ずる道はほとんど道の跡がわからない。
                        --『ふるさとの道』 山梨日日新聞社-- より

たまに車が通り過ぎるだけの静かな峠だけど市街地に近いだけにゴミが散乱している。
熊出没注意の看板があるが、熊の出没より不法投棄をする輩に注意した方がいい。
茶の湯を楽しむ余裕は現代人には無いようだから。
善光寺側に下るとブドウ畑が広がる。