人の歩かなくなった峠道

楢山峠(楢峠)・イヤゲ峠(イヤキ峠・イヤナギ峠)
山沢峠
(大平峠・小沢峠)・雛鶴峠(大ダミ峠・大ダビ峠・大旅峠)

 


『武相国境と道志の山に』(小野幸・山と渓谷社・昭和27年)より

地形図を見ると高畑山の南鞍部に無生野と大平とを結ぶ楢山峠の峠道が破線で描かれています。
大平側はブリティッシュガーデンゴルフ場なる小洒落た名前のゴルフ場に侵蝕されていますが、
無生野側は楢山沢に沿った破線道が克明に記載されています。
この峠道の現状がどうなっているのか探りに行きました。

楢山峠は昭文社の『山と高原地図』では「楢峠」と記されていますが、
高畑山が楢山と呼ばれていた時代の古いガイド本などを見ると「楢山峠」としているものが多いようです。
最新の2008年版『山と高原地図』においても、いまだ破線道は残されていますが、
峠から流下する沢名が「楢山沢」ではなく、「樽山沢」と誤植されている点が気掛かりです。
このままではいずれ「楢峠」も「樽峠」と誤植されはしないかと心配です。
(以前の版ではちゃんと「楢山沢」と記載されていたのに・・・)

出発前に楢山峠について情報を得ようとネット検索を行ったところ、
HP『Pass-Hunting!「峠」の世界』(http://homepage3.nifty.com/passhunter/index.htm)がヒットしました。
「失敗した峠行」に記された11年前の踏査記録は非常に興味あるところです。
「楢峠-コースミスによる失敗-」(http://homepage3.nifty.com/passhunter/guide/failure/nara.htm)
「再び楢峠-結論・峠路は消滅-」(http://homepage3.nifty.com/passhunter/guide/failure/nara2.htm)
と題された峠行記録で失敗の報告がなされています。
一度目は遭難寸前の敗退、二度目のリベンジで峠に立つものの峠路は消滅と結論付けされています。

当時すでに不明瞭だった峠道が、10年以上の時を経た現在、一体どんな様子なのか、
道迷いに注意しつつ現地を訪ねてみることにしました。


奈良山林道起点にぶら下がる標識


奈良山林道終点

新旧の雛鶴トンネル道の分岐に車を停めて、楢山沢沿いの林道へと足を踏み入れます。
林道の名は「林道奈良山線」、起点には「この先行止まり、登山道なし」の標識がぶら下がっています。

「登山道なし」の標識にたじろぐものの、これは雛鶴峠を目指す初心者ハイカーが
誤って進入することを防ぐために設置されたに違いなく、作業道や踏み跡程度の道くらいなら
存在しているはずだと都合の良い勝手な解釈をして先へ進みます。
地形図では初っ端から破線表記ですが、現況はかなり奥まで道幅の確保された林道が続いています。


沢に降りて直ぐにむかえる分岐
左は陰鬱なナメの小滝で、
右はそれよりも幅の広い明るいガレの堆積する沢


落ち葉の降り積もった傾斜の緩いナメ状小滝を溯上

林道終点部に据えられた大岩の背後から水流の乏しい沢に降りていざ遡行の開始です。
沢に降りて直ぐに分岐を迎えますが、左手は植林地を背後にした陰鬱なナメの小滝、
右手は落葉自然林を背後にした明るい沢筋。

雰囲気からしても、沢幅、水量からしても、右手沢筋へと足が向かいますが、
かすかな踏み跡は左にあるようにも思えますし、頼りない読図力をしても左が正解のようにも思えます。
しかしながら、ネット検索で見た「楢峠-コースミスによる失敗-」レポがどこか頭の片隅にあり、
できれば大ダビ山支稜方向には接近したくないという意識も働きます。
なんだかんだ言っても、明るい雰囲気の沢筋である右手方向に誘い込まれてゆくのです。


V字形沢筋 正面には目的の尾根が見えている


源頭部はガレガレで直登できず右手の小尾根をからみます

選択した右手沢筋は大水のせいなのかやや荒れてはいるものの、
葉を落とした樹林に囲まれ様相は明るく、いたって健康的で、不安を抱かせる要素はありません。
不安を抱く要素はないのですが、峠道の痕跡もなければ、近時、人の辿った痕跡もありません。
沢そのもの自体が道であるとも感じられる道跡無き沢を進みます。

上方、落石を伴うカモシカの手荒な挨拶を受け、
チョロチョロとした水流がまとわる緩やかな傾斜のナメ状滝を乗り越え進んで行きますが、
進路が北に向かい過ぎていることは直ぐに気がつきます。
やはり最初の分岐は左だったかと、今になって悟りもしますが、
引き返すのも面倒なので、二つ目の顕著な分岐で西へと向かい、
一路目的の市村界尾根へ向けてV字形状の沢筋を詰めて行きます。


ちょっとあやふやだけど赤線が歩いたコースだと思う

市村界尾根へ詰め上げる沢の源頭部は急傾斜に加え崩壊が進みガレガレで危険な状態です。
右手の張り出した小尾根に取り付くために、高畑山に直登する沢筋を攀じ登ります。
傾斜が緩んだところで小尾根にからみ付けばケモノ道に誘導され、
それがマーキングテープの残る踏み跡へと見事に変化し、
まんまと市村界尾根上の公的機関の設置した登山指導標の前に飛び出すことができるのです。


公的な登山標識の立つ場所
<推定・楢山峠>


峠名標識を取り付ける
違っていれば誰か取り外してくれるだろう

一応、無生野側の沢筋から辿り着くことが出来たし、大平側に向けても微かな踏み跡を確認する
ことができるので、ここを「楢山峠(楢峠)」と推定し、カマボコ板で作成した標識を取り付けてみます。
しかし、ここは高畑山と大ダビ山との最低鞍部ではありません。
最低鞍部は南へもう少し行った所にあり、地形図ではそこを破線道が越えています。

『山梨の峠』(小林栄二・自費出版・平成10年)には
楢山沢からのアプローチの過程を以下のように書いています。

「沢道をしばらく登ると尾根道となるが、その道も途中から消えてしまう。
地図を頼りにやみくもに登り上げると、大タビ山と高畑山とを結ぶ山稜の最低鞍部へと出たが、
雑木が生い繁っていて付近の様子が今一つ判然としない。」

もしかすると最初の分岐で左の沢筋を選択していたならば、このようにドンピシャで最低鞍部に
出ていたのかもしれませんが、「尾根道」を登るという点は少々違和感を覚える記述です。

また、HP『Pass-Hunting!「峠」の世界』の「楢峠-コースミスによる失敗-」レポに登場する
峠への道を指示する赤テープのマーキングの存在は今回全く目にすることはありませんでした。
歩いたコースが全然異なっているのだと思えますが、
このことは沢筋をどのようにアプローチしても尾根に達することができるということを
示していると言えるのかも知れません。

目的の市村界尾根上に到達したところで丁度正午を迎え、正午を知らせる
秋山村側のサイレンに遅れて都留市側からのチャイムが風に乗って尾根上でぶつかります。
静寂の尾根上には眼下のゴルフ場でカップインするボール音まで聞こえてきます。


最低鞍部
こっちがやっぱり楢山峠だろうか


『山と高原地図』にもその名がある大ダビ山
古い文献では目にしない名前だが・・・

指導標識から僅かばかり南下すれば高畑山と大ダビ山の最低鞍部です。
こちらがやはり峠なのでしょうか?
しかし、無生野側は崩壊斜面で峠道の痕跡が見当たりません。
植林帯が近接しているので作業道はあるのかもしれませんが確認にはいたっていません。
また大平側も峠道の痕跡を見出すことはできませんでした。

公的機関の標識が設置されているという点で、先の場所を楢山峠と推定しましたが、
なんの確証もありませんから、手製標識の取り付けは無責任だったかも知れません。

今ではゴルフ場に飲み込まれてしまった大平側の峠道を辿り、
無生野側へと下った古い紀行文には次のように峠道の様子が描かれています。

「大平川に沿って東へ進むと、やがて大平川の流れを右へ渉り、暫くして分岐したる径を左へ取る。
(右へ行けばイヤナギ峠に出る)五分程で径が三叉になる。此処では右の径を取る。
(何れを行くも同じかも知れない)行くほどにまたニ叉となるので此処でも右の径を取る。
愈々頂上近くなると径は殆んど消えてしまう。
然し峠は目前に迫っているので眼前の鞍部目指して登れば直ぐに峠に着く。
雑草の茂る此峠の展望は冬場を除けばあまり良いとは云えないが、それでも北は楢山から倉岳山、
東は高柄山方面、南西には富士・御坂の山々を一通り見ることが出来る。南北尾根に踏跡あり。
峠から秋山村への下りは最初消え入りそうな踏跡を北微東へ辿ると、間もなく東へ下るようになり、
石コロのゴロゴロした河原状の水の無い枯沢に出る。所謂楢山沢の水源である。
この附近は最近人の通った様子がなく、鬱蒼と茂る樹木は昼間暗く、
何処か深い山に来たような気分になる。その内に楢山沢の水量も次第に増してくる。」
     (『山と高原56号』「道志の峠路を行く(ニ)隠れたる峠を尋ねて」田中新平・昭和18年12月号)

昭和初期、すでに「径は殆んど消えて」いた状態であり、
「最近人の通った様子がなく」とある通り、人々の往来は途絶えていたようです。


『日本山岳案内1丹沢山塊・道志山塊』(鉄道省山岳部編・博文館・昭和15年)より

さてこの先は一路南下し、大ダビ山、イヤゲ峠を経て大平沢ノ頭を踏み、
そこから西へと転進して高取山、大平峠(山沢峠・小沢峠)、サイマル山を目指します。
視界からゴルフ場が消えることはありませんが、採石場や産業廃棄物処分場を見ながら
歩くよりはマシであると納得するしかありません。


イヤゲ峠


大平側には踏み跡がある

大ダビ山を越えた次の鞍部がイヤゲ峠で、
『甲斐国誌』では「イヤキ峠」と記され「昇降壱里峠ニ古松アリ」と書かれています。
また先に紹介した古い紀行文には誤植かもしれませんが「イヤナギ峠」の名が見られます。

『日本山岳案内』(鉄道省山岳部編・昭和15年)には、
「イヤゲ峠は雛鶴峠より幾らか明るい峠路を形作っている。
峠の東面秋山寄りは炭焼きの伐採が進んでいるから、何れカラリとした山腹を見せる様に
なるであろう。」などと書かれています。
実際の峠は、秋山側は暗い植林地で、カラリとした様子ではなく、ジンメリとした感じですし、
大平側とて落葉樹林を透かしてつまらぬゴルフ場を眺めるという有様です。
ゴルフ場の出現はある意味、カラリではなくガラリと山腹の様相を変えたに違いありませんが。

秋山側に峠道の痕跡はないようです。(でも、緩斜面なので適当に下れそう)
ゴルフ場側には「発砲禁止」の看板の背後に、踏み跡程度の道が見受けられます。
大平側へ下ってみようとも思いましたが、ゴルフボールの発砲を受けてはたまりませんから
やめることにしました。


大平沢ノ頭?
高取山・サイマル山への分岐点


p804焼室山?
なんてことない小突起

イヤゲ峠からひと登りで、高取山・サイマル山への分岐点でもある大平沢ノ頭です。
大平沢ノ頭は『日本山岳案内』による名称ですが、
同本では近くにある「高岩」から「高岩山」とも呼ばれているとしています。
「高岩」と「高岩山」を厳密に使い分けているようですが、
最近のガイド本等ではここを単に「高岩」としているものも見受けられます。
どの山名が正しいかややこしいので皮肉を込めて「ブリティッシュガーデンノ頭」としたら
いかがでしょうか、多分、即刻却下でしょうが・・・・。

「休猟区」の看板背後より、西に派生する尾根に乗りますが、
その前に腹拵えにカレーパンをつまみます。
ブリティッシュガーデンで戯れるプレイヤーもお昼ご飯を食べているのか、
先ほどまで聞こえていたゴルファーのはしゃぎ声は消え、芝刈り機の音だけが響き渡っています。
ゴルフ場の三方が尾根に取り囲まれているので、ゴルフコース上の音は増幅反響するようです。


尾根と送電線がクロスする場所から望む高取山


p781高取山 付近は潅木ブッシュ

高取山・サイマル山へと向かう尾根は一部ヤブ気味のところもありますが、
踏み跡以上登山道以下といった面持ちで、割かしハッキリとしています。
途中のp804は「焼室山」との名前があるようですが、パッとしない単なる小突起に過ぎません。
(この尾根については『新ハイキング581号』の「雛鶴峠・高取山・サイマル山を行く」(小倉修)が詳しい)

明瞭な送電線巡視路と出合って鉄塔台地に飛び出ると、
前方には高取山のコンモリが望めますが、如何せん低山、里山の域を出ない風貌です。
左手の遠景に目を移すと、朝日山、菜畑山あたりの道志山塊の山なみが広角に望め、
今度、道志口峠へ遊びにいらっしゃい!」と手招きをしているかのようです。
しかし、遠望する山肌には地形図には載っていない林道の傷痕が認められ危惧も同時に抱くのです。

送電線巡視路は高取山を敬遠するかのように北側から巻いてしまうので、
山頂に立つためには忠実に尾根を拾う必要があります。
たどり着いた山頂には白杭の山名標識がポツリとあるのみなので、
要らぬお節介とは知りつつも記念撮影用にとカマボコ板標識を立ち木に括り付けました。


高取山付近から望む高畑山、大桑山


大平峠(山沢峠・小沢峠)

容赦なく顔を叩くブッシュを「顔だけは勘弁してぇ〜」と掻き分け尾根を下ると鉄塔台地に至り、
先ほど別れた明瞭な送電線巡視路と再び合流します。
鉄塔台地からはゴルフ場を挟んで高畑山、大桑山の伸びやかな起伏を堪能することができます。

高取山は「鷹獲り山」の意味なのでしょうか?
現在ゴルフ場になっている広大な窪地の上空を円を描くように獲物を探しながら
舞っていた鷹の姿が想像されます。
この小盆地は鷹にとっては格好の狩場だったに違いないと思えるのです。
大きな猛禽類がゴルファーの頭を鷲掴みにして舞い上がり連れ去る様など妄想してしまいます。


昭和初期の『山と渓谷』号数忘れ
「山沢峠」とある


「山沢峠」の名を記した標識を設置した
『山と高原地図』では「小沢峠」としている

地形図を見ると、高取山の西側には曽雌と大平とを結ぶ破線道が尾根を越えています。
これが大平峠、または山沢峠、小沢峠と呼ばれる峠道です。

『山と高原地図』には「小沢峠」の名が採用されていますが、
『山梨の峠』では地元大平集落の人の話として「小沢峠」との呼び方は無いとし、
「大平集落では鈴懸峠(鈴ヶ音峠)のことを小沢峠と呼んでいる」としています。


『山と高原』1957年10月号 より
「山沢峠」の名前が見られる

「大平集落から曾雌へ行くのには山沢峠を越えると非常に楽である。
集落から大平川に沿って東(ナラ山峠)へ五分程進み、南へ大平川の流れを渉って登れば
直ぐに山沢峠である。然し登り口が一寸分かりにくいので一度村民に聞いた方がよい。
峠上の展望は南側が悪く北側が良い。峠の西にある歳丸山、東にある高取山へは立派な小径が
ついている。峠から曾雌への下りは一息である。
                     (『山と高原55号』「突坂峠より雛鶴峠へ」田中新平・昭和18年)

古い文献資料を見ると、ほとんどが「山沢峠」あるいは「大平峠」の名前を採用しています。
「峠から曾雌への下りは一息」とありますが、峠から曾雌側へと下る道は見当たりませんでした。
また、大平側の道も地形図の破線道とは若干異なっているように思えます。
地形図では高取山の北尾根を峠道が伝っているようですが、
実際にはその一つ西隣りの尾根に道(本来の峠道ではなく巡視路なのか)が付けられているようです。


四等三角点p766から道志口方向を望む


朽ちた標識があったがカマボコ板標識を取り付けた

進行右手に大秋日山の東西の凹みである突坂峠と鈴ヶ音峠を眺めながら766mの四等三角点へ。
送電鉄塔の立つこの三角点峰に名前は無いのでしょうか?
道志口方面の眺望も、九鬼山東尾根の見晴らしにも優れていますが山名標識はありません。
「ゴォッー!」という轟音に視線を移すと、リニアモーターのお出ましです。
この山体はリニアベービーをお腹に宿しているのです。
ゴルフ場も酷いけど、山体を穿つリニア実験線は山を強姦したに等しいと思えてなりません。

マツクイムシにやられたらしい松の大木脇を通り、
少々ブッシュ気味の踏み跡を下って、そして少し登り返してサイマル山です。
朽ちかけた標識があり、ひとつは漢字で「歳丸山」と書かれています。
妙な名前の「サイマル」とはどんな意味なのでしょうか?
「マル(丸)」は山の意味で、「サイ」は「祭」の意味でしょうか?それとも単に「西」の意味でしょうか?


旭小学校裏の石祠


旧雛鶴トンネル道から遠望する高岩らしき岩壁

サイマル山からの下降は、さらに西へと尾根を進みます。
うすい踏み跡があるので辿ることができます。
最初は地形図の「神門」という文字を目指して西南尾根を下り始めましたが、
ちょっと急傾斜が過ぎるので止めにして、緩やかに下降している西尾根に変更します。

冬枯れ時期以外に歩きたくないブッシュ気味の西尾根を踏み跡を外さずに歩き、
伐採地を通過すれば旭小学校裏の石祠の祀られた尾根末端部へと上手い具合に導かれます。
こちらを登り口に使う場合は旭小学校裏の小俣総建宅の庭先を通過するので分かり難いことでしょう。


旧雛鶴トンネル都留市側


旧雛鶴トンネル秋山村側

バス道を歩いて乗り捨てた車まで戻らなければなりません。
どうせなら雛鶴峠旧道を越えて行こうとするのは峠マニア必然の行為です。
しかし、現行版地形図には雛鶴峠の旧道は描かれていません。
まぁ、旧雛鶴トンネルまで行けばなんとかなり、その脇辺りに旧峠道入口があるだろうと、
旧雛鶴トンネル道を歩き始めます。

この旧雛鶴トンネル道の傷みは激しく、到る所で落石、土砂流出が見られます。
また上部は広範囲に渡る伐採により山肌が惨たらしくもあらわにされています。
新雛鶴トンネル完成後はまったく放棄された道路のようで、傷むに任せた状態です。
交通の途絶えた道はそれが舗装道路であってもこうも荒れるものでしょうか?

辿り着いた旧トンネル付近に峠へ向かう旧道は見当たりません。
道無き斜面を攀じ登るか、来た道を引き返し新トンネルへ向かうか、
真っ暗な旧トンネルをくぐり抜けるかの選択肢があるのみです。
トンネル口には立入を拒むフェンスがありますが、進入禁止の看板はありません、
もはや道無き斜面を攀じ登る体力も、来た道を引き返す気力もありません。
かといって思いのほか長く、漆黒の闇夜のように暗い旧トンネル内に足を踏み入れる勇気も・・・・
しかし、消去法で残った選択肢を選ぶしかないようです。

暗黒のトンネル内部は天井から滴る水音と所々崩れた手掘りの壁が不気味で、
雛鶴姫の怨霊が浮遊している気配もないことはありません。
しかしそれよりも熊が冬眠穴として使っていないかが心配で、威嚇の為に奇声を発して進みます。
この狭いトンネルを昔はバスが通行していたとは俄かには信じられません。


倒木寸止めの観音様(中央が馬頭観音)


倒木の被害を辛うじて免れた雛鶴峠の馬頭観音

恐怖と戦慄の旧トンネルを通過して、飛び出した秋山側の道も荒れ放題の状態です。
秋山側はトンネル口の脇に峠への旧道があるのでそれを辿ってみることにします。

不安定な風倒木が横たわる峠道は、秋山村指定のハイキングコースにしては荒れた状態で、
危険すら覚えますが、峠道そのものは明瞭でしっかりと踏み固められています。
勾配は緩く、ジグザグを切って峠へと続いています。
途中、風倒木の被害を寸止めで免れている三基の馬頭観音が見られます。
天保時代のもので古くから荷駄馬による峠交通があったことが窺がえます。

  ♪ 駒の鈴なる 雛鶴峠
    村の娘は炭売りに 炭売りに
    嬰女も寒がる 峠が暮れて
    駒の手綱に雪が降る 雪が降る ♪  (『雛鶴峠馬子唄』針田芽尖)

峠の馬子唄にも歌われるように、
谷村(都留市)へ向けて運ばれる炭俵をつけた荷馬を峠の馬頭尊は見守っていたことでしょう。
往時の中心地といえば谷村であり、秋山村で病人が出た折も、谷村から医者を迎えたり、
あるいは村から病人を戸板にのせたり、山駕籠にのせたりして峠を越えたとのこと。
秋山村の西の玄関口であった雛鶴峠は村の生命線でもあったのです。 


雛鶴峠


頑丈な峠の標柱

雛鶴峠は静寂の中にあります。
一名を「大ダミ峠」ともいい、雛鶴姫を荼毘にふしたことから「大ダビ峠」と命名したものが、
次第に訛って「大ダミ峠」と呼ばれるようになったとのこと。(『秋山村史』)

峠には「ひなづる峠」と書かれた頑丈な標柱が立ち、四方向をそれぞれ指し示しています。
最前入口が判らなかった都留市側の峠道については、
黒マジックで「通行不可」、「道なし不通」、「道なし」などと書き込まれています。
少しばかり都留市側の峠道を歩いて様子を窺がってみましたが、
「通行不可」とは思えぬ立派な峠道が確認できます。
植栽地帯へと道は続いているようですが、その先の広範囲に渡る伐採地付近で
道は消失しているのかもしれません。

いつの頃から地形図より峠道が抹殺されたかは知りませんが、
旧雛鶴トンネル、そして新雛鶴トンネルの建設が関係していることは間違いないでしょう。
人に歩かれなくなった峠道は荒れ果て、地図からも記憶からも消されてゆく運命なのでしょう。
旧雛鶴トンネルの舗装された道路とて、通行の途絶えた今では荒れ放題です。
人馬の足によって歩かれ踏み固められた峠道ばかりではなく、
一般道路であっても自動車から見捨てられれば道は廃れ崩れてゆくのです。
手入れされること無く放棄された道は、いつかは自然へと還ることになるのでしょう。


都留側の峠道

楢山峠やイヤゲ峠は、人が歩かなくなったから荒れたのでしょうか?
それともゴルフ場の出現で歩けなくなったから荒れたのでしょうか?
「歩かなくなったから荒れた」のか、「歩けなくなったから荒れた」のか、
両者はたった一字の違いですが、その違いは大きな違いでもあります。

雛鶴峠はトンネルが開通し、歩いて越える必要のなくなった峠です。
それは人の「歩かなくなった峠道」ではありますが、
「歩かなくなった峠道」も手入れされることなく放置され時が経過すれば、
しぜんと「歩けなくなった峠道」に姿を変えていくことでしょう。

戦時中、赤紙が雛鶴峠を越えたといいます。
秋山村の住人へ召集令状を持ってくるのは谷村警察署の巡査の役目であり、
雛鶴峠を越えて長い道を歩いて応招者の家に赤紙を届けていました。
人の運命を変えた峠の旧道に、歩く人影はありません。

(峠行2008.03.17)

●以前に楢山峠・イヤゲ峠・雛鶴峠を訪れた時のレポを見る。

雛鶴姫伝説の文献としては、
『雛鶴峠太平記』(針田芽尖著)
『新ハイキング424号』1991.2月号「雛鶴峠伝説考」(内田栄一著)などがある。
ちなみに、道志村には道坂峠を雛鶴姫が越えたという伝説が残っている。

歌手の大月みやこさんが歌う『雛鶴峠』なる哀愁漂う歌もある。

『雛鶴峠』 キングレコード・昭和47年
作詞:沢登初義 作曲:古谷宏 唄:大月みやこ

♪土の牢屋の 灯火消せば
星の鎌倉 潮騒ばかり
いとし護良親王の みしるし抱いて
行くか雛鶴 行くか雛鶴
雛鶴峠

なれぬわらじに 血潮がにじむ
皇子を身ごもる 雛鶴姫よ
おいたわしいぞ 松葉に乗せて
越える時雨の 峠路七里

人の情けが あついと聞いた
ここが甲斐国 秋山の里
赤子が泣くのに 冷た乳房
鶴も鳴く鳴く 鶴も鳴く鳴く
雛鶴峠♪