御礼参りの峠行

戸沢天神峠・道坂天神峠・加畑天神峠・ネンジ峠・夏狩天神峠・川棚天神坂峠

 以前、某国家試験の合格祈願を兼ねて峠の天神社を巡る峠行をしました。
その甲斐あってか、めでたく試験に合格することが出来ました。
今回はその時に力を御貸し頂いた天神様への御礼を兼ねて、再び天神様を巡る峠行をしてきました。

まぁ、何でもいいから口実を作って、峠巡りをしたかっただけという点は前回と同様です。


戸沢天神社


道坂天神社

前回訪れた際、特に念入りに祈願した戸沢天神峠と道坂天神峠の天神様に厚く御礼申し上げました。
神前に、塩と御神酒(大関白鶴)を供えて深々と頭を下げてきました。
その他に訪れた天神峠の天神様にも遠目からではありますが御礼申し上げて参りました。

天神様への願掛けは効果覿面でありました!


 天神峠の天神様は効験あらたかな神様であるということが分かりましたので、
この際もっとたくさんの天神様と「お近付き」にならせて頂き、図々しくも御利益を賜ろうと、
新たな天神峠を三ヶ所ほど巡って来ました。

「天神峠」の宝庫である都留市の加畑天神峠、夏狩天神峠、川棚天神坂峠です。


加畑天神峠道途中の石仏


峠の眺望 ゴルフ場と富士山

『山梨の峠』を教本に、加畑の集落から小御嶽神社の脇を通り峠道に入ることにします。
峠道は非常にヤブヤブしており、笹とススキ、そしてバラのトゲトゲが闖入者を拒んでいるようです。
ヤブに埋もれかけた峠道に一体の石仏がありました。
かつては尾根を挟んだ大幡と加畑の集落間で交流があったことを窺わせます。

峠近くから後ろを振り返ると、ベットリと雪を纏った富士が輝いています。
すぐ南の尾根は、この後に訪れる夏狩天神峠ですが、山肌はゴルフ場に痛めつけられ、
パルテノン神殿のような豪奢なクラブハウスが目に入ります。
富士の前景としては最低です。(ゴルフ場がなければ最高ですが)


加畑天神峠のステンレス製の天神社


ネンヂュウ峠 (ネンジ峠)

峠の天神社は、なんと!ピカ☆ピカ☆のステンレス製でした。
『山梨の峠』で見る祠の写真とは異なっているので、きっと最近リフォームされたものでしょう。
天神社は西を向いていて富士が良く望めます。

登ってきた道に比べて、北側の大幡側の道のほうがヤブもなく、よく踏まれているようです。
この天神社は大幡の久保地区で祀っているそうですから、大幡からの峠道は
常時、手入れがされているのかもしれません。

尾根上には踏み跡が続いているので、このまま西に尾根を辿り、
『山梨の峠』でその存在を知ったネンヂュウ峠(ネンジ峠)をついでに訪れてみることにします。
「ネンヂュウ峠(ネンジ峠)」とは、妙な名前ですがどんな意味、由来を持った峠なのでしょうか?

峠は尾根を乗り越す道も定かではなく、標識の類も、古道と思わせる石仏などの痕跡もありません。
加畑天神峠から西へ行った最初の鞍部が雑木の鞍部で、
もう少し西に行った所が上写真の植林地の鞍部です。
ここで仕事道が分岐していたので、とりあえずこちらをネンヂュウ峠(ネンジ峠)としておきます。

不明瞭な仕事道を山勘で下れば、
加畑集落奥から二つ目の加畑川の堰堤横の林道に飛び出します。
林道をしばし歩き、次は夏狩天神峠を目指します。


夏狩天神峠



トンネルのプレートに「天神」の名が残る

加畑集落の畑には加畑猿軍団が餌を求めて来襲していました。
山の食糧が乏しいのでしょうか?
それともゴルフ場造成の為に生息地を奪われた流浪の猿軍団なのかもしれません。

夏狩天神峠に向けてアスファルト舗装された立派な道がのびています。
ゴルフ場の私道なのでしょうか?
とりあえず進入してみましたがゴルフ場には接続することなく、その下をトンネルが抜けていました。
トンネルの名前が「天神トンネル」となっており天神峠の痕跡を示すものはこれしかありません。
トンネル名プレートに都留市長の名前が刻まれているので、この道は私道ではなく市道のようです。
郡内織の運搬路として、昔は往来が盛んであったという峠道の面影はもはや何もありません。
すぐ上がゴルフコースなので、斜面を這い上がって探索することも出来ませんでした。 
天神様はどこへ行ってしまったのでしょうか?

夏狩側に僅か下った所で、この車道は工事をストップしています。
加畑側の入口である「かなやま橋」の袂に、赤い鳥居と石祠が祀られています。
もしかすると峠の天神社が麓に避難してきたのかもしれません。


川棚天神峠 (天神坂峠)


川棚天神峠の木製の祠

次に、川棚と平栗集落とを結ぶ峠である川棚天神峠に向かいます。
川棚では「天神坂」、平栗では「天神峠」と呼んでいるそうです。
「不法投棄禁止」の看板が目立ち、峠の情緒はなく、
頻繁に地元車や営業車などが走り抜ける味気ない舗装路の峠道になっています。

切り通し状の峠から川棚側に少し坂を下った所のコンクリート壁の上に、
川棚集落でお祀りしているという質素な木製の天神社があります。
天神はもとは峠の西側の山中にあったそうですが、
峠の不法投棄に嫌気がさしたのか、ここまで降りてきたようです。
祠の中には「奉鎮祭天神大神霊」と記された木札が納められていました。 
まだかろうじて信仰心は残っているようです。

加畑天神峠の天神社はモダンなステンレス建築に変わりました。
夏狩天神峠の天神社はゴルフ場造成に、川棚天神坂峠の天神社は不法投棄に追い立てられ、
移動を余儀なくされて麓へと避難してきたようです。

時代の移り変わりとともに、峠の天神社を取り巻く環境と、
その祠自体の姿も変わっていくようであります。
何にもまして、人々の信仰心の「移ろい」が一番激変しているのではないでしょうか。

まぁ、こういった天神様は参詣者も少なく、神様も暇を持て余していることでしょうから、
願い事をしっかり叶えて下さるに違いありません。
静かに手を合わせ、天神様への「お近付き」と「御礼参り」を終えて家路につきました。

【参考文献】

『山梨の峠』(小林栄二著)
『あしなか245号』「山に祀られた天神」(杉崎満寿雄著)
『甲斐の山山』(小林経雄著・新ハイキング社)

● 『甲斐伝説集』(昭和28、土橋里木著)、『甲州の伝説』(昭和51、土橋里木、土橋治重・角川書店)によると、
  夏狩-加畑の天神峠は「十二拝」ともいうそうです。
  昔、武田の家臣がこの道を過ぎ、山上で日が暮れ暗闇となって道を失ったとき、主君の方に向かい、十二回拝むと、
  忽ち道筋が現われて、無事、里に降りることができたといいます。

● 今回の「御礼参りの峠行」は、「願掛けの峠行」の後編ということになります。