★ 貝沢グルグルリを歩く

与瀬神社−孫山頭−矢ノ音−矢ノ音南尾根−秋葉社−与瀬一里塚

前回、矢ノ音を訪れたときに見落としてしまった石仏と
地元発行の観光ガイドマップに記載されている「ショウノ塚」の存在を確認しようと、
貝沢をグルリと取り囲む尾根を歩いてきました。
与瀬神社背後の三角点p542は、地図によっては「孫山」とするものと、「子孫山」とするものがあり、
少々混乱がみられ気になる存在です。


中央道を橋で渡り与瀬神社へ


神楽殿の脇から登山道が始まる

平日無料(夏期は除く)の相模湖公園駐車場に車を置きます。
19時まで利用できるので相模湖周辺や中央線沿線の山歩きには有効な駐車場です。
駅へ向う坂を登り、商店街に入ると「丹沢あんぱん」の幟が風に揺れています。
一度は口にしてみたいと思っていましたが、この大きさにして130円はちょっと高いのでパスします。
地元民しか利用しないような中央線に沿った細道を歩いて与瀬神社へと向います。

中央道を跨ぐ与瀬神社橋を渡り赤鳥居をくぐりますが、高速道の上を歩く参道とは妙な気分です。
随神門をさらにくぐると「五十だいもん」と呼ばれる急勾配で段差の高い石段となります。
登山前に体力を消耗したくはありませんが運動不足で重たい足を一歩ずつ上げ石段を登ります。
この急傾斜の石段で万一転倒したら、タダでは済みそうもありませんから、
下山後の疲れた足で下る場合は迂回した方が無難かもしれません。
春の例大祭では、白装束に身を固めた氏子らによって、
この急な石段から神輿が担ぎ下ろされるというから、たいそう勇壮で迫力があることでしょう。

与瀬神社は甲州道中を通る旅人が必ず参詣したといわれ、
「与瀬権現さん」の愛称で慕われているとのこと。
武運、勝運、開運の守護と身体安穏の霊験があり、特に子どもの健康祈願や虫封じの神として
名高く、関東一円から信奉者を集めています。癇の虫には絶大な効験があるようですが、
なまけ虫やイジケ虫に効くかは知りません。それでも一応手を合わせておきましょう。
本殿の左手、神楽殿の脇から登山道が始まり、「明王峠4.1km→」の標識が設置されています。


テーブルベンチのある「見晴し」
欠損した石祠が置かれている


階段が終われば尾根に乗る 「権現頭」

神社裏の常緑樹に囲まれた斜面をジグザクで登りますが、すぐに汗が噴き出します。
長袖シャツを脱ぎ捨て、半袖一枚の姿で植林に切り替わった急斜面を黙々と登ります。
植林の隙間からは相模湖の緑色した湖面がチラチラ望めますが、
高速道を走る車の音が騒がしく、まだ山に入ったという感じを抱くことは出来ません。

途中、呼吸を整えるには好都合なテーブルベンチの置かれた「見晴し」と呼ばれる場所があり、
「←明王峠3.6km」の標識が設置されています。
傍らには欠損した石の祠の一部分と見られるものが置かれています。
「水源の森林づくり」の看板があり、現地名は「宮開戸」と記載されています。

勾配が若干緩み、自然林混じりの階段道をいましばらく登り続けると、
「権現頭」と呼ばれている三角点p542南尾根の末端にやっと乗ることができます。
「←明王峠3.3km」の標識を見ると、ほぼ平坦な尾根上をゆく、良く踏み固まった道となり、
足取りも気分も軽くなり、ルンルン気分となるのです。


尾根に乗ればほとんど平坦な道
この標識分岐で桂北(中野)からの道を合わせる


右手にコンモリが見えたら本道を離れ踏み跡へ
踏み跡は明瞭でマーキングもみられる

桂北(中野)からのびる地形図の破線道と思われる小道を合わせて平坦な道は続きます。
植林の合間からは西方に横たわる矢ノ音南尾根をチラチラ望むことができます。
矢ノ音南尾根には三角の背びれのような形をした出っ張りが見えますがあれはどこなんでしょう。

進行右手がコンモリ盛り上がってくると、それが三角点p542の膨らみとなります。
幅広の安定した登山道はp542を巻くようにつけられていますから一旦お別れです。
入口にマーキングのある踏み跡を拾って山頂を目指します。
ヤブもないし、不安要素もありません。周囲は明るく気持の良い植林に包囲されています。


気持ち良い頂のp542.8三角点峰

p542の山頂には丸太のベンチが設置され、ハイカーの訪れを待っています。
「藤野町十五名山」に一つ加えて、「十六名山」に指定しても良いと思える好印象の山頂です。
眺望はまるっきりありませんが、心地好い風が整然と並ぶ植林を抜けてきます。
東尾根に続く踏み跡も見られ、これを辿れば「大久保山(400m圏)」を経て小原へと下れそうです。

この三角点p542.8では少々地名の混乱が見られるようで、
「孫山の頭」という標識と、「子孫山の頭」と書かれた二種類の標識があります。
昭文社の登山地図や地元発行の観光ガイドマップでは「子孫山ノ頭」が採用され、
国土地理院発行の最新版の地形図では「孫山」の名が記載されています。
少し前の地形図や昔の地形図では山名の記載が見られませんから、「孫山」と記載されるように
なったのはつい最近のことのようです。


「孫山の頭」と書かれた標識がある 〇だ!


「子孫山の頭」と書かれた標識がある △でしょう?

古い山のガイド本のほとんどでは「孫山」、「孫山ノ頭」の名で記されていて、
「子孫山ノ頭」という名は新しいもののように見受けられます。
「孫」という字の「子偏」が勝手に独立した活字印刷時代の誤植が「子孫」の起源ではないか(?)
という気もしますが確かなことはわかりません。

『新ハイキング642号』「貝沢川の流域を歩く」松浦隆康著)の中に、
「子孫山ノ頭は、標高が孫山よりも低いので「子」を頭に付け・・・・」との記述が見られますから、
どうやら「子」は、大小の意を表わす「小」のことのようです。
いっそのこと洒落て「ひ孫山」にしてはどうかとも思いますが余計混乱することでしょう。
それにしても「こまごやまのあたま」と発音するのだとしたら、非常に言いにくい名前です。
「孫山の頭 小孫山の頭・・・×3」と早口で噛まずに3回言えたらたいしたものです。


観光マップ 『森と湖の町さがみ湖』 より
p542北の峰を「大明神山」としている


観光マップ 『相模湖観光ガイドマップ』 より
p542北の峰を「孫山」としている

『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』には、「子孫山ノ頭」あるいは「子孫」などの
地名は見られず、「孫山」は付近一帯の総称のようです。
また、「孫山の山頂海抜542.8メートルの地点を「孫山頭(まごやまがしら)」と呼ぶ」と
しっかり明記されています。

「子孫山ノ頭」という名前は、このp542本峰とその北に位置する小峰とを呼び分けるために
あえて造作された山名なのでしょうか?


「孫山頭」の手製標識を取り付ける


p542.8を北へと下ると本道に合流

『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』の記述を尊重し、そして信頼し、
「孫山頭」と書いた手製標識を取り付けます。
標識がいくつも付けられた山頂は見苦しいですが、間違いや不適切なものは自然淘汰されて
いずれ消えてゆくでしょう。

山頂から「←明王(本道)」の標識に従って木製階段の設置されている北側斜面を下ります。
下りながらすぐ前方には、次の小峰のコンモリとした山容が見えています。


次の小ピークは登山地図では「大明神山」あるいは「孫山」ともある

一般道から再び外れて、踏み跡を拾うとp542の北峰であるp548の山頂となります。
最前のp542と比べると訪問者は少ないようで、ベンチなんぞの応接セットはありません。

立木には「孫山」の標識と、「大明神山(孫山)」と書かれた標識が取り付けられています。
この位置を「大明神山」とするのは昭文社登山地図でも、地元発行の観光マップでも見られます。
また、ここを「孫山」とし、三角点峰を「子孫山」とすることも地元発行の観光マップで見られます。
ですから間違いではないようですが、雰囲気としては三角点峰に「孫山」の名を冠して欲しい
と思うのですが・・・・どうなんでしょう?


中央線沿線の山でよく見かける信頼できる標識


昭文社登山地図には「大明神山」とある


『山小屋3号』 「武相国境(二)」(岩科小一郎著) 挿入図より

ところでこの三角点峰北峰は、昭文社登山地図にあるように本当に「大明神山」なのでしょうか?
古い山雑誌『山小屋3号』の岩科氏の地図によると、判読不能ですが別の名前があるようです。
「ヨ〇〇山」と読めますが、下二文字が不鮮明で分かりません。
『日本山岳案内・2』におけるこの付近の解説には「与奥山」という名が登場していますから、
もしかしたら「ヨオク山」と読むのかもしれません?

  「与瀬神社に参拝して其の背後を登る。
  登路を取れば中野道より余程十五、六分も得するであろう。
  是から山腹即ち西側を辿る様になり、与奥山を経て大平に達す。
  大平は名の如く平らな所であって貝沢の源流に当たって居る。」
                 (『日本山岳案内・2』 鉄道省山岳部編 博文社 昭和15年 )

そして、岩科氏の地図では「大明神山」は貝沢源頭部の大平付近に位置しています。
北面の沢が「大明神沢」とありますから、その源頭の山という意味なのでしょう。


古い地形図に名前を落とすとこんな感じになる

『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』によると、
底沢側の林道沿いには「大明神」という地名があるようです。

  「・・・林道は勾配を増して急になる。海抜400メートルの地点のV字形に急角度に曲る
  カーブの内側(右手)道下に高さ6メートルの巨大な岩がある。
  この頂きに山の神「大明神(だいみょうじん)」の祠があり、村民に崇められている。
  これが字名「大明神」の由来である。」

きっと、この岩のある沢が「大明神沢」で、それを詰め上げた峰が「大明神山」ということに
なるのではないでしょうか?実際に北側の沢筋を歩いたことが無いのでなんとも言えませんが、
ひょっとすると昭文社登山地図が示すものとは別の峰が「大明神山」になるかもしれません。
自分のイメージした地名を地図上に落とすと、上図のようになり、
大平小屋のすぐ東の峰を「大明神山」と推理しました。


『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』 より

『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』に、「大明神山」という山名は見られませんが、
それらしき場所には「五衛門屋敷」の名前が記載されています。

  「沢沿いのつづら折の坂道を登りつめた尾根一帯を「大平(おおびら)」と言う。
  大平の山頂は海抜533.7メートルである。この地は、かつて耕作地になったこともある。
  大平の尾根の大明神南斜面に「五衛門屋敷」がある。人名にあやかった地名と思われる。
  大平へ登る林道の西側斜面に「岩場」があり、この地の字名石神側に、武田と北条勢が
  一戦を交えた地で、その戦の矢の音凄まじく「矢の音」と地名が付されたと言われる。
  この地の付近に、昭和初期に鉄鉱泉の湧き水の温泉があったので「大平温泉」と呼んでいる。
  この地より尾根に出ると大きな岩場があり、字名桑久保と石神の字境になる。」
         (『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』 相模湖町教育委員会 1996年


本当の大明神山はどこだ!


貝沢からの道が合わさる大平小屋

「孫山」、「大明神山」の標識が取り付けられた小ピークを下り、
「←明王峠2.4km」の標識のある場所から本来の「大明神山」を探し求め、うすい踏み跡を拾って、
もっこりとした植林地のコブに登ります。
それらしき場所はあるものの、「大明神山」であることを決定付ける証拠はなく、
尾根筋のコブを乗り越えて一般道に戻って大平小屋へと辿り着きます。

小屋といっても人影はなく、その先で貝沢から上がってくる谷道を合わせます。
「貝沢」の「貝」は、「カヒ(峡)」で、山と山の間、谷間の意味であるとする説と、
シジミの棲息地であったことによるという説があるようですが、
地形を見る限りでは「カヒ(峡)」説が有力かに思われます。

この貝沢からの谷道と尾根道が合流する地点に地元発行の観光マップや昭文社登山地図には
「ショウノ塚」の名前が見られますが、そのようなものはあったでしょうか?
うっかりしていて付近を探すのを忘れてしまいましたが、
尾根道沿いにあれば気付いていたはずなのですが・・・
この「ショウノ塚」と、明王峠の南方にある「嬢ヶ塚」あるいは「女ヶ塚」とは別物なのでしょうか?
現行版地形図にも貝沢からの谷道と尾根道が合流する場所に史跡マークがあるので、
まさか誤記ということはないと思いますが、再訪して確認しなければなりませんなぁ。

矢ノ音から矢ノ音南尾根


矢ノ音北側分岐から山頂へ


小笹の茂る快適な尾根道

大平から矢ノ音への直登コースはすぐに分かりましたが、トラロープが通せんぼし、
勾配もきつそうで、夏草も繁茂しているので敬遠します。
安パイな矢ノ音北側分岐から登ろうと、山腹東側の巻き道を斜上します。

「←明王峠1.1km/与瀬神社3.0km→」の公的標識に、
黒マジックで「矢ノ音」と書かれた場所の対面の踏み跡から進入します。
矢ノ音へと向かう小笹の茂る道は好印象で、残された自然林の中を進みます。
矢ノ音山頂近くに石仏が眠るとの情報を得て、松の根元を注意しながら歩いて行くと、
山頂手前約30メートル付近に、小笹に埋まる石仏を発見できました。


笹に埋もれる頭の欠けた石仏

頭部は欠損し、年号は分かりませんが、「〇〇 九月〇 施主 平八」の刻字が確認できます。
「平八さん」という名前は江戸時代か明治時代の人でしょうか?
この付近で炭でも焼いていたのかもしれません。
それとももっと古い時代のもので、白百合姫を供養したという地蔵と何か関連があるのでしょうか?

大平から矢ノ音山頂への直登コースを選択していたら、
この石仏との対面は叶わなかったでしょうから、きっと何かのご縁があるのでしょう、合掌。


藤野町十五名山 吉野矢ノ音


山頂からはいきなりの急下降

藤野町十五名山の一つ矢ノ音はやさしい木漏れ日に包まれています。
南面こそ植林地ですが、ひと気少なく静かな雰囲気は好印象です。
古い山の紀行本を見ると、昔は萱山だったようで現在の表情とは大分異なっていたようです。

  「私達は小径を離れて632米突の峯へ柏の矮樹を押しわけて無二無三に攀じ登ったが、
  頂は背丈を没する一面の萱原で、独立標高点と覚しいあたりに
  一本の古杭が植っているのを見出したばかり、
  努力の大かった割合に頗る得る処は些かった、と云うより寧ろ皆無であった、
  私達は右を見ても左を見ても唯ガサガサと鳴る枯薄の中に埋まって失望の顔を見合せた。」
                                (『一日二日山の旅』 「陣馬峯」 河田髓)

山頂の登山標識の背後から南尾根に続く踏み跡を拾って、一気に下降が始まります。
経済危機に襲われた時の株価のように一気に急斜面を暴落(?)するので爪先が痛くなります。


大岩のある桑久保と石神の字境


南尾根上には新しい木杭が埋められている

しかし爪先の痛みは長く続かず、ひとしきりの下降の後、落ち着きを取り戻します。
この後は日本の株価の現状のように上がることはありません。
尾根上に大岩がゴロゴロしている場所が『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』に
見られる桑久保と石神の字境のようで、貝沢側の斜面には仕事道が確認できます。

貝沢流域の仕事道の詳細を調査された
『新ハイキング642号』の「貝沢川の流域を歩く」(松浦隆康著)をしっかり読んで来たので、
未知の尾根も安心して歩けます。
矢ノ音南尾根上には明瞭な踏み跡がつけられ、「水源の森林・神奈川県」の白い標杭や
林業関係のものらしい新しい木杭、目印が
点々とあるので、それらを拾えば迷うことはありません。


貝沢側に木製階段のある小鞍部


水源の森林標杭33の分岐ピーク (大久保山?)

尾根道はヤブに隠されることはありませんが、
気がつけばズボンの膝から下はベトベトする夏草の種でびっしりです。
貝沢側に木段の設置された小鞍部を過ぎ、少しばかり西南に進むと、「水源の森林・33」標杭と
「T-60」と書かれた新しい木杭が埋められている小ピーク(416m圏)となります。
『山小屋3号』の岩科氏の地図によると「大久保山」とありますが、
実際にそう呼ばれているかは不明です。きっと字名大久保にある山という意味なのでしょう。

貝沢の入口へ下るには、このピークで左折しますが、
秋葉社に寄り道するために右手に続く踏み跡を辿ります。
苦手な女郎蜘蛛の巣がいくつもかかっていますが、捕食されないように注意しながら進みます。
一応こちらは、ひ弱なオスですから。


秋葉社 通称「あきやまさま」


横橋自治会による奉納物が見られる

秋葉社の小社はなかなか立派なもので、
中を覗いてみると、「正一位秋葉神社」の御札とお供え物が納められています。
紙片には横橋自治会の名が見られるので西側山麓の横橋で祀られていることがわかります。
また、草深い参道も横橋へと続いているようです。

この小社は通称「あきやまさま」と呼ばれ、静岡県の秋葉神社から勧請したもので、
祭神は「ホノカグツチノカミ(火之迦具土神)」で火伏せの神だといいます。
昔は講中があって代参が遠州の秋葉大権現に参詣をしていたとのこと。
3月17日の夜祭には横道、橋沢地区の人々は、家毎に松明をひで(松の根)で作り、
道路の両側に立て並べ燃やすそうで、大正の頃まで地区の若者によって松明をかついで
山頂の小社にお参りもしていましたが山火事発生の危険があるのでいつしか止められたといいます。
火伏せ祈願に参詣して山火事を起こしたらシャレになりませんよね。


細々ながら尾根道は消えることなく続く


「与瀬宿一里塚」の標柱

秋葉社から最前の「水源の森林・33」標杭のある小ピークに戻り、貝沢入口へ向けて下降します。
道はどこまで続くか心配でしたが、細々ながら良く踏まれた道が尾根上に刻まれています。
植林地の道から自然林斜面の急下降に切り替わると、南斜面下に民家の屋根が見え、
高速道の騒音が接近してきます。

「八-上 79号」の鉄塔を過ぎると、矢ノ音南尾根は終焉を迎え、
「与瀬宿一里塚」の標柱前へと突然飛び出します。
一里塚は字名打谷戸にあり、台風の土砂崩れで塚跡らしいものは失われてしまったとのことで、
甲州古道の標柱と石造物の台座たけが残されています。
往時は塚の付近に、二軒の茶店が並んでいて、その屋号も上塚場、下塚場と呼ばれ、
旅人相手にかなり繁盛していたといいます。
(甲州古道については『相模湖町文化財調査報告書第11集・古道編』に詳しい)


貝沢を小さな貝沢橋で渡る


貝沢入口のヘアピン
中央道、中央線、国道20号、古甲州街道がはしる

一里塚の標柱から鋭角に折れ、一旦貝沢の上流へと向かい小さな木橋で貝沢を渡ります。
渡り終えた貝沢林道上には「貝沢橋を渡り一里塚へ・甲州古道」と書かれた標柱が建っています。
少し前まで、「関所ラーメン」という怪しいラーメン屋があった脇を通ると
大型トラックが爆走する国道20号線に飛び出ます。
そのラーメン屋の看板には「日本一まずいラーメン」と書いてあったので、
本当に不味くて潰れてしまったのでしょうか?一度食べてみたかったのですが・・・

中央道、JR中央線、国道20号、甲州古道が狭いエリアに入り組んだ地を歩きます。
高速道橋脚下の階段を登れば「与瀬上宿」の標柱が建っていて、交通量の多い国道から離れて
静かな道を歩いて駅まで戻ることができます。
貝沢グルグルリの尾根、登って下って3時間ですから、お気軽な山歩きにもってこいでした。

(山行:2009.10.20)

【参考文献】

『相模湖町文化財調査報告書第8集・史跡編』 相模湖町文化財保護委員会 相模湖町教育委員会 1996年
『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』 相模湖町文化財保護委員会 相模湖町教育委員会 1996年
『相模湖町文化財調査報告書第11集・古道編』 相模湖町文化財保護委員会 相模湖町教育委員会 1995年
『新ハイキング642号』 「貝沢川の流域を歩く」(松浦隆康著) 新ハイキング社 2009年4月号
『山小屋3号』 「武相国境(二)」(岩科小一郎著)
『日本山岳案内・2』 鉄道省山岳部編 博文社 昭和15年
観光マップ『森と湖の町さがみ湖』 相模湖町役場産業課
観光マップ『相模湖観光ガイドマップ』 相模原市相模湖経済環境課 相模湖観光協会

【備考】

相模湖駅前の桂北公民館の二階に図書館があります。
相模湖町、藤野町、津久井町に関する郷土資料があり、地名や民俗について知ることのできる資料が豊富です。
『ふじ乃町の地名』、『相模湖町文化財調査報告書第12集・地名編』、『つくい町の地名』の地名本三部作は秀逸です。
下山後の時間調整に立ち寄るには駅のスグ近くで大変便利です。