★ 阿夫利山東南面沢からダイレクト南尾根 〜 金波美峠

 

金波美峠の旧道を探索しようと沢筋を歩き始めましたが、
なにを焦っていたのか一本沢筋を間違えて入渓してしまいました。
すぐに間違いに気付きましたが、沢筋を詰めてこのまま阿夫利山に登れはしないかと
変な好奇心からバリエーションルートに挑戦です。


この念仏供養塔の建つ沢筋から入渓します


F1を越えると炭焼き釜の古い石積み跡を見る

金波美峠の旧道を探索しようと安寺沢にやって来たのはお昼過ぎ。
昼食抜きの空腹のまま旧分校(現・安寺沢地区集会施設)先の沢筋へ足を踏み入れます。
ここには念仏供養塔やら石造が幾つかあり、旧道の分岐点然りとした雰囲気があったのです。

フキノトウが顔を出す畑の小道を、小さな流れに沿って進みますが、
踏み跡は有るような無いような・・・あやふやな状態で旧峠道の確たる痕跡は見当たりません。
ぐんぐんと沢筋を詰め、F1を乗り越えると古い石積みの炭焼き釜の跡などもあり、
撤退する判断を鈍らせたりします。


沢は次第に勾配を増し簡単な岩登りへと


奥の二俣
左は岩塊斜面の沢筋、右は砂礫斜面の沢筋
どちらも厳しいので正面の小尾根に取り付くが・・・敗退

沢は次第に狭まるとともに勾配を増し、これは単なる沢登り、
否、水流がほとんど無いので岩登りの様相へと展開してゆきます。
これはもはや旧峠道ではないと、少し前から気付いてはいますが後退するのが億劫で、
なおも惰性に任せて前進を続けます。

ようやく地形図で現在地を確認すると、
旧峠道があるはずのカナハミ沢とは一本違いの沢に居ることが判明するのです。
目的のカナハミ沢は進行左手のひとつ尾根向こうなのです。
もはや、脆い小滝をクライムダウンして引き返すのは面倒だと、奥へ奥へと進みます。

大杉のある二俣で左右に沢は分かれ、左は傾斜のきつい岩場、右は砂礫の急傾斜と
どちらにしても進む気のしない選択を強いられます。
どちらの進路も体力、装備、能力、気力面などを考慮して挑むことはできず、
左右に沢を分かつ正面の小尾根に逃げ場を求めます。

しかし、この小尾根も数十メートル這い登った地点で、
いざ振り返ってみると、なんて危険なことをしているのかと我に返るのです。
このまま登って登れないことはないのですが、もしもこの先で行き詰まったら、
垂直に近いグズグズ斜面を、枯れ木に命を預けて下降するのは危険過ぎます。


ダイレクト南尾根から派生する東南支稜
ケモノ道程度の微かな踏み跡を潅木を分けて進む


踏み跡明瞭なダイレクト南尾根本道に接続

正面小尾根への取り付きも諦めて、
左手の上方尾根を登り、尾根伝いに稜線へ出るという安全策を
冷静さを取り戻した良識ある意思が捻り出し、提案するのでそれに従います。
傾斜の緩いグズグズ斜面を斜上し尾根に這い出ると、
主尾根に出ることが出来そうなケモノ道程度の踏み跡が潅木帯の中へ続くのが確認できホッとします。

屈辱と引換えに命の保証を手に入れましたが、
いつもこうやって安全なほうへ、楽なほうへと、安穏を求める弱い意志は逃亡を重ねるのです。
この種の逃亡は自身の成長を阻害し、ただ敗北感だけを積層してゆくのです。

トゲトゲ植物のお仕置きを甘受しながらも、高みへと向けて、潅木を掻き分け進みます。
しかし、安堵感が忘れていた空腹感を呼び起こしたようで、ペースは上がりません。
単なる空腹のせいばかりでは無く、変な汗、寒気、吐き気、立ちくらみと体調は絶不調を極めます。


ダイレクト南尾根からカナハミ沢を見下ろす


ダイレクト南尾根の一本調子の登路

妙な脂汗と乱れた呼吸に苦しみながらも登高を続けると、
阿夫利山から南へ派出した明瞭な踏み跡が付けられた主尾根へと潅木尾根は接続します。
この主尾根を、阿夫利山ダイレクト南尾根と仮称することにします。

ダイレクト南尾根は体調不良のハイカーに気を遣うことなど無く、
一本調子の直登道が高みへと続いています。
また、ダイレクト南尾根からはその西方にカナハミ沢を見下ろすことができ、
本来ならばそのカナハミ沢沿いに金波美峠道の旧道を探索していたはずなのにと、
入渓時点からの失敗を嘆いている体調不良のハイカーに、精神的なダメージをも加えます。


一般登山道の指導標識裏に飛び出した


「←富岡バス停・秋山温泉」「阿夫利山→」とある

ダイレクト南尾根を喘ぎ登りつめた場所は、一般登山道に設置された登山標識の丁度裏手で、
標識には「←富岡バス停・秋山温泉」と「阿夫利山→」とあります。
上野原市によって登山道は整備されているようで、阿夫利山の東西尾根道はヤブ道の予想に反し、
手入れが過度に行き届いた状態です。

体調の不良は、空腹がもたらしたに違いないと、山頂にて、ツナパンなどを頬張りもしますが、
立ちくらみと吐き気に再び襲われ、気力も減退する始末。
この先、金波美峠から、p803と池之上を経て大タギレまで向かう予定ではありましたが、
峠からは旧道を拾いつつ、安寺沢へと早々と退散しようと決め込みます。


狭い阿夫利山頂


立ち木に直付けされた山名標識

阿夫利山の山頂は、雨乞いの神を祀った石祠や伝説が生まれるような奇岩なども無く、
都会の建売住宅の庭にも満たないほどの狭いスペースです。

公的機関の設置した山頂標識は無く、
シンプルな手製の標識が立ち木にネジで直付けされているだけです。
立ち木に直接、ネジで取り付けるのは少々痛々しくもありますが・・・・


山頂からは巌道峠の向こうに大室山が望める


p718付近からはムギチロ稜線越しに袖平山

小さな庭の向こうは隣の家の壁という都会の建売住宅とは違い、
山頂からは巌道峠のへこみの遥か向こうに大室山の雄姿を望むことができます。

金波美峠へ向けて刈払いされた明瞭な尾根道を西へ進みます。
p718付近からはムギチロを擁する尾根を前衛に雪を纏った丹沢の山並みが一望でき、
秋山川側は眼下のゴルフ場が少々目障りではありますが、大地峠や寺下峠などを擁する
前道志山稜とも秋山山稜とも呼ばれる明るい山並みを望むことができます。
体調の悪いせいでしょうか、地図よりも歩かされた感じがして金波美峠へ到着です。


その名も床しい金波美峠

その名も床しい金波美峠は、
南面の葉を落とした木々のためか、以前訪れたときよりも明るい雰囲気に包まれています。
北側は植林地で暗く、展望は皆無です。
密に詰まった植林地の木々間であっても、冷たい北風が吹き抜けてきますが、
少し南側へ移動するだけで体温を奪う風を避けることができます。
峠の南側は縁側の陽だまりのように温もりに包まれています。


金波美峠の凹

金波美峠は金波美天神とも呼ばれ、南の久保天神(巌道峠)、東の綱子天神(綱子峠、造道峠)と、
三方を山に囲まれた安寺沢集落の西の出入り口の要でありました。

英語で言うと「Gold Wave Beauty Pass」というかは知りませんが、
美しい響きと字面の「金波美」には一体どんな意味があるのでしょうか?

「金波美峠は安寺沢側の沢を金波美沢と呼ぶから、ついた名前のようだ。
“かなはみ”とは“かなはさみ(金鋏)”の意味だろうか、
何んとなく付近で鉱石採集が行われていた事に由来するような気がする。
山麓の富岡集落に金山神社がある。
村の北には金山集落もあって、鎮守の金山神社近くにある金子姓の家の片隅に、
今も金鉱を砕いた石臼があると言うし、
神社の奥の山腹には金抗の穴二箇所が残っているとのことである。」
                 (『新ハイキング473号』「秋山右岸の小さな峠」 杉崎満寿雄著 より)

やはり金鉱絡みの命名なのでしょうか?
だとすると、カナハミ沢に黄金のカケラを求めて出かけるのも悪くはないかもしれません。


平成18年11月上野原市によって標識が新設された


微かな文字が金波美峠と読み取れる

上野原市によって新設された峠の標識には「金波美峠」の名が無いのが残念ですが、
地面には消えかけた文字で「金波美峠」と書かれた手作りの標識が転がっていました。

市設置の標識に取り付けられた「安寺沢→」の腕木は反対側の神野側を指していますが、
これはトンネル北側の林道に一旦降り立ち、トンネルを潜って安寺沢へ向かえという指示と思われます。
この指示が意味するところは、安寺沢側の峠道は通行不能、あるいは崩壊したということなのでしょうか。
それを確認すべく峠からは安寺沢側へ下降します。
体調不良につき、もはやp803から池之上へと向かう元気はありません。


安寺沢への道


正面の擁護壁の切れ間が旧道口

峠から安寺沢へと向かう旧峠道は明瞭に植林地の中へとのびています。
人の行き来によって踏み固められた道は草に埋もれることなくしばしの間続いていましたが、
しかし、それもわずか数百メートルの間だけでした。
斜面から突如として道は消え、擁護壁の切れ間からアスファルトの林道上へと放り出されるのです。

かつての峠道は金波美林道に飲み込まれてしまったのでしょうか。
沢沿いに道の痕跡は残されていないものかと林道上から覗き込みますが、
ヤブばかりでそれらしきものを見出すことは出来ませんでした。

再び峠へ登り返して、大タギレへ向けて歩こうとも考えましたが、
体調は一向に回復せず、気持も萎えて下山することを欲しています。
仕方なく、林道をテクテクと歩き安寺沢へと向かいます。


昭和4年測図昭和22年発行「大室山」地形図 地理調査所

阿夫利山ダイレクト南尾根の末端部、林道が大きくS字にカーブする地点に、
廃タイヤや廃材、便器の不法投棄に隠れて、沢に沿った右岸の林道とは別に、
左岸に道跡らしきものを発見しましたが、それとて数メートル進むとヤブに埋没していました。
下流に大きな堰堤が出来た頃から、旧峠道は放棄されたのかもしれません。
立派な林道が完成した現在、旧峠道の存在など顧みるものなどいないのでしょう。

古い山岳雑誌『山と高原60号』には、
安寺沢から金波美峠への道の様子が次のように描かれています。

「落合橋の袂から安寺澤と岐れて西へカナハミ澤沿いのゆるやかな登りを行くと、
最前からあやしくなって来た空が、到頭冷たい物を落として来た。
然し道は中々立派で歩き良く、雨が降っても歩行にさしつかえるようなこともない。
地図上で連想するこの径は暗い日蔭の山道を思い起こすが、事実は案外明るくて長閑である。
落合橋から25分程行くと道は左手の澤筋から岐れて、右手の尾根へひたばしりの登りになるが、
それも10分程でせまいながらも気持ちの良い金波美峠に着く。
金波美峠は標高680米、安寺澤から秋山川神野へ越す敏路である。
峠上の展望は割合に良く、北方秋山川の渓をへだてて高柄山・大地峠附近を初め、
遠く奥多摩方面の山々を望むことが出来る。この峠から北東へのびる尾根には判然とした
踏跡がついている。この尾根を富岡まで山稜を辿るのも一寸面白そうである。
峠から南西(巌道峠方面)への稜線にもはっきりとした踏跡がある。」
                          (「道志の峠路を行く(五)牛窪峠と金波美峠」 田中新平著)

沢に沿った明るく長閑な峠道、雨が降っても歩行に差し支えない道、
峠からの眺めは開豁で、遠く奥多摩方面の山々を望むことが出来る、と当時の様子が記されています。
現在もカナハミ沢の下流部に旧峠道が残されているかは不明です。
「私有地に付き立入禁止・地主」と書かれた看板が目につくばかりです。
安寺沢川とカナハミ沢との出合に、余所者の通行が許された橋はありませんが、
飛び石で安寺沢川を徒渉し、カナハミ沢の流れに沿うことは可能です。

しかしながら深入りはせず、そそくさと退散です。
その晩、体調は回復せず、布団の中で悪寒に襲われるのでした。
きっとこれは、黄金の秘密を暴こうとする闖入者に対する呪いだと思います。

【備考】

昭和38年版、日地出版の登山地図「丹沢山塊」には「金波見沢」の表記がある。「金波美」ではなく「金波見」もアリなのか?
また同地図には阿夫利山の表記は無く「高見山」とある。北側に「アフリ沢」の名があるから「阿夫利山」もアリなのだろう。
『中央線の山を歩く』(藤井寿夫著・新ハイキング社)ではp718を石尊山、p710を高見山としている。
『甲斐の山旅・甲州百山』(小俣光雄他著・実業之日本社)によると、阿夫利山のことを富岡集落の人々は、
素直に雨降山と呼んでいるとあります。

(峠行2008.03.01)