箱根外輪山を越える峠
矢倉沢峠・狩川峠(苅川峠)・明神峠・碓氷峠(臼井峠)
|
| 箱根外輪山の峠の一つである狩川峠(苅川峠)を再訪します。 狩川峠は矢倉沢峠と火打石岳の間に位置し、箱根側俵石と南足柄側関場を繋ぐ峠です。 古いガイドブックや登山地図にはその名前を見ることができますが、 国土地理院発行の現行版地形図には名前も峠道もしるされていません。 登山地図によっては峠名の「狩」という字を「苅」としているものもありますが、 |
*
| 名前の表記だけでなく、峠の位置も登山地図を発行する出版社によって異なっています。 次に各社の峠位置を見てみます。 |
|
| 昭文社の「山と高原」地図では、火打石岳のすぐ西方に峠は位置し、 名前は「苅」という字を採用しています。 峠道は箱根側にも南足柄側にも描かれておらず、名前だけ残る峠といった印象を受けます。 ただし、峠名のしるされた位置より、西へ行った場所の箱根側に破線道が描かれています。 |
|
| ゼンリンの地図では、矢倉沢峠と火打石岳とのほぼ中間部で北に派出する支尾根の根元に 峠の名前がしるされており、峠名は「狩」という字で表記されています。 峠道は箱根側にも南足柄側にも描かれていません。 ちなみに、ゼンリンの住宅地図には狩川峠の名はしるされていません。 |
|
| 日地出版の地図では、ゼンリンと同様の位置に峠があり、「苅」という字を採用しています。 峠道は、箱根側も南足柄側も破線道で描かれていて、生きている峠との印象を受けます。 また、峠の標高が874.3mとしるされています。 過去の経験から、日地出版製の登山地図は精度が高く信頼がおけるものだと推測されます。 |
* |
| 以上のように、地図会社によって峠名、峠位置、峠道の表記の有無に違いが見られます。 峠道と思しき道筋が描かれている古い版の地形図を引っ張り出して、 照らし合わせてみると以下のようになります。 |
|
| 日地出版、ゼンリンが峠とする場所は、上記「狩川峠A」地点で、874.3mの標高点です。 昭文社が峠としている場所は、「狩川峠A」地点より東方へ移動した944m(現行版地形図946m) の小峰を越えた地点です。 厳密に言うと、さらに次の小ピークを越えた地点に『山と高原地図』では峠名を付記しています。 しかし、そこには道は見られないので「狩川峠B」地点を昭文社の峠とします。 (火打石岳に登る破線道は見られる) 箱根側の峠道を見てみると、「狩川峠A」地点には仙石原からの道が、 「狩川峠A」地点に至る箱根側の峠道は、昭文社、日地出版の地図にも見られます。 「狩川峠A」地点と「狩川峠B」地点では、いったいどちらが真の狩川峠なのでしょうか? さして細かいことにこだわる必要はないのかもしれませんが、 |
* |
|
| 『箱根と伊豆』(中野敬次郎著・山と渓谷社・昭和25年)の中では、 「狩川渓谷・仙石峠越コース」と題して、狩川峠越えのルートを紹介しています。 「仙石峠越」という名で狩川峠ルートを紹介した稀少なガイド本といえます。 |
| 【狩川渓谷・仙石峠越ルート】 関本--4.5粁--関場--5粁--丸木橋--1.5粁--仙石峠--2粁--仙石原 徒歩4時間半 関本方面から箱根に通ずる捷路だった古道で、今も相当里人に使用されている。 |
| 当時、峠道は里人に利用されていたこと、峠は「仙石峠」とも呼ばれていたこと、 峠の標高は874mであること、峠に杣小屋があったことが古いガイド本の記述から窺がえます。 また、当時すでに仙石原側の道が樹間に没したヤブ道状態であったことなどがわかります。 |
*
|
|
| 「狩川峠」の位置をはっきりさせようと実地峠行に赴きます。 でも単に、なんだかんだと理由を見つけては峠をウロウロとしたいだけなのです。 箱根外輪山の峠は以前訪れたことがありますが、狩川峠の位置はその時もハッキリとしませんでした。 再び訪れてなんらかの収獲はあるのでしょうか? 「狩川峠A」地点だろうと「狩川峠B」地点だろうと、 |
|
|
|
| ハコネダケと植林の中の、眺望にも、面白味にも欠ける峠道を淡々と登りつめると、 あっけなく矢倉沢峠に立つことができます。 峠道の愛想の無さに比べると、峠自体は明るく開放的で人に嫌われる要素など全くみられません。 暗い性格の持ち主である訪問者の頭の上にも青空が広がり、陽光が降り注ぎます。 峠には平日のためか戸を閉ざしている「うぐいす茶屋」が建ち、 |
|
|
|
|
|
| 矢倉沢峠から稜線を東方へと向かいます。 未明に降った雪が、所によってはうっすらと積り、先縦者のビムラムソールの足跡を刻んでいます。 見た目には美しいトレールも、実際に歩けばドロドログチュグチュの泥濘で、 厄介なことに、歩行わずかにして安物のスニーカーは水分を易々と浸透し始めるのです。 矢倉沢峠から小さな丘(p963)を越えて降り着く鞍部が「狩川峠A」地点です。 |
|
|
|
| 「狩川峠A」地点からさらに東方へp944(現行版地形図では946m)を乗り越えて進みます。 p944の高みからは「狩川峠A」地点の鞍部の向こうに、これまで辿ってきた一条の道を見ることができます。 また「狩川峠A」地点から北方へと派出する支尾根の姿を望むこともできます。 「狩川峠A」地点から「狩川峠B」地点に向かう途中、 こっちに突進されてはたまらないと、足早にその場から立ち去ろうとしますが、 |
|
|
|
| 「狩川峠B」地点には、登山標識が立っていますが、 こちらも「狩川峠A」地点同様に、ここが「狩川峠」であるとの表記は見られません。 登山標識の隣りには、「水源の森林づくり契約地」の看板があり、 この地が「南足柄矢倉沢字桧山」であることを教えてくれています。 「刈(苅)川峠」でネット検索をすると、いくつかの登山レポを見出しますが、それらが峠としている場所は、 昭文社説に近いどうやらこの「狩川峠B」地点のようです。 登山標識裏手の斜面を上り、稜線の向こうに箱根側に下る道があるかどうか確認してみますが、 結局再訪しても、「狩川峠A」地点と「狩川峠B」地点のどちらが真正なる狩川峠なのか、 |
|
|
|
| 狩川峠の正確な位置がモヤモヤと判明せぬまま明神ヶ岳へと向かいます。 次に目指す「明神峠」もその実在がモヤモヤとしており、正確な峠位置がハッキリしないのです。 燧石を産出していたという火打石岳を過ぎ、快適な平坦路を進んでいると、 明神ヶ岳の登りに取り掛かる手前の明神平分岐の鞍部も峠状をしています。 |
|
* |
|
|
|
| 『峠路』(直良信夫著・校倉書房)という書物に「明神峠」についての詳しい記述があります。 「明神峠は、この山の東南部にあって、古くから箱根の碓氷峠を通って、宮城野から登ってきた山道が、 「この山」とは明神ヶ岳のことで、その東南部を越える山越えの道が「明神峠」であるとの記述です。 一般に、箱根越えの最古の道は御殿場から箱根外輪山の乙女峠を越えて一旦火口原に入り、 |
|
|
|
| 「日本武尊は関本から道了尊を通らずにダイレクトに明神ヶ岳と明星ヶ岳の中間にある 標高913メートルほどの明神峠を目指し、そこから碓氷峠に下りてきたものと推測されている」 (『箱根・伊豆謎とき散歩』ひろたみを著・廣済堂出版 より) 上記のように、明神ヶ岳の東南鞍部である明神ヶ岳と明星ヶ岳とを結ぶ稜線上の落ち込み(宮城野分岐)を 「どこが峠だか、実のところ、はっきりとした様子を示していない。が、ともかくも碓氷道が、 ・・・・明神ガ岳の頂をすぎると、少しくだりになる。そのくだり坂にかかろうとする所(明神ガ岳の西肩)に、 地形図をみてもわかるように、この尾根筋は、道の西南半分の箱根よりの部分は、尾根の勾配が 直良氏は、明神ヶ岳の東南鞍部を「明神峠」とするのは遠回りであるとの疑念を呈しています。 この尾根のタルミは、先に記した通り、地形上の弱点として外輪山の内と外とを結ぶ通路としての役割を 結局は、ここが「明神峠」であるとの確実な説は認められません。 『箱根町誌第一巻』(箱根町誌編纂委員会・昭和44年)に収められている 「宮城野から明神岳に登るには、四ッ尾を経て頂上に登る途が古くより用いられているが、 |
|
* |
|
|
|
| 火打石岳と明神ヶ岳とを結ぶ稜線上の鞍部から、明神ヶ岳西面の荒々しい旧爆裂口の絶壁を眺めながら ダラダラとした登りに取り掛かります。 登るにつれて、矢倉沢峠から辿ってきた稜線道が遠くに、そして低く低くとなっていきます。 さきほどまで金時山の肩に、遠慮がちに頭だけを見せていた富士は、その全容を現わし、 他を圧倒する高さと雄大さで威厳を誇示し始めます。 非力な人間はその姿に畏怖さえ覚えるのです。 山頂が近付き勾配が緩むと、「←最乗寺奥の院90分」と書かれた標識の立つ分岐を迎えます。 山頂はドロドロで動き回るごとに泥が靴に付着して足が重くなります。 |
|
|
|
| 山頂南側には大雄山最乗寺へと向う道が分岐しています。 箱根側の眺望ばかりに目を奪われてはいけません、東方には足柄の平野と余綾(淘綾)丘陵、 そしてくっきりと湘南の海岸線を望むことができるのです。 直良信夫氏は『峠路』中で次のようにも述べています。 「明神ガ岳の頂に立って、酒匂川の平地に向かって、 まさに同感で、外輪山の稜線に立ち東方を望めば、滑り台のような尾根道を辿って、 |
|
|
|
| 山頂から明星ヶ岳との鞍部へ向けて稜線を南下しますが、 東方へと下る顕著な分岐は、「大雄山最乗寺分岐」の他に「矢佐芝分岐」があります。 「矢佐芝ハイキングコース」として整備されているようで、塚原駅へと向けて下る途中には、 「二宮金次郎腰掛け石」なるものもあるようです。 三竹へと下る派生尾根を見送り、一気に稜線道を下ると、 宮城野へと下る道は、ハイキングコースとしてはイタダケナイ道で、赤土がエグレていてやや荒れ気味。 |
|
* |
|
|
|
| 国道138号線のバス通りに出れば、車を乗り捨てた金時神社まで容易に戻ることはできますが、 ここまで来ては「碓氷峠道」を歩かないわけにはいきません。 碓氷峠道は今の早川に沿った箱根裏街道(国道138号線)ができる以前は、仙石原、俵石と宮城野とを結ぶ 重要な道でありました。 「碓氷、碓氷峠、碓氷坂などは、全国各地に見うけられる比較的多い地名であるが、 「仙石原と宮城野を通じている碓氷峠は、標高700mの線を縫って、現在の国道の北側に並行しているが (『箱根町誌第一巻』 「箱根山の古道と中世以降の箱根の発展」 中野敬次郎著 より) |
|
|
|
| 別荘地内の分岐路に設置された「碓氷峠30分 日本武尊碑→」の標識に従って林道を歩き始めます。 どこで神の怒りに触れたのか、空は俄かに暗澹とし、灰色の雲が神山を越えてきては雨を落とし始めます。 アスファルト舗装された林道歩きは足裏が痛くなってくるしで、いいことはありませんが、 林道脇に捨てられた不法投棄の中に、骨の折れた傘を見つけては喜んだりするのです。 たまには役に立つ不法投棄もあるものだと、蜘蛛の巣だらけの傘をさして碓氷峠の名と関係があるであろう 臼井沢を渡って林道上の高点を目指します。 以前にも訪れた「吾嬬はや」の碑を拝し、その隣りの東屋でおやつ休憩でもと考えていましたが、 観光協会の御仁よ、なにも箱根を訪れる観光客は芦ノ湖での遊覧や温泉での癒しばかりを |
|
|
|
| 碓氷梅園の梅はほころび始めていました。 その背後に望まれる大湧谷の噴煙に霞む神山の偉容は神秘的ですらあります。 太古から見られたであろう箱根火山の活動は大地の底知れぬ生命力を感じます。 古き時代の旅人も外輪山をただ越えていくばかりでなく、この活動を間近に体感するために、 わざわざ外輪山内部へと、一旦は、足を踏み入れたのかもしれません。 林道の高点付近には、いつの時代のものか知れない行路の安全を見守る馬頭観音が鎮座し、 静かに神山を見つめていました。 |
|
| 【参考文献・資料】 『峠路』 直良信夫 校倉書房 【*1】 河川名は「狩川」ですが、南足柄側には「苅野」という地名もあります。(別に狩野という地名もある) 【*2】 「横走から山路に向う場合、竹ノ下から足柄峠(759m)に向った方が、距離も短く、峠も低く、外輪山を越えて直ちに 「外輪山の内部にある何かの目的」とはいったい何だったのでしょうか?とても興味あるところです。 |
|
(峠行2009.02.10) |
|