峠を越えるもの

 

峠を越えるもの
ハイカーの足跡、パスハンターの轍、走り屋の爆音。

かつて峠を越えたもの
馬喰、行商人、サンカ、マタギ、木地師、
世間師、薬売り、郵便配達夫、瞽女、行者。
今も、もしかしたらどこかの峠を越えているかもしれない。

山賊やお尋ね者も越えただろうし、
夜這いの若者衆や駆け落ちの男女、そして花嫁も峠を越えた。

行商人の肩に担がれ、牛馬の背に積まれ、
塩や魚、米や薪炭も峠を越えた。
生活物資・換金産物が峠の向こうから、
あるいは、こちらから越えて行き来した。
峠は村の生命線でもあった。

峠を越えたものは目に見えるものばかりではない。

喜びや怒り、悲しみ、憎しみ、希望や失望。
思想、忍耐、気概、愛や恋
あらゆる情念は峠を越えた。

言葉や技術、信仰や流行、情報、文化、貧富の差も峠を越えた。
峠は外界への窓であり、
内界から外界への扉でもあった。

様々な神々、悪霊、病気、疫病も峠を越え侵入した。
村人は畏れ、峠に神を祀りもした。

峠を越える旅人や行商人のために茶屋を設けたり、
休息のための日陰、あるいは目印のための木を植えたように、
目に見えぬ存在のために、峠に社や祠を祀った。

上る人も、下る人も通過しなければならない一地点の峠。
勝った人も、負けた人も、
希望を抱いた人も、夢破れた人も、
越えなければならない峠。

日が昇り、日が沈む。
獣も越え、渡り鳥も乗り越す。
身を切る冷たい風も、心躍る暖かい風も吹き抜ける。
あらゆる色彩の光が峠を彩り、ひかり輝く。

冬の笹尾根の小さな峠を越えた時、
降り積もった新雪に、一匹の獣の足跡が峠まで続いていた。
獣たちも歩きやすい峠道を越えるのかと思ったが、
そもそも、人間のほうが獣たちが開拓した道を
利用しているのではと思えてきた。

最初に獣が使用していた か細き道を、
人間の強い意志をして、欲求をして、期待をして、
あこがれをして、好奇心・探究心をして、
立派な峠道に至らしめたのではないでしょうか。

そんな人間の強固な意志に、長い歴史に、
踏み固められた峠道も、
今は、越える人もなく草に埋もれつつあります。

今、峠を越えるもの
アスファルトの新道と異様な送電線。
バイクの爆音とトラックの排煙。

そして、過ぎし日の微かな面影。
微かな息遣い。