★ 子安の里へ続く山越え古道 (七曲り)

 


「なんか文句あっか〜」とふてくされている感じ
小坪の子育て地蔵尊前にて


披露山から新宿へ
この辺が「古東海道」だろうか?

三浦半島の西海岸、横須賀市秋谷から子安の里へと続く山越えの古道があるという。
丘陵に囲まれた子安に向かうその古道の傍らには、かつてこの道に牛が通っていたことを示す
馬頭観音ならぬ牛頭観音が祀られているという。
その観音様へお会いしに鎌倉、逗子、葉山と潮風を受け自転車のペダルを漕いで行くのです。

その前に、ちょっと寄り道。
逗子披露山の超高級住宅地を不審者の如くウロウロ。
経済格差を嫌というほど見せつけられた後、披露山公園から新宿へと下る「古東海道」を探索。
しかし、ヤマトタケルも東征の折に通ったという「古東海道」は探してみるも判然としません。
坂道を掃除しているお婆さんに「ご苦労様ですぅ」と声を掛けると、
「坂が急ですからお気をつけください」と声を掛けていただく。
なるほど、ほんとに激坂だ、自転車を降りなければ頭から一回転しそうな勢いで下っている。
自転車は快調に森戸海岸、葉山御用邸前を過ぎ、長者ヶ崎を越え秋谷の町へと滑り込む。


秋谷の立石
フリーで登ったら怒られるかな


立石不動尊
身動きがとれない弁財天様

「湘南国際村入口」の信号交差点に自転車を乗り捨て、
神奈川景勝50選、横須賀風物100選に選定されている「秋谷の立石」を見物する。
安藤広重も「相州三浦秋屋の里」と題してこの風景を描いたというが、
よくもまぁ、長い年月を経て今まで波に削られずに残っているものだと感心してしまう。
高さは12メートルほどあるらしくフリークライミングの対象として面白そうに思えるが
取り付いたらきっと怒られるだろう。

子安へ向かう古道に入る前に、三浦不動尊28ヶ所の21番札所である「立石不動尊」にお参り。
お不動様を祀った堂と年寄りの小便のようなショボショボとした滝が落ちている。
堂の周りには数体の不動明王像や庚申供養塔などが祀られているが、
つげ義春の漫画に出てきそうな、どこかうら寂しい雰囲気が漂う。
片隅には蛇にグルグル巻きにされた弁財天の石像があり、身動きのとれない自分の姿を
見ているようで、息苦しくなって不動尊から退散した。


ファミリーマート前の細い路地が古道入口


難所七曲りの登り口に祀られた馬頭観音

目的の古道入口は国道沿いのコンビニ・ファミリーマート対面の細い路地から始まる。
ちなみに路地入口の八百屋さんも、つげ義春の漫画に出てきそうな独特な味を醸し出している。

この子安の里へと続く山越え古道の存在については、
『牛馬のいた風景・三浦半島の農耕とくらし』(辻井善彌著・夢工房)という本を見ていて知った。
この本は三浦半島における昔の牛馬の分布を調べ、その考察をしているもので面白い。
半島北部・南部では馬が、半島中央部では牛が多く飼育され、農耕・運搬に使われてきたという。
その背景には地形の問題や飼料、土壌などが関係しているという。
半島を血管のように通っていた牛の道、馬の道、なんとも興味を覚えるのです。

事前に「湘南国際村」のホームページから入手したハイキングマップを片手に路地を進みます。
丘陵部の緑が近付き、海に近いということをすっかり忘れてしまいます。
住宅が途切れると、尾根への取り付きが始まります。
道は土道に変わり、いきなり難所の「七曲り(七折れ)」を迎えます。
馬より険しい道には有利だという牛でも、この「七曲り」はかなり骨の折れたことでしょう。【*1】
「七曲り」を避けるため「馬道」というバイパスもあったようですが今では廃道とのこと。
しばらくは夏草を分ける細い踏み跡が屈曲を繰り返し続きます。


凹とした掘割状の古道が続く


牛頭観音の佇む分岐

いきなりの難所を通過すると、ほどなく道は安定し、凹とした掘割状の道に姿を変えます。
欝蒼たる木々に覆われ、昼間でも薄暗く、空気も沈滞しています。
立ち止まるとヤブ蚊の襲撃を受けるこの道は冬場向きのハイキングコースのようです。

思いのほか長く続く古道に、観音様との対面はまだかなと待ちかねていると、
分岐を迎え、その中央に夏草に身を隠すように佇む一体の牛頭観音を見つけるのです。


草に埋もれる牛頭観音


ここで左に折れて子安の里へ

「おお、これが馬頭観音ならぬ牛頭観音かぁ!」と、あまり見かけることのない石造物に
小さな感動を覚え、心待ちにしていた対面を喜んだりするのです。
この道はかつては葉山町木古庭に達し、浦賀道にも繋がっていたといいます。
きっと往時は多くの牛馬が行き来していたのでしょう。

それにしても三浦半島にいて海に遊ばず、山に遊び、
青い空の浜辺で水着ギャルを眺めず、暗い山中にて石仏に話しかけている自分が
少々異常に思えてきてゾッとしたりもするのです。

分岐点に吊るされた「←子安」の標識に従い、左前方へと続く道を進みますが、
ここから子安の里までは筆舌に尽くし難い悪路なのであります。


確かに頭の上に牛の頭を戴いている


倒木くぐり、女郎蜘蛛の巣、笹ヤブが待ち構えている

悪路といっても道そのものの状態が悪いわけではありません。
山里の暮らしを長きに渡り支えた生命線の古道がたやすく崩壊するわけもなく、
人間と牛馬の歩行によって踏み固められた道はしっかりと残存しています。

土砂崩れも落石もなく、進むべき進路も明瞭なのですが、
その代わり、倒木くぐりや笹ヤブ・夏草の繁茂が行く手を阻んでいるのです。
秋谷から観音様分岐までは、ヤブ蚊の襲撃を除けば歩行に支障をきたすことはなかったのですが、
観音様から先は、最近歩かれた様子がまったく感じられない放置状態となっているのです。
これは単に夏場だからなのでしょうか、それにしても横須賀市がハイキングコースとして
推奨している割にはやや荒れた状態だといえます。

倒木や笹ヤブだけならまだ我慢できるのですが、
小鳥をも容易に捕獲しそうな巨大な女郎蜘蛛の巣には辟易してしまいます。
木の枝を拾って、連続する蜘蛛の巣を次から次と破壊して進みますが、見落しはあるもので
無防備な顔面にネバネバとした蜘蛛の糸が絡みつき不快指数が一気に上昇します。
フェンシングの要領で木の枝をブンブンと振り回しますが、顔面をガードする面が欲しくなります。
三角点p169.7脇の乗っ越し部分を通過すると、左手の木々の切れ間から子安の里の風景が
ちらちらと望まれるようになり、道は下り勾配となっていきます。


古道はなんとか生き残っている


子どもを抱いた子安観音が祀られている

笹ヤブ、蜘蛛の巣から解放され、飛び出した古道の出口は墓地の脇で草が茫々です。
倉庫のような建物があり、広場からは大楠山が近くに望まれます。
子安側からこの山越え古道の入口を見つけるのは少々厄介かもしれません。
ズボンに付いた夏草の種、髪の毛を固めるほどに絡みついた蜘蛛の巣を取り去りながら
舗装された里道を歩き、手持ちのガイドマップに記されたビュウスポットを巡ります。

最初のポイントは子どもを抱いた観音様の祀られた石仏群、続いて三叉路の庚申塔群です。
居並ぶ庚申塔群の中でも享保6年に建立された御幣を担いだ猿の彫られた庚申塔は
横須賀市の西海岸だけに見られる珍しいものとのこと。


御幣を持つ猿が浮彫りされた庚申塔


軽部家長屋門

炭焼き窯の脇を通り、のんびりとした里道をゆっくりと歩きます。
丘陵に囲まれた子安の里は、今でこそ湘南国際村なる施設ができ、
外界へと繋がる立派な車道が開通していますが、久留和から関根川に沿った道ができる以前は
秋谷からの山越えの進入路しかなかったといいます。

「子安の正月知らず」という言葉があるようで、
昔、薪を売りに里へとくだり、戸毎に門松が建っているのを見て、初めて正月であったことを
知ったとの話が残されています。(『新編相模國風土記稿』)
農閑期といえども、薪出し、炭焼き、カヤの実拾いと忙しく働く、山の暮らしぶりが窺がえます。
平家の落武者の子孫によって開かれた里であるとの話もありますが詳しい歴史は不明です。

「子安」という里の名の由来も明らかになっていませんが、
野に咲く草花を見ていると、子どもが安らかに育つ環境ではありそうです。


霊水溢れる関根不動尊


久留和の庚申塔群
ここにも御幣を持つ猿の庚申塔がある

軽部家長屋門、小菅家長屋門を見物し、路傍の石仏に別れを告げて子安の里を後にします。
秋谷から山越え古道を拾って、里をブラブラしても一時間半位の行程でしょう。

湘南国際村と国道134号線とを結ぶトンネルはくぐらずに、関根川に沿った旧道に入ると、
「関根御滝不動尊」があり、堂の前には胃腸病に効果があるという湧水が溢れています。
霊水を求めポリタンクを持った人が列をなしており、なかなかの人気スポットのようです。
小社には牛馬の神の日月様を祀っているとのこと。
また、かつては湧水で茹でた蕎麦を茅の箸で食べるという新箸祝いの行事が
行われていたようです。

ドングリの転がるアスファルト道をそのままテクテク進むと、
海の香りが鼻を刺激して、国道の久留和バス停に飛び出します。
時間的にも、体力的にもまだまだ余裕があるので、続いて前田川に沿った遊歩道から大楠山を
目指そうとも思いましたが、蜘蛛の巣との激戦は心に深い傷を負わせたようです。
青い海を見てしまったら、今日のところは再び山に入る気持ちが湧きません。
「湘南国際村入口」の交差点に乗り捨てた自転車を回収し、潮風サイクリングで帰路に着きました。

次回、牛頭観音を訪ねる機会があるならば、
女郎蜘蛛の巣が無く、春の花々が可憐に咲く早春にしたいものです。

【*1】

「牛は馬に比べると反芻動物であるだけに粗食に耐え、速度は遅いが、急坂の歩行には強いといわれる。
丘陵が多く、したがって坂の多い三浦半島の中央部にあっては、馬より牛の方が適しているといえる。」
                                     (-『牛馬のいた風景・三浦半島の農耕とくらし』-より)

ちなみに、文化11年の人別帳によると子安の戸数26戸、人口164名、馬2頭、牛31頭 であったとのこと。

【参考文献】

『牛馬のいた風景・三浦半島の農耕とくらし』 辻井善彌 夢工房
『三浦半島その風土と歴史を訪ねて』 辻井善彌 有峰書店新社
『とっておきの散歩道』 三浦半島まるごと博物館連絡会ガイドブックシリーズ 財団法人かながわ国際交流財団編集
パンフレット『三浦半島きままに散歩・湘南国際村』 横須賀三浦地域県政総合センター商工観光課