★ 二本の峠道 / 浅間峠と栗坂峠
〜 栗坂ノ尾根 〜
【コース】 棡原トンネル小伏側出入口-猪丸-浅間峠-p717鞍部分岐-p774芦沢山-p710-棡原トンネル棡原側出入口
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| 「路面凍結走行注意」の警告板が消えるまで、もう原チャリ登山は止めようと心に誓ったばかりなのに、 青空の誘惑に負けてスロットルを回してしまった。 宮ヶ瀬湖畔は気温5℃! 前回より寒いじゃないか! 今回は、前回、栗坂峠を通過した時に気になってしまった小伏集落側に下る道を探索するのだ。 浅間峠の道は猪丸より三二山川沿いに付けられ、 栗坂峠で見る小伏側の道の入口は小笹に埋まり、先行き心配であったが、 |
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「棡原トンネル」の小伏側出口に原チャリを停めて歩き始める。 しかし、下半身が凍っていて歩き方がぎこちない。 それでもなんとか歩いて体を温めるしかない。 まずはトンネルをくぐり、棡原中学校に向けて下り勾配の道を進む。 丁度お昼時で地元の方の姿は見られない。 |
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甲武トンネルを介して結ばれた上野原五日市線が 大きくカーブする所から三二山川沿いの道が始まる。 常に右手に美しい流れを見ながらの林道歩きとなる。 『上野原町史・下巻』によると、 |
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「三二山からの道は三二山川沿いに登っていき 浅間峠を越えるコースで、三二山口留番所は現在の棡原支所の 付近にあった」とも書かれています。 また、往時の主要な道筋として、 @郷原-数馬峠-数馬-船久保-人里 の四本を紹介しています。 |
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三二山川沿いの林道は、 かなり奥まで車が入れるような立派な幅広な道です。 笹尾根の峠の中で最も栄えた峠と言われるだけあって 駄馬にも優しい勾配と路面状況です。 【*1】 黙々と歩いていると手がジンジンしてきました。 上野原五日市線が上方を走っており、 車道から不法投棄され植林帯の斜面を転がり落ちてきたと |
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往時の賑わいを偲ぶ馬頭観音でもあると思いましたが、 それらしき物は見当たりませんでした。 ただ一箇所、大きな堰堤を巻き上がったところに、 この道筋で唯一の左写真の石仏(?)らしきものが 祀られていました。 ここは丁度、甲武トンネル南のp680の尾根の末端部で、 |
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浅間峠直下の道は、現行の地形図の通りで 植林内のジグザグが続きます。 スギ花粉最盛期には歩けたものではありません。 はじめは大きくジグザグし、次第にジグザグの幅が小さくなります。 ジグザグを終え、左手にトラバース気味に進むと |
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「口留番所ノ廃跡(棡原村)猪丸村サンヤ(三二)山ノ麓ニアリ、 此レヨリ栗坂ヲ越エ武蔵ノ日野原(現・檜原)出ル峠ニ、 浅間ノ小祠アリ、境ノ宮ト称ス、此レヨリ日野原ニ至ル二十一町余」 と『甲斐国誌』にはあります。 前回も述べた「栗坂=九里坂」(一里六町時代の九里)を 峠の登山標識には「日原バス停2.5km」、「上川乗バス停2.5km」 |
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ベンチに腰掛けて、99円の「ぐるぐるウインナーパン」と テルモスの紅茶で休憩です。 今日はお気に入りの99円アップルパンは売り切れでした。 休憩中、4組の登山者が通り過ぎました。 その1組のハイカーに、 |
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数週間前に訪れた栗坂峠に再び参上。 よく見ると登山標識の裏手(上川乗側)にも薄い踏み跡がある。 今回は、小笹に埋もれた小伏側の峠道を探索します。 ここは単なる分岐ではなく、 |
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小笹が道を隠すのはほんの数メートルの距離だった。 そこから先は明瞭な踏み跡がのびている。 自然林と植林の間、斜面にトラバース気味の道がしばらく続く。 p879を巻いてその西南尾根に出ようというのだ。 この尾根は『奥多摩』(宮内敏雄著)では、 |
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栗坂ノ尾根に乗ると、左植林、右自然林となる。 自然林の木々間から上野原五日市線や甲武トンネルが望める。 土俵岳の姿が大きい。 尾根道はしっかりしていて、一部凹状の部分も見られる。 |
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地形図点峰p717の鞍部は峠風である。 芦沢川源流域からの道がジグザグを切って 植林地内の斜面を上がってきている。 鞍部分岐には可愛らしい自然石に刻まれた |
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本来の栗坂峠の峠道は、この鞍部分岐で左に折れて、 芦沢川沿いを小伏集落に向かったものと思われる。 【*3】 しかし、ここはp774を陥落させようと山屋の血が騒ぐ。 鞍部からわずかな登りで平尾根に出て、 |
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芦沢山は植林に囲まれた山で、展望も無く、面白味に欠ける。 手作りの山名標識は「山酔会」という会が設置したものらしい。 たしかにこんな山には、「山の酔いどれ人」しか訪れないと思う。 それもかなりの泥酔か悪酔いかの連中と思われる。 山頂付近は少し潅木ブッシュがやかましい。 |
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p710から最後まで植林地内の道が続く。 植林地内とはいえさほど暗くも無く、手入れも行き届いている。 下るにつれ、道も凹状のはっきりした道型となる。 凹具合から察して、栗坂峠への道として、 |
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ゴルフ場が見えてくると山道も終わりで、 立派な林道に降り立つことになる。 あとはこの林道を辿り、最終民家O家の庭先を通過して、 登って下りて3時間のお気軽峠行であったが、 帰路の原チャリ運転中の鼻水は、寒さによるものと、 |
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| 栗坂ノ尾根末端から眺めたゴルフ場の傷跡は痛々しい。 中央線沿線というよりは中央高速道沿道の山々はゴルフ場に傷めつけられている。 ゴルフ場からの税収入、山村地域の雇用現場の確保等を考えるとしょうがないことなのか。 それにしてもゴルフ場入口までの道はよく整備されている。 それに比べて役に立たない古い峠道の道普請など行政は思いもつかないことだろう。 |
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| 【参考文献】 『甲斐国誌』、『上野原町史』、『奥多摩』(宮内敏雄著・百水社)、『甲斐の山旅・甲州百山』(小俣光雄他著・実業之日本社) 【*1】 『多摩の低山』(守屋龍男著・けやき出版)の中に以下の文章あり。 「笹尾根の峠の中で最も栄えた峠である。鶴川流域で生産した炭などの物資は馬の背につけられ、 【*2】 『山と渓谷』 89号 奥多摩特集 「秋川をめぐる峠」(宮崎封v著)の中に以下の記述があります。 「・・・《五萬分登山圖武州御嶽》には、郡内小伏に径が通じているが、これは浅間小祠から尾根を三國山寄りに少し歩いて降る、 「栗坂とは小伏から登る峠路につけられたものである」という一文が興味深い。 【*3】 『奥多摩』(宮内敏雄著・百水社)の山行記録篇には以下の記述がある。 「・・・辿り着いた処は浅間宮の前である。・・・峠路は西南に国境尾根の稜線を行き、10分程で南に乗越す。 ●後日、栗坂峠から小伏集落へ下った時のレポートを見る |
【補足】 古い地図を見たところ二筋の栗坂峠道を確認できました。 時代によって道筋に変遷があったようです。
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| 古い地形図には三二山川沿いの現・浅間峠道は見られません。 (上川乗側は道あり) 一方、栗坂峠道を見ると、明治期においては尾根伝いに猪丸へ、 なぜ道筋が変更されたのでしょうか? |
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