ラブホテルを想う

峠を巡り歩いて感じることの一つに、
ある程度町に近く車の走行可能な峠や坂の近辺には、
ラブホテルが多いということがある。

例えば、善波峠、大垂水峠、御殿峠、御坂峠などなど
都会の真中には道玄坂のホテル街がある。
西日本方面の事情は分からないが、きっと全国的な傾向だと思っている。
別に峠にくると発情するわけでもあるまい。

峠は地域と地域の境目・この国から異国への境・俗界から霊界への境・知から未知への境
であるといえる。それゆえ気持の上に変化が起こり得るのである。

峠にラブホテルだけでなく墓地が多いのも頷ける。
鎌倉の切通しには、やぐらという中世の墓がある。
さらに、日常と非日常の接点・晴れと褻(け)の接点であるといえる。

峠=境とは、明確にひくことの出来る線ではない。
坂の語源は‘裂く所’からきているという。
生と死、死と再生、明と暗、悲しみと希望をひく裂くところ、
人生の転換点、心の転折の地であったといえる。

ひとつのエリア・領域の端である峠は、
別のエリア・領域の端でもある。
町はずれであり、村はずれであり、どんずまりであった峠の地は、
見えそうで見えにくい、見えなそうで見えもする
微妙な地であって、明確に線をひくことの出来る地ではないのである。

むかし、村々のはずれや、関や橋や辻や河原や坂には、
埒外の人々・漂泊の人々が存在していた。
それは遊女であったかもしれないし、盗賊であったかもしれない。
ただ権力の及ばない、はっきりしない空白の地というものがあったのは事実だ。

峠の地は見えそうで見えにくい、見えなそうで見えもする
微妙な地であって、そこにラブホテルが出現したのも必然だったのかもしれない。
そこで繰り広げられる行為は、非日常であり、
心の転折‘晴れ’の舞台でもあるのかもしれない。

この峠の機能に似たものに高速道のインターチェンジがある。
どこのインターチェンジ周辺もラブホテル花盛りである。
インターチェンジも一つの境であり、
そこに峠との類似性を見出すことが出来るだろう。

でも、ただ単に傾斜地である峠や坂は土地としての価値も低いし、生活も不便で
人が住み着きにくいという点から、利用価値のない土地があまり、
ラブホテルや墓地・霊園に利用されたのに過ぎないのかもしれない。
インターチェンジの騒音のひどい所に誰も住もうとは思わないだろうし、
ドライブ帰りのアベックをキャッチするのには最適地だったのだろう。

もう少し峠とラブホテルの関係を考察する必要があるだろう。
ただ確実にいえる事は、峠を歩いていて興ざめするということだ。