豆の葉と太陽
柳田國男といえば、『秋風帖』の「峠に関する二、三の考察」という文章が有名ですが、
その他の膨大な著書の中でも氏は峠について折に触れ言及しています。
『豆の葉と太陽』の「海に沿いて行く」という文章の中に、以下の峠に関する記述があります。
<前略> 「・・・峠の道の上り下りに深い興味を持ったことがある。 全体日本には幾つぐらい峠があるものか算(かぞ)えてみようと、 |
峠にたどり着いた時は 誰しもホッとする。
長い険しい峠路であればあるほど その感慨も深いかもしれない。
そう、それは山に登る人が 山頂を手中に収めた時の感動、喜び、嬉しさに通じるものがある。
峠を挟んだ こちらとあちらで 異なる土地の表情、異なる天候、異なる人の暮らし、
そんなことを肌で感じるのも 峠歩きの愉しみである。
麓から山道を登り 峠に至り、 そしてまだ見ぬ あちら側の世界へと越えて行く。
変化に富んだ峠行は、さまざまなメロディーから織り成されるロマン溢れる楽曲のようでもある。
いろんな音楽があるように、いろんな峠があるのだから、
お気に入りのメロディーを奏でる峠とハモればいいのさ。
諧調を乱す車のノイズはゴメンだね。
ありし日の美しいメロディーを拾い集めるのは骨が折れるから。
一介の旅人が調律師になれはしない。
失われた旋律は二度と戻らない。
麓に住む老人の耳に かすかにその記憶が残っているだけ。
歩むにつれ刻々と変化する集落の佇まい、自然の風景、樹相の変化、雲の流れ、風の感触、光の濃淡。
あらわれては別れを告げる路傍の石仏、名も知らぬ草花。
そんなものをゆっくりと愉しみながら峠を越える。
それはまさに一幅の絵巻物の世界を紐解くかのようでもある。
一巻見終えれば、次巻への期待も沸いてくるというもの。
そんな峠の数がいくつあるのか、峠の魅力にはまった人なら誰しも一度は気になるところ。
しかし、そんな野望は断念するのが賢明だろう。
数を知るより、ひとつの曲を、ひとつの絵を心ゆくまで鑑賞することに
その優位性を見出すことになるのだから。
| 「峠はおそらくは日本国の旅人の厄難であったと同時に、また一つの特権であろう。 峠でなかったら特に登ってみる因縁もなさそうな山々にあがって、 休んで花を見 また雲を見ることができるのである。 わずか半日の歩行をもって、全然別様なる二つの境涯を、 <後略> |
そうそう、そこに峠がなかったら そんな山には登らなかった という山がいくつもある。
峠を己が足で越えることは 苦ばかりではなく もはや素晴らしき特権だ。
以前は山登りのついでに、峠を歩いていたが、
いつの日からか 主たる目的が峠そのものに変っていた。
峠歩きが目的になり、山頂を踏むことは ついでの行為になってしまった。
山頂への通過点にしか過ぎなかった峠が
いつしか楽曲のテーマになり、絵物語のモチーフになっている。
峠がなかったら あの山にもこの山にも あの風景にも あの人にも 出会えなかったかもしれない。
峠がなかったら あの辺陬の山峡の集落を 訪れてみようとも思わなかったかもしれない。
峠は世界を広げてくれる。
峠を越えた先に 自分の日常とは別の まったく異にする境涯を見せてくれる。
峠道の荒廃を愁いる氏は以下のように結んでいた。
| 汽車のトンネルがとんでもない処を突き破って行くたびに、 一つずつ好い峠が失われるように思われた。 そんな場合には勉強して開通前に、なるべくは一度越えておくようにする。 木曽路の鳥居峠などは、御岳の遥拝所があって、棄ててしまうには惜しい風景であるが、 陸前鳴子の中山越は、芭蕉も通れば弁慶も通った、鳥の多い明るい歴史的の峠路であるが、 それでもまだこれらは名前ぐらいは記憶せられる。 みじめなのは不用になったその隣の谷の峠である。 |
トンネル化した峠路は そのトンネルに「〇〇峠トンネル」という名前が残ることもある。
名前だけでも残れば、かつて峠路があったということは人の記憶に残り続けることもあろう。
まさに惨めなのは 隣の谷の峠である。
人の流れを 新設のトンネルに奪われ 荒廃の一途をたどるばかりで、
その存在すら顧みられなくなる。
名前は忘れられ 道筋は草に埋没し 廃道と化す。
人々の記憶からは いずれ完全に消え去ることだろう。
そんな顧みられない峠たちを 救う手立てはないものだろうか。
美しい音楽や絵画が後世まで残り、愛されているように。
文章引用は、『柳田國男全集2』(ちくま文庫)-「豆の葉と太陽」-<海に沿いて行く> より
この文章が書かれたのは、大正14年。
すでに多くの峠が消えた。