パパチャリでポタリング
旧満地トンネル・旧満地峠・古満地峠・大荷田峠(万場坂)・間坂・<五日市峠>・二ッ塚峠
・旧二ッ塚峠(蒟蒻峠)・蛇野峠・間坂峠・<白倉峠>・ぐみの木峠・小机峠・横沢入峠
| お正月に初詣のついでにと御嶽神社から満地峠までの間に点在する峠を巡りました。 しかし、満地峠で日が暮れてしまって、じっくりと散策することが出来ませんでした。 今回はその後編として、正月飾りがまだ残るその数日後にパパチャリを伴って再訪しました。 第一の目的は、明るい中で旧満地峠を見ること。見間違いではないはずの「古」満地峠も再確認すること。 そして第四の目的として、五日市周辺の峠をできるだけ巡ることとした。 * |
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草花丘陵の外れの某スーパーの駐車場に車を置かせてもらって、 荷台からパパチャリを放出した。 (一応、お店で買物をしているのでお客様である) 冷たい風が吹く中、旧満地トンネルへ。 旧トンネル内は、スプレー落書きの一大展示場となっている。 |
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トンネルを抜け北の友田側から旧満地峠道を登る。 前回は暗闇の中を下ってきた道だ。 落ち葉を踏みしめる感触が良かったので期待はしてはいたが、 明るい中を進むと、やはり心地好い峠道である。 ギア無しパパチャリはほとんど押して歩く状態。 満地峠は、『武蔵名勝図会』では「万字峠」。 その他の表記としては「万地、卍、万寿、満寿」がある。 |
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そういえば、菅生側に「万寿山〇〇教」と書かれた 某宗教団体の看板があった。 この付近に「方砂山」という山があるらしいが、 峠は八王子と青梅を結んだ街道であった。 |
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尾根に出て、西へわずか進むと 古満地峠という標識のある峠状の場所に出る。 ということは、満地峠は新トンネル・旧トンネル・旧峠・古峠と 古満地峠からは、南側に下ることも可能なようだ。 |
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他にも宗教団体施設の塀沿いにも南へ続く道はつけられている。 道は交わり、分岐して、なんとなく卍型のようにも見えてくる。 峠名は卍説が有力かもしれないと思えてきた。 ここで引き返し旧峠道をパパチャリでダウンヒルする。 |
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大荷田川沿いの丘陵に挟まれた雰囲気の良い道を パパチャリで快走して、『青梅市史』の付図に名前がある 大荷田峠を目指す。 満地峠と二ッ塚峠のほぼ中間辺りに集落があり、 坂の口に「万場坂道」という標柱が立っていた。 |
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再び大荷田川沿いの道に戻り、 橋の近くにある穏和な馬頭観音に挨拶してからさらに西に進む。 わずかで、大きなケヤキの下に木製の祠を見る。 その先左手(南側)の小道に分け入ってみる。 満地峠と二ッ塚峠の間には五日市峠という峠があるらしい。 |
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病院独特のニオイを嗅いで、だらだらした坂道を汗して上れば、 二ッ塚峠からの車道と接続する。 『青梅市史』の付図によると、この辺を「間坂」としている。 二ッ塚峠にパパチャリを置いて蒟蒻峠(旧二ッ塚峠)へ。 |
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峠のすぐ近くに「こんにゃく石」はあるのかと思ったら、 結構なアルバイトで吉野街道側(北側)へ下らなければならなく、 予想とは大違いであった。 こんにゃく石そのものも予想に反してバカデカイ! |
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こんにゃく石は馬を引いた往来の人の休み場であったという。 丑三つ時になるとブヨブヨして藁でも通すほど柔らかくなるとか、 こんにゃく石には篤志家さんの手製の案内板があったが、 歴史ある峠の古道。この道も「縞の道」であった。 |
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停めていたパパチャリに戻り二ッ塚峠の豪快ダウンヒル。 テレビニュースで何度か見た日の出町産廃処分場正門前を通過し、 玉ノ内から坊平へ越える蛇野峠へ。 地図を良く見れば迷うことなく峠道へ。 峠には大久野第二配水所という施設があり、 |
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梅ヶ谷峠へ向かう車道に出て、しばらく北上していると、 途中に白倉入沢という名の沢を発見。 『風土記稿』には「白倉峠」という項があり、 『風土記稿』には馬引沢峠の名前は無く、 |
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間坂峠を目指して林道桧山路線へ。 林道の入口では、この地の産物である卒塔婆を作る細長い 板材を乾燥させていた。 この地は、モミの育成に適し良質の材がとれるという。 林道桧山路線に入ってすぐに左右二本の別れ道がある。 |
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正しい道を確認し間坂峠へ。 平将門が戦いに敗れて奥多摩方面へ逃れる時に 越えた峠であると『五日市町史』では紹介している。 峠は水口と岩井を結ぶ。 一目散に逃げ落ちるにはよいのかもしれないが、 将門伝説、いまいずこ。 |
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ぐみの木峠は幸神神社から小机へ越す峠。 とある本の写真で見た時は良い印象であったが、 いざ現地に行くと、どこにでもある林間の田舎道であった。 【*1】 小机峠は大久野と五日市を結ぶ単なる坂道。 |
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三内から大悲願寺へ越える横沢小机林道上の 小さい峠が横沢入峠である。これが正式名称であるのかは不明。 全線ダートの林道で、ギアなし、サスなしのパパチャリでは 乗車しての突破はキツクて押しがほとんどだった。 横沢入のような野原や小川のせせらぎは、 そろそろ日が暮れるので、車を停めた草花丘陵へ戻ろうと、 転倒も損傷もなかったが、今考えれば大袈裟に転倒でもして、 その後もパパチャリは健在でパパチャリ峠行も継続している。 |
| 【*1】 とある本とは、『五日市町の古道と地名』(五日市町教育委員会) | |