ヒモシ峠を探して / 三国峠・ヒモシ峠

三国峠・・・鉄砲木ノ頭(明神山)1291m・・・大岩1258m・・・ヒモシ峯1110m・・・送電線鉄塔西群馬幹線No264
12:53     13:10              13:23      13:40        13:52

・・・ヒモシ峠(火燃戸)・・・ニセ丸尾山・・・丸尾山(丸尾ノ頭、トメノ丸)1007m・・・林道歩き・・・三国峠・・・駿河小山図書館
   
13:53         14:16       14:33                         15:54      16:40


『丹沢の山と渓』(山と渓谷社・昭和27年)より

古いガイドブックで名前を目にするヒモシ峠を訪ねてみた。

ヒモシ峠は切通峠と同一であるという説もありますが、
別物であるという説もあり混乱が見られます。

武田vs北条の時代には、狼煙台が設置され
そこから「火燃し」の名前が付いたようです。

ヒモシ峠を探索すると共に、
西丹沢の三角点のある孤峰・丸尾山も訪れました。



鉄砲木ノ頭に登る途中から
三国山・三国峠を振り返る

出発時間が遅れれば必要以上に山中を彷徨うことも無く、
苦手なダニとの遭遇も減るだろうと、計画的に朝寝坊をした。
そのおかげで自宅を出る時間は見事に遅れ、
さらにお花見シーズンの交通渋滞にも重なり、
三国峠に到着したのは13:00ちょっと前であった。

これで三国峠−ヒモシ峠−丸尾山−三国峠の
短距離周遊コースのみを歩くことが決定的になり、
無闇なヤブ漕ぎを含むコースを選択すること
から逃げることができた。


鉄砲木ノ頭から山中湖・富士を望む

三国峠に車を置いて、心地好いカヤトの中の道を
富士山の噴出物が堆積するザレ気味の土質に滑りながら
鉄砲木ノ頭に向かいます。

時折、「ド〜ン!」という富士演習場の砲撃音が腹に響きますが、
撃ちかたが止むと、小鳥の囀りに包まれた静けさが戻ります。

鉄砲木ノ頭からは春霞の富士と、雄大な裾野、山中湖が
一望でき満足満足。


甲相国境尾根から明神峠方面を望む

下界や東丹沢山麓では桜も満開、春とは思えぬ暖かさでしたが、
西丹沢の、特に三国峠周辺は地勢の影響か、風も冷たく
二週間ほど季節が遅れているような気がする。

谷筋の日陰では、少ないながら残雪も目にすることができる。
このような状態ならダニの活動も、
まだ活発化してはいなかったかもしれないと、
意図的に朝寝坊をして出発を遅らせたことを少々後悔する。

まだ貪欲に西丹沢の奥地をヤブを掻き分け掻き分けして
歩いてもよい季節だったのかもしれない。


幅広い切り開きの甲相国境尾根

鉄砲木ノ頭から切通峠へ向かう甲相国境尾根の道は
雑木の中の幅広の道で実に歩きやすい。
足元にはコバイケソウの新芽が固い地面から頭をのぞかせている。

「大岩」を過ぎると、こんなに下ってしまっていいのか
と思うほどの下降路となる。

笹の切り開け道を過ぎ、
若干、東に進路を取ったところにあるピークがp1068、△1007峰
へと続く尾根が派生するジャンクションピーク(JP)で
「ヒモシ峯」と呼ばれるところである。


丸尾山へのJPであるヒモシ峯
背後の山容は大岩

ここから見る来し方大岩の山容は大きい。
JP山頂にはコンクリの標界杭とブナの大木があるだけ。
山名標識やマーキングはないが、かすかな踏み跡が残る。

このJPから東に向けて進むのだが、
気持左手側に進路を取らねばならない。
その方向に、くたびれた白いビニールヒモが一本ぶら下がっていた。

左手雑木、右手植林の中間尾根を歩けばいいのだが、
最近、伐採されたであろう潅木が邪魔で歩きにくい。
また、薄い笹ヤブも現われ、ダニ取り付きのケハイを感じる。
ズボンを見ると案の定、数匹のダニが取り付いていた。


見晴らし良好の送電線鉄塔西群馬幹線No264

JPから送電鉄塔まではわずかな距離。
鉄塔まで来れば、ダニ取り付きにより陰鬱になった気分も
すっかりと回復するというもの。

送電線鉄塔西群馬幹線No264は見事なまでに西丹沢ぐるりの
展望台としての役目を果たしている。

なるほど戦国時代に烽火台があったという話にも頷ける。

芝生のような下草の上には、鹿の糞がコロコロと転がっている。
鹿くんも、きっとこの好展望地で休息をしているのだろう。


鉄塔下には切通峠への道が続く

鉄塔から北側にプラ階段を降りると、
切通峠方面からくると思われる明瞭な道と合流した。
送電鉄塔佐久間東幹線No298への道も分岐している。

とりあえず、この地点を古文献で見るヒモシ峠と推定して
手製の標識を取り付けることにした。
カマボコの板にマジックで手書きした陳腐な標識ではあるが、
ヒモシ峠の名を広めるには十分かな。


「ヒモシ峠」の標識を取り付けた

「ヒモシ峠=切通峠」とする説もあるが、
大棚からの切通径路から分岐して、
土沢の三ノ沢方向に尾根を越える道がヒモシ峠道である。

「火燃戸」と表記している文献もある。
北条vs武田時代には烽火台としての役もあっただろうが、
江戸時代には、甲州平野村と相州世附村との国境線争いの際の
監視場にもなったに違いない。
それだけ見晴らしのよい場所なのである。


林道と合流する地点・この付近が峠だろう
「みどりの協定区域」という看板がある

林道と合流する地点に「みどりの協定区域」という看板があった。
この地点を峠としてもいいかもしれない。

南側への道は不明確だが、
踏み跡らしきものが笹に埋まっているようでもある。

さらに東へ丸尾山を目指して林道を進みます。
p1068はパスして、その先の林道の分岐を左に進みます。
この林道は、まさに文字通りの「林道」で、
道の真ん中であろうと、どこだろうと木が生えています。
こんな状態で車の通行ができるのだろうか?


ニセ?丸尾山 鳥獣保護区の標識あり

一旦、林道を外れて右手のこんもりとした中間峰へ。
このこんもりとした峰を昭文社の『山と高原地図』では
丸尾山としています。

他社の大多数の地図や各種文献では、
この先の三角点1007m峰を丸尾山としているので、
昭文社説の丸尾山は「ニセ丸尾山」とすることにします。

そのニセ丸尾山の山頂には
ポツンと鳥獣保護区の看板があるだけでした。


丸尾山1007m 三角点

林道に復帰して、1007m峰に向けて進みます。
ニセ丸尾山から下降した鞍部で林道は消滅して、
本家丸尾山への登り道となります。

真正丸尾山には三角点があり、
木々の幹にはテープが巻かれていました。
やはり、こちらが本家家元真正丸尾山と推測されます。

近くの草叢に転がっていた三角櫓を三角点の上に設置して、
手製の標識を取り付けてきました。
ヒモシ峠の標識同様にカマボコ板にマジックで書いた陳腐な
標識ですが、これでニセ丸尾山に睨みを利かせ
真正丸尾山の面目躍如となるか。


丸尾山の標識を取り付けた

丸尾山には「丸尾ノ頭」、「トメノ丸」、「丸尾の△」といった
呼名もあるようです。

三角点があるものの、主稜線からは外れ、
訪れる人も少ない寂峰です。

大棚沢側、切通沢側に広がる斜面の樹相は大変良く、
ブナの大木も随所に見られるので、
林道歩きだけでも充分楽しめるのではないでしょうか。


林道をテクテク歩いて三国峠へ戻る
三国山が遠いこと遠いこと

ああ、しかし、ヒモシ峠から三国峠への林道歩きは長かった。
谷筋を何度も何度も巻き込むのでエライ遠回りの道でした。
やはり林道は車の為の道で、
人が歩くために設計されていないようです。

三国山が遥かに見えて、遠いこと遠いこと・・・
こんなことなら往路と同じく甲相国境尾根を辿って戻れば
良かったかなと反省。


明神峠の素敵な標識

三国峠に戻り着いて、車で明神峠へ。

明神峠の標識がリニューアルされていました。
これは「三国山稜を愛する会」の作によるもの。
なんて美しく、素敵な標識なんだろう。
富士山や山中湖の形など自然木を上手く利用している。
これはまさに芸術作品の粋に達している。

ああ、それに比べて設置してきた
カマボコ板の標識がいかに陳腐なことか!

   
●小山町立図書館へ●

中途半端な時間に下山したので、駿河小山の図書館に行ってみました。 (駅から遠いので車でないと行けません)
郷土資料で世附川上流域に関する文献(特に峰坂峠について)はないかと探しましたが目ぼしい物はありませんでした。
しかし、古い山雑誌を目にすることができました。
『山と渓谷』『岳人』『山小屋』『山と高原』『山』『ハイカー』『山と仲間』『新ハイキング』『アルプ』など。
数冊ずつですが書庫ではなく開架されていました。
富士山関係の資料は、さすが地元だけあって山のようにありました。

●備考●

丸尾山からの下降路については、リンクさせて頂いていますs-okさんのレポに、
・918峰経由大棚コースや三ノ沢歩道下降コースが紹介されています。
また、『丹沢だよりNo.404』(2004.1.20)には・819峰経由の南下コースがあります。
ちなみに同書には丸尾山の西・1068峰から、・951峰・904峰経由の三ノ沢歩道の様子も記されています。



『丹沢の谷歩き』(坂本光雄著・體育評論社) 挿入図より

★上図のように、切通峠とヒモシ峠とは位置が異なっています。
★山神峠の名前が記されている図は珍しいです。
★オリト峠の別名にブナ丸峠の名が見られます。