つわものどもの夢の跡 / 志田峠・三増峠
| 「産廃残土埋立反対」の看板が目立つ志田集落に車を停めて、志田峠、三増峠を周遊する。 十数年前に自転車で越えたことのある志田峠を先ず目指して老人ホーム脇の道を進む。 相変わらずダートのままで舗装されずにいたのには驚いたが、不法投棄が多いのにも驚きだ。 |
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| 杉の植林に囲まれた爪先上がりの道を進むと、ほどなく志田峠に達する。 かつては無かったベンチと真新しい標柱がある。 地元愛川町教育委員会の設置した案内板によると、 峠のすぐ裏手の尾根に取り付いて、夏場は歩けそうもないヤブ道を さらに東方へ向かうと、途中三増集落へ下る分岐がある。 |
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| 北方に高尾山辺りの眺望が広がると、319mの三増峠に辿り着く。 ここにも真新しい標識が立っている。 北側に林道が走っており、ちょっとガッカリだが、 すぐ近くに大きなお地蔵様が鎮座しているのは微笑ましい。 愛川町教育委員会の案内板によると、 『皇国地誌残稿』には、 |
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| 江戸中期以降、三増峠は「イトケードウ(糸街道)」といわれ、半原や三増、田代方面から 生糸や撚糸を八王子へ運ぶ道として人馬の往来が盛んであったという。 峠から志田山中を通って上葉山島に出て船で相模川を渡った。 繭糸・織物のほかにも竹木・薪炭・米穀も峠を越えて津久井及び八王子方面に運ばれた。 明治期の資料によると、中津八菅より三増を越えて八王子までの里程は五里で 人足一人の賃金は24銭、馬一匹の駄馬賃は37銭5厘とのこと。 物ばかりではなく人も越えた。 そんな歴史ある峠道も、ハイキングコースの割には、やや荒れ気味で、 「味増」とも書かれた「三増」は、志田沢・深堀沢・栗沢がこの地を三つに分け、 なお志田山の地名の由来は、この山が「芝山」であったことによるらしいが、 帰り際に、旗立松を見ていこうと急坂のゴルフ場の中に入りはしたが、クラブハウスの前を通り、 |