再訪・藤野町南部のかわいい峠

新和田峠・杉峠(日連峠・ミミザレ峠)・田ヶ岡峠・オオダルミ(川上峠改め)

以前訪れた藤野町南部のかわいい峠と、
これまたかつて訪れ、それ以来ずっと誤認し続けてきた川上峠を再び訪ねてきました。

新和田峠・杉峠・田ヶ岡峠については、地元では必ずしもその様な呼び名ではないようです。【*1】
(杉峠については各種ガイドブック等で紹介され、ハイカーの間では定着している名前のように思われます)

川上峠は『中央線の山を歩く』(藤井寿夫著・新ハイキング社)の中で紹介されていた名前で、
てっきり川上と篠原を結ぶ峠道の呼称とばかり思い込んでいましたが、
どうやら「峠」は「ドッケ」で、ピークを意味する名前であったようです。
以前訪問した際には峠(トウゲ)と誤認した鞍部に、陳腐ながらも「川上峠」の標識を取り付けてしまい
多くのハイカーの皆さんを戸惑わせ、誤った情報を送り続けてしまいました。
これを撤去処分することが今回の峠行の主たる目的であるのです。


鉢岡山登山口


新和田峠

まずは田ヶ岡峠に出ようと、県道脇の「鉢岡山登山口」から落ち葉の積もった山道に入ります。
しかし、いきなり分岐する道の選択を誤って、あらぬ方向へと導かれていきます。
これは変だとすぐに気付くのですが、心地好い落葉樹の水平道に加え、
低山ゆえ何も恐れる心配はありません。
椎茸の栽培地に迷い込んで、再び県道に吐き出される始末、飛び出した所は「ふじのしいたけ園」前。

ここに出たなら田ヶ岡峠は後回しにしてと、先に新和田峠へと向かいます。
なにせ里山、迷うのも楽しみの一つ、気の向くまま、足の向くまま、グルグルと彷徨います。
「新和田多目的集会施設」で県道を折れ、坂道を登り新和田の集落に入ります。
舗装された坂道を一気に登りつめると新和田峠。
峠に手作りの指導標はあるものの、「新和田峠」の名前は見られません。
昔から地元で呼ばれている峠名ではなく、便宜上付けられた峠名なのかもしれません。

以前訪れたとき、峠に近い民家に飼われていた馬の姿が見当たりません。
尻尾を振っていたお馬さんはもういなくなってしまったのでしょうか。
新和田峠からは、杉峠に向けてほぼ水平の安定した土道を進みます。


杉峠 (日連峠・ミミザレ峠)

再びやって来ました杉峠。
『ある日の山ある日の峠』(横山厚夫著・白山書房)で「なんとも可愛い峠」と紹介されている峠は
本当に可愛らしい峠なのです。

峠には大きな老木と石祠、傷み始めた手作りの指導標識。
道は五方向から合わさり、そして分れていきます。


杉峠の標識


ミミダレ様を祀る祠

杉峠の呼称の他に、日連峠との呼び名もあるようです。
また『中央線の山を歩く』では、「ミミザレ峠」の名も併記されています。

「ミミザレ峠」とは峠に祀られている「ミミダレ様」から採られた名前でしょう。
『ふじ乃町の地名』でもこの位置に「ミミダレガミサマ」の地名を付しています。

「日連地区杉から牧野地区新和田に通じる峠(日連尾根)に石祠「耳ダレ神」があり、
以前木造であったものが昭和10年石祠に建て替えられた・・・・」
と『藤野町史・通史編』に記述されています。
「耳ダレ神」とは、耳の病に御利益のある神様で、
祈願の際には供物を年の数だけさし上げるのが習わしと伝えられています。
同様の神は、藤野町では佐野川地区和田にも祀られているとのこと。

なぜこの杉峠に「耳ダレ神」が祀られているかは知りませんが、
北側から金剛山、宝ノ峰、日連山を眺めれば、耳たぶを横に寝かせたように見えなくもありません。
(ちょっと無理があるかなぁ・・・)


石仏が祀られた峠から杉集落への道


嘉永3年の馬頭観音

峠から杉の集落へ向けて峠道をくだります。
なにも花粉症のこの時季に「杉」などという名の集落に赴くことはないのですが、
お会いしたい馬頭尊があるのです。

峠からわずかばかり植林内をくだると、嘉永3年の銘があるその馬頭観音は鎮座していました。
積まれた賽銭に満足しているかのような微笑を浮かべて。
長い間、風雪に耐えて、この小さな峠道を行き来する人々を見守ってきたのでしょう。


霊気漂う妖木

峠道は緩やかに下降を続け、朽ちかけた木橋を渡ると、
前方にはおどろおどろしい霊気を漂わせた謎の巨木が姿を現わします。
異なる二種以上の樹木が合体したその異様な姿は見る者を威圧するとともに、
畏敬の念を懐かせます。

巨木の根元には木製の祠が祀られています。
『ふじ乃町の地名』ではこの位置に「ヤマノカミ」の地名を付していますので、
祠に祀られている主は山ノ神なのでしょう。
それにしても杉峠は小粒なくせに、いろんな見所を提供してくれるものです。


杉神社・八坂神社


金剛山古峯神社の神像と思われる

峠道を抜けて、ちょっと寄り道です。
墓地の脇を通過すると地形図にも神社マークの記されている「杉神社・八坂神社」です。

金剛山古峯神社の御神体について、
『藤野町史』に「神像と思われる石造が杉ムラの裏山の八坂神社に安置されている」とある通り、
この社には威厳ある石像が木箱に納められ祀られています。
またその傍らには「古峯神社鎮火祭御祓」と書かれたお札も納められています。

古峯神社は「火災防止の神」を祀るもので、藤野町には多く見られます。
火災を事前に知らせるとの伝説もあり、明治30年杉村に火災が発生し村の大半を焼失した際には、
その数日前の夜、金剛山方面から拍子木を打つ音が聞こえたといいます。


石灯篭を抜けて杉の集落へ飛び出した


金剛山表参道口 「是より十八丁」の石道標がある

そんな霊験あらたかな神様と一旦は別れて、石灯篭の建つ参道から杉集落へ。
ぐるっと山裾を回り込んで赤い鳥居の建つ金剛山の登山口へと向かいます。
鳥居をくぐって再び神域へと足を踏み入れます。
鳥居脇の石道標には「金剛山入口 是より十八丁」と刻まれています。

表参道兼登山道の道々には、丁目石が置かれています。
この丁目とは難儀度を示すものであって、その区間の計測は一定ではないとのことです。【*2】
『藤野町史』によると、1丁目、4丁目、7丁目、17丁目の丁目石が欠落紛失しているとのこと。
これらを発見すると藤野町から金一封が授与される・・・なんてことはありませんよね。


登山道には丁目石が置かれている


山頂手前は急登

雑木林の中のジグザグ道で高度を稼ぎ、ジグザグごとに現れる丁目石をカメラに収めます。
最後の急登は息が切れますが、振り返れば秋山川、藤野市街地、小淵山、鷹取山と
なかなかの眺望と爽快感が得られます。
駅近の割には結構楽しめる山なのです。


金剛山


藤野市街地を一望できるポイントがある

金剛山の小広い頂には古峯神社の小社が祀られ、
「藤野十五名山」の標柱がその傍らに建てられています。

公的機関設置の410mと書かれた標柱の文字は否定され、419.8mと黒マジックで修正されています。
「赤沢バス停 ノンビリ30分」と書かれた手作り標識が南方を指していますが、
ここからは再び杉峠へ向けて東方尾根へ進みます。

途中、尾根の岩塊から見下ろす眺望は素晴らしいものです。
山頂よりもこの岩に腰掛けて展望を楽しみながら休息するのがお薦めです。


新和田峠と鉢岡山を望む


再びの杉峠

新和田集落の背後から鉢岡山を望むと、最前の杉峠を再び踏むことになります。
峠から東側の谷筋に下降する道が気にもなりますが、今回は宝ノ峰、日連山共々割愛し、
新和田峠を経由して鉢岡山へ向かいます。

林道並みの山道をノンビリ歩き送電鉄塔を通過すると、謎の山上家屋が目の前に現われます。
以前は人の住んでいた気配がありましたが、電気メーターの一つが外され無住のようであります。
あるいは別荘なのかもしれませんが、せっかくの尾根歩きに水をさします。
そしてもう一軒、建築半ばで放棄されたかのような鉄骨だけの建造物も現れます。
一体これらは何なのでしょうか?


なんてこったぁ〜


田ヶ岡峠?

そしてさらに進むと山道に脱輪した自動車を見ます。
山道の幅と車幅がどう見ても合いません。
無謀なチャレンジャーだったのか、それとも放置を目的に意図的に突っ込んだものなのか、
それにしても世の中には変った人がいるものです。
危険を冒してまでこんな山中に放置車両を運んでくる手間をかけるなら正規に処理した方が
ずっと簡単でスッキリもすると思うのですが・・・
あるいは山地主さんへの悪意ある嫌がらせなのかなぁ?

田ヶ岡から上ってくる道の合流点に以前訪れたときにあった「田ヶ岡峠」の標識はすでに無く、
峠名を表すものは何もありません。
もとより「田ヶ岡峠」とは、昔から土地で呼ばれた地名ではなく、
ごく一部のハイカーの間だけで呼ばれていた便宜上の地名だったのかもしれません。
降り積もった落ち葉の道が鉢岡山へと続きます。


通信施設に占領されている鉢岡山


鉢岡山南尾根へ

鉢岡山は戦国時代に烽火台の置かれた場所ですが、現在は植林に視界を遮られています。
かつての通信施設であった烽火台跡地には、現在の通信施設であるアンテナが林立しています。
興醒めの山頂ですが、ここも「藤野十五名山」の一つに選ばれています。

烽火台であったことを示す公的機関設置の標柱には標高374mと書かれていますが、
それも否定され460mと黒マジックで修正されています。
(そういえば鉢岡山登山口にあった道標には480mと書かれていましたが・・・?)

『ふじ乃町の地名』には、先の山上家屋があったあたりの小ピークに、
「鐘摺山(鐘撞山の誤記か?)」とも「カネツキドウ」とも記されていますので、
もしかしたら374mとはそちらの峰のことではないでしょうか?
そういえば藤野町設置の標識では、かつて訪れた小渕山の標識に書かれた標高も否定され、
黒マジックで修正をされていましたっけ・・・・。

鉢岡山からは西南にのびた尾根を下降します。
踏み跡は薄いですが、空缶やプラ杭などがあるので拾うことができます。
右手に県道沿いの教会が見えはじめたら西よりに進路を変え、仕事道を伝えば県道路肩の待避所に
降り立つことができます。(相模原市の設置したゴミの不法投棄監視カメラがある場所)


一見の価値アリ大石神社


回り舞台と巨大な梁が目を惹く

かわいい峠巡りを終えて、次なる目的地は川上峠(カワカミドッケ)です。
篠原の大石神社に移動し、その背後の尾根道を拾ってp499川上峠に至る計画です。
そのスタートの大石神社ですが、これが素晴らしい社殿なのです。

けして絢爛豪華なわけではありませんが、田舎歌舞伎でも上演されるのでしょうか
見事な回り舞台を備えているのです。
こんな舞台装置を備えた神社など見たことがありません。
太くて頑丈そうな梁も見事ですし、二階壁際の太鼓囃子の演奏場なのでしょうか
張り出した座席も興味を惹きます。(「チョボ床」というのかもしれません)

本格歌舞伎を地方民衆が演ずる「地芝居」が催されていたとのことですが、
時には里神楽や地方から峠を越えてやってきた旅芸人の一座がここで上演を行うこともあったのでしょう。
それを見物に近郷からも人々が峠を越えて集まって来ていたのかもと想像します。
昔の山村の生活とは想像以上に賑やかなものだったのかもしれません。
現在では、夏に人形浄瑠璃が行われ好評を博しているとのことです。


古峯神社


p499 「川上峠」というらしい

大石神社背後には川が流れているので直接尾根に取り付くことはできません。
橋を渡ってよく踏まれた山道を見出し登りはじめると、小さな古峯神社の社を目にすることができます。
村では今でも栃木県鹿沼市の古峯神社に代参者を送り出し信仰を重ねているとのこと。【*3】

p499へ向かう尾根には薄いながらも踏み跡があり迷うことはありません。
とはいうものの地形は細かい上に、地形図の境目ということもあり現在位置を把握するのは厄介です。
下りに使うより、登りに使ったほうが良い道でしょう。
尾根は雑木主体の明るい雰囲気で、標木と思われる栂の大木も見られます。
植林部分には最近人の手がはいった形跡があり林業作業のマーキング等が見受けられます。

小さな起伏が続き結構疲れる道で、いくつかのニセピークに騙されてp499に辿り着きます。
他のHPで拝見していた「川上ドッケ」の標識は無くなっていましたが、
「←川上、篠原→」と「p499の峰」と書かれた手作りの標識が立ち木に取り付けられていました。
山頂には丸石の納められた石祠が祀られていますがどんな神様が祀られているかは不明です。

この小ピークこそが『中央線の山を歩く』でいうところの「川上峠」であり、
その「峠」は「ドッケ」系で、峰を意味するものであるようです。


『中央線の山を歩く』(藤井寿夫著・新ハイキング社)挿入図より


ちょっと昔の地形図 より
川上側・篠原側の双方から鞍部に向かって道がのびている


「川上峠」と思っていた鞍部
「オオダルミ」との呼称があるらしい


『ふじ乃町の地名』に記された「オオダルミ」の文字

小ピークからさらに南下して、p499とp572(石砂山西峰)の鞍部へと向かいます。
この鞍部が「川上峠(トウゲ)」と誤認した場所で、以前標識を取り付けてしまったところです。
他のHPを拝見したところ、この標識に疑念を持たれた方々もいたようで、
大変な御迷惑をお掛けしてしまいました。

川上側にゴルフ場の出来る前の古い地形図を見ると、
川上側、篠原側の双方から鞍部へ向けて破線道が描かれています。
鞍部までは達していませんが、両地域を繋ぐ道はあったに違いないと思います。
ここがいわゆる「〇〇峠(トウゲ)」であるとの確たる文献・資料等は発見していませんので
「峠(トウゲ)」とするには根拠を欠いています。

ちなみに『ふじ乃町の地名』には、この鞍部に「オオダルミ」の地名が記されています。


以前取り付けた誤った標識を撤去


撤去後

以前勝手に取り付けた陳腐な誤標識を撤去しなければなりません。
これを御覧になって、ここが川上峠という名前だと誤認してしまったハイカーの皆様には
お詫びを申し上げなければなりません。

それにしても設置してから数年の時を経て、よくも残っていたものです。
普通なら取り外され、投げ捨てられていたことでしょう。
原状回復後、改めて「オオダルミ」の標識を取り付けようとしましたが
確信が持てないのでやめておきました。


鞍部から篠原への良好な道


下り続けると箱庭のような奇麗な沢へ出る

鞍部からは前回同様、篠原へ向けて下降します。
踏み跡程度の道は、見た目は怪しいのですが、それも最初だけで、
しばらく進むとハッキリした道へと姿を変えます。
まさに峠道態としていて、自然林の中をジグザグを切って沢筋へと下降していきます。

降り立った沢の源頭部には美しい小滝があり、
箱庭に配されたような美しい流れを見せてくれます。
こんな所にこんな場所がと、小さな感動すら覚えます。


住居跡?や笹トンネル、畑脇を通過して篠原へ

ここまで来ると道は至って明瞭で、かつての住居跡と思しき石積みを見たり、
笹のトンネルを通過したりして、最終民家の屋号か字名?「佐野川」宅の前に飛び出します。
ちょうどそこは東海自然歩道の石砂山登山口から数メートルの場所でもあります。

p499ピークにあるはずの「川上ドッケ」の手作り標識が無くなっていたことが気掛かりですが、
今回の誤標識の撤去を目的とした峠行はこれにて終了です。

でも、まさか・・・・、鞍部に設置されていた「川上峠」の誤標識を見てそれを信じた方が、
なんで山頂にも峠の標識があるのかとお怒りになってしまい、それを取り外し、
投げ捨ててしまったということはないでしょうね、ちょっと心配です。

誤っているとも知らずに安易に取り付けてしまった標識が、
そのような悲劇を招いてしまったとするなら取り返しのつかないことでお詫びのしようもありません。

とある山岳会が設置したという、杉峠、新和田峠、田ヶ岡峠の標識は今やありませんし、
公的機関の設置した山頂標識は標高が間違ってばかりです。

標識の設置に地名考証に疎い素人が手を出すのは間違いを引き起こす危険があり、
無闇矢鱈の設置は美観を損ねもしますから自重しなければいけません。
人工物など何も無いことを好むハイカーも多いと思いますし、標識とはなんとも難しいものです。
反省しきりです。

【*1】

『山と渓谷』(山と渓谷社)、『藤野町の山と峠』(植木知司編・NPO法人北丹沢山岳センター)、
『子どもといっしょに遊べる山』(二木久夫著・けやき出版)、『中央線の山を歩く』(藤井寿夫著・新ハイキング社)などの
コースガイド等には杉峠、新和田峠等の名前が見られる。

【*2】

藤野町金剛山の場合、一丁(三拾六間)ごとに計測して丁目石が建てられているという。(『藤野町史・通史編』より)

【*3】

「古峰講は栃木県鹿沼市草久古峰にある古峰神社の信仰団体である。
建武年間、大和葛城の金剛山の分霊を古峰に祀ったため、金剛山あるいは古峰ヶ原金剛山という。
火防、盗難除け、海上安全、五穀豊穣の利益を受けるとして庶民の信仰が厚かった。
江戸期に入って各地に講が結成され、代参者を派遣した。
養蚕の神としても崇敬され、各地に「古峰ヶ原金剛山」「金剛山」「古峰神社」などの文字を刻んだ石塔や小社が建てられている」
                                                             (『藤野町史・通史編』より)

【参考文献】

観光パンフレット「ゆずの里藤野」 藤野町商工会
『岳人668号』2003.02 「藤野の里山ぶらぶら歩き 春を楽しむ川道山道」(三宅岳著)
『藤野町史・通史編』 藤野町 平成7年
『ふじ乃町の地名』 藤野町教育委員会発行 藤野町文化財保護委員会編集 昭和54.3


『山と渓谷』2008年1月号(山と渓谷社) より
杉峠、新和田峠の名が見られる


『子どもといっしょに遊べる山』(二木久夫著・けやき出版)より
仮称としているが新和田峠の名が見られる

【お詫び】

現地で誤った「川上峠」の標識を目にされた方々にお詫び申し上げます。
「川上峠」は鞍部の「峠」ではなく、p499山頂を指す「ドッケ」系の「峠」であったようです。

「川上峠・石砂山」でネット検索を行い、誤った標識を御覧になられた方々には極力連絡を取らせて頂きました。
混乱を招き申し訳ございませんでした。

                                                                      (峠行2008.02.23)