崩れゆく峠道 / 世附峠・悪沢峠(柳島峠)・峰坂峠(広河原峠)

〜 崩壊進む「峰坂峠から土沢」間を歩く 〜


悪沢峠
標識の背後に見えるは不老山

GWの直前に親戚に不幸があり、
初日・二日目と葬儀に費やしてしまった。
連休は西上州に遠征しようと暖めていた山行計画も水泡に帰した。

ああ、何もGWに亡くなることもないだろう・・・
GWの中日、天気予報ではあまりかんばしくはなかったが、
朝起きると青空が見えた。

急いで準備をして西丹沢へ。
箒木沢乗越(ヤヒチ沢打越)と湯ノ沢乗越(大杉峠)を目指すつもりだったが、
お通夜や法要で、ビールや寿司を暴飲暴食した為に体が重い。

こんな体調ではヤブ尾根は無理と判断して、
いとしき駿相国境尾根の峠歩きへ。


世附峠入口の吊橋

丹沢湖の西の外れの駐車場に車を置いて浅瀬へ向かう。
ゲート前にはぎっしりと釣り人の車が路上駐車されている。
さすがGW!普段静かな山峡も賑わいを見せている。

世附川沿いの林道は、冬場と違って緑豊かで目に眩しい。
甘い花の匂いも漂い、川辺からはカジカ(?)の鳴き声も聞こえる。
林道を横断するヘビの姿も見られる。
山全体が活動期に入ったようで生命力に満ちている。


新緑、沢沿いの心地好い峠道

危っかしい吊橋を渡り世附峠を目指す。
吊橋を渡り切っても体が上下に揺れている感覚がおもしろい。

峠には駿河小山側の山口橋から旧道を辿り登ったことはあるが、
世附側から峠へ向かうのは初めてである。

取り付きこそ植林地の中のジグザグでパッとしないが、
右手に沢音が聞こえ出すと、新緑の中をゆく心地好い道となる。

地蔵平や大又沢沿いに集落があった頃には、
駿河小山から生活物資を運び入れる主要幹線道の峠だった。


峠道の中間点
標識の背後の踏み跡が気になる

峠道はウマイ具合に付けられていて急登や難所は無い。
このような道なら行商人や駄馬も無理なく峠道を
行き来できたことだろう。

中盤までは沢沿いを行くので、水を得るにも困らない。
沢の水で馬は喉を潤し、荷を担ぐ人は汗を拭うこともしただろう。

中間地点の標識がある辺りの新緑も美しかった。
ぐるっと回り込むようにして
だんだんと駿相国境尾根に近づいてくるころには
再び手入れの行き届いた植林地内の道となる。


山神峠-椿丸への尾根を遠望する
ダニの一大棲息地だ

振り向くとダニの濃密地帯である椿丸に続く尾根がよく見える。
ダニとの格闘を懐かしくも思う。
思わず足元をチェックするがダニの取り付きは無かった。

林業関係者や不老山への登山者の往来も頻繁にあるようなので、
ここではそんな心配はいらないようだ。

やっぱり道は人によって歩かれなければならない。
歩かれてこその道なのだ。 (当たり前か)


世附峠

空が近くなり目の前が明るくなると林道に飛び出して峠に到着する。
南側がパッと開けているので「峠に着いたぞ!」という感慨が強い。

峠の感慨を存分に味わうには、
世附側から登ってきた方が良いのかもしれない。
西丹沢の奥地に較べ、峠から眺める静岡側は明るく輝いている。
この峠を挟んだ両地域のコントラストを感じ入る。

峠には美しく、温かく、そして楽しい手作りの標識がたくさんある。
地元の「愛する会」による労作である。 
ただただ感謝!


峠から駿河小山を望む
峠の古木は朽ちて折れていた

以前訪れた時にあった雰囲気の良い一本の立木が
朽ちて折れてしまっていたのが残念だ。
なかなか味があり、峠のいいアクセントになっていたのに・・・。

世附峠は本当に良い峠だ。
切通しの上にあるベンチに腰掛けてボーッとしていると
時間の経つのも忘れてしまう。

バナナを頬張り、エネルギー補給をして尾根を西に辿る。


「樹下の二人」改め「蘇峰台」となる

 「あれが金時山、明神ヶ岳
   あの光るのが駿河湾
     ここはあなたの憩いの広場」  【*1】

という高村光太郎の詩をもじったフレーズが気に入っていた
「樹下の二人」は「蘇峰台」という名前に改名されていた。

その蘇峰台ではカヤト刈りの作業をしている人や
サンショウバラの移植作業を熱心にされている方々がいた。
もしかしたら「愛する会」の面々なのかもしれない。
ご苦労様です。頭がさがります。
こういった方々の手によって駿相国境尾根の
美しい自然は守られているのだ。


悪沢峠
世附側に下る道はロープで進入禁止

さらに西に尾根を進むと悪沢峠。
沢の名前が「芦沢」だから「悪沢」は「ワルサワ」ではなく
「アシサワ」と読むのだろうか。

事前に得た情報通り、
世附側に下る道はロープで封鎖されている。
崩壊が激しいのだろうか?ちょっと心配だ。

道が悪く荒れている沢だから「悪沢」になり、「アシキ沢」が
「アシサワ」になり、音だけ残って「芦沢」になったのかもしれない。
さすれば「悪沢」は、やはり「ワルサワ」でもいいのかな。
地形図に破線が残っている道なので、
いつかは歩いて峠道の状況を確認してみたいところだ。


以前訪れた時には、
ここに悪沢峠の標識があった!

実は前回訪れた時に、ここに「悪沢峠」の標識は無かった。
「悪沢峠」の標識は左写真の「峰坂峠」の場所にあったのだ!【*2】

今回再訪するまで誤ったまま信じてしまっていた。
よくよく考えれば峰坂峠のベンチとテーブルはすぐそこなので
おかしいと簡単に気付くはずであるのに。

でも、そうすると峰坂峠から世附側に下る道は
二本あるということなのだろうか?
左写真の傷んだ標識の裏手には明瞭な道が北に向けて続いている。


峰坂峠(広河原峠)

峰坂峠のコンクリ製のベンチに腰掛けて昼食休憩。
99円の稲荷寿司と99円のテリヤキバーガーで
安上がりにエネルギー回復を図る。

空には鉛色の重い雲が広がりはじめている。
これから本日の核心部に入るのに空模様が心配だ。

先人のs-okさんの貴重な山行記録をズポンの左前ポケットに、
右前ポケットには汗拭きタオル、左後ろポケットには軍手、
右後ろポケットには25000図のコピーを捻り込んで準備よし。


前半は幅広の良い道が続くが・・・

念のために滑落した時に備え、首からホイッスルをぶら下げる。

もしもの時に笛の音で助けを呼ぶつもりだが、
今や人の往来が絶えた峠道で笛の音を耳にする人は
いないだろうから気休めに過ぎない。

峠道の下りはじめは、拍子抜けするほど良い状態の道が続く。
しかし、峠にあった「ガケ崩れあり」の標識通りの痛々しい姿を
見るにはそう時間はかからない。


崩壊は随所に見られる

峠道の崩壊は沢筋の随所に見られ、
かつて背に炭俵をつけて駄馬が通ったという
歴史ある峠道は悲惨な状況だ。
土砂の流出とともに峠の歴史まで流れ去ろうとしている。

斜面崩壊地では緊張を強いられる通過を余儀なくされる。
靴のエッジを効かせたり、場所によってはかなり高い位置まで
高巻くことが必要となる。


鶴の絵柄の茶碗のカケラ


松葉の柄の御猪口

峠道に鶴の絵柄の茶碗のカケラが落ちていました。
そこから大分離れた場所には松葉の柄のオチョコ(?)も落ちていました。
近くに山の神でも祀られ、そこに供えられていた可能性もあるので付近を探しましたが
それらしき祠も山神もありませんでした。

昔、峠を越えた人々の落とし物でしょうか?
茶碗とオチョコは同種のセット物のようでもあります。
鶴と松という絵柄から察すると、何かおめでたい席に用いるものかもしれません。

もしかしたら、花嫁道具を載せた駄馬の落とし物かもしれませんね。
峠道を花嫁が越えた時のものではと勝手に想像を膨らませて、
消えつつある峠の歴史に思いを巡らすのでした。


最大の難所・沢筋の大崩壊地

峠道が終盤に近づくと最大の難所・大崩壊地が姿を現わしました。

「これは、ヒドイ!この先に道は残っているのか?」
一瞬躊躇しましたが峠道を最後まで歩きたいという一心で
なんとか突破することができました。

一旦、水量豊富な沢筋に下降して、左岸に渡り
落石の恐怖にビビリながらも崩壊斜面を這い上がると
峠道の続きを発見することができました。


激戦のため軍手も泥まみれだ

水量のある小沢が二本あるので、それを回避し
その先の崩壊斜面に取り付きます。
不安定な足場と崩落を誘発する危うい手掛かりを頼りに
慎重に攀じ登ります。

こんな所で滑落したら
数年間は誰にも発見されないだろうから要注意です。
泥まみれの軍手が死闘を物語る。


再び植林地内の古道が続く

難所をクリアすると、再び植林地内の幅広の道となる。
次第に土沢に向けて高度を下げてゆく。

この峠道は、全体に勾配は緩やかで
無理のない設計がされている。

たしかに牛馬が荷をつけて歩くことのできる作りである。
崩れてゆくのが実に惜しい峠道である。


本州製紙の火の用心プレート
ここで小さいジグザグで下降する

道端に落ちている本州製紙の「火の用心」のプレートを
目にすると、小さいジグザグを切って土沢の川縁に達する。

沢岸はすぐそこ数メートルだが、最後の最後でヤブ気味になる。
しかし、こんなところでも歩く人がいたとみえ、
くたびれたピンクテープが枝にぶら下がっていた。


峠道の終焉付近は道不明瞭でヤブ気味
あっ!くたびれたテープがさがっているぞ!

適当なところから斜面を降りて土沢に立つことができた。

古いガイドブック【*3】にある「危っかしい丸木橋」は
とうの昔に消失していて、飛び石で土沢を渡る。

対岸の林の中に踏み跡は無く、ちょっと心配になりつつも
いざ踏み込んでみると数歩で土沢左岸の明瞭な道に出た。


土沢を飛び石で渡る

土沢の流れは緩やかで水量もさほど多くは無い。
川面に覆い被さる新緑の淡いミドリ、
沢岸のゴロ岩についた苔の濃いミドリが綺麗だ。

土沢左岸の明瞭な道は興味ある道だ。
これは明神峠の古道なのだろうか?

東京電力の巡視路にもなっているようで、
上流に進んでみると立派な吊橋で土沢を渡ることになる。
さらに先に進むと、どうやら林道に接続するようだ。
今後歩いてみたい道である。
(沢の中をずっと歩いて、一ノ沢まで詰め上げたら面白そうだ)


道なき林の中を数メートル進むと、
明瞭な道に出た。本谷を渡る吊橋も近い!

徒渉ポイント入口の目印として、
草叢に落ちていた「火の用心」のプレートを立木に取り付けた。

こちらから峠に向かう人は、このプレートから林の中を進み、
土沢に降りて徒渉し、対岸の斜面を這い上がると、
草深い中に左上する峠道を発見できるだろう。


徒渉ポイント入口の目印として、
落ちていた火の用心プレートを取り付けた

しかし、逆コースだと大崩壊地の斜面をクリアできるか疑問だ。
這い登ることはできても、崩壊斜面を下るのは危険過ぎる。

取り付けた「火の用心」のプレートから
世附本流の吊橋はすぐ目と鼻の先だった。

おそらく何の予備知識も無く、
峰坂峠道の入口を発見するのは至難の業だと思われる。
先人のレポにより広河原側からの峠道発見が
困難であることを事前に学習しておいて本当に良かった。


水ノ木幹線林道に出る

本谷の吊橋を渡り階段を登ると、水ノ木幹線林道に出る。
あとはのんびりと春の息吹を感じつつ林道を浅瀬まで歩くだけ。

緊張を強いられた崩れゆく峠道歩きから解放されて
ひときわ木々の緑が眩しく感じられた。


世附峠の標識


蘇峰台の標識

地元「湯舟山・三国山を愛する会」の皆様
素敵な案内板をありがとう!

【*1】 「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生まれたふるさと・・・・」 高村光太郎 『樹下の二人』より

【*2】


以前訪れた時に悪沢峠の標識は、現・峰坂峠の傷んだ標識のある柱に付いていました。
北側に明瞭な道がのびていたので疑うことなく今回再訪するまでそれが正しいと信じていました。

でも良く考えればおかしいことは一目瞭然。
悪沢峠は、峰坂峠と世附峠のほぼ中間点であるはず。
(現在、悪沢峠の標識がある場所には前回は何も無かった)

【*3】 山渓アルパインガイド『丹沢・道志山塊・三ッ峠』羽賀正太郎・昭和50年 より

広河原から峰坂峠道の入口について以下のような説明がある。

「(世附川)本流にかかる吊橋を渡る。道は左に曲がって、まもなく土沢左岸に出る。上流に向かってわずか進むと、
道の左側に本州製紙の立看板があり、左に細い道が分岐している。ここが峰坂峠への入口で、この道に入るとすぐに土沢に出る。
危っかしい丸木橋を渡って対岸に行くと、草深い道が左にゆるく登っていく。
歩く人が少ないので、カヤトと雑草が繁茂しているが、刈払いを年一回位はしているようだ。
道の崩れたところに出るが、右上にわずか登って左に行けば再び道がある。登りはゆるやかで、左上に向かっていく。
かつては馬印と駿河小山の間を炭をのせた馬が往復した道である。」

これを、最新の状況に照らして修正すると以下のようになる。

「(世附川)本流にかかる吊橋を渡る。道は左に曲がって、まもなく土沢左岸に出る。上流に向かってわずか数歩ばかり進むと、
道の左側の立木に誰が付けたか本州製紙の火の用心の看板がある。そこで左に折れ踏み跡すらない林の中を通過して土沢に出る。
昔あった丸木橋は無く、飛び石で土沢を徒渉して対岸に行き、適当な場所から斜面を這い上がると草深い道が左にゆるく登っていく
のを見つけるだろう。歩く人がいないので、ヤブと雑草が繁茂している。刈払いや道普請をする人も皆無だ。
道の崩れたところに出るが、右上にわずかジグザグを登って左に行けば再び道がある。登りはゆるやかで、左上に向かっていく。
しかし、この先の最初の沢筋が大規模に崩壊し通過は困難だ。
かつては馬印と駿河小山の間を炭をのせた馬が往復した道であるが、そんな歴史ある峠道も崩れ去ろうとしている。
今や瀕死の状態の峠道である。」

【*】 『おやま町散策マップ』(小山町産業観光課発行) より

「明神峠・峰坂峠、世附峠を越える道は、かつて郡内(山梨県南・北都留郡)の行商や炭焼き、釣師などが行き交う
駿河と甲斐、相模を結ぶ重要な峠道だったが、
現在峰坂峠は利用されていない。
もう一方の旧道はかつての炭焼きの荷駄の道であった。」 と、ある。

【**】後日、通行止になっている悪沢峠を訪れました。 その時の模様はここをクリック。

(峠行2005.05.02)