山駈ける峠

  宮ヶ瀬越・秋葉乗越・半原越・荻野越

 

 かつて山岳修験者が山駈けの修行をしたという仏果山・経ヶ岳・華厳山の縦走をかねて、
その間に点在する峠を訪れてみた。
仏教用語のような山名は好きになれず、今までなかなか訪れる機会がなかったのだ。


宮ヶ瀬越

 土山峠を越えて仏果山登山口近くの駐車場に車を停め、
車内で遅い昼食、ホカ弁のり弁当を食べる。
またもや午後からの山歩きとなってしまう。

歩き易いヒノキの植林のジグザグを登ると、
樅の根元に山神様の石祠がある。
屋根には菊の紋章入りだから、
あるいは木地師を祀ったものなのかもしれない。

いったん道は平坦になり、その後、杉林の階段を登りきると、
ベンチがあり一息入れることができる。
周囲にはいつしか樅の大木も現れて良い雰囲気となる。
宮ヶ瀬湖の湖面の輝きも樹間から望まれる。

山道を隠すうっすらと残った雪を踏みしめて登ると宮ヶ瀬越だ。


宮ヶ瀬越

養蚕が盛んであった時代には、
宮ヶ瀬の繭が半原に向けて越えて行った峠だ。
峠からは愛川町半原が一望できる。

峠には「山ヒルに注意」の看板がある。
この季節だから心配はないが、
かつて、三峰山の鳥屋待沢で沢登りをしている時に
山ヒルの猛襲を受けるという恐ろしい経験をした。

東丹沢一帯には、まだまだヒルが生息できる自然が残されて
いることはありがたいが、なるべくお目にかかりたくないものだ。
熊よりもヒルやダニの方が、よっぽど怖いのだ。


秋葉乗越

とりあえず宮ヶ瀬越から北方の高取山を踏んで、
その後、南方の仏果山に向かった。

この両山、残念なことに
山頂に品の無い鉄骨櫓の大展望台があり、
まったくもって興醒めである。
なぜこんな不要なものを造るのか理解できない。

仏果上人が座禅修行したという仏果山には、
新しい石仏が一体安置されていた。

仏果山から痩せた尾根を進むと秋葉乗越で、
秋葉社を経由して半原へ降りる道が続いている。

このあたりは岩場や痩せた尾根があり、
山岳修験の道らしくなってきたなと思ったのも束の間、
足下の採石場からけたたましい重機と削岩の騒音が駈け登ってくる。
いまや、とても修行の境地に至る道には成り得そうもない。


半原越

煤ヶ谷の村人は修験者が村に入るとすすんで接待をしたという。
また、願い事が叶うということで使用した草鞋を所望したそうだ。

土山分岐を見送り、杉林を下降すれば、
舗装された林道が越える半原越である。

半原越から経ヶ岳への階段を登りつめると、
丹沢山塊の展望が広がるビューポイントがある。
ベンチに座りボーっと眺める。
山峡に煤ヶ谷の村が沈んでいる。
頂上直下には、昔、弘法大師が経文を納めたという石穴がある。

経ヶ岳と華厳山の中間鞍部を荻野越と記した古いガイドブックが
あったので、そこを目指して、経ヶ岳山頂より杉の植林地を
適当に下降するも、踏み跡を見失って林道に出てしまった。

 
荻野越 (用野越路)

再度、それらしき沢筋の山道を登ったら、荻野越に無事到着。
「峠」の雰囲気は乏しく、まさに「乗越」といった感じだ。
反対側に行けるように鹿柵に脚立が設置されているが、
向こう側の道は林業の作業道といった感じで、
一般に歩かれている様子ではない。

華厳岳で終わりにしようと思ったが、
先にのびる尾根道に誘われて高取山まで行ってしまった。
明瞭な踏み跡が続く尾根道である。

高取山の先にも道は続くが、停めた車から離れ過ぎてしまうのと、
高取山直下の採石場に興醒めしてしまったのとで、
下山することにして、舟沢への下降路を取る。

飽きるほど続く杉植林帯の中の階段には、まいったが、
それ以上に、谷戸地形のためかスギ花粉濃度が高く
鼻水が止まらなくなった。
スギ花粉の溜り場らしく、空気が澱んでいるのだ。

うす暗く、一部崩壊していて危険な小沢沿いの道を進むと、
採石場の敷地内に出てしまった。
何食わぬ顔をし、ゲートを通過してさらに進むが、
県道までの道はゴミが散乱している。
ここを通る車両は採石場関係者とダンプの運チャンしか
いないのだから、ゴミ捨ての犯人は明確だ。

逃げるようにして、舟沢のバス停に辿り着いたが、
バスは一時間待ちという有様で、仕方なく歩くことにするが、
山駈けで体力を消耗したらしく、煤ヶ谷で力尽きてバス停に
座り込んでしまった。

バスは予定時刻を40分過ぎて到着した。
バスを待つ間に体が冷えてしまったことによる鼻水なのか、
それとも花粉症の鼻水なのか、わからなくなってしまったが、
とんでもない山駈け修行であった。

* 秋葉乗越し・・・秋葉社の前から、さらに尾根に登り、仏果山と八州ヶ峰を結ぶ稜線に行きあたったあたりをいう。
           鞍部になっていることへの、登山同行好者の名付けである。 -『あいかわの地名』(愛川町教育委員会)より-

* 『新ハイキング90.2.412号』の「東丹沢、用野越路」(祖父川精治氏)の記録によると、
  荻野越は用野越路とも呼ばれ、用野の集落ではノボリョウ、オオダルミとも称されていたとあります。
  法論堂から用野に、峠を越えて嫁に行った人もいるそうです。
  同誌384号、448号にもこの山域の記録あり。
  また、「用野越路」の貴重なレポがHP『さよなら高取山登山』様にあります。

● 「荻野越(用野越路)」を探索した時のレポートを見る。