消えかけた峠路をつなぐ
逢坂峠(オオサカ峠・宮谷峠)・浅川峠(市坂峠)
鳥沢駅・・・宮谷・・・逢坂峠・・・浅川・・・浅川峠・・・棚頭・・・野田尻・・・花坂・・・四方津駅
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| 扇山附近の二つの消えかけた峠道を辿ります。 一つは葛野川流域の山間で暮らす人々が上野原の市(イチ)へ通った浅川峠(市坂峠)。 もう一つは“幻の峠”とも一部マニアの間で囁かれている逢坂峠(オオサカ峠・宮谷峠)。 二つの峠とも以前訪れたことがあり、 |
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| 逢坂峠の南側の登り口である宮谷の集落へ向かうには、 鳥沢駅で降りるべきか、猿橋駅で降りるべきか、地形図の境目でもあり判断が鈍るところですが、 わずかばかりの運賃節約のため鳥沢駅で降車します。 せっかくの朝からの青空にもかかわらず改札口を11時に通過するとは、 ユニクロ製のジーパンにホームセンターの安物スニーカー、肩下げカバンという出で立ちは、 |
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| 交通量の多い国道脇を、爆走する大型トラックが巻き上げる落ち葉にまみれテクテク進み、 「宮谷入口」の信号で折れて桂川の河岸段丘に位置する宮谷の集落に入ります。 小さな学校前を通り過ぎ、集落の外れの武田菱の家紋のある大きな旧家の門前を回り込み 宮谷林道の入口へと辿り着きます。 それにしてもこの旧家、広い庭に蔵も建ち、立派な家構えで、持ち山の一つや二つありそうです。 こんなところの娘さんと知り合い、そして結ばれ、婿入りして自分の山でも持てたらと、 浅はかなる野望が芽生えたりするのです。 林道入口には「地すべり防止区域」の看板があり、 |
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| 宮谷橋を渡ると猟犬小屋があり、檻に閉じ込められた十数頭の猟犬が 見慣れぬ進入者に対し一斉に威嚇口(攻)撃を始めます。 これだけ犬たちが吠えれば、猪や冬眠前の熊に出会う心配はないだろうと思いましたが、 それもしばらく林道を進めば耳に届かなくなり、山は一層深い静けさの中に包まれ、 熊除けの鈴を持ってこなかったことを後悔するのです。 路傍に祭られた石祠に頭をペコリと下げ、峠行の無事を祈りつつ林道を進みます。 地形図の破線道へ乗るためには、ドラム缶を左折し、10メートルばかり進んで、 |
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| 結局は、ヤブ気味の踏み跡を拾う羽目になるのですが、 蜘蛛の巣やダニの取り付きなど不快生物がいないのがせめてもの救いです。 しかし、ツルツル素材のズボンに比べ、ジーパンは容易に雑草の種の付着を許し、 種の運び屋になることを強いられるのです。 ヤブ気味の道も尾根に乗るまでの数分の辛抱です。 宮谷から百蔵山と扇山を結ぶ主稜線に出る道は、地形図には2本描かれています。 『分県登山ガイド・山梨県の山』(山と渓谷社)では、西側の道を登りつめた地点を |
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| ほぼ地形図の破線通りに付けられた山道は、終わりかけの紅葉に包まれています。 進行左手の木々間からは百蔵山の東尾根が望まれます。 国道20号や中央線、中央道からそんなにかけ離れているわけでもないのに、 それなりの山の深さを体感することができます。 扇山、百蔵山は中央線沿線では屈指の人気の山であるにもかかわらず、 |
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| 主たる樹相が自然林帯から植林帯へと変わる地点で、 馬頭観音が現れたのは予期していなかっただけに嬉しい出合いです。 二体の浮彫りの馬頭観音像(一体は頭部欠損)と「天保十四年馬頭観世音」と刻まれた丸石が 道端に横たわっています。 これはやはり浅川と宮谷を結んでいた逢坂峠道に違いないと確信を更に深めるのです。 馬頭観音から先、本来の凹とした道は潅木や倒木に埋まり歩行が困難になりますが、 |
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| 尾根を忠実に登り詰めて、百蔵山と扇山を結ぶ主稜線に飛び出した地点には、 大月市設置の登山標識がありましたが、今登って来た尾根道(峠道)方向には指示板は 取り付けられていませんでした。 公的標識から百蔵山方向へ進むとすぐに、文字の消えた標識があり、 |
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| “幻の峠”といっても現に存在しているのだから、「幻」であるはずはないのですが、 登山者用の地図からはその名前が消え、地元の人の通行も無きに等しい状態の峠道ですから、 別段、「幻の峠」と放言したところでクレームはこないでしょう。 人々の記憶から忘却されつつある峠はあたかも幻影の峠であるかのようですから。 |
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| 逢坂峠には以前訪れたときと同様に、一体の馬頭観音がぽつねんとしています。 その背後には松の老古木が異形な姿で幹をよじらせ馬頭尊を護るように踏ん張っています。 落ち葉に半身を埋めた観音様のお顔は、峠を行き交う人々を庇護する役目を終えた安堵の 表情にも見えますし、訪問者がめっきり減った峠の寂しさを嘆いているようにも見えます。 不要とは思いつつも、峠名を標した手製標識を目立たぬ位置に取り付けて、 |
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| 浅川へ下る道はかつて歩いたことはあるものの少々不安を覚える場所もあったりして、 以前自分自身で立ち木に巻きつけたテープのマーキングを確認しながら進みます。 前半は顔を叩く矮木を掻き分けながらの小さなジグザグ、 中盤からは所々に栂の大木が現われ、道もハッキリしてくる中程度のジグザク、 後半は植林地の中を行く明瞭なジグザグ道となります。 ちょうど地形図の境目、北に張り出した小尾根を幾度ものジグザグを繰り返しながら下降が続きます。 何本か目につく栂の大木は、峠道の目印として植えられたものとの印象を受けます。 少し前までは浅川集落と宮谷集落を結ぶ道として里人の交通が頻繁にあったに違いありませんが、 |
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| 植林の透き間から対岸に一軒家を見ると、谷沿いの林道へと降り立ちます。 浅川沿いのバス道に出るために最初に渡る橋が、「大坂沢」を渡る「おおさか橋」です。 古い登山地図などを見ると、「逢坂峠」の名の代わりに「オオサカ峠」と記されたものがありますが、 「逢坂」は「オオサカ」で、「大坂」からの変化なのかもしれません。 「大坂峠」では味気ないので、ロマンチックな「逢坂峠」という表記に変化していったとの推測は 安易過ぎるでしょうか? 人との出逢いがある峠道、新しい文化との出合いがある峠道といったことを考えたら、 元が「大坂峠」であったとしても、「逢坂峠」のままでいいのかもしれませんが・・・。 宮谷から浅川まで忘れられた峠を越えてきましたが峠道の状態は懸念していたほど悪くはありません。 |
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| この先、次なる目的地である浅川峠へは「地獄谷」と呼ばれる扇山北西面の谷筋を詰めて、 曽倉山経由で行こうかとも考えていましたが、日の傾き加減を考慮して深入りするのは止めました。 というより、大坂橋付近の林道を覆い隠す勢いで繁茂している夏草の残党に 戦意を喪失したというのが実のところです。 それに加えて「地獄谷」というおどろおどろしいネーミングに多少なりともビビリが生じたことも白状します。 ここまでキレイなままだった一張羅のジーパンも、バス道に出るまでのわずか数百メートルで |
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| 以前、スクールバスを兼ねて増発されたかに思われた浅川沿いのローカルバス路線でしたが、 時刻表をよくよく見ると貧弱路線に逆戻りしてしまったようです。 ガソリン代の高騰時期に減便を余儀なくされたのでしょうか? 逃避の術を失ってしまったので、足はしぜんと浅川峠へ向けて爪先上がりの田舎道を歩み始めます。 日は大分傾き始めています。 峠口である浅川バス停までは固いアスファルト道を黙々と歩くことになりますが、 機織りで財を成したと思しき旧家の佇まいに、こんな所で暮らせたらとまた雑念が浮かびます。 |
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| 幻想に現(うつつ)を抜かしていると日が暮れてしまいます。 急ぎ足でバス終点の先からのびる林道へと入り、浅川峠を目指します。 日暮れを迎えようとしている登山道にハイカーの姿はなく、息せき切って登りつめ辿り着いた峠には、 以前訪れたときと同様に強い風が吹き荒れています。 権現山と扇山とを結ぶ尾根の撓みは風の通り道となって、峠道でかいた汗を一気に冷却します。 人も、風も、地形の弱みである峠を越えるのです。 峠から見下ろす東方の上野原市街はまだまだ遠く、 |
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| 峠に立つ消えかけた道標に従い、上野原側へと下降を開始します。 棚頭へと下る道は、出だしこそこれが古くから歩かれてきた峠道なのかと不安を懐かせるほどの 頼りなさでしたが、東に派生する小尾根に乗ると、道幅は細いながらも明確な凹道が現われて 不安は払拭されます。 凹部には赤や黄色の落ち葉が溜まり、秋の峠路を辿っているとの感慨を深めます。 潅木やトゲトゲ植物が通行を妨げる部分もありますが、概ね道の状態は良好だといえます。 しかし、夏草が茂り、木々の葉が視界を閉ざす盛夏に、この峠道を歩くかと問われれば きっと「NO!」と答えることでしょう。 馬鹿正直に凹道だけを辿っていては、倒木跨ぎやヤブくぐりに疲弊してしまいますから、 |
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| 竹林はこのような奥地に人の暮らしがあったことの名残なのでしょうか? かつては今の上野原側の最終民家よりも、もっと峠よりの場所に民家があったと言いますから。 竹林は屋敷に植えられていたものか、あるいは土地の崩壊を防ぐために意図的に植えられた ものなのかもしれません。 ひとしきりジグザグを終えると、存在を誇示するかのように聳立する大木が現われます。 大月側、上野原側、双方の村外れから健脚自慢の若者が一番鶏のときの声を合図に |
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| 霊気漂う大木を過ぎると、仲間川の源流のひとつと思われる沢に飛び出します。 沢を渡ると「亀石」なる珍石が置かれている広場に出ますが、 地形図にはこの先にも沢に沿って破線道が描かれています。 付近を見回しますが地形図に記されているような破線道は見当たりません。 もっとよく探せばよかったのですが、日没が近いこともあり、じっくりと探索する間がありません。 すでに上野原側は山の陰に入っており、これから植林地の中へと分け入る気は到底起きやしません。 亀石から林道へと上がりますが、こちら側には浅川峠の入口であることを示す公的な標識は無く、 対岸の山腹に峠道の痕跡はないかと目を凝らしつつ林道をしばし進むと、最終民家が現われます。 |
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| 扇山沢分岐の手前に橋脚の遺構を見ますが、これはかつての木馬道の名残でしょうか? 橋そのものは腐朽して対岸へと渡ることはできませんが、しっかりとした橋脚の石積みを見ていると 以前は交通の要所となる立派な橋だったに違いありません。 地形図に描かれている峠道下部の破線道は、 うまくすればさらに右岸沿いに、この辺りまで接続しているのかもしれません。(?) 縁起の良い名前である不老山を背にした棚頭の集落は日没を迎えようとしています。 |
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| 辿り着いた「不老下」バス停の時刻表に、 上野原駅行きの便があるのを見て安堵するものの待ち時間はまだ大分あります。 市(イチ)へと向かった昔の人は峠を越えた後、上野原の中心部までなおも歩き続けたことでしょうが とてもそんな元気は湧き起こりません。 底の薄い安物スニーカーを履いた足裏にはすでに豆ができているようで、 まともに歩くことも困難になっています。 野田尻へ向かえば四方津駅行きのバス便があるやもしれぬと足を運んでみますが、 駅ホームのベンチにどっかり腰掛け、 |
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(峠行2008.11) |
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【*2】 『葛野川物語』(鈴木美良著) より ● 一度目の逢坂峠訪問レポ 「市道の峠A+幻の峠 浅川峠(市坂峠)〜大久保のコル〜逢坂峠(宮谷乗越)」 ● 「逢坂峠資料室」 ● 関連HP 『山と山の花』 「峠を行く」 「山梨百名山百蔵山から逢坂峠へ、宮谷へ下る」 |