★ 注意しなければならない峠 〜貉坂峠を探る〜

順礼峠・物見峠・貉坂峠


『清川村全図』 1965年 東京マップ製作

その一部が清川村と厚木市の境界である白山〜順礼峠間の尾根を歩くハイカーは多い。
しかし、その途中に位置する「貉坂峠」を利用し尾根を越えたという記録は少ない。
峠道の現状がどうなっているのか気になり、午後からふらっと訪れてみた。

まずは、順礼峠・・・
県立七沢公園の北駐車場で伊勢原市内のホカ弁屋で購入した290円の「のり弁当」をパクつく。
お昼に温かい御飯を食べるなんて久し振りの贅沢だ。
駐車場から、整備尽くされた散策路をひと登りで順礼峠に辿り着く。


順礼峠
大正10年測図昭和29年発行 「厚木」 地理調査所

昔の地図には、当然、県立七沢公園も「森の里」の大規模住宅地もない。
東側の峠道は昔日の面影はなく、(といっても古きよき時代の姿は知りませんが)公園整備という
美名のもとですっかり破壊されてしまったようです。


順礼峠

汗をかく間もなく到着した峠は、いささか整備され過ぎた感があり、
普段、ヤブに埋もれ廃れゆく峠や忘れられた峠ばかりを好んで巡っている者には落ち着かないのです。
ここ順礼峠は、坂東三十三ヵ所巡礼の五番飯泉(小田原・勝福寺)から
六番飯山(厚木・長谷寺飯山観音)に向かう巡礼道で、巡礼者の多くが七沢から上古沢へ
越えた峠であったといわれています。


峠の石仏


峠から尾根道を北上する

峠には石仏や馬頭観音が祀られていますが、往時の峠の様子を思い浮かべるためには
かなりの想像力を要することでしょう。はたして今でも巡礼者の姿をみることはあるのでしょうか?
犬の散歩やジョギングをしている新興住宅の住民の姿が目につくばかりです。
そんなわけで峠の石仏のお顔も、どことなく小沢一郎に見えてきたりしてしまうのです。


七沢側の順礼峠入口


獣除けの柵を通過する

ちなみに七沢側の峠道は、なんとか残されていて東側の道に比べれば、
まだ良い雰囲気が保たれているといえます。といっても「関東ふれあいの道」ですから、
お散歩道の感は否めません。
「ふれあいの道」って、何と触れ合うことを目的として整備されているのでしょうか?


お散歩道といった感じで峠へ


厚木市の設置した峠の石柱が立つ

 「昔、巡礼の老人と娘がこの峠を通りかかった時、松の木陰に潜んでいた悪者に斬殺されてしまった。
 翌朝、無惨な姿を発見した村民は、哀れな巡礼者のために地蔵尊を建立し供養をした。」

 「戦国時代、後北条氏が順礼峠の南にある七沢城を攻撃するために、巡礼姿に扮した隠密に
 城内の様子を偵察させた場所である。」

などの言い伝えが残されています。


猿に注意


熊に注意

さて、今回の目的地である貉坂峠へ向けて尾根の北上を開始します。
いきなり「クマにご注意ください」の看板があり、「えっ!ホントかよ」とも思いますが、
6月に白山付近に出没したなどと具体的なことが書き添えられてあり、どうやら本当のようです。
その後も、この尾根道には「猿に注意」、「スズメバチに注意」と続き、注意ばかりが目につきます。


賽銭がきれいに重ね並べられている・・・


物見峠ではない所にある看板

以前に、この尾根を歩いたときはもう少しワイルドだった気がしますが、
整備が進み過ぎてしまい、ワクワク感がどうも薄らいでしまったように感じられます。
道も固く踏み締められていて、尾根道を歩く人がいかに多いかを窺い知ることができます。
石祠に奉げられた賽銭がきれいに重ね並んでいるのを見て、なぜか嫌な気持に・・・
こうされていると賽銭を強要されているような気がします。


採石場に沿って進む


スズメバチに注意

「ゴミはリュックに、山の思い出は心に」の標語に、その通りだとも思いますが、
山を痛めつける採石場やゴルフ場、霊園開発、住宅地造成、公園整備は、どうやっても
リュックに詰め込んで持ち帰ることはできません。
ゴミの持ち帰りを喚起する一方で、大規模な自然破壊には目を瞑れということなのでしょうか?
山での思い出は、それらに害されることが多分にあるのですから、
注意すべきは気付かずうちに密かに進められるそれらの破壊行為ではないでしょうか
熊や猿やスズメバチも過度の開発に、怒りをぶちまけているのかもしれません。


エスカレーターには整備しないでしょうね


物見峠

採石場の柵に沿った道からゴルフ場の柵に沿う道となり、西側の眺めは散々です。
「足元に注意」などと過度の注意書きが設置された直線的な階段を一気に登りつめると物見峠。

物見峠の「峠」は、峰頭を表す「ドッケ」系なのでしょうか?
いわゆる尾根を越える意味での「トウゲ」の雰囲気は感じられません。
東側の眺望は確かに良好なので「物見」の名には相応しい場所です。

「物見峠」という名前は昔からあるのでしょうか?
古い地図やガイドブック等の資料では、なかなか目にする機会はありません。
丹沢山中、辺室山近くの「物見峠」は古くからそう呼ばれていて、その名も知れ渡っていますが、
こちらの物見峠は、割と新造の峠のように思えます。 【*1】

地元で本当に呼ばれている地名なのだろうかと、疑問が生じます。
順礼峠と貉坂峠の標柱が立派な石造なのに、物見峠の標柱が木造である点も気にかかります。

峠で道は分岐し、東に派生する尾根の方向に「上古沢→」の指導標が立っています。
しかし、「この先、経路不明瞭」との注意喚起の標識も取り付けられています。


むじな坂峠

物見峠からわずかばかりの北上で、「むじな坂峠」の石柱の立つ小ピークとなります。
本来の峠は、この小ピークよりさらに北へ行った鞍部で、尾根を越える道の痕跡が残ります。

「むじな」とは、獣の「貉」のことではなく、この付近の六つの地名、つまり「ムツナ」が
「ムジナ」になったらしく、峠の前後にある白山橋・長坂・花立て場(上古沢分)と
月待山・京塚・細入江(御門分)の六つの地名に因むとされています。
昔は、清川村と厚木とを結ぶ人馬の交通路として重要な役割を持った山道であったといいます。

『清川村地名抄』にも「六ツ名坂(ムツナザカ)通称・貉坂(ムジナザカ)」として紹介されています。
   ・入江に垂るる山吹の花  【細入江】
   ・きょう塚告ぐるそはの鶯  【京塚】
   ・ばんばあ山の夕つくる  【月待山(一名ばんばあ山)】
   ・白山おろす大吹雪  【白山橋】
   ・花立つる場の遠ながめ  【花立て場】
   ・長さか深き夏木立  【長坂】
と、六箇所の地名に因んで詠まれた歌もしるされています。

六箇所の地名については、『厚木の街道』にも次のようにしるされています。
 【細入江】 単に細入りとも呼んで御門に流れる渓流のこと
 【京塚】 経塚のことで経筒を埋めた
 【月待場】 古く煤ヶ谷村の宮野、御門辺りの老女が多数ここにある二十六夜の月待ちをした
        月待山、姥が山、ばんばあ山
 【白山橋】 昔この橋のたもとに桜の大木があって、その傍らに「従是八町」の石柱が建っていた
        白山沢に架かる橋
 【花立】 広々として眺望の良い場所、昔、江ノ島弁財天信仰の行者がこの地に香花を立て
       江ノ島を遥拝したという 
 【長坂】 木立生い茂る昼なおも薄暗く淋しき長坂


貉坂峠
大正10年測図昭和29年発行 「厚木」 地理調査所

ゴルフ場なんぞのできる以前の古い地形図には、
尾根を越える峠道の姿がしっかりと実線で描かれています。
現行版の地形図では、上古沢側の峠道は破線で残されているものの、
御門側の峠道は清川カントリークラブに埋没して曖昧模糊としています。

『山と高原地図』では、峠付近から御門橋に下る道が赤線で描かれていますが、
これは正規の峠道ではありません。
正規の道は、現ゴルフ場内の池(?)のある谷筋を御門へと下っていたものと思われます。


一番目の凹状地形
小さな切り通し風で峠の雰囲気がある


一番目の凹状地形
「関東ふれあいの道」の標柱が建つ

「むじな坂峠」の石柱の置かれた小ピークより北上し、一番目の凹状地形には、
「関東ふれあいの道」の標柱が建っており、小さな切り通しの峠といった雰囲気があります。
しかし、ゴルフ場側は柵に阻止され通行不能、東側も潅木に視界が閉ざされています。


二番目の凹状地形
ゴルフ場側には鉄扉がある


ゴルフ場側には凹とした峠道の痕跡がのびる
しかし、すぐにゴルフ場に吸収されてしまう

さらに北へ進むと、二番目の凹状地形があり、ここも小さいながら切り通し風であります。
一番目の凹状地形とさほど距離は離れていないので、どちらもが峠であったのかもしれません。

番目の凹状地形では、尾根を越える道が確認できます。
ゴルフ場側は獣除けの柵があり、鉄扉が設置され、その先に峠道の痕跡と思しき凹状の道が
続いています。
立入禁止の表示もありませんし、柵の向こうがすぐにゴルフ場の敷地内であるということも
無いと思い、扉を開いて先の様子を見てみると、これは明らかに旧峠道に違いないと思える
道跡を認めることができるのです。
小さなジグザグを切って明瞭な道跡は続きますが、残念ながらすぐにゴルフ場が接近し、
イノシシと間違われ射殺されるのは御免だと引き返すことになります。

上古沢側に下る道も入口は幽けし踏み跡程度ですが確認することができます。
すぐにでも上古沢側の道を探索したいと思いますが、お楽しみは後回しにして、
ここはひとまず御門橋分岐から御門へと下った後、再び登り返して上古沢側を探ることにします。


御門橋分岐


「足元に注意」って、うるさ過ぎ・・・

「御門橋分岐」・・・・これが結局は、ゴルフ場の出現により迂回することを余儀なくされた
旧峠道の代替路として整備された道のようです。
植林地の中、ゴルフ場の縁に沿った味気ない道が御門へと下っています。
途中、自然林の中にベンチなんぞも設置されていますが、
腰掛けて眺める景色がゴルフ場じゃ・・・ねぇ。


獣除け柵を通過する


御門集落に降り立つ

開けたら閉めて下さいと書かれた獣除け柵の扉を通過し、笹の被る道を抜ければ、
御門集落の裏手の墓地、茶畑に出ます。
正面、高取山の採石による痛々しい破壊を目の当たりにすると悲しくなりますが、
御門の集落の人々は、日々刻々と削られてゆく山の姿をどんな気持で眺めているのでしょうか。

御門(ミカド)とは、高貴な方(ミカド=帝)がお住まいになられていたことに因む
地名ではと思いましたが、『清川村地名抄』によると、
「治承の昔毛利太郎景行が居を御所垣戸に設け、鎌倉への表街道として六ツ名坂を使用した。
その入口に御門(ごもん)をつくり往来したところから名づけられたものであろう」とあります。
どうやら貉坂峠の口に、昔は門があったようです。


稲荷を祀る祠前
小沢に沿う道が旧峠道と思われる


ヤマビルご注意
夏場は近寄らない方が無難

「ヤマビルご注意」の看板がある分岐で、登山標識を無視して小沢に沿う道で山に向かうのが
ゴルフ場が出来る以前のかつての峠道ではなかろうかと思います。
この小沢(六つ名の細入江か?)に沿った道を進んでみたものの、すぐに行く手を堰堤と
巨大貯水槽?に阻まれ、道は消滅してしまいます。
旧峠道は完全にゴルフ場に埋没し、付け替え道を与えるから文句は言うなという格好のようです。


小沢に沿った旧峠道?


御門橋分岐と白山の尾根上鞍部

降りてきたばかりの道を再び登り返して、
地形図に破線表記のある白山手前の鞍部に行ってみますが、それらしき道は見当たりません。
昔の地形図には、寺鐘と上古沢側とを結ぶ破線道がまるで峠道のように描かれていますが、
すでに消滅して久しいのでしょうか?
寺鐘側は植林斜面、上古沢側はあるかなしやのケモノ道といった感じです。
上古沢側の道は、きっと白山東南尾根の破線道に吸収されてしまったのではないでしょうか?


@ 腰を屈めて歩く道
序盤は樹木が張り出したトンネル状の道


A しばらく進むと快適な落ち葉道

いよいよ待望の貉坂峠上古沢側の峠道を探索します。
『厚木の街道』には、「大正年代より昭和初期までこの道を利用して通勤していた」
と書かれていますが、峠の降り口の様子は全くそんな雰囲気ではありません。
貉が麓へ餌を求めて通勤でもしていたのでしょうか?

序盤は潅木ブッシュがうるさいですが通行を妨げるほどではありません。
道に覆い被さる樹木のトンネルのような道に、腰を屈めて通過するなどして
この先の道の様子に若干の不安を抱きもしますが、それは幸い杞憂に終わります。
赤頭のプラ杭も点々とあるので心配は不要です。

しばし進めば道はハッキリ明瞭となり、冬枯れの白山東南尾根を眺めながらの
快適な峠道歩きを堪能することになるのです。


B ジグザグで小沢に降り立つ


C 馬も通える幅広凹状の道

落ち葉の降り積もったジグザグ道を下降すると、小沢沿いに降り立つことになり、
ここからはさらに幅広でU字状にえぐられた道となります。
「煤ヶ谷と厚木とを結ぶ人馬の交通路」であったということに、
素直に頷くことのできる道の形状を今にとどめているといえます。

この峠道は、わずかな道普請で息を吹き返すに違いないでしょう。  
私有地であるなら仕方ありませんが、少し手を入れれば、素敵なハイクコースにもなるでしょう。
もっと人に歩かれてもよい道だと思われてなりません。

ゴルフ場の存在も地域経済の振興には必要なのでしょうが、
かつては地域の経済・文化を支えたであろう峠道がこのまま放置され、廃れてゆくのは
残念に思えて仕方ありません。
道普請などしなくても人に歩かれるということだけで道は甦りもします。


D 入口は分かりにくい
落ちていた青いPPバンドを括りつけた


E 沢に沿った道を進むとグズグズになる

この峠道の難点は上古沢側の峠道入口が分かり難いという一点にあります。
農道からの峠道入口は笹ヤブに隠れ気味で、うっかりしていると見落してしまいます。
親切な標識などは一切無く、落ちていた青いビニールバンドを括りつけて置きましたが
はたして目に付くかどうか疑問です。(後日、手製標識を設置)
注意しなければならないことが多い一日の山歩きでしたが、一番注意しなければならないのは、
熊でも猿でもスズメバチやヤマビルでもなく、この峠道の入口です。

上古沢側から峠道入口のある谷戸に入ってこれに気付かずに沢沿いの道を奥へ奥へと
進んでしまうと、道は次第に怪しくなりグズグズになっていき、倒木あり、泥濘ありで、
魑魅魍魎の世界に引きずり込まれてしまいます。
強引に詰めて、物見峠方面に這い出ることも可能なようですが確たる道は消滅します。


F この木が貉坂峠道入口の目印


G 作業小屋

上古沢側から峠道を目指す場合は、最終民家の番犬であるジュンコ(H)に挨拶をして、
畑、果樹園の中をゆく農道を進み、道端の徳利の供えられた馬頭観音に頭を垂れ、
橋を渡って二軒の作業小屋(G)を通過。

右手に分岐する農道を見送って、小さな橋を渡った先で緩やかに左にカーブ。
笹が目隠しする細くなった農道をわずかばかり進めば、すくっとのびる立木(F)があり、
そのすぐ右手に目立たぬように口を開けているのが峠道入口(D)です。
この入口を見落すと、イノシシやヤマビルが待ち構える暗い谷間(E)に引き込まれます。


H 最終民家の番犬 寝起きのジュンコ


駐車場の閉鎖時間に一番注意しなければならない

普段、人の訪れなど滅多にない中、油断し熟睡していたジュンコは、
安眠を妨害されたことに怒るでもなく、まだうつろな状態。
静かな集落から、トトロの住んでいそうな鎮守の杜を脇に見ながら小さな丘を越えれば、
野竹沢の集落となり、車を乗り捨てた七沢公園北駐車場はすぐそこです。

注意書きの多さに辟易気味のささやかなる山歩きでしたが、
駐車場に戻って利用時間の注意書きを見て驚きです。
「17時から翌朝8時30分まで車の出入りはできません注意してください」
あと、30分で駐車場は閉鎖されていたのですね・・・
一番注意しなければならなかったのは、お役所時間のような駐車場の利用時間だったようです。

(峠行:2009.03.09/順礼峠七沢側2007.01.23)

【*1】 『新編相模国風土記稿』には、「煤ヶ谷村」と「西富岡村」の項に「物見峠」の名が見られる。
    「煤ヶ谷村」の物見峠は辺室山近くの物見峠のことであり、「西富岡村」の物見峠は津古久峠のことだといわれる。
    白山順礼尾根に位置する物見峠は古い地誌には見られない。

     『新編相模国風土記稿』第四十四村里部大住郡巻之三
     西富岡村  〇山  東方村界に連り、諏訪山・飯綱山・向山・物見峠等の名あり、小山なり。

    西富岡村の物見峠は戦国時代に物見の兵を出した峠だから、この名がつけられたという。

    『かながわ風土記34号』 1980年5月号 「-知られざる峠- 物見峠探訪記」(蜂矢敬啓著)
    『伊勢原史話・第一集』昭和58年 「戦略上の要地津古久峠」(伊勢原市教育委員会・小沢幹著)
    

●以前に、貉坂峠、物見峠、順礼峠を訪れた時のレポートを見る

【参考文献・参考ホームページ】

厚木市のホームページからpdf資料の「白山順礼峠ハイキングコースマップ」が入手できます。
厚木市ホームページ>まなぶ・遊ぶ>観光・公園>ハイキングコース>白山順礼峠ハイキングコース
(http://www2.city.atsugi.kanagawa.jp/data/files/0070_002333_H20hakusanjyunrei-hike.pdf)

ホームページ『悠歩悠遊』さまの中に「貉坂峠」と題した上古沢側の峠道を探索した貴重な実踏記録があります。
(http://yuhoyuyu.sakura.ne.jp/course/cn345/index.html)

『かながわの峠』 植木知司著 かもめ文庫 1999年
『厚木の街道』 県史談会厚木支部 鈴村茂著 昭和56年
『清川村地名抄』 清川村教育委員会編 昭和57年

【補足】


この右手のヤブを掻き分けて峠道に入る


歩く人が増えるだろうか?

後日、上古沢側の貉坂峠入口に標識を取り付けてきました。
その日も、やっぱり番犬ジュンコはお昼寝中で、突然の訪問者に体をビクッとさせていました。