「八重山ハイキングコース」と「上野原遊歩道を」を歩く

能岳峠(向風峠)


能岳峠(向風峠)

上野原市の「八重山ハイキングコース」の整備が進んだと聞き、
久し振りに能岳(能竹山、向風山)を訪れてみることにしました。
あわせて、市街地背後の丘陵部を縦走する「上野原遊歩道」も歩いてきました。
この丘陵部から能岳一帯の小山の連なりを含めて「後山丘陵」と呼ぶことがあるようです。

『上野原町誌(中)』(上野原町誌刊行委員会・昭和50年)の中では、
「後山丘陵」を次のように解説しています。

  「上野原地区商店街北側に開けた丘陵で、
  棡原地区井戸部落までゆるやかな小山が続き、
  ワラビ、フキ、キノコ採りも可能で、町民の憩いの場として利用されている。
  昭和45年からは、この丘陵地帯をさらに多くの人たちが利用できるように、
  町と県の費用で遊歩道の建設を開始し、2ヵ年で1,800m余りを開設した。
  以後5ヵ年で井戸部落まで開通させる計画がされている。」

この計画が今も生きているかは定かではありませんが、
能岳東面を広大なゴルフ場に奪われてしまった現在、井戸まで遊歩道を繋ぐという
計画は頓挫してしまったのかもしれません。

能岳の南鞍部で山風呂・西原と丸畑・先祖を結んでいた能岳峠(向風峠)は、
東面のゴルフ場の造成によって、丸畑側の峠道が完全に消滅してしまいました。
二つの地域を結ぶという役割を奪われた峠に、里人の往来は見られず、
ハイキングコースの一通過点になってしまいました。
峠に置かれた石仏のみが、由緒ある峠であったことを無言で教えてくれます。

『上野原町誌』(上野原町誌編纂委員会・上野原町役場・昭和30年)で
紹介されている後山川流域の山々


『上野原町誌』 挿入図より

【能岳峠】
海抜542.7m、字西原又は山風呂より先祖、丸畑部落に通ずる峠で、向風山の東に位して、
其峯通りには並木の老松が茂り風致に富んでいる。

【向風山】
字向風の北にあって、東は能岳山に連り、西は黒田沢を隔てて棡原村に境している。

【大平山】
向風山の北に聳え、北東字丸畑に面する。

【八重山】
字宮路の外三十五筆より成り、此段別二十九町歩余、水越八重氏の寄附に係り、
能岳の東北、先祖・丸畑部落に面せる北側一帯の総称で、此の峯の南側には、
池ノ平・秋ガ沢・スガ沢等の各林野が連る。

【秋葉山】
字羽佐間の北、山嶺に秋葉山大権現を祀る。

【金比羅山】
秋葉山の南方の中腹、頂に金比羅権現の小祠あり。

【久善寺山】
字大房久善寺公園以北の山林地帯を称し、忠魂碑・町造林記念碑あり。
更に北にのぼれば金比羅山・秋葉山に通ずる。

【保福寺山】
保福寺の北に在り、北辺は後山川に臨み、其の北麓右岸から、
この山の南面通称葭池を経て保福寺の側、貯水池に通ずる町水道の隧道がある。
西は久善寺山、東は坊主山を擁して、「三本松」に連なっている。

【根本山】
新町の北に聳え、西に中尾根、東に長谷寺山を控え、
北は後山川を隔てて、本陣山と相対している。
山頂に平地を有し老樹数株が残り、樹下に明治三十七、八年戦役戦没勇士埋骨の
慰霊碑及び金比羅大権現の碑が建っている。
山腹一帯は松林で風景の勝れた高地であったが、戦時中開墾され現在は畑地と化した。
併し武・相・甲の連峯を一眸のうちにおさめ、眺望豊かなところとして知られている。
なだらかな曲線は女性的であるが、実に美しい。

【カラス尾根】
後山川を越え、奈須部に通ずる沿道、字二枚畠の北辺で、
尾根を西にゆけば裏大越路山に達する、北にゆけば奈須部に出ることができる。

【虎丸山】
海抜480m、字西原の北辺に聳え傾斜は頗る急である。
頂上には老松枝を交えて天を摩しているが、そのようすは遠方から望むことができる。
頂上に蚕神を祀る祠があり、毎年四月の祭日には参詣者で賑わう。
南麓の部落にはこの山に関する古碑がいくつかあり、且つ寛文年度のお札版木をも蔵している。
この山から駅面を見おろした風景は遠くは、富士山、近くは丹沢山系一帯を背景として、
真に雄大で杖を曳くものをして羽化登仙の想をあらしめる。

『山小屋創刊号』 「三頭山より三國山まで−甲・武国境山脈−」(岩科小一郎著)の
記述に見られる後山川流域の山々

能岳から脈は二岐して、一は境川に沿ふて後山峠に至り、境・後山両川の合流点に終わるもの、
一は上野原町の背後に丘状をなして終わるものである。
前者は能岳峠、大越路峠をその嶺中に通じて居る。
後者は虎丸山(480m)大小路山(440m)保福寺山(440m)根本山などを並列させて居るが
一般に此の連丘は後山と称して個々の山名はあまり重要ではない。

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ゴルフ場が造成される以前の地形図


昭和50年発行 「上野原」 25,000図 国土地理院

旧版地形図では「向風山」とありますが、現行版地形図では「能岳」と記載されています。

  「能竹山にしても、一昔前まで2万5千図に「向風山」と記されたが、今では「能岳」に変わった。
  だが東側の境川の上岩周辺では、相変わらず向風山と呼び、
  西側の鶴川の西原や山風呂や向風では能竹山と呼ぶ。」
        (『新ハイキング530号』 「初冬の能竹山南尾根を行く」 小倉修著 新ハイキング社)

『山と高原地図』(昭文社)では、「能岳」の他に、「能竹山」、「向風山」の名が併記されています。

「能岳峠」の名前は、旧『上野原町誌』に記載されているので正式な峠名と思われます。
「向風峠」という表記は、『中央線各駅登山』(山村正光著・山と渓谷社)で見られます。
現行版地形図では峠道を記した破線は能岳西尾根の途中で途切れ、
能岳東面はゴルフ場に侵蝕され、その痕跡すら見られません。


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「八重山ハイキングコース」を歩く 山風呂〜虎丸山〜能岳〜上野原中学校


西原地区の石造物群
「虎丸大権」と刻まれた石碑もある


山風呂地区からの入山口
山風呂沢左岸に山道がつけられている

お昼に上野原に到着し、スーパー公正屋で80円の牛乳と88円のオムスビで侘びしい食事です。
人間の腹を満たすたびに財布の腹は減ってくる。
両方の腹が常に満たされることはないのでしょうか?
財布の餓死を防ぐためバスには乗らず、テクテク歩いて、大堀、新井のバス停を過ぎると、
左手には北都留森林組合の事務所や光電製作所という工場を迎えます。
工場の前で右折して、山風呂集落から虎丸山の西面に取り付くのが、
上野原市の発行している「八重山ハイキングマップ」にも掲載されているルートです。

地形図の破線ルートでもある山風呂集落からの取り付き点は、
小さな階段を上り、畑の脇を通るものと思われますが、すぐに踏み跡は不明瞭となります。
これはダメだと、他に取り付ける場所はないかと、西原集落側に移動し、
M家の立派なお墓の横から畑の縁を行く道を進んでみますが、こちらも夏草に埋まっていて
歩く気などまったく起きません。
ここには土石流の注意看板はあるけれど、ハイキングコースを示す案内看板は一切ありません。
里山歩きで一番難しいのは入山口を見つけ出すことだとよく言われますがまさにその通りです。
西原地区の「虎丸大権」と刻まれた石碑のある分岐の奥を進み、
民家背後からの進入も試みてみましたが、竹林を抜けた先で夏草に阻まれ、やはり前進不能です。

上野原市が観光に力を入れて、ハイキングマップまで配布しているのだから、
来訪者のために入山口も整備されていると思いきや、虎丸山の登山口はハッキリせず、
あっちに行ったり、こっちに行ったりとウロウロすること30分を費やします。
結局、正規の取り付き点は発見できず、能岳初訪の時と同様に、
山風呂沢左岸につけられた山道を辿ることにします。


「子之神大権現」の小社が祀られている


幅広な本道に合流する

この山風呂沢左岸の取り付き点が最も分かり易いし、
山風呂バス停の目の前にあるのだから正式な登山口にすればいいのにと思います。
ちなみに「山風呂」という珍妙な地名は、
『上野原町誌』によると「山ふところ」の意味ではないかとしています、ホントでしょうか?
山の温泉らしきものはありませんから、「お風呂」の「風呂」ではないのでしょう。

民家裏手から辿る山風呂沢左岸の道は藪もなく、踏み固められた路面もしっかりしています。
歩き出してすぐに「子之神大権現」との扁額が掲げられた小社を迎えます。
今歩いてきた道とは別に鳥居をくぐる参道があり、
いったいどこに参道の入口があったのかと気になるところです。

小社裏手から植林地内のジグザグを登ると、今度は幅広で安定した本道と思しき道に合流します。
きっとこの安定した道が本来のハイキングコースなのでしょう。
多分、夏草に埋もれていた墓地の横から登る道と接続していると思われますが未確認です。

正規ルートとの合流点には、
「自然のものは、自然のままで。野の花はこの場所で楽しみましょう。」という立看板があり、
少し離れた場所には「7年を経て咲く美しいものだから、育ってきたこの場所で見て欲しい。」
という言葉とカタクリの花の絵が書き添えられている看板も立っています。
このあたり春になると、カタクリの花が山道に彩りを添えているのかもしれません。


虎丸分岐

天気予報では「朝晩は肌寒いほどで、長袖がいいでしょう」などと言っていましたが、
真夏並みの太陽光線に乾燥が加わり、暑さと喉の渇きに苦しめられます。
ひたいの汗を拭くのに立ち止まる度に、ヤブ蚊の猛襲を受けるので長袖は正解でしたが、
気温は上昇を続け、持参のペットボトル1本では心許ない気がします。

山風呂沢源流部の外縁を地形図の破線の通りグルッと巻き込むように進みます。 
場所によっては夏草を掻き分ける所もありますが、不快なだけで道を見失うことはありません。
蜘蛛の巣の顔面襲撃に注意しながら進むと、虎丸山への分岐で、
立木には「←能竹山(能岳)」、「虎丸山→」といった標示が木螺子で直付けされています。


虎丸手前の鞍部 踏み跡が横切る


虎丸山頂標識

ここはひとまず虎丸山に進んでみることにします。
虎丸山も「八重山ハイキングマップ」に載ってはいるものの、
山頂へ向かう道が整備されているという感じは無く、倒木などがほったらかしになっています。
これはこれで自然のままなので、いいと思いますが、
整備の行き届いた自然公園をイメージして訪れると痛い目にあいます。

虎丸山手前の小さな鞍部で、うすい踏み跡が横切りますが、どこと繋がっているのでしょうか?
鞍部を過ぎると、ちょっとばかりの急登となり、里山だといって侮ってはいられなくなります。
昼食をケチったためにエネルギー不足なのか少々バテ気味で足がフラつきます。
辿り着いた山頂には虎丸社の赤い建物が西を向いて鎮座しています。
『上野原町誌』には「蚕神を祀ると」あるので、養蚕の神様なのでしょう。
西側の切り開きからは、要害山、雨降山、権現山をチラチラと望むことができます。


山頂の虎丸社


山頂からの展望はチラチラと

「虎丸」とは一体どういう意味なのでしょうか?気になるところではあります。
どちらにしても都会から近く、登りやすいという点で、
「寅年」には干支の山の登頂を目指す干支マニア登山で賑わうかもしれません。

虎丸山の山麓に伝わる昔話で「ハダカドリ」という話があるようです。
昔、虎丸山には鳩ぐらいの大きさの「ハダカドリ」という、あまり羽が生えていなかった鳥が
棲んでいたそうで、日がな一日、木から木に移っては喉の自慢ばかりしていたといいます。
夏の間はそれでもよかったのですが、冬が近づき寒さが厳しくなると震えていたといいます。
それでも「ハダカドリ」は「凍うてもよし、凍てもよし、あしたぁ起きて巣を造る、あしたぁ起きて巣を造る」
と鳴いていたといいます。しかし、歌っているばかりで巣を造ることはなく、
寒さが一段と強まると、その姿が見えなくなってしまったといいます。 【*1】

「ハダカドリ」は遊んでばかりいて、羽が少ないという自分自身の状態も考えず、
怠惰に暮らし続けて死んでしまったのでしょう。
まるで金が無いという自分自身の状況も弁えず、
山に出掛けて遊び惚けている我が身の行く末を暗示しているような話で胸が痛みます。

虎丸山から最前の虎丸山分岐に戻ろうと、急斜面を下ったところで見事にコケました。
柔道技の払い腰をくらったようで、きれいな受け身でケガはなかったけれど、
虎丸山に一本取られました。


能竹山(能岳)西尾根を進む
北側に派生する道もある


能竹山(能岳)取り付き点の分岐点
左折は北尾根、直進が山頂、右折は能岳峠(向風峠)

虎丸山分岐から能岳に向けて、今度は東面の大越路沢の源頭部を巻くように進みます。
能岳西尾根に乗ると、不快な夏草が道を隠すことはありませんが、
女郎蜘蛛の巣があちこちに仕掛けられていて気が抜けません。
昔は松の老木の並木があったようですが、ナラやクヌギ、カエデ主体の林の中に、
ひょろっとした細い幹の松が天に伸びているのをポツンポツンと見るばかりです。

能岳西尾根からは北面に分岐する作業道のような踏み跡が確認できますが、
これを拾えば向風林道に降りることができるのかもしれません。(未確認)
しばらくの間、照りつける真夏のような陽射しと喉の渇きに耐えて進むと、
能岳取り付き点の分岐点を迎えます。
分岐点を左折すれば能岳山頂を巻いて北尾根へ、右折すれば能岳峠(向風峠)へと導かれます。
山頂を目指すには「能竹山登り口」の標識に従って直進します。


取り付き点の標識


多くの松が切り倒されている


山頂の公的標識は「能岳」を採用している

山頂へは松の倒木の目立つ自然林の中を登ること数分で辿り着きます。
伐木された松の多くは松喰い虫の被害を受けたものなのでしょうか?痛々しい有様です。

能岳周辺の松林は、昔から有名で旧『上野原町誌』には「能岳の並木松」として紹介されています。

   【能岳の並木松】
  「字、西原から北の方丸畑に通ずるところに能岳峠がある。
  羊腸たる樵径の中腹から、峯にかけて見通り約6尺、高さ6丈余の老松が、ずらりと並んで、
  亭々として天を衝き、その翠色あたりを掩うさまは一幅の絵のようである。
  山頂の夫婦石の附近は石の配置、老松のたたずまいなど自然の布置、
  妙を極めて特に絶景である。
  夏に峠を上る人々がここに一休して、小鳥の声に耳を傾け、蝉時雨を浴びる時、
  三伏の暑さもたちどころに忘れる。
  浮き世の荒浪は無情であった。
  この名所の松もついに伐られ、夫婦石も交通の妨げとあって次第に打ち砕かれつつある。」
               (『上野原町誌』 上野原町誌編纂委員会 上野原町役場 昭和30年

昔は、老松のほかに「夫婦石」という見所もあったようです。
しかし、それも交通の妨げになるということから打ち砕かれたとのこと。
これは裏を返せば、昔は峠を行き来する交通が頻繁にあったということでしょうか?
旧『上野原町誌』には、「能岳の松並木」と題する写真が一葉掲載され、
「樹齢約二百年 周囲五尺前後 高五丈前後」のキャプションが添えられています。
これまでに松喰い虫や大風によって倒された松も多いことでしょう。
しかし当時の写真を見ると、山の上というより、まるで海辺の松林のようであります。

能岳の山頂は灌木に覆われ相変わらず展望には恵まれませんが、
特に東側は繁茂している木々のおかげでゴルフ場が視界に入らないという効能もあるのですから、
一概に展望に優れる山が良い山だとは限りません。
山頂には「能岳542.7m」の公的登山標識が建てられています。
どうやら公式には国土地理院地形図表記に従い「能岳」を採用しているようです。


能岳峠(向風峠)の石仏


夏の強い陽射しを受けて日焼けしませんように

山頂から腐った木製階段を南へと下ると観音様が優しい表情を浮かべて佇む能岳峠です。
この石仏があるからこそ、標高の低い能岳にも風格が生まれるというもの。
「享和二戌五月九日 西原村施主 高橋某」の銘が刻まれています。

「能竹山登り口」分岐で右折した道が合わさり、十字路を形成していますが、
東側に下る道はゴルフ場の敷地内となり通行することはできません。
かつて山風呂、西原と丸畑、先祖とを結んでいた峠道はゴルフ場によって息の根をとめられたのです。


こそっと手製標識を取り付ける


能岳峠(向風峠)全景

峠には「八重山ハイキングコース」の標識と「特定猟具(銃)使用禁止区域」の赤い看板が
ありますが、峠名を標した物は無いので手製標識を立木に取り付けます。
旧『上野原町誌』に記されている峠名ですから「能岳峠」との呼称に間違いはないと思います。

昔の峠道を越えたことのある古老でもいらっしゃれば当時のお話を伺ってみたいものです。
ゴルフ場が完成するより前に訪れることが出来ていればと悔やまれてなりません。
この峠道は石楯尾神社の祭礼に赴く人や軍刀利神社へ参詣に行く人びとが
越えていたのかもしれません。
また、井戸、黒田、小伏の山間集落あたりからは、
上野原で開かれた一、六の市日に甲斐絹を運んだ道なのかもしれません。


八重山の山頂標識と東屋


展望台手前の鞍部 下降路が分岐する

峠から能岳南尾根を南下し、次のピークに立てば「八重山山頂530.7m」の標柱があります。
時折、東麓のゴルフコースからは「ナイスショット」の声が聞こえてきますが、
努めて西面に意識を集中するようにして、ゴルフ場の存在を忘れることにします。

山頂には東屋があり、日陰で一休みしますが、風はムワッと暑苦しく意識が朦朧とします。
ペットボトルのお茶と塩分補給に塩センベイを摂りますが、タイミングの遅すぎた
塩分補給は更に喉の渇きを悪化させ、冷えたビールの姿ばかりが頭に去来します。

八重山から次なるピークに建つ展望台に向かう途中、下山路が分岐しますが、
ここは楽しみにしていた展望台に向けて尾根を直進します。


水越八重さんの顕彰碑


鐘撞き台と展望台

展望台手前の小ピークには、真新しい石碑が建てられ、
「水越八重さんの心が息づく八重山」と題された碑文が刻まれています。

  「この八重山は、1929年(昭和4年)に地元の水越八重さんが
  『お世話になったふるさとや子どもたちのために役立てて欲しい』との思いから
  30ヘクタールの山林を寄附されたことにちなんで、「八重山」と名づけられました。
  今では八重山は、上野原小学校の学校林として、また、市民に愛される山として
  八重さんの想いを後世につたえ続けています。」

顕彰文に続いて「ふるさ櫻讃歌」という歌詞も刻まれています。
水越八重さんについては上野原町教育委員会が『八重山と水越八重さん』という本を出していて
上野原市立図書館に所蔵されています。


気持良いウッドデッキ


整備され過ぎた感のある沢筋への下降路

展望台からの眺めは頗る良好で、張り出したウッドデッキが開放的です。
ここがビアガーデンだったらとも思いますが、渡る風は心地好くやっとクールダウンができます。
五感の森の「五」、「桜」、「星」、「紅葉」をモチーフにデザインしたという展望台はお洒落です。
虎丸山から歩いて来たグルリの尾根が見渡せ、紅葉の時期であったならば、
さぞかし艶やかであったろうと想像されます。

西には要害山、雨降山、権現山、高指山、不老山、扇山を望み、
南面には道志山地や丹沢山塊を遠望することができます。
また、東面には生藤山、三国山から倉子峠と続く尾根を望むこともできます。
眼下には上野原中学校が見え、その背後に秋葉山から根本山へと続く上野原遊歩道の通る
丘陵部を見渡すことができます。
展望台の名に嘘はなく、まさに一級の展望を有しているといえます。
空気の澄んでいる冬場ならさらに素晴らしい眺望を楽しむことができるでしょう。

「五感の森・モニュメントの鐘」なるものが設置されていて、果たして必要なのか疑問もありますが、
鐘があるなら打ち鳴らしてみたくなるもので、二、三度勢いよく打ち鳴らすと、
あまりの響きの大きさに耳が痛くなるという有様。
俗なデートスポットに成り下がりはしないかとちょっと心配です。


コンクリートの擁壁が築かれ、沢の水は枯れていた


入山口の道標を兼ねた庚申塔

展望台から大越路沢への下降路は整備され過ぎた感があり、ちょっとガッカリです。
下降には幾本かのルートがあるようですが、
随所に設置されている案内図に従えば迷うこともありません。

自然林を切り倒し拡幅されたハイキング道沿いには、「五感の森」のコンセプトに合わせ、
「見る、聴く、嗅ぐ、触る、味わう」に適した植栽がみられます。
大越路沢の流れに沿った道も以前訪れた時とは異なり、整備(破壊?)が格段に進み、
コンクリートの石積みや土留めが目立ちます。
かつて沢を流れていた清流は消えて、水は涸れ果ててしまっています。
沢の流れが消えたのは猛暑による渇水のせいなのか、それとも過剰な整備によるせいなのか、
判然としませんが、よかれと整備したものが破壊につながらないことを祈るばかりです。

誰もが安心して歩けるハイキングコースになるということは、
一方で管理が徹底強化されるということに、ほかならないのかもしれません。
来訪者の安全と管理責任回避のために、路肩はコンクリートで固められ、
散策コースは自然林を伐木してまでも広げられる。来訪者のサービスと公共事業の利益配分として、
展望台やモニュメントの鐘や案内標識が工事設置される。
こんな風に考えるのは穿った見方なのでしょうか?


「八重山ハイキングコース」のマスコット?

 

「上野原遊歩道」を歩く 秋葉山〜根本山


「上野原遊歩道」入口


墓地の縁を進む「幽歩道」

八重山ハイキングコースから出ると、上野原中学校の門前です。
東へ折れる道は「八王子道(甲州裏街道)」で、大越路峠を越える道となります。
それとは逆に小沢地区側へアスファルト道を少し進むと、「上野原遊歩道」の入口があります。
「←秋葉山」と「←上野原遊歩道」の標識が設置されているので見落とすことはありません。

秋葉山へは墓地の外縁をグルリと周って取り付くルート取りがされていて、
なんでこんなおどろおどろしいコースを歩かされるのかと嫌気がさします。
これでは「遊歩道」というより「幽歩道」です。


秋葉山の東屋


羽佐間分岐

蜘蛛の巣を払いつつ、ガードレールを埋め込んだ階段を登ると秋葉山の東屋ですが、
とても休憩する気にはなれません。ヤブ蚊も多く陰の妖気が漂う暗い感じです。
秋葉神社の鳥居はくぐらず、そのまま巻き道から根本山に向けてすぐに歩きはじめます。

途中地形図の破線である羽佐間の分岐もありますが、
どれほどの人に歩かれている遊歩道なのかさっぱりわかりません。
地元の人が散策するでもなく、犬の散歩やウォーキングをしている人の姿などまったくありません。


巨大な水道施設の脇を通り抜ける


 グリーンヒルトンネル上の市立病院分岐

「上野原遊歩道」のことを「上野原アルプス」と呼ぶ人もいるとかいないとか、
どう見ても「アルプス」というより単なる「裏山」の域を出ません。
蜘蛛の巣に注意しながら尾根を進むと、巨大な水道施設が現われ、その脇を通り抜けます。

水道施設より先、道は轍の残る林道となり、
以前訪れたグリーンヒルトンネル上の市立病院分岐の四辻となります。
もしや「後山峠」ではないかと思った四辻ですが、現地名を記したものは何もありません。
「工業団地」「根本山」「八重山・上野原中学校」「市立病院」と、それぞれを指し示す
標識が取り付けられています。


日大明誠高校分岐


根本山の慰霊碑と東屋

根本山に向けて再び細い山道となり、小ピークをひとつ乗り越えると、
日大明誠高校分岐の四辻となり、これより先の道は完全な林道歩きとなります。
「工業団地」「日大明誠高校」「根本山」の標識があり、それぞれの方向を指しています。
峠状ではありますが、ここにも現地名を記したものは何もありません。

本日最後の訪問地である根本山は、
草叢の平坦地に東屋と慰霊碑と金比羅大権現の石碑が置かれているだけでパッとしない山です。
すぐそこまで民家が迫っていて山の上にいるという感じもありません。
旧『上野原町誌』には「武・相・甲の連峯を一眸のうちにおさめ、
眺望豊かなところとして知られている」などと書かれていますが、いささか大袈裟でしょう。

「国道20号、上野原駅→」の標示に従いペットボトルのお茶を口に含みながら下山を開始した時、
剥き出しの赤土の下りで油断して、柔道技の大外刈りをくらったかのように見事にコケました。
無様な受け身で肩を捻りましたがケガはありませんでした。
虎丸山に続いて根本山にも一本取られた格好です。
帰宅した翌日になって、時間差で肩や腰が痛み始めるのは歳のせいでしょうか? 


根本山から住宅地に出る

根本山から住宅地に出た所に「上野原遊歩道」の案内標識は無く、
上野原市観光協会がハイキングマップを配布して宣伝している割には不親切です。

上野原幼稚園脇の道を通り抜けると、国道20号に面した「やまろく種苗店」の脇に出て、
「八重山ハイキングコース」と「上野原遊歩道」を歩き繋いだ「後山丘陵」の散策は終了です。
自販機でキンキンに冷えたスポーツドリンクで水分補給をし、図書館に寄り道です。
3〜4時間あれば気軽に歩き通すことの出来るコースですが、逆コースはオススメしません。

山風呂から虎丸山、能岳に登り、八重山、展望台を経て上野原中学校に下る。
気が向いたら上野原遊歩道を歩いて、お金があれば酒饅頭を買い、秋山温泉に浸かる。
これがベストなコースで、紅葉時期ならさらに良しといったところでしょう。

(峠行:2009.09.08)

● 以前、能岳(能竹山)を訪れた時のレポートを見る。

【*1】 『八重山と水越八重さん』 上野原町教育委員会 平成3年

【参考文献】

八重山ハイキングマップ『八重山 五感の森』 上野原市・上野原市観光協会 2009年3月
『上野原町誌』 上野原町誌編纂委員会 上野原町役場 昭和30年
『上野原町誌(中)』 上野原町誌刊行委員会 昭和50年
『新ハイキング530号』 「初冬の能竹山南尾根を行く」(小倉修著) 新ハイキング社