峠のある美しき集落![]()
山峡には美しい集落が、あまた点在している。
その中で峠を抱いた集落は、ことに絵になる素晴らしいものだ。
集落の裏手より、背後の山にのびる、か細き一条の峠道
清冽な沢の流れに沿ってのびる峠道があることで、
その集落に一入の愛着が涌く。
峠のほうも、集落とセットになって初めて滋味が出るというものだ。
峠だけ、集落だけの単品では、その味は物足りない。
二つが調和して独特の情趣を醸し出すのだ。
峠道には人間の匂いがしみついていなければならない。
人間の息遣いが感じられなければならない。
無機・無臭であってはならないし、
無論、排ガスの臭いが漂っていてもいけない。
峠を抱いた集落は実に好ましく趣がある。
厳しい冬が終わり、梅がほころぶ頃もいいし、
春は庭先に草花が咲き乱れ、山桜の花びらが風に舞う頃もいい。
のびやかな新緑の芽吹きの頃、石楠花や躑躅の峠道を抜けるのもいい。
夏、河鹿鳴き、蛍舞う集落の小道を歩くもいいだろう。
ヒグラシ鳴く夕暮れ、紫煙がのぼる民家をすりぬけ、
窓からもれる食卓の明かりに急ぎ足で峠道を下るのもいい。
秋、軒に吊るされた柿や大根、ひとすじの焚火の煙、紅葉の頃もいい。
霜が降り、落ち葉を踏みしめる初冬の頃もいい。
四季折々、表情を変える集落と峠道。
物言わぬ路傍の石仏は、幾度となく四季の移り変わりを、
暖かく、微笑を浮かべ眺めてきたことだろう。
変らないのは人の生活ばかりか、
いや、人の生活ほど変ったものはないのかもしれない。
暗く閉ざされ、草生す廃屋。荒れ果てた田畑。
主人を失った庭先の柿の木。
穿たれたトンネル・バイパス。
草に埋もれた峠道・山道・仕事道。
お供えする人がいなくなった石仏。
それでも、石仏は風雪に耐え、これからも
村の行く末を見つめていくことだろう。
しかし、まだ各地にお気に入りの峠を抱いた美しき集落はあるのだ。
近くは棡原・数馬・和田・振宿・盆堀・栃本・中双里・ユカデ。
ちょっと遠くの勧能・星尾などの南牧村や万場町。
山梨県の芦川流域の村々・信州峠近くの黒森集落・鰍沢あたりもいい。
静岡の西河内川に沿った茶畑の集落もいい、春野町あたりもいい。
長野県下伊那郡上村や新潟の入広瀬村や守門村などもいい。
まだまだ、いいところはいっぱいあるのだ、
それこそ長野や岐阜、あるいは東北あたりはお気に入りだらけだ。
西日本にも未知の美しき集落が散在していることだろう。
ホームページで少しずつ紹介できたらいいと思うが、
教えたくないという気もする。
美しい集落 というのは実に主観的で何のことか分からないかもしれないが、
古くからの佇まいで、自然と調和し、集落内での統一性があるもの。
そして、平和的で、懐かしさを感じるもの。
コンビニではなく万屋があり、パチンコ屋やサラ金の看板ではなく由美かおるの看板、
ネオンは無く裸電球。ベンツではなく軽トラ。
トタンより瓦、瓦より藁葺で、庭に蔵があると尚いい。
といった感じであります。
つげ義春の作品に登場するようなと言ったら分かってもらえるでしょうか・・・。
実際の生活が、いかなるものかは通り過ぎる旅人には思いもつきませんが、
自然の厳しさと、交通の不便を考えると容易ではないことが想像できます。
見た目ほど、平和的でも、牧歌的でもないのかもしれませんし、
都会に住む人の憧憬や思い込みで、見てはいけないのかもしれません。
でも、峠道を旅していて、挨拶を交わした村人が住んでいる集落だと思うと、
勝手ながら、愛着を感ぜずにはいられないのです。
集落の入口の石仏に、供え物などされていたり、
道が掃き清められていたりすると、
暖かい人々が生活している美しき集落だと思ったりするものです。