武蔵越と大垂水峠旧道 / 武蔵越・大ダルミ
「武蔵越え」・・・どことなく甘美な響きを持った名前です。
この名前を初めて目にしたのは『峠と路』(馬場喜信著)という
八王子の峠と坂を紹介した本の中でした。
以前、この「武蔵越」を探し求めて南高尾山稜を歩いたことがありますが、
その時は情報が少なく場所を特定することができませんでした。
今回は、再訪して「武蔵越」を特定するとともに、
現在の国道20号線の前身である「大ダルミ」の旧道を歩くことができました。
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| 【武蔵越】 「武蔵越の名は、初めに人文社の広域市街地図で見つけた。 |
| 【武蔵越】 「南浅川町大平から小屋場谷をつめ相模湖町千木良へ下る旧道が通じていた峠。 |
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| 古い版の地形図を見ると、武蔵越えの経路が破線道で描かれているのを確認できます。 この経路は現行版の地形図からは抹消されていますが、 ゼンリンの住宅地図(2007年版)には赤馬から送電鉄塔を経由して 武蔵越へ至る同経路が載せられています。 (ゼンリン住宅地図では、大ダルミ峠旧道からも分岐して武蔵越に達する道が描かれている) |
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| 春の高尾山周辺には近寄り難いものです。 なにせスギ花粉の渦巻く中心地に飛び込むことになるのですから。 それでも陽気が良くなると、原チャリに跨り近場の山々などをツーリング気分で訪れてみたくなるものです。 今回は、赤馬集落の阿寺沢橋の袂にバイクを停めて、幻の峠である「武蔵越」の道を辿ります。 尾根上からは現在の国道20号線の前身である「大ダルミ」の旧道を下りスタート地点に戻ることにします。 |
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| 以前、「武蔵越」を探し歩いたときは資料が乏しく、越路に関する情報を得ることができなかったのですが、 最近になって、『相模湖町史・民俗編』(相模湖町史編纂委員会・平成19年)の中に、 「武蔵越」に関する記述があるのを見つけ、再び現地へ足を運ぶことにしたのです。 「 八王子に行くときには、小仏峠裏街道を使い武蔵越をしたが、 以上、「武蔵越」の位置と道の様子、往時の利用状況について記載されています。 |
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| 阿寺沢橋を渡り、原チャリを乗り捨て、竹林の中に続く道に入ると路傍に三基の石造物を見ます。 苔生し磨耗しているので年代の判読はできませんが、真ん中の馬頭観音の側面には、 「左 八王子 右 大山道」と刻まれた文字をはっきり読み取ることができます。 馬頭観音の置かれた角度のせいでしょうか、「左 八王子 右 大山道」の方向に違和感を覚えますが、 |
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| よく踏まれた道は、赤馬集落背後の斜面に開かれた畑の縁に沿って、ほぼ水平に続いています。 畑にはもってこいの日当たり良好の道はポカポカで、うっすらと額に汗が滲み始めます。 相模川を挟んだ対岸には丹沢の山々を望むことができます。 しばらく進むと、古い地形図の表記通り、里から登って来るもう一本の道をあわせる分岐となります。 「峠の登り口 猿久保沢の竹薮の上には 「千木良の赤馬東部(長尾)の庚申塔は、八王子の案内からの、鎌倉街道とも呼ばれる大山道と、 『峠と路』の中でも武蔵越の道には、「その山麓には、文化十四の庚申塔も建っていた」とあるので、 |
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| 庚申塔分岐で左に折れて山へと入って行くのですが、 送電線巡視路を示す黄色い杭標は右に折れる道の行き先を「59鉄塔」としています。 左に折れて登った先にも送電鉄塔があるはずなのですが、それについては何も書かれていません。 南高尾山稜へと上がる武蔵越の道は、 |
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| 庚申塔分岐で左に折れ、放置された果樹林(?)を横目に、少し登ると神奈川県の設置した 「水源の森林づくり契約地(水源分収林)」の看板があり、そこに示された概略図で、 現在地が「千木良字尾上峯」であることがわかります。 その後も植林地の中に明瞭な道が続いていますが、幸いにして、花粉の飛散は最盛期を過ぎたらしく、 花粉症を発症する事もなく、快調にジグザグ道を登ることができます。 共聴テレビの電線を架ける電柱が姿を現し、 |
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| 巨大な送電鉄塔新多摩線60号のある辺りは、少々草ヤブもありますがたいしたことはありません。 すぐにまた鉄塔背後から明瞭なジグザグ道となります。 鉄塔からわずかばかり登った所に、押し潰し破壊されたような小屋(?)の残骸を見ますが、 これは一体何なのでしょうか?山ノ神の祠ではないことを祈りますが・・・。 植林の尾根筋を離れて、古い地形図に記されているトラバース道の踏み跡を辿り始めると、 |
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| 前進に窮し、尾根筋に戻るために植林斜面を直登しますが、傾斜が強く一苦労です。 汗をびっしょりかかされ尾根筋の道に出たところには「共聴テレビ15」の電柱が立っていました。 送電鉄塔新多摩線60号から先は、共聴テレビの電柱に沿って植林尾根を登っていれば、 こんな苦労をすることはなかったようです。 でも、素直に植林尾根を登ることよりも、「武蔵越」へと向かう古き峠道の痕跡を拾うことが 最大の目的だったのですから致し方ありません。 尾根筋につけられた明瞭な踏み跡を登りつめると、 |
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| その大洞山ですが、とあるロードマップには「大羽山」とあり、 そんな呼称もあるのかと、いやそれは単なる誤植ではないかと戸惑いもしますが、 『八王子事典』(八王子事典の会・かたくら書店)によると、「大羽山」との別称もあるとのこと。 また、『山小屋4号』に掲載されている「武相國境(三)-小佛峠以東-」(岩科小一郎著)によると、 大洞山のベンチに腰掛けて菓子パンを頬張りエネルギー充填をしつつ、武相国境の尾根を渡る |
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| そこからさらに北へ進んで階段を降りると、「大垂水峠0.7km 大洞山0.5km」の道標があり、 赤馬側の谷からトラバースしてくる確かな道の痕跡を認めることができるのです。 最前、潅木ブッシュに阻まれ通行を諦めた道の予想延長先と高度とを考え合わせれば、 この場所が赤馬からの道に接続していた「武蔵越」に間違いないと特定できます。 赤馬側にトラバースする道を進んでみると、少し入った植林地内であやふやになってしまいます。 |
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| 「武蔵越」を特定できたことに意気揚揚とし、次なる目的である「大ダルミ旧道」を目指します。 現在の国道上の大垂水峠へ向かう分岐標識を無視して、そのまま尾根を北上します。 現国道と旧道は接続しているのですが、峠の茶屋の私有地を通らなければならないので、 事実上、旧道に現国道から踏み込むことはできません。(しっかりした進入禁止のゲートがあるらしい) ならば、道なき斜面を下り旧道に降り立とうと考えます。 |
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| 旧道はなんとも立派な道で、路肩には雨水を逃がす側溝も切られています。 現国道方向に進んでみたい気持もありますが、ガラクタや重機が置かれていて足が向かいません。 ここは「無断進入禁止だぞ!」と怒られる前に、赤馬に向けて旧道を下り始めます。 路面にはなぜかゴルフボールが散見されますが、きっとこれは山林をネグラとするカラスが 近隣のゴルフ場から咥えてきたものでしょう。 古い地図には峠名が「大ダルミ」と表記されてありますが、 「大ダルミと云う名の語源は二つの漢字あて字に依って考えてみるに、 |
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| 道はなるほどくねっていますが幅広で、路面状態も勾配も安定しています。 幅広と言っても、相互通行の自動車二車線道路だとすると、すれ違いは厳しかったかもしれません。 この道は明治20年頃に北方の小仏峠越えの旧甲州街道に代わって開かれたもので、 この開通により甲州、信州方面と東京方面との商品流通は飛躍的に改善されたといいます。 当時は、富国強兵・殖産興業の時代で、急峻な小仏峠をなんとか開削して物流を容易にすることが、 「谷村は此街道にて八王子に次ぎたる商業場にて、やはり定まり日に市を立て、 甲州街道の改修、あるいは新路線の開削は急務となり、次の3路線が検討されることになりました。 【案下通】 上恩方――案下峠(和田峠)――佐野川――上野原 工費の面と工事の技術面から当初より「千木良通」案が有力でしたが、 結果的には、案下峠路線より大ダルミ路線の方が、橋梁が少なく工費が安く済む点、 ちなみに小仏峠を改修開鑿するという案は工費が莫大過ぎて当初より見送られていました。 |
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| 交通が途絶えて久しい旧大ダルミの道ですが、 道の両側は背の高い木々が聳え、歴史ある道としての風格すら感じられます。 欝蒼たる森の中に、切り通しになった部分やかつての大動脈である甲州街道の遺構などが見られ、 道そのものに威厳というか、堂々とした歴史の重みが感じられます。 すぐ頭の上を現在の国道20号線が走り抜けている割には、 かつて千木良の村人はこの道を越えて八王子との交易をしていたのでしょうか。 「古くから底沢から小仏峠、後には大垂水峠を越えて甲州街道が通っていたので、 また昔は、相模湖町の人々は八王子に映画を見に行くにもこの峠を越えたといいますし、 今、この大ダルミの旧道を歩く人は廃道マニアや峠マニアの他に無く、 |
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| 倒木や落石、谷筋横断部での損壊が一部で見られますが、旧道はほぼ良好な状態で残されています。 谷筋横断部に築造された暗渠や、土留めの石積みをみれば、その筋の専門家なら 当時の土木工事技術のほどを窺い知ることもできるでしょう。 ある程度整備すれば文化遺産≠ニして集客力のある観光ハイキングコースになるのではと思うのに、 |
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| 現在の国道20号線は、昭和7年から8年にかけて、内務省直営事業として千木良の西久保から 大垂水峠への新道開鑿工事が行われて開通しました。 この工事は昭和恐慌下の救済事業としての性格を持ち、千木良や与瀬などから多くの人たちが 動員されましたが、50kgのセメント樽が担げないと雇ってはもらえなかったといいます。 開通当初は砂利道でしたが、自転車が普及するようになってからは自転車で八王子へ行くようになり、 砂利道では大変苦労したといいます。 舗装道路になったのは昭和30年頃のことだったといいます。 (『相模湖町史』) 現在、国道20号線は昼夜を問わず、ひっきりなしに大型トラックや自動車が流れています。 |
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| 阿寺沢の流れを見ながら安定した道を進めば大ダルミの旧道も終わりを迎えます。 起点には「全面通行止」の看板がありましたが、歩行までを禁止したものではないでしょう。 ハイカー専用自然歩道やMTBトレイルコースとして売り出せば、訪れる人も多くなることでしょう。 しかし、その一方で、こういった道は亡びてゆく姿に味があるのかもしれないとも思います。 過剰な整備をしては道の持つ滋味を損なうことにもなりかねません。 |
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| 旧道出口は柳馬場背後の台地で、そこからは桂橋や相模湖ピクニックランドを擁する低山が望まれます。 原チャリを乗り捨てた阿寺沢橋の袂へは月読神社を通り抜けるのが近道です。 月読神社は赤馬地区の氏神様で、月夜見尊を祭神とするとのこと。 古い峠道を歩いていると、聞こえるはずもない鈴や鉦の音が聞こえることはありませんか? |
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| 【*1】 相模湖町、津久井町の村々から御嶽へと向かうには、南高尾尾根を越えて浅川に入り、 大山への参詣は雹害除け、雨乞い、雨止めなどの祈願に。 【*2】 近世後期の村絵図では、「さる久保沢」とある。また、同図では阿寺沢に「掘込沢」の名が見られる。 【*3】 「大平山(520m圏)は、多摩郡村誌「上椚田村」の條に、 大平山 高凡そ二百六十丈、西方に位す。 と記載されている。図上位置は、大ダルミから数えて第三峰に与えらるべき名称であるが、ここでは従来の例に慣つて置く。 「大平山」の名は、『多摩川相模川分水山脈』(武田久吉著)の中でも見られる。 ちなみに『八王子事典』(八王子事典の会・かたくら書店・1992年)によると、 【*4】 中央線の与瀬と八王子間は明治34年、甲府までは明治36年に開通し、八王子や上野原への行き来には鉄道が使えるようになった。 【参考文献】 『相模湖町史・民俗編』 相模湖町誌編纂委員会編集 相模原市発行 平成19年 『高尾から小佛峠へ』(尾島知之著・みどりや書店・昭和5年)の中に、「武蔵越え」について書かれている。 |
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