★ むすび山から高川山 / 尾曽後峠(天神峠)

【コース】

大月-むすび山-峯山-尾曽後峠-松葉入分岐-雨乞の池-謎の峠道-中谷入分岐-高川山-尾曽後峠-花咲-大月


尾曽後峠
花咲側の峠道の文政の馬頭観音

以前訪れて、その可愛らしさと雰囲気の良さに
一目惚れしてしまった尾曽後峠を再び訪れることにしました。
前回は南側の峠道を往復しただけでしたが、
その時気になった北側へ下る道を今回は歩くことができました。

北側の花咲集落に下る峠道には、
落ち葉に埋まりかけた文政期の馬頭観音が
木漏れ日を受けて優しい表情で佇んでいました。

荒廃しつつある峠の切り通しの馬頭観音が
物憂げな表情であったのとは対照的でした。

【むすび山〜峯山】


むすび山 登山口

大月の商店街を抜けて市立中央病院の裏手に回りこみ
高川山東尾根の末端に位置する「むすび山」を目指します。

高川山東尾根は最近になって登山コースとして認知されたらしく、
最新版の『山と高原地図』にはコースが明示されています。
また、現地には大月市が設置した案内標識もあり、
「むすび山」の登山口を指示しています。


カタクリが咲いていた

民家の庭先のような所を通り、犬に吠えられると
「熊に注意」の標識がある登山口です。
熊よりもここの犬の方がよっぽど凶暴なような気もします。

数度のジグザグを繰り返し「カタクリ群生地」の看板を見ると
あっけなく山頂に到着します。
「カタクリ群生地」の看板に嘘偽りはなく、
こんな市街地に近い場所なのに盗掘を免れ
可憐な花が風に揺れていました。


むすび山の旧陸軍防空監視所跡

近所の裏山といった感じですがぐるりの眺望は良く、
市街地の向こうに岩殿山、扇山、権現山、
目の前には菊花山。
北側にはゴルフ場が痛々しい花咲山(梅久保山)。
花咲山の東肩には以前訪れた花咲峠も確認できます。
もちろんお約束の富士も顔を見せています。

眺望に優れている山頂だけあって、
ここにはかつて陸軍の防空監視所があったといいます。
山頂には今でも石積み(砲台跡?)が残されています。


高川山から連なる東尾根

「むすび山」のベンチで空襲警報ではなく、
お昼のサイレンが鳴ったので早くもランチタイムです。
お決まりの99円アップルパンと紅茶ですが、
この日ばかりはオムスビにすればよかったと少々後悔です。
「むすび山」はオムスビを持ってやって来るのに
まさに最適な山なのです。

「むすび山」とは、その山容がオムスビに似ているから
名付けられたものなのでしょうか?
それとも、好きな人と訪れると二人は結ばれるという噂も
あるとかないとかの「縁結び」の山だったりして。


地形図の破線 名も無き峠@

はるか西方に格好良い姿を見せている高川山へは
起伏の少ない尾根の道が続いています。

地形図を見ると、
二ヶ所で尾根を越える破線道が確認できます。
これは隠れた峠ではないかとの淡い期待もありましたが、
現地には峠名を標したものはありませんでした。


地形図の破線 名も無き峠A

しかし、地形的にはまさに峠で、
最初の分岐では田野倉側から、次の分岐では花咲側から
明瞭な道が尾根に達していました。

本来、両地域間を行き来するためには、
桂川の流れに沿って尾根を大きく迂回する必要がありますが、
坂路の苦労を厭わず尾根を越えることをすれば
その距離は半減できます。

両地域を名も無き峠たちは結んでいたことでしょう。
地域と地域を結びつける尾根越えの道から、
「むすび山」という名前も生まれたのかもしれないと思うのです。


いゃ〜春だわ

尾根道は快適で、ハイキングに最適。
春の芽吹きはまだだけど花の匂いが漂います。

地形図の破線道はp512、p584を巻いていますが、
実際のコースは忠実に尾根を拾うように付けられています。

「むすび山」からは公的機関の設置した標識はありませんが、
「岩殿クラブ」と書かれた手作りの小さな標識が
コース上の随所に設置され進路を明示してくれています。


三角点 512m峰 オキ山

この手製の標識には、小さな突起も含めて
ピークナンバーが付記されているので参考になることでしょう。

512mの三角点峰には「オキ山」という名前があるようですが、
現地には山名標識は無く、
ポツンと三角点とベンチがあるだけです。
だんだんと高川山も近付いてきました。


マツクイムシにやられた木々と九鬼山

眼下をガタンゴトンと走る富士急行線の列車は
まるで鉄道模型のように田園地帯を走り抜けていきます。

マツクイムシとショクリンタオシムシ(人間)の被害にあって
馬立山、九鬼山の展望が一段と開けます。
展望がよくなると同時にp584に向けての登りが始まります。


p584から振り返る

伐採跡の裸地は乾燥化が進み、
テニスシューズでは滑ってなかなか前に進めません。

斜面を這いずったり、植林の幼木に助けられたりして
急な傾斜を登り詰めます。

辿り着いたピークにはなぜか三角点のようなものが・・・
よく見ると「日本道路公団」の標石のようです。
丁度この真下を中央高速の花咲トンネルが
尾根を貫通しているようです。
ここは岩殿クラブの標識によると「P6」とあります。
「むすび山」から数えて六つ目のピークになるようです。


「峯山」の標識があった

p584には「峯山」の名前があるようです。
現地には手製の標識があり、
名前は『甲斐国誌』によるものとありました。

ますます高川山の巨体が近付いてきました。
ここからはキツイ登りが待ち構えているようです。
でも、その前に尾曽後峠に再会です。


峯山から高川山を望む

しかし、その尾曽後峠の様子がちょっと変です。
以前訪れた時よりも、かなり明るくなっています。

単に季節の違いによるものでは無さそうです。
どうやらマツクイムシの被害が拡大しているようで、
峠周辺の老木はことごとく切り倒されてしまったようです。

【尾曽後峠 (オソゴ峠・天神峠)】


お内裏様 (風神様)


尾曽後峠


マツクイムシ被害調査の看板

峠周辺の老木が切り倒され明るくなったせいで峠でも乾燥化が進んでいます。
斜面の土はボロボロと崩れやすくなっています。
切り通しの東側の壁には二基の馬頭観音がはめ込まれていますがいつ崩落してもおかしくない状況です。
西北に位置する天明期の馬頭観音はかつてはほの暗い中にあったのに今は白日の下にさらされています。

峠にはマツクイムシ被害調査の看板がありましたが、
その対策は被害にあった木々を切り倒す以外に無いようです。
切り通しの凹地は倒木に埋まり、足の踏み場も無い状態です。
お気に入りの峠が危機に瀕しています。 このままでは数年後には荒れ果てた峠になってしまうことでしょう。
これでは鎌倉街道であったという由緒ある峠路も台無しです。

 


西北の天明の馬頭観音


峠の凹は倒木で埋まる


東壁の馬頭観音


天神様

切り通しの東方の高処には「お内裏様(風神様)」が、西方の高処には「天神様」が祀られています。
その姿は以前と変わりはありませんが、何時、マツクイムシに傷め付けられた立木が倒れてきて
それらの社(やしろ)を直撃し押し潰すかわかりません。

お内裏様は風の神として崇められ、大風のときにはお茶を供えて静まるように祈ったといいます。
また、旧暦の8月1日には小豆飯を握った「おみょうく」を持ってお参りをしたといいます。
しかし、今ではその様な習慣も途絶えてしまったようです。 【*1】

天神様は菅原道真を祀る学問の神様で、正月の25日馬のある家では裸馬の尻尾に絵馬を結びつけて、
馬に乗って参詣し、帰りに万霊寺からその下の四つ角まで何回も駆け抜けたといいます。
小学生は24日集落毎に10人位から多いところでは20人位の仲間をつくり、米と銭とを持ち寄り、
適当な家を宿として午後から集まって夕飯や夜食を作ってもらい、カルタや腕相撲など色々の遊びや
話をして楽しみ、そこに泊まって25日の朝まだ暗い内にそれぞれ五色の紙に「天満天神宮」などと書いて
竹竿に付けたものを持って峠の天神社に参詣したといいます。
このような行事も昭和35年頃まではあったそうですが今では途絶えてしまったようです。 【*1】
(天神様はのちに学問の神様となりますが、古くは境の守護神として祀られたものです)

峠に祀られた神々への信仰が薄れ、
人の訪れることのなくなった峠は寂びれ荒廃してゆく運命なのでしょうか?
なんだか悲しいことです。
峠を滅ぼしてゆくのは決してマツクイムシのせいばかりではないようです。
峠の利用が減るとともに、峠への愛着、峠の神々への信仰が薄まることも峠の荒廃に
拍車をかけているように思えてなりません。

峠の北側の真木、花咲は江戸時代から織物が盛んでありました。
大正期までは、その市(いち)は谷村でしか開かれていなかったので、
皆この峠道を通って織物を出荷し、日用品を買い求めては再びこの峠道を帰ったといいます。

古老の話でも、
「真木の織物の仲買人は徒歩で尾曽後峠を越え小形山に出て、谷村まで織物を背負って行った。
帰りは峠を夜帰るときが多く、警察の許可を取りピストルを所持していた。」 とあります。【*2】

また、小形山からは真木の奥の野脇の奥まで馬を引いて、薪、萩等の林産物を取りに行ったので
峠は人馬の往来が絶えなかったといいます。
真木の山に入会権を持つ小形山地域の農民たちにとって、
草刈りや薪切りには欠かせない峠道だったのです。 
【*1】【*2】

地域と地域を結び、生業や通婚などさまざまな面で利用されてきた峠道も
時代の変遷とともに、人々の生活が変わるとともに、忘れられ打ち捨てられてゆくのでしょうか。

【雨乞の池を探して高川山へ】


松葉入分岐 峠状になっている

峠を花咲側に下る前に高川山の山頂を目指します。
今回の目的は尾曽後峠であって、山頂は目的外なのですが、
高川山の住人(住犬)であるワンちゃん(ビッキー)は
元気かと思って訪ねてみます。

峠からしばらくは倒木でやや荒れ気味の尾根を進みます。
次第に落ち着きを取り戻した尾根道は徐々に高度を上げていきます。

尾根に左手から道が合流する場所が松葉入分岐で、
小さな小さな切り通しで峠状になっています。
ここを南に下ると田野倉駅に出るようです。


松葉入分岐の馬頭観音

南側に大岩があるので近付いてみると、
馬頭観音が数体祀られていました。
きっとこの道も昔は高川山の山腹に薪炭を求めた村人達の
馬が通ったのでしょう。

松葉入分岐からわずかばかり進むと
「雨乞の池」への分岐があります。

気になったので進んでみると、
滑り落ちている箇所もあるのですが、
割と良い道が北面を巻いてほぼ水平に続いています。
道は朴の落ち葉に埋まっていて
あまり歩かれている様子ではありません。


「雨乞の池」分岐

最後は沢筋に道が消えているのですが、
沢に降りる斜面が霜柱の融けたヌルヌル斜面で
降りることができませんでした。
この沢に雨乞淵でもあったのでしょうか?

文献によると、雨乞い池は渇れてしまったとあります。
以前は池の傍らに「お諏訪さま」が祀られ、何日も日照りが続くと
麓の農民たちはこの池に登ってきて、「雨降らせたんまれや」と
池の水を掻き回したそうです。
霊験あらたかで、村に帰ってくる頃には決まって大雨が降って
村人を喜ばせたといいます。 【*3】


中谷入分岐

沢筋に消えてしまった道跡から少し戻ると、
主稜線に向かってジグザグ道が確認できたのでそれを拾います。

この道が意外にも立派な道で、後半は馬でも歩けそうな
しっかりした凹道となり、まるで峠道のような
大きなジグザグを切って尾根に到達していました。
出た場所はp854の西方の尾根上です。

高川山周辺には地図には載っていない
昔は利用されたとみられる多くの道が残っているようです。


高川山

一般道に復帰して進むと中谷入分岐で
禾生駅に下る道が左手に分かれています。

この後はちょっとした岩稜帯を通過して、
ニセピークに騙されたりしながら進むと光に満ちた山頂です。

【山頂展望】

滝子山〜雁ヶ腹摺山のパノラマ

 

今倉山〜御正体山のパノラマ

 


雪を纏った富士

山頂には大きなカメラと三脚を持った男性が一人だけ。
高川山の住犬であるビッキーの姿はありませんでした。
エサを探し求めてどこかに出張しているようです。

高川山は展望に優れる山で、
それを求めて多くの登山者が訪れますが、
ビッキー会いたさに訪れる人も多くいるといいます。

いまや高川山の人気を独占しているビッキーは
最近ではメディアに登場する機会も多く、
フジテレビの朝の番組、目覚しテレビ「きょうのワンこ」の
コーナーに登場したり、
山梨日日新聞や山と渓谷、新ハイキング等の
地元新聞や山雑誌の記事にも扱われています。


以前訪れた時のビッキーの勇姿

ネット検索で「高川山,ビッキー」で検索すると
多くのHPでも取り上げられている人気者です。

ビッキーが留守で再会できないのは残念です。
ビッキーも登山者の多い時間帯や曜日を
心得ているのかもしれません。

ビッキーのお土産にと持ってきた煎餅を食べて
山頂を後にし、再び尾曽後峠に戻ります。

【尾曽後峠から花咲へ】


馬頭観音佇む峠道

峠から北側に下る道は、
古い地図には真木への道と、花咲への道と二筋が描かれています。
現行の地形図には花咲への道のみが描かれています。

現行の地形図通りに花咲へ向かいます。
植林地内の数度の緩やかなジグザクを繰り返し沢筋に出ると、
落ち葉に埋もれかけた文政時代の馬頭観音が
木漏れ日を受けて佇んでいるのを目にしました。

峠道は馬も通うことができるよく設計された道です。
緩やかな勾配、水を得ることのできる沢沿いの道など
行き来する人馬にとって心配りされた無理のない造りで出来ています。


文政の馬頭観音

この峠を越えて来た行商人の思い出について
真木在住の古老の話がありますので以下に引用します。

「谷村、四日市場から醤油、食油等を一合、二合と売りに来る人がいた。
今思うと信じられないような商売でした。
菓子や饅頭等の菓子箱を十箱位積んだのを背負い小売屋の店に
卸に来る人も一日おきくらいにいた。
菓子箱を十箱も積み上げると、大人の背丈近くの高さになります。
大変な重労働だったと思います。
峠の入口で野良仕事をしている人たちは菓子の卸屋が
来るのを待ってよく買って食べていました。」 【*2】

今は歩く人も無く、落ち葉に埋もれゆく峠道を
かつては重い荷を背負った行商人が越えていたと思うと
感慨深いものがあります。


岩を砕いたような道

同じく古老の話によると、
峠の頂上に昭和30年頃までは「オソゴ峠の三本松」と言われた
老松が生えており、その向こうに空と九鬼山が望まれ、
一幅の墨絵を見るような感じであったといいます。 【*2】
マツクイムシが猛威を振るう今では想像し難いことではありますが。

また、春から夏にかけての長雨の時期に、この峠の空が
晴れることがあるが、この晴れ間は「オソゴ峠の泣き晴れ」と
呼ばれ、当てにならないものとされ、いつの昔からか村人達の
言い伝えになっていたといいます。 【*2】

「オソゴ峠の三本松」、「オソゴ峠の泣き晴れ」など、
人々の生活の中に、人々の気持の中に、峠の存在があり、
峠との密接な関係が昔はあったのでしょう。


花咲側出口

小沢に沿った峠道を出ると、
中央高速花咲トンネルの出口の真上に飛び出します。
時代の流れに遅れまいとするかのごとく
自動車や大型トラックが高速道を爆走しています。

時の止まったような峠道から出てきただけに、
このスピード感覚のギャップには戸惑いますが、
今の世に生きるものは今の時代の流速に従わなければ
その濁流にのみこまれ溺れてしまうことでしょう。

落ち葉を掻き集めている農夫に挨拶をして、水田脇を歩き、
中央線を小さな橋で渡ると、国道20号線の花咲信号の交差点です。
ここから大月までは歩いて20分程です。
バスの便もありましたが、トラックの排ガスにまみれながら
ゆっくりと歩いて大月に戻りました。

【参考文献】

【*1】 『ふるさと小形山』 井上敏雄 ぎょうせい
【*2】 『ふるさと真木』 真木老人クラブ連合会・真木公民館発行 金森辰政編集 昭和58
【*3】 『新ハイキング521号』 「近ガ坂から高川山 -暮らしの山を歩く-」 杉崎満寿雄
『甲斐路・ふるさとの道』 山梨日日新聞社

● 以前、尾曽後峠を訪れた時のレポートを見る