七国峠

甲斐・駿河・伊豆・安房・上総・武蔵・相模の七国が望めたというだけあって展望は良い。
ただし周辺のゴルフ場を気にしなければの話だが。

本来の峠は平塚富士見ゴルフ場のクラブハウス付近だったという。

かつて峠には七国の供養松という巨木があった。
土屋三郎宗遠が石橋山で戦死した子、弥次郎忠光と徒卒たちのために
手植えしたものと伝えられる。
今、整備された四阿の横には若い松が植えられている。

小田原北条の文書に「土屋之丙七次」と書かれたものもあり、
「ななくに」は「ななつぎ」と言われたこともあったらしい。

「なな」は魚の複数称であると説く人もある。
海の幸を山村地帯に運ぶ荷継ぎ場の地と解するわけである。

明治初期まで通行も多く、矢沢村の石黒長兵衛が茶屋を開いて
甘酒を提供し、旅人の疲れを癒していたという。
明治17年大磯の豪商宮代屋に暴漢が闖入して主人と手代を斬り殺す
事件があったが、犯人達の謀議の場が、この長兵衛茶屋であったという。

現在設置されている四阿に長兵衛茶屋の看板が付けられているが、
どうみてもこの四阿はゴルフコース上の休憩所とみまがうものである。

【参考文献】   『新平塚風土記稿』 平塚教育委員会