獅子舞の越えた峠 / 名坂峠(大丹波峠)

《おまけ》 吹上峠、正木沢峠、指倉峠

 年の瀬、体が死んでいる、魂が抜けている。
部屋の大掃除をすっぽかし、心の大掃除へ。
ちり積もったホコリをはたきで払うように、体内に溜まったストレスを峠を渡る風が吹き払ってくれる。

そう、こういう気分のときは、峻険な山を攀じるよりも、道無きヤブ尾根に挑むよりも、
里から里への峠越えが向いている。


八桑集落峠道入口の道しるべ
「右ハ、ちちぶ 左ハ、やまみち」


前半は沢に沿った植林地
こんな山道でも立派な都道

青梅駅のホームにあるレトロな立ち食いそば屋で唐辛子をふりかけたかけそばを食べて体はポカポカ。
電車を乗り継ぎ川井駅には正午に降り立った。 
こんな時間帯に当然バス便はなく、峠道の登り口である八桑までとぼとぼとひた歩く。
しまい忘れられた風鈴がチリリンと師走の風に揺れている。
空は快晴、大丹波川沿いの集落には雪の欠片はひとつもない。
今年の冬は暖冬なのか、重ね着姿の身は山道に入る前から汗ばんでいる。
師走なのに妙に暖かいのは唐辛子のせいばかりではないようだ。

其処彼処の民家にクリスマスの電飾イルミネーションが取り付けられている。
人影少ない山峡の集落に場違いな気もするが、目映い光の電飾は、夜な夜な山の上から、
クマの親子やイノシシのカップルたちの目を楽しませているのかもしれない。
「右ハ、ちちぶ」の古い石造りの道標に従い名坂峠へ向かう道に入る。


沢を渡り明るい植林地のジグザグで小尾根に乗る


支尾根から人面岩(?)を巻いて峠へ

名坂峠(大丹波峠)は青梅市上成木極指と奥多摩町大丹波集落を結ぶ峠で、標高700メートルを越える。
高水三山の一つ、岩茸石山の北側の鞍部に位置している。
峠は奥武蔵から甲州への通路として「名坂越え甲州道」と呼ばれ、
また、秩父と鎌倉を結ぶ鎌倉古道の脇往還のひとつとしても考えられている。

長らく荒れた状態が続いていたようだが、最新の青梅市発行のハイキングマップによると
極指側はコースタイム付きで赤線で表記される道となっている。
平成16年10月に森林組合によってコース整備が施されたようである。
徒歩でなければ越えられない山道の越路ではあるが、この峠道は「一般都道・上成木川井線202号」として、
市ではなく都が認定している歴とした「都道」なのである。

わさび田跡の古い石積みが残る小さな沢(名坂沢?)に沿って峠道は続く。 【*1】
植林に囲まれ薄暗くはあるが、不気味な感じまではなく、人の生活の匂いが染み付いた道である。
小さな沢の源頭部のか細い流れを横切ると、日の当たる明るい植林地のジグザグ道となる。
手入れの行き届いた植林地をみると、頻繁に山仕事をする人の通行があることが窺がえる。
ジグザグを登りつめた所が峠ではない、そこは岩茸石山から西へ張り出した支尾根の一角である。
「山火事注意」の看板を横目に、いましばらく支尾根上を進むと、人面のように見える大岩が出現し、
そこから道は左手山腹をトラバースしてゆく。

ここからの短区間だけがやや荒れ気味ではあるが、牛馬の通行でない限り人の足なら何の支障もない。
途中、唯一展望の開ける場所があり、川苔山の大きな山容を望むことができる。
峠直下の斜面の岩間からは水が染み出しており、口に含むと甘い味がする。
この峠道は最初から最後まで水に困ることはない。
峠越えを余儀なくされた古の旅人にとっては優しい峠道なのである。


名坂峠(大丹波峠)


名坂峠(大丹波峠)

峠には強烈な寒風が奥多摩側から成木側へと吹き抜けていた。
デジカメのシャッターを押すことも強風による手ぶれでままならない。
暖冬といっても山の風は冷たい、登りでかいた汗が一気に冷却される。
この一年の体に溜まったストレスを吹き払うには充分な風かもしれない。
しばらくの間、寒さに耐え、風に身をさらしていた。

以前訪れたときには無かった「升が滝、上成木バス停」と書かれた指導標識が設置されている。
立派な標識ではあるが、「バス停まで45分」「そば屋あり」などの筆がハイカーによって加えられている。
バスの時刻表まで落書き(?)されている。
親切といえば親切だが、余計なお世話だといえばそうでもある。

成木側へ一歩踏み出しただけで強風は収まった、峠はまさに風の通り道となっていたのだ。
道普請された植林地のジグザグ道を下ると、伏流から水の流れが顔を出した沢沿いの道となる。
大丹波側の峠道だけではなく、成木側の峠道も水に事欠くことがない。
峠の西側直下に染み出すか、それとも東側に染み出すかによって、その水の一生は大きく異なる。
西側に染み出した最初の一滴は谷を下り大丹波川から多摩川へと、奥多摩の水の集合体となる。
東側へ流れ出した水の一滴は成木川、入間川を経て荒川へと、こちらも大河の構成員となる。
行き着く東京湾は同じでも、峠を境にして水は異なる旅を始める。


新しく設置された標識


本峠道の核心部

道普請の行き届いた峠道の状況は極めて良好。
古い地誌にある「険路なり」(武蔵名勝図会)、「登路は極めて険にして牛馬通せず」(皇国地誌)という
記述から、「名坂」は「難坂」の転化ではないかと思っていたが、険路を思わせる姿は今に無い。
ファミリーでも楽しめる快適な散策コースに変身している。

樋の渡された水場を過ぎ、二つの小沢が合流する箇所はこの峠道の核心部ともいえる。
段々になったわさび田跡の石積みが残り、清らかな水が流れ落ちている。
沢に沿った峠道には落ち葉が積もり、この場所だけは無愛想な植林からは免除されている。

「山火事を防ごう!上成木川井線」と書かれた防災ポイントb示す看板が設置されている。
山火事は防がねばならないが、都道整備と称して林道の延長工事や尾根を貫通するトンネル工事計画
などが持ち上がらないことを願うばかりである。


落ち葉の積もった沢沿いの道


ファミリーでも楽しめるコースに変身した

名坂越えの道は、尾根を挟んだ両集落の里人にとっては欠くことのできない交流の道であった。
物資の輸送だけではなく、文化が峠を越えて行ったという。
江戸時代の中期、両集落の若衆たちは峠をお互い往き来して、上成木集落の若者に
大丹波集落に古くから伝わる獅子舞が伝授されたという。
上成木に伝えられた獅子舞は、その後、上成木集落の北の玄関口である小沢峠を越えて
埼玉県名栗村へと伝播されていった。

名坂峠は奥多摩からは名栗谷や上州方面への近路であり、特に子ノ権現への参詣道としても歩かれた。
また、逆方向の赤根ヶ峠や小沢峠を越えて来る人たちの流れは甲州方面を目指していたのはもちろん、
日原・一石山(鍾乳洞)への道者道としての役割も担っていた。
峠は塩や魚、米や薪炭が越えるばかりではなく、芸能や信仰も自然の障壁を乗り越えてゆく。

今でこそ峠道は奇麗に整備されているが、
沢沿いに付けられた道は大雨で谷筋が崩れるという危険性を常に孕んでいたに違いない。
それは今も同じこと、見捨てられ、歩かれなくなると道はすぐに荒れてゆく。
適度な人の手入れがあってこその峠道である。


切石(↑)、籠岩(カーゴ岩)、升が滝など見所が多い


極指側の峠道入口

峠道に沿って見所も豊富である。
畠山重忠にまつわる「切石」、「籠岩」などの巨岩が道端に転がっているし、
「升が滝」は一見の価値がある迫力をもった滝である。
そのほか付近には「障子が滝」、「湯場鉱泉」などの見所もある。 【*2】

水道取水施設が現れると峠道も終焉を迎え極指の集落となる。
大丹波側の集落は日の光に満ち溢れ、かつ、派手なクリスマスイルミネーションが飾られていたのに対し、
極指の集落は落ち着いた佇まいである。
山が迫り、空は狭いが決して陰鬱ではなく、しっとりとした山村風景がそこにはある。
古い石積み、庭の蔵、路傍の磨耗した石仏、箱庭に収められたような素敵な集落である。


極指集落 路傍の石仏

とりわけ成木川(極指沢)の流れが美しい。
水そのものが清らかなのはもちろん、苔の具合といい、水草の具合といい、岩や滝の配置といい、
庭師が拵えたかのような調和のとれた美が存在している。
護岸がコンクリートによって固められていない川の流れがこんなにも美しいとは。
もしも山に降った雨ならば、峠の東側に流れ落ち、成木川の流れとなりたいものだ。

【*1】 『青梅市史・付図』では大丹波側の沢を「名坂沢」としているが、
    『奥多摩』(宮内敏雄著)では「常雲寺沢」となっており、成木側の沢名を「名坂沢」としている。

【*2】 「切石」、「籠岩」の伝説については、HP『常盤むかし話』に詳しい。
    「障子ヶ滝」、「鉱泉」の探索については、『新ハイキング562号』(2002.8)の「升ヶ滝と障子ヶ滝」(宇山清太郎著)に詳しい。

【名坂峠の参考になる文献・HP】

『青梅市広報 第501号 昭和58年5月2日』 「市内の峠E 名坂峠」
『青梅市史』 「近世の産業交通 名坂越え甲州道」 青梅市教育委員会
『奥多摩歴史物語』 「道と信仰を中心として 秩父--鎌倉古道」 安藤精一 百水社
HP『常盤むかし話』 青梅市七丁目自治会常盤むかし話懇談会
HP『高水山古式獅子舞』 「山や峠を越えての伝承」
HP『青梅市観光協会』 「観光モデルコースを歩く 升が滝ハイキングコースを歩く」

『青梅市史』では名坂峠は「青梅市にある峠道としてはもっとも高く、もっとも険路である」としているが、
『青梅を歩く』では馬仏峠を「市内では最高高度の峠」としている。
どっちが青梅市で一番高い所にある峠なのかはっきりしてくれ・・・

『日本山岳案内』(鉄道省)には名坂峠は「泣峠とも言われて峠路が如何に峻路であるかが判る」とある。


【おまけ】

『青梅市史・付図』に名のある峠 / 吹上峠・正木沢峠・指倉峠

名坂峠越えを終えてから、以前訪れたことのある吹上峠と正木沢峠、それに未見の指倉峠へと向かいました。
標高も低く、近所の裏山といった感じは拭えず訪れる人も稀な峠たちです。
これらの峠は成木四丁目、三丁目と黒沢一丁目との間の丘陵地帯に位置しています。
知名度を上げるために、それぞれの峠に手製のカマボコ板標識を取り付けてきました。(これぞ余計なお世話か)

尚、画像が暗いのは極指から成木川沿いの舗装道路を歩いている間に
両足の豆が潰れ歩行困難に陥り、夕暮れが差し迫ったためです。
実際の峠の印象もちょっと暗いのですが、日が高いうちに行けばなんら不気味な場所ではありません。


うす暗い切通し 吹上峠


カマボコ板の標識を取り付ける

ホームセンターで購入した低価格のNEWシューズのせいで、両足に靴擦れ、豆が発生。
適当なバス便に恵まれず成木川沿いのダンプ街道の固いアスファルト道を歩いたために豆は潰れた。
普通、潰れれば楽にはなるが、まだ複数の豆が潰れずに残存している。
旧吹上トンネルに辿り着いたときには、壊れたターミネーターのようなぎこちない歩行であった。
明かりの灯されている通行止の旧トンネルを、心霊スポットであるという恐怖にビビリながらも通過する。
通り抜け出ると、現トンネルの脇に出てしまった。

現トンネル横にある階段を登って小沢を渡り、道無き植林地の急斜面を痛い足でふんばりながら登る。
小尾根上に出ると踏み跡があり、それを拾って三方山から流れてくる主尾根に合流する。
所々にマーキングのある尾根道を進むと、吹上峠の明瞭な凹状の切通し道が前方を横切る。
平成、昭和、明治のトンネルの上に旧峠はひっそりと残っているのだ。
かつて石灰が運ばれたという道も、今は訪れる人は無く、鳥獣保護区の看板があるだけ。
カマボコ板の手製標識を取り付ける。

『青梅を歩く・青梅文化財地図』(青梅市文化財保護指導会編・市教育委員会発行)によると、
「標高281メートル。黒沢と北小曾木坂下を結ぶ峠。江戸時代には成木石灰はこの峠を越えて搬出された。
この峠は文政11年(1828)に北小曾木名主、野崎嘉右エ門が切り開いた」とのこと。
現在、峠の交通は途絶えたが、峠下の平成トンネルはダンプ街道と化している。


正木沢峠


青梅市基準点のある小ピーク

吹上峠から尾根を伝って正木沢峠へ向かう。
踏み跡やマーキングがあるので迷うことはないが、地形が細かいので峠の位置を同定するのは厄介だ。
また、『青梅市史』をどこまで信用するかという問題もある。
とりあえずそれらしき場所に手製カマボコ板標識を取り付ける。
以前、黒沢側に下ったことがあるがあまり良い道ではなかった。

さらに尾根を進むと、青梅市の基準点が埋設された小ピークとなる。
立木にテープが巻かれていたが山名は記されてはいなかった。


小さな凹道が尾根を越える 指倉峠


カマボコ板の標識を取り付ける

ヤバイ、日が暮れるぞ!と焦りながら、さらに西へ指倉峠へ向かいます。
指倉峠は『青梅を歩く・青梅文化財地図』に名前が載っている極めてマイナーな峠。
p314の先の鞍部で、北沢の詰めである。

地形図に記載のある黒沢一丁目からp314に至る破線道を見送って、鞍部に向かうと、
尾根を横切る凹とした明瞭な峠道が確認できた。 予想外のはっきりとした峠道である。
あまり期待はしていなかっただけに、嬉しい裏切りである。
ここが指倉峠に違いないだろうと手製カマボコ板標識を取り付けた。

北に下る道も、南に下る道も明瞭だ。
ここは急いで南側へと下ると、山腹沿いの立派な道だ。 そしてジグザグで下降を始める。
途中、ニ、三の道を合わせ沢に沿った道を進むと廃屋二軒を過ぎて黒沢の集落に至る。
予想していた通り、「B酒店」の脇の道に出た。
目前のバス停時刻表は貧弱の極み、黒沢二丁目まで痛い足を引きずりながら歩きバス便にありついた。

本年最後の峠行は、指倉峠という極めてマイナーな峠になってしまった。
名坂峠だけで止めておけゃ良かったかと足裏の豆をひとつひとつ針で潰しながら思うのであった。
そして、この峠越えの数日後、年を越す。
今度は足裏の豆ではなく、御節料理の黒豆をつついている。
なんか変な感じだ。

川井駅12:00--八桑12:15--名坂峠13:15--上成木14:00--吹上トンネル15:00--黒沢B酒店17:00         (峠行2006.12.27)