辿り着けなかった峠 / ネツ沢峠?

 以前から気になっていた道がありました、「峠」ではないかと・・・・

1/25000地形図「大室山」に、月夜野と野原との集落間を結ぶ山道が破線で描かれています。
沢沿いに進み入り、鞍部を越えているようにみえます。
地図から察するにその鞍部は峠状をなしているようです。

国道413号線(道志みち)を行くよりも、この山越えの道は距離が短いのではないでしょうか。
もしかしたら「旧道志みち」だったりして?
自分の足を移動手段とした昔の人にとって最短距離を行くのは理に叶っているはず。

ちょっと昔の『山と高原地図』や道志村の観光パンフレットの地図にも破線で道が描かれていますので、
実際に現地に行って確認してみることにしました。


国土地理院 1/25000地形図 「大室山」より

『丹澤記』(吉田喜久治著)を見ていたら、とある紀行文の行程に「ネツ沢峠」とあり、その一文に、

  「ネツ沢の峠越え(野原〜月夜野) トラック道からふみこむと昔ながらの相。ホッとする。
  ふむ足もさわやかだ。地味で素朴で土地の者しか知らない路。
  こんな峠路を歩くのは旅人冥利というべきか」

と記されていました。

はたしてこの鞍部は「ネツ沢峠」という名前なのでしょうか?
ちなみに野原側の沢は二ノ沢(上ノ沢とも?)といい、月夜野側の沢はサイノカミ沢(宮ノ沢とも?)といいます。
じゃあ「ネツ沢」ってどこのことだろう? 【*1】

 ◆ちなみにサイノカミ沢の口には「道祖神」と刻まれた石柱が祀られています。峠に道祖神なんかあったら素敵だろうに。


旧道志みち・月夜野番所跡近くの味のある石仏

最初に、野原側から探索してみましたが、林道野原線が出来ており、地図とは様相を異にしていました。
この林道野原線は、林道久保秋山線と接続している道であり、かの巖道峠につながっています。

それらしき沢沿いの道に分け入ってみましたが、踏み跡は極めて薄い状況です。
水量も細く荒れた沢をかなり上部まで進みましたが、なんだか自信がなくなって引き返してしまいました。
それもこれも、落ちていた散弾の薬莢が気になったからでもあります。
どうやら今では猟師しか辿ることがない道のようです。

反対側の月夜野側に移動して再トライをしてみました。
こちらは、いかにも峠道といった感じの良い道が伸びています。
沢を左手にして、ほぼ平坦な道を進むのですが、取水堰堤付近で道は消滅。
堰堤以後は涸れた沢を進みましたが、倒木や崩壊が著しい状態です。
小さな滑滝の出現で行き詰まってしまい、結局引き返すことにしました。
スニーカーとジーパン姿でなかったら、先へ進んで峠探検気分を続行したけれど、
今回は諦めることにしました。

峠には辿り着けず、峠の存在を確認することが出来ませんでしたが、
月夜野番所跡の近くで、味のある素敵な石仏とめぐり合うことができました。
猿の浮き彫りがあるのでの庚申様でしょうか? 六地蔵らしきものもありました。

また機会があったら装備を整え峠探しに訪れようと思います。
そのときは石の仏様への供え物を忘れずに持って。

【*1】

後日、『道志七里』(伊藤堅吉著)を見ましたら、月夜野側の宮ノ沢が分岐している沢にネツ沢の名がありました。
また、野原側にも野原ネツ沢があるようです。「ネツ沢」は漢字では「子ッ沢」と書くようです。
『道志七里』は道志の地誌・文化・民俗を集録したもので、道坂峠・山伏峠・本坂峠・城ヶ尾峠に関する記述もあります。

『道志の民俗』に収録されている「道志村伝説集」(大正13年・山口俶徳文書)には月夜野と野原を結ぶ道について記されていました。
「月夜野より字野原に通ずる間道に熱沢と称する処あり、往昔武田機山公、相模の北条氏と戦う時、機山公、道険なるが故に、
馬より下りて自ら牽き歩きたる処なりと云う、今尚信玄公の馬の蹄石と称するもの現存せり・・・・」