初詣ついでの峠

〜 伝説の峠と柵沿いの山道を歩く 〜

梅野木峠・三ッ沢峠・肝要峠・梅ヶ谷峠・馬引沢峠・旧二ッ塚峠(蒟蒻峠)
・二ッ塚峠(旧京塚峠)・古満地峠・旧満地峠

 新年を迎え初詣をダシにして家人の目を誤魔化し峠巡りに出かけた。
御岳神社から日ノ出山を経由して長大に東にのびる丘陵の峠を拾って歩くのだ。

御岳神社に行くなら御岳駅で降りればいいものを無人駅の川井駅で下車する。
そこからひたすら歩いて、参道の急勾配に喘ぎ喘ぎすれば、初詣客で賑わう神域に辿り着く。
ケーブルカーに乗り、ラクして登っては、神様と対面した時の威厳も半減するというもの。

パチンコ屋さんの前で拾ったスロットのコインを賽銭箱に投げ入れて、あれもこれもと願を掛ける。
本当に効果があるのかと疑いたくなる印刷された「御札」を買い求めて、
わずか境内滞在時間3分で初詣は終了した。

「御札」の原価計算や宗教法人の税優遇措置を考えつつ、
ボロイ商売だなと不謹慎なことを思って神聖なる神域を後にした。
こんな信心の無さだから願い事が叶ってフィーバーすることもないだろう。

日ノ出山もハイカーに溢れ、お弁当を広げる家族やグループで賑やかだ。
MTBコースとして有名な金毘羅尾根から上がってきたらしいMTBの姿もある。
「日ノ出山」とは正月から縁起の良い山に来たが、「日ノ出山」の呼称は御嶽山側からの呼び名で、
五日市側では「黒雲山」と称していたという。

クリームパン1個とスナックの小袋という侘しい食事を済ませ、
これから初詣ついでの丘陵の峠巡りに向かう。
初詣ついでの峠行ではなく、峠行ついでの初詣といった方が正鵠を得ているのかもしれない。


梅野木峠

日ノ出山から三室山に至る山道は植林地の中の平坦な道で、
これまたMTBで快走すると気持ち良さそうだ。

その道を日の出町大久野三ッ沢と青梅市柚木方面を結ぶ林道が
交差している所が梅野木峠だ。
柚木へ下る道はゲートで封鎖されていたが、
峠付近には日ノ出山登山者のものと思しき車が
数台停められている。

林道の一段高いところに
梅野木峠の命名者である東京都知事の名が刻まれた碑がある。
庶民の目線とは違い上段より見下ろし、
峠を行き交う人々を睥睨しているかのようだ。


三ッ沢峠

三ッ沢峠は『青梅市史』の中に名前のあった峠で、
三室山手前の分岐と思われる。
別段、峠らしい情緒も無いのだが
ベンチもあるので腰を下ろすには良い。

三ッ沢と愛宕尾根を経由して柚木を結んでいたものと思われる。
南側三ッ沢へ下る道ははっきりしないが、
柚木への道はハイキングコースとして生きている。


通矢尾根の標識

これよりメインのハイキングルートを外れて、
「通矢尾根」と呼ばれる平将門伝説が残る尾根道に入り、
肝要峠を目指す。

通矢尾根入口には標識もあり見落すことはない。
尾根には1箇所、左写真の「梅ヶ谷峠・馬引沢峠へ」という
標識があるのみで、他にはまったくもって標識は無い。

しかし、道は明瞭で快適な下り勾配、時に急勾配。
あまり歩かれてはいないようだが暗くも無く、いざとなったら
進行方向右手には林道も見え隠れしている。


肝要峠 (神入峠・肝要間坂)

「肝要」は古くは「神入」とも呼ばれ御嶽山の遥拝所があったという。
林道に下りる尾根の末端の高みに古い石積みがあったが、
はたして遥拝所の跡だろうか。

肝要峠は肝要と梅郷の集落を結ぶ。
肝要への道は左写真のように標識もあったが
梅郷の下り口は不明であった。

少し離れたところに階段状の下り口があったので、
そこが梅郷への道だったのかもしれない。


梅ヶ谷峠 (梅方峠)

肝要峠から尾根を外れてしばしの林道歩き。
NPO法人ファミリー乗馬クラブの分岐を左に折れて梅ヶ谷峠へ。

林道出口の資材置場横に石仏が寄り集まっており、
そこから交通量のあるアスファルト道を登りつめた高点が
日の出町と青梅を結ぶ基幹線の梅ヶ谷峠だ。

北条氏照軍の辛垣城攻撃にはこの道が利用されたというが
今はダンプ軍団が行軍している。
峠は交通量も多く、投棄されたゴミも多い。
杉林のいたる所にゴミが投げ捨てられている。

梅ヶ谷峠はもとは「梅方峠」で、
南方から北の梅郷へ越える峠の意味である。
こんな風流な名前もいつか消え、
単に「ゴミ峠」と呼ばれる日も近いかもしれない。


廃棄物処分場のフェンスに視界を
遮られた安永三年の馬頭観音

石仏に対面する杉林の急斜面につけられた踏み跡を這い上がれば、
馬引沢峠へと続く尾根道に合流する。

しばらく行くと「和田橋・梅の公園分岐」で標柱が建っていて、
「馬引沢峠2.4km・天狗岩1.5km」「梅ヶ谷方面(行き止り)」とある。
そうか、今這い上がってきた道は行き止りの道だったのか・・・

ススキの原を横目に要害山を過ぎれば、
コース上の名所である「天狗岩」と「赤ぼっこ」だが、
期待していた「天狗岩」からの眺望は
ガイドブックが絶賛するほどでもなく、
「赤ぼっこ」にもこれまた拍子抜けしてしまった。
「赤ぼっこ」って、ただの赤土のことだったのですね。
それも、ちっともボッコボッコしていない・・・


あの有名な日ノ出町廃棄物処分場

そうこうしているうちに、
あの有名な日ノ出町廃棄物処分場のフェンスが現れる。 
中を見せたくないのかフェンスにはネットが張られ目隠しされている。
何かやましい事でもあるのだろうかと疑いたくもなる。

処分場のフェンス脇に視界を遮られた馬頭観音が一基佇む。
その表情は、周辺の変貌に驚いているようにも、
また怒っているようにもみえる。

「山の中に廃棄物、人の心に廃貴仏」といったところか。
「ダイオキシン憤怒観音」なんて呼ばれる日が来ないことを祈る。


廃棄物処分場に飲み込まれた
馬引沢峠

鎌倉街道の本道の峠越えであったといわれる馬引沢峠も無残な姿。
峠は日の出町玉の内と青梅市和田を結んでいたが、
今では「向こう側のない峠」となってしまった。

畠山重忠が難渋する馬を見かねて下馬し、
自ら手綱を引いて峠を越えたという由緒ある峠道も
南側は完全に廃棄物処分場に飲み込まれてしまった。

「馬引」の「引」は「蟇」の意味で、
蟇蛙(ヒキガエル)の多い沢だったという説もある。

馬引沢峠には伝説がある。

「昔、金銀を積んだ荷車がこの峠越えで難渋し動けなくなった。
そこで積荷を下ろして地中に埋めた。
指揮をしていた侍は人夫を皆殺しにして何処かに去って行った。
侍は数年後再びこの峠を訪れ、辺り一帯を探したが、
隠した積荷を見つけることができず、
そのうち得体の知れない恐怖に襲われ侍も死んでしまった」

ということは、今でも峠付近にはお宝が眠っているということ?
さては廃棄物処分場は廃棄物を埋めるのが目的ではなくて、
金銀財宝を掘り当てるのが目的だったりして・・・


旧二ッ塚峠 (蒟蒻峠)

馬引沢峠からフェンスと並行して山道を東に進めば旧二ッ塚峠。
ここは辛うじて峠
道が残されている。
旧二ッ塚峠は玉の内と青梅市駒木野を結んでいる。

この峠にも悲しい伝説がある。

「昔、峠の麓に貧しい母と娘が住んでいた。
不幸にして不治の病に冒された母親は、
山中に埋葬されることを願い、
娘も母と一緒に葬られることを涙で訴えた。
母娘はこの地に埋葬され、それ以来、二ッ塚と呼ばれるようになった」


悲しい二ッ塚物語の案内板

塚の前には造花と盃が手向けられていた。
半紙もあったがその上に供えられていたであろう品々は、
カラスの餌になってしまったようだ。

峠の標柱に、なぜか赤い郵便受けが括り付けられている。
「青梅市二ッ塚一丁目二番地」と記されているが、
これがここの住所だろうか? 実際に手紙が届くのだろうか?

郵便受けの中を見てみると
「多摩MTBファン雑記帳」と書かれたノートが一冊。
どうやら情報交換用のポストらしい。
塚に埋められた母と娘への霊界通信ポストだったら怖いので、
ちょっと安心した。

「古への 峠の道は 変われども 塚となりてぞ 今に残れり」
という誰が詠んだかわからない句とともに、
「野の坂の 春の木立の 葉隠れに 古き宿見ゆ 武蔵の青梅」
という若山牧水の句が吊るされている。
牧水もこの峠を越えたのだろうか。

塚の上にのびる一本の桜の木が目に留まり、ここで一句、
「大小の塚に舞い散る桜花 わが娘(こ)をおもふ 母の涙か」
(お粗末!)


現・二ッ塚峠 (旧京塚峠)

無線鉄塔の脇を通って執拗に尾根を辿れば、現二ッ塚峠に達する。
峠は交通量も多い上、カーブしているので横断には要注意だ。

反対側の斜面に次の丘陵の尾根に続く道がある。
馬引沢峠や二ッ塚峠がある丘陵を「長淵丘陵」、
これから満地峠に至る丘陵を「草花丘陵」という呼び方もあるらしい。

その草花丘陵は平坦で歩き易い雑木の林間の尾根道。
MTBには最適と思われる。


古・満地峠

何本か合流分岐する道はあるが、
忠実に本道を進めば満地峠まで導いてくれる。

途中、警察庁機動隊が設置した目障りなモニュメントや休憩舎がある。
機動隊は平時には、こんなものを拵えているのだろうか?
さらに「みかえり坂」、「若獅子坂」と書かれた標柱も建っている。
これは正式な地名なのだろうか?そうでなければ紛らわしい。

さらに東に進むと警察施設の厳重警戒のフェンスが現れ、
それに沿って進むことになり、せっかくの雑木林の中の
気持ち良いプロムナードが台無しである。


旧・満地峠

廃棄物処分場のフェンスといい、警察施設のフェンスといい、
この先に登場する宗教施設のフェンスといい、
柵によって遮断・分断された丘陵が痛々しい。

丘陵もそうだが山や川辺や海岸などを個人や企業が
占有してよいものだろうか、どうも合点がいかぬ。

当初は福生駅まで歩き通す予定であったが、
満地峠で日が暮れてしまったので再訪を誓って友田町側に下る。
多摩川を渡り小作坂を登れば小作駅は近い。

こうして初詣と初峠行が無事終了した。

   
【参考になる文献】

『青梅市史』、 『五日市町史』、 『日の出町史』
『新ハイキング576号』(肝要峠から大澄山/松浦隆康)新ハイキング社
『多摩の低山』 守屋龍男・けやき出版 
『旧鎌倉街道 探索の旅 山ノ道編』 芳賀善次郎 さきたま双書
『武蔵野歴史散歩』 蜂谷敬啓 有峰書店
『奥多摩』 宮内敏雄 百水社

● 後日、明るい時間に満地峠を訪れました。ついでに五日市周辺の峠をめぐりました。
  その時の記録、続編・
パパチャリでポタリングをご覧下さい。
  登場する峠は旧満地トンネル・旧満地峠・古満地峠・大荷田峠(万場坂)・間坂・<五日市峠>・二ッ塚峠・旧二ッ塚峠(蒟蒻峠)
  蛇野峠・間坂峠・<白倉峠>・ぐみの木峠・小机峠・横沢入峠です。