亡びゆく峠 / 二本杉峠・日影峠・毛出シ峠・大滝峠
| 二本杉峠周辺は手持ちの昭文社『山と高原地図・丹沢』を見ると、 <危険>マークや<迷い>マークが多数表記されているエリアであります。 「大滝峠〜二本杉峠間は一部ヤブが深い。通行注意」だとか、 「二本杉峠径路崩壊個所あり初級者は危険」などのおどろおどろしい注意書きもあり緊張感を高めてくれます。 実際はどんな状態なのか確かめる意味も含めて点在する峠を結ぶ山旅に出掛けました。 |
*
|
峠の西側に大又の集落があった時代、 分教場の生徒達は運動会や健康診断などの行事の折に、 二本杉峠を徒歩で越えて、 峠の東側の中川大仏地区にある本校へ通ったといいます。 甲斐の武田信玄の軍勢が城ヶ尾峠から信玄平を経て |
*
|
細川橋から「二本杉峠・権現山」を指す標識に従って、 上ノ原集落の茶畑の中の爪先上がりを行き、 神の社を見送れば山道の始まりです。 細川沢沿いの杉林の中を徐々に高度を稼ぎます。 沢から離れ、相も変わらずの植林帯のジクザグを登れば、 |
|
一ヶ所崩壊地(左写真)がありましたが、危険なところはここだけで、 ちょっとしたスリルを味わいながらの通過で事なきを得ます。 崩壊地を過ぎれば整然とした植林地の中にのびる一条の径路が 二本杉峠とはいいますが、無数の杉に囲まれています。 |
|
峠には新しい標識と新しいベンチが設置されています。 路傍には誰が祀ったのか「小御嶽大権現」と刻まれた石があり、 賽銭の一円玉が散乱しています。 峠は十字路を形成しており、 西側の大又沢側に下る道もありますが標識には表記がありません。 歩いて欲しくない理由があるのか、あるいは歩けないほど深い |
|
二本杉峠から北の峯を巻き気味に進むと、古いガイドブックに 日影峠と名前があった地点に辿り着きます。 (*1) 地図にも載っている地蔵平へ向かう道がのびていますが、 日影峠から植林地にのびる明瞭な道がありますが、 これより先、屏風岩山、大滝峠まで数種の目印のテープが |
|
地図上951m峰付近は、三椏の大群落が見事です。 開花にはまだ早かったですが、 膨らんだ蕾が春の訪れを感じさせてくれます。 これら三椏は焼畑時代の名残でしょうか。 その昔、現金収入を得るために山間の集落では山を焼き、 三椏が栽培されたといいます。 屏風岩山手前の鞍部に地蔵平からの獣道のような乗越道があります。 「毛出シ」とは「木出し」「切り出し」の転化でしょうか? 屏風岩山周辺は自然林も残り良い雰囲気です。 履いているジーパンを見るとダニが二匹しがみついていました。 |
|
二本杉峠が予想に反して明るく、しっかりした峠道が越えていて、 実に峠らしい峠の雰囲気をもっていたので、 大滝峠にも過大な期待をしてしまいました。 しかし、そんな思いは、あっけなく裏切られました。 大滝峠は瀕死の状態で、亡びゆく峠そのものです。 少し前の登山ガイドブックでは現役の峠であったはずなのに |
|
地蔵平への道はスズタケが覆い被さり行く手を拒んでいます。 強引に踏み込もうものならダニの歓迎を受けそうです。 冬場でこの状態だから夏場は通行不能と思われます。 柳田國男著『東国古道記』の中の文章に、 二本杉峠は既に越える人も絶え、人口に膾炙することもなく |
|
大滝峠の北に、城ヶ尾峠へ接続している かつての「東海自然歩道」の分岐があります。 沢筋の崩壊により「東海自然歩道」は畦ヶ丸経由の道に この道もいずれ自然に帰っていくのでしょうか。 人が歩かなくなり、何処へ通じているか忘れられた時、 |
|
大滝峠上の分岐で一般登山道に合流して ステタロー沢に沿った道を下ります。 沢の小さな釜ごとにヤマメがついていました。 渓流釣りを楽しみながら避難小屋に一泊するのも良いかもしれません。 小屋の中には一冊の文庫本が転がっていました。 峠を歩き、避難小屋に身を横たえ、「亡びゆく峠」に思いを馳せ、 |
(*1) 『アルペンガイド丹沢・道志』(羽賀正太郎篇)では、日影峠と毛出シ峠は同一としていました。 (*2) 後日、この道を歩きましたが、地蔵平まではヒドイ崩壊道です。 「続・西丹沢の奥深き峠」レポをご覧下さい。 ● リンクしているs-okさんの『誰も知らない丹沢』のレポには、二本杉峠・大滝峠・毛出シ峠みちの探索があり大変参考になります。 |
|